第6話 無気力宰相と初対面
馬車が政庁別館、ジリー宰相専用邸の前に停まる。白い石造りの門構えに、竜神の紋章が刻まれた青い旗がはためく。数名の秘書官が出迎えに立ち、緊張した面持ちでいるのを見たバドが「なんか、物々しい雰囲気だな」と呟く。
「バド様、ご武運を!」
メグがこっそり耳打ちすると、バドが苦笑した。
「だから、まだ戦ってねえよ」
エルヴィナはタブレットを抱え、背筋を伸ばすことを意識しながら、馬車を降りた。金髪は後ろでまとめたアップヘアにし、モーリア家の伝統的な水色アフタヌーンドレス姿で、営業スマイルを顔に浮かべている。
「さて、円満な契約締結に向けて、主導権握らなくちゃね」
すると、秘書官のうちの一人が一歩前に進み出て、丁寧に頭を下げた。
「モーリア子爵令嬢エルヴィナ様、ようこそお越しくださいました。宰相閣下がお待ちです」
エルヴィナは案内に従ってメグとバドを従え、屋敷内の長い廊下を進む。壁には竜神のレリーフが彫られ、床の大理石は磨かれて光る。遠くでゴーンと六の鐘が鳴り、竜神の寝返りによる干潮が近いことを告げる。顔合わせの準備から、王都への移動に三日。その間、お参りに行けていない。しばらく行けない、と手紙は出したものの、ヤームは寂しがっているだろうかとふと思う。
(結界の模様が違うところ、教えておいたけど……今頃直してくれてるかしら)
秘書官によって執務室の重い扉が開かれると、大きな執務机が目に入った。
部屋自体は広いが、壁際に背の高い本棚がひしめき合っていて、圧迫感がある。窓から差し込む夕陽が、黒髪に銀縁メガネの男を照らす。宰相のリオネル・ジリー、三十歳、その人だ。無表情で書類に目を落とし、ペンを走らせる姿は、まるで人形のよう。
「閣下、モーリア子爵令嬢エルヴィナ様です」
秘書官が告げてもリオネルは顔を上げず、言葉だけが返ってくる。
「この度の結婚は、国王陛下の命。形式的なものだから、こちらの結婚届に署名だけすれば良いです。以上、下がってよろしい」
声は低く、丁寧な口調だが感情がまるで乗っていない。
挨拶どころか、わざわざ来たことへの労いもなく、目を上げず口だけ動かすという無礼さに、エルヴィナは怒りより戸惑いを覚えた。
(何これ。飛び込み営業かってくらい、塩対応じゃない!? そう来たかーっ、でも負けないわ!)
秘書官が同情的な表情を浮かべつつ、宰相から書類を受け取っているのを眺めながら、エルヴィナは思考を巡らせる。彼は一体どういった目的で、このような態度なのか。だが背後のメグとバドが、必死に動揺と怒りを隠しているのを察し、このままではいけないと気合いを入れ直す。
「閣下、お目にかかり光栄に存じます。不躾ではございますが、お聞きしたいことがございます」
それでもリオネルは手元の書類から目を離さず、「質問があるなら、秘書官から聞いてください」と淡々と告げる。
「質問ではございません。ジャルダン王国侯爵というご身分であらせられる閣下が、仮にも結婚する相手に対し無礼を働く意図は何か。お聞きかせ願えますでしょうか」
秘書官が、あからさまにびくりと肩を揺らした。
エルヴィナも実は、心臓がバクバク波打つほど緊張しているし、怖い。けれども、何でも第一歩が肝心なのだ。ここで引いたら、ずっと引くことになる。
「……はあ」
それでもリオネルは態度を変えず鬱陶しそうだが、結婚相手に対してあまりにも酷すぎる。普通の貴族令嬢ならとっくに泣いているだろうが、エルヴィナは違う。下腹部にグッと力を入れ、ひたすらリオネルの返答を待っている。
立ち去る気配がないことを察し、リオネルは渋々といった様子で顔を上げ、机の天板の上で両手を組むと、口を開いた。
「では、エルヴィナ嬢。この結婚の背景は、聞いていますか?」
「はい。国王陛下からのご命令と伺っております」
「ええ。その命令がなんというか……単なる思いつきでしてね。台風被害で沈んだ国民の心を、宰相の結婚という明るい話題で回復させたいのだそうです」
「はあ!? あっ、失礼をいたしました」
エルヴィナも相当な無礼を働いてしまった訳だが、リオネルは眉根をぴくりと動かしただけで、スルーしたようだ。
「こう言ってはなんですが。私としても非常に不本意なお話であり、準備期間も何もなく、この日に受け入れよと言われた次第。これでも最大限譲歩したつもりです」
(不本意にしたって、それを本人に直接言うとか! ノンデリ野郎め!)
