第7話 三顧の礼というやつ?
政庁別館にある宰相専用邸には、リオネル・ジリー侯爵の秘書官と侍従、メイドが住んでいて、王国騎士団が警備をしている。
ジャルダン王国の財政は、竜神を目当てに訪れる参拝客によって支えられている。そのためか、国民性ものんびりしていて、経済活動や支配欲に対するガツガツ感がない。
王宮ですらなんとかすれば入れそうな雰囲気がある中で、このようなしっかりした体制が執られているのを肌で感じたエルヴィナは、やはり宰相は優秀な人物に違いないと確信していた。
だからこそ、一刻も早く婚前契約の相談をしたいのだが、先触れを全部断られてしまっている。
それならばもう、強行突破しかない。
「いつもあんなに眉間に皺を寄せていたら、きっと眼精疲労と肩こりが酷いはずよ」
そこでエルヴィナが思いついたのが、書類仕事に忙殺されていた父・モーリア卿のために煎じた、菊の花を使った薬湯のことである。独特のほろ苦さと香りがあって飲み辛いが、目のかすみが良くなった、と喜ばれていた。
前世でなんとなく、サプリより漢方薬の方が効いている気がして、いくつか飲んでいたもののうちの一つを思い出し、作ってみたものである。ついでに『おばあちゃんみたい』と同僚の女性社員に蔑まれたのも、思い出したけれど。
(コラーゲンとかスーパーフードより、よっぽど日本人の体質に合ってるって思っただけなんだけどなあ)
ぶつぶつ文句を垂れつつ、モーリア領から取り寄せた乾燥した菊の花をすり鉢――宰相邸のコックに借りた際、侯爵夫人自らキッチンに入るだなんて前代未聞だと驚かれたが――で粉末状にする。不満をすり鉢に全部ぶつけたせいか、多少スッキリした気分だ。
「よし、できた」
満足げに顔を上げたエルヴィナは、しかめっ面のメグと目が合う。
「お嬢様、じゃなかった、奥様。本気でそれ、閣下に飲ませる気ですか⁉︎」
「? そうだけど」
「うえええ」
メグも視力が悪くメガネをかけているから、以前飲ませたことがあった。――にっがい! むっり、むっりいいいいいと叫んで走り去られてしまったが。
だから今も口を歪ませ、吐きそうな顔をしている。そんなに不味いかしら? とエルヴィナは首を傾げるものの、気にせず粉末をカップに入れた。あとはお湯を注ぐだけの状態だ。
「んじゃ、行くわよ」
「え、ちょ、先触れは出さずにですかっ」
「もちろん。というか、夫婦に先触れなんて、要らないわよね」
「それは、そうですけども……」
気合いを入れて廊下に出ると、ちょうど護衛にとやってきたバドが軽く手を挙げる。
「おい、エルヴィナ。それなんだ?」
「ん? 目にいいやつ。閣下に差し入れしようと思って」
「……へえ」
なぜか緊張感に包まれたバドが不思議だったが、エルヴィナは気にせず執務室へ歩き出した。
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「うーん。差し入れはお気に召さなかった。次はどうしようかしら」
「奥様、もう諦めましょうよ〜。閣下、すんごい怖かったじゃないですかぁ〜〜〜」
「メグってばすぐ音を上げるんだから。良くないところよ?」
「ひえーん!」
自室へ戻ってきたエルヴィナは、ソファに腰掛けてメグの用意した紅茶を飲んでいる。
執務室へ直接訪問したことで、さすがのリオネルも対応せねばと思ったらしい。
何の用ですかと冷たい態度ではあったが、目の疲労によく効く薬湯を持ってきたと告げ、半ば強引に秘書官のフロランにお湯を注がせたところまでは良かった。
だが。
カップに湯を注ぐと、ほろ苦くも鼻をつくような香りが立ちのぼった。健康には良いが、味も匂いもなかなかの破壊力であるからして――
『私を、毒殺する気ですか?』
飲まずに、拒絶されてしまった。フロランもその傍で『閣下にそのようなものを……お命が惜しくはないのでしょうか……』と青ざめていたので、渋々退散。
ならば次の手を考えなければ、と悩んでいるところである。
「ったく。強引なのもいい加減にしろよ。あの宰相の殺気、騎士の俺でもちょっとビビったくらいだぞ」
「そうですよ! あの目! 絶対に誰かを仕留めたことありますよ〜! お屋敷から出て行けって言われなくて、ほんとに良かったですううう」
「あのねえ。陛下との謁見がまだだもの、大丈夫よ。逆に言えば、謁見が済んでしまえば強制送還される可能性はあるの。だから、多少強引でも急がないと」
エルヴィナの気持ちは焦るばかりだが、良い手が浮かばない。
タブレットの画面をいたずらにタップしては、時間を浪費している。
「仕事がないと、暇だし。ダラダラしている時間が、もったいない。フロランは忙しそうだけど。……あ!」
