第5話 契約結婚は、事前準備が肝心ですわ
「……メグ。契約書の草案これでどうかしら?」
「け、けいやくしょ⁉︎ けっ、結婚の……!? 本気なんですか、お嬢様っ⁉︎」
朝食の席で突然そんな指示を出したものだから、メイドのメグは盛大に動揺し、挙動不審になった。
「落ち着いて。どうせあちらも嫌々のはずだから、こちらとしても割り切った方が話が早いわ。どうせ恋などとは無縁だし」
「いやいやいやいや、恋でなくても、結婚ですよ⁉︎ 希望とか将来への期待とか、色々あるでしょう⁉︎」
「ないわ」
即答である。
昨日、父の口から「宰相リオネル・ジリー侯爵との縁談」が告げられた時、エルヴィナの中では感情と理性が短い戦争を繰り広げ、理性が爆勝ちした。つまりこうだ――。
「政略結婚。それは契約。相手が誰であろうと、双方が納得して役割を果たせば、成立する」
「そういうもんですか⁉︎ 普通もっと、こう……きゃっきゃうふふとか……ドキドキワクワク的な……」
「メグ、それはただの夢見がちな恋愛脳」
「ガーン‼︎」
天を仰ぐメグをよそに、エルヴィナはタブレットにまとめた資料をぺらぺらと確認していく。現王国が抱える慢性的な財政赤字、台風被害による観光客激減、工事や整備にかかる莫大な予算。そしてそれに気付いていながら動かない宰相――。
「たぶんだけど、リオネル閣下は無気力というより、“人と関わるのが嫌いなだけ”に思えるのよね」
「む、無気力じゃなかったんですか⁉︎」
「なんとなくだけど。面倒事はすべてシャットアウトして、書類で片付けたいタイプ。……そういう意味では、わたくしと気が合いそう」
「なんか哀しい気がするのは、私だけですか⁉︎」
エルヴィナはメグの情緒を無視するように、契約書のドラフトを読み上げ始めた。
『結婚契約書(案)』
第一条:互いに不干渉であること。住居は別、同席は公務に限る。
第二条:一定期間経過後の離婚を許容すること。目安は五年。ただし惚れた場合は自己責任。
第三条:財産の共有は行わず、必要経費のみ互いに負担すること。
第四条:互いの政治的目的を妨害しないこと。
第五条:本契約は、いわゆる“白い結婚”とし、双方合意の上で身体的関係を持たないものとする。
「どう? この事務的清潔感。恋愛のれの字も入ってない!」
「なんかこう、情緒が欠落してません!?」
「いいのよ。これはビジネス結婚なのだから。むしろ宰相はこういうの、好むと思うの」
「お嬢様、それ、宰相のファンが聞いたら刺されます……」
「え、あんなのにファン、いるの?」
「曲がりなりにも侯爵ですし。見目は、整っていますし。ひょっとしたらお嬢様の方が自己責任、になっちゃうかもですよ!」
「あんな表情筋ない人に? ないない」
「お嬢様……ご自身で未来を暗示しちゃってま」
「フラグじゃないから!」
メグを受け流しつつエルヴィナは、予備資料として用意した『王国財政再建案』、『観光客を呼び込むための広報活動案』、そして『復旧工事計画書案』を整理し、まとめて書類ばさみに入れた。
「ふふ……完璧……この準備こそ、前世で培った営業力の真髄!」
「……お嬢様、私、ちょっとだけ怖いです」
「なぜ?」
「今から結婚相手に会いに行くっていうのに、商談しに行く人みたいだからです……」
「間違ってないわよ。宰相に『わたくしをパートナーとして迎える価値』を提案しに行くのだから。この機会に、王国政治に関われたら言うことないもの」
「うわああ……」
メグはそっと、両手を握った祈りのポーズをした。
「なにそのポーズ?」
「討伐前の祈願です……お嬢様、今日、まるで戦に行くみたいだから……!」
「……うーん、否定できない!」
「否定してくださいぃい」
お昼には王都行きの馬車が出る。時間はあまりない。
宰相リオネル・ジリーとの縁談。無表情・無気力・無口の三拍子が揃った最強官僚。相手に不足なし。一方エルヴィナの父は及び腰で、「もー、全部当人同士でどうぞ」スタンスである。
「さて、契約締結に向けて、こちらが主導権握らなくちゃね! 宰相の情報、持ってるなら渡して?」
「お嬢様、これって結婚の話ですよね!? 戦略会議みたいに言わないでぇえぇ!」
こうして、恋の予感も情緒の欠片もない『第一回・結婚交渉プレゼン大会』は、無気力宰相との頭脳戦(※話し合い)へ向けて幕を開けた。