思わずカッとなったエルヴィナは、ピクピク動いてしまう眉毛と口角を必死にコントロールしようとしたが、失敗に終わった。
「譲歩とは、どういった意味でしょうか?」
「このような命令、お断りしても良かったのですが。エルヴィナ嬢が毎日竜神神殿を参拝していると聞きました。それほどまでに竜神様への信仰が篤い方へ、経済的支援をする。同じ信者として納得ができます」
――訂正。我慢しようとするだけ無駄だ、とエルヴィナはピクピクする口角をそのまま上に持ち上げた。
「信仰心を買っていただけたのですね」
「その通りです。それ以上でも以下でもありません。結婚届に署名後は、自由に過ごしてください。……フロラン」
結婚届を持ったままの秘書官が、「はいっ」と甲高い声を上げた。小柄で癖のあるブラウンヘアで、分厚いレンズのメガネを掛けたフロランと呼ばれた彼は、不憫なくらいに顔を青くしている。エルヴィナがまだ不満げなのが伝わっているのだろう。
「部屋へ案内を」
暗に、会話は終わりだという合図だ。
当然エルヴィナはその意図に気づいているが、あえて無視をする。
「閣下。わたくしの質問の答えになっていませんわ。子爵令嬢なら侮っても良い。そういうことでしょうか」
「……」
リオネルは、ちらりと背後のバドに目を向けてから、エルヴィナへ視線を戻し、それからようやく、重たい腰を上げる。
「いいえ。そのような意図はありません。執務に気を取られていただけです。誤解を招いたのなら、謝ります。神殿騎士殿も、その殺気を引っ込めていただけますか」
(バド、牽制してくれていたのね)
エルヴィナがちろりとバドを横目で見やると、バドは両手を腰のあたりで組んだまま、ふすーっと大きな鼻息だけで返事をした。
リオネルはエルヴィナの正面まで歩いてくると、丁寧なボウ・アンド・スクレープを披露する。謝罪の言葉に謝意は感じられないし、多少の『これで満足か?』的な投げやり感は否めない。もちろん不満でしかないが、これ以上を今引き出すのは無理だと判断し、カーテシーを返す。
「ありがたく存じます、閣下。今日この日より、ジリー侯爵夫人として、誠心誠意努めてまいります」
「……あくまで形式上のものですから。夫人の仕事はありません」
「ですが」
「話は以上です。下がってください」
くるりと背を向けたリオネルは、今度こそエルヴィナの発言の一切をシャットアウトした。秘書官のフロランが、微かに首を横に振っている。これ以上食い下がるのは、いよいよ良くないのだろう。渋々、再度丁寧なカーテシーをしてから、退室した。
政庁別館の廊下で、エルヴィナの野望の炎が静かに燃え上がる。宰相との『商談』は、まだ始まったばかりだ。
「こうなったら、毎日通ってやるわよ。話を聞いてくれるまで!」
メグとバドが、やっぱりなの顔をしているのを、秘書官のフロランが不思議そうに眺めていた。