勢いよく顔を上げたエルヴィナを見たメグとバドが、とてつもなく嫌そうな顔をした。
「なあ。俺、すげえ嫌な予感しかしないんだけどさ」
「わたしもです!」
戦々恐々とする二人に対して、エルヴィナはニッコリと満面の笑みを向けた。
「うん。フロランに休暇をあげましょう」
「出たーーーーーー」
「ひ、秘書官を勝手に休ませるんです? 嘘ーーーーー?」
「ほんと。だって見たでしょ、目の下の隈。かわいそう。バド、頼むわよ」
「いや、俺に頼むって何をだ?」
「ほら、えーっと、いい感じに気絶させちゃって、とか?」
「おっまえなあ!」
呆れ果てたバドだったが、実際フロランは宰相からの重圧と、書類仕事のノルマの高さ――仕上げる速度や正確性を求められて、とてもしんどい――でもって疲労の限界に思われた。
エルヴィナに促されたバドは、
「まあでも、純粋に心配でもあるから、声は掛けてみる」
と、早速翌日、執務室手前の廊下で行動に移す。
「あー、疲れてそうだな、秘書官殿?」
「ぎゃひ! わわ、ぼぼ、僕ですか」
「ちょーっと、休んだらどうだ。仮眠するとかさ」
「ヒイイイ、寝たら、閣下に怒鳴られ……うわ、迫力っ」
ずんずん近づいてくる巨大な神殿騎士の重圧で、フロランの目がぐるぐると泳ぎ出す。
「なあ。マジな話、休憩しろって。竜神様も、そんな疲れてるの見たら、悲しむぞ」
「ふえええ? でも、ひ、秘書官が休むだなんて……ヒッ、そんなことしたら……ああっ急に目眩が……」
神殿騎士に優しい声音でそのようなことを言われたフロランの、緊張の糸がプツンと切れたようだ。
突然両膝から力が抜けたのを、バドは慌てて抱き止めるようにして支える。
「さすがバド。眼光だけで気絶させられるものなのね……」
「さすが神殿騎士様。あの暴虐無人な大神官様ですら、一発で大人しくなったって噂ですもの〜」
「いや俺、何もしてねえぞ!」
巡回の騎士がフロランを医務室へ送り届けるのを見送った後で、エルヴィナは床に散乱した書類を拾い集め、ざっと目を通してみた。
「さて、これは……騎士団の騎馬の追加購入決裁に、町の意見陳情書、それから王都近郊整地工事の人工手配報告書。うん、これなら問題なくわたくしでも執務できますわ」
エルヴィナはキラキラとした顔で、騎士団長室や行政書記官の元へと向かったのだった。
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三日経ち、侍従からリオネルが呼んでいると言われ、執務室にやってきたエルヴィナ。
あれから訪れるのは、三回目である。
「エルヴィナ嬢。私がなぜ呼んだか、お分かりになりますか」
執務机の前で、体の前に両手を組んでじっとリオネルの反応を待っていたエルヴィナは、ごくりと唾液を呑み込んだ。その背後に並んで立っているメグとバドからも、ごきゅんと喉の鳴る音がした。
リオネルの冷気を帯びた声に、部屋の温度も下がるようだ。怯みかけたエルヴィナだが、いや、今は秋だし。肌寒いし。夕方だしね! と思考の転換を図ってかろうじて回避した。
リオネルの脇には、顔面蒼白どころか真っ白になっているフロランがかろうじて立っている。ハアハアと息が荒いし冷や汗も出ている様子に、さすがに不憫になったバドが近寄ろうとすると、「ヒ!」と甲高い声をあげた後でぶんぶん首を横に振られた。
「……嫌われちゃったなあ」
エルヴィナの背後に立っているバドが残念そうに呟いたことで、エルヴィナの緊張感が多少和らぐ。
「閣下。残念ながら、わたくしには分かりかねます」
「はあ。最初に、この結婚は形式上のものだと言ったでしょう。差し入ればかりか、なぜ秘書官の仕事まで」
「わたくしが分かりかねるのは、閣下がこの国の現状から目を背けていらっしゃることですわ」
「!」
リオネルの緑の目が、わずかに揺れた気がした。それは、彼が抱く信念が崩れかけている証なのか、それとも――
「フロランの代役で、王宮を歩き回っているうちに、憂慮すべき状況であることはすぐに分かりました。ここに、台風の後の王国の状況について、とりまとめてまいりましたの。ぜひ、お耳を貸してくださいませ」
エルヴィナがタブレットを掲げるようにして胸の前に出すと、リオネルは眉根を寄せる。
「なんですか、それは」
「タブレット、というわたくしの魔導具ですの。あ、竜神様のご加護がございましてよ」
裏面の竜神の紋章を見せると、リオネルが息を呑むのが分かる。
「……竜神様の、加護……その魔導具、一体どんなものなのですか」
(ようやく、興味を持ってくれたわ!)
エルヴィナの心が、たちまち高揚する。
「ええ! 早速プレゼン、いたしますわ!」