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「だからって、なんでバドがついてくるのよ⁉︎」
王都行きの馬車の中、エルヴィナは真正面から不満をぶつけた。
「お前、いつも勝手に無茶するだろ。止めんのは昔から俺の役目じゃんか」
神殿騎士バド。平民だがエルヴィナの幼なじみにして、脳筋で一本気な男。とっさに動いて後先考えないけれど、その分、誰かを思う気持ちは人一倍強い。
今回も心配のあまり、神殿に半ば無理を言って護衛任務を勝ち取ってきた。しかも、護衛なら馬で追従すべきであるのに、話したいからと無理やり馬車に同乗している。体が大きすぎて、見ているだけで息苦しくなるし、剣はゴツゴツあちこちに当たるしで、エルヴィナのご機嫌は斜めだ。
「それに、お前が嫁ぐ相手って……宰相なんだろ? なんか、すげえ無愛想でヤバそうな男って噂だしさ」
「表情筋の動きが極端に乏しいだけなのよ……多分」
「多分かよ!」
「とにかく。心配いらないわ。これ、読んでみて」
バドはひとりでぶつぶつ言いながら、エルヴィナが差し出した『契約書』に目を通し始める。
「……なにこれ」
目を走らせるうちに、バドの顔がだんだんこわばっていく。
「え、ええと……『夫婦は別居可』、『財産は独立管理』、『五年経過後、離婚を許容』……って、なにこのドライすぎる結婚⁉︎」
「合理的でしょ?」
「合理っていうか、もう……いや、恋愛しろとか言わないけどさ! でも、これ本当に結婚か⁉︎」
「そもそもこれは、ビジネスよ。共通の利益のために結ぶ、対等な契約」
「うーわー……いやそうしたいっつてもな、相手は宰相だろ? この条件で、首縦に振るか? 振るか。振る、かもなあ……」
うんうんと唸りながら首を捻るバドに、エルヴィナがちらりと目をやる。
「……どうせ結婚するなら、ちょっとでも楽しくした方が得だと思わない?」
「楽しいっていうか……怖いもん知らずだなお前。ほんとに困ったら、俺が神殿に頼んで連れ戻すからな」
「心強いけど、無駄な努力になるわよ。わたくし、やると決めたらやり通す主義なの」
バドはふーっとため息を吐いた。
「つか、お前ほんと、ちっとも恋愛とか興味ないよな。普通の女の子って、結婚相手の話でキャーキャーすんだぜ?」
「わたくし、普通の子じゃないから」
「だよなー!」
あきれ半分、安心半分といった表情で笑うバド。その顔が窓の外の王都の街並みに反射して、エルヴィナは一瞬だけ目を細めた。
「でも……バドがいてくれるのは、実はちょっと助かるかも」
「は? 今さらなんだよ」
「宰相ってね、昔、神殿騎士を目指してたことがあるのよ」
「へ? マジで?」
「ええ。でも侯爵家の嫡男って、すっごく希少でしょう? 宰相に据える人材がいなくて、国王直々に指名したそうなの。それで、神殿側も丁重にお断りしたらしいわ。結果、若くして着任……有能だったからこそなのでしょうけれど」
「うわ、それ……なんか不憫っていうか、もやもやすんな」
「だから、バド。あなたみたいな『なりたかった姿』が目の前にいたら、刺激になるかもしれないって思って」
「おい、それ、俺を道具にする気じゃ――」
「正しくは、活用するわ」
「うわあ……! それを笑顔で言う⁉︎」
バドが泣きそうな顔で体を反らせると、メグがこっそり耳打ちしてくる。
「バド様……ご武運を」
「まだ戦ってねえよ!」
そんな賑やかなやり取りを続けながら、馬車はゆっくりと王都中心部の政庁区画へと入っていった。石造りの立派な建物が夕日で輝き、竜神をモチーフにした紋章の入った王国旗がはためいている。
──そして、カカッと大きな蹄の音がした後で、馬車が止まった。
「到着しました。政庁別館、ジリー宰相専用邸です」
御者の声とともに、馬車が静かに止まる。立派な門構えの屋敷。その前で、数名の宰相直属の秘書官たちが出迎えていた。
バドは緊張で肩を強張らせている。一方のエルヴィナは、目を輝かせている。
「さて、いよいよ商談開始ね!」
「商談って……あのなあ……!」
バドのツッコミを背に、エルヴィナは馬車を降りた。
突然の結婚に怯むようなエルヴィナではないが、運命の歯車は音もなく回り始めているのかもしれない――少しの不安と共に、大きく深呼吸をした。




