第29話 神恩ポイント問題
森の手前で下馬したエルヴィナたちの目に入ったのは、もうもうと木々の上に噴き出る濃い煙だった。
「まさか、山火事⁉︎」
思わずエルヴィナが呟くと、背後のリオネルが同意する。
「バドの言うとおり、森には強大な魔力が漂っています。神鏡の力が解き放たれたのなら、落雷したのやも……」
隣に立つバドが、険しい顔をして山の峰の向こうに目線を投げた。
「チッ! 見ろよ、あの空!」
黒い煙が、幾つも空へ向かって立ち上っている。
まるで黒柱が、何本も空に刺さっているかのようだ。
「火事……!」
もうもうと空を焦がすように吐き出される黒煙は、火事に間違いない。エルヴィナの背筋が凍った。
リオネルから、緊迫した声で告げられたのは、それをさらに肯定する説明だった。
「山の向こうは、帝国の領土です。麓には大規模な町があったはず。落雷で山火事を起こした地盤が、そのまま向こう側へ崩れていったのなら、延焼も免れないでしょう」
「ちくしょ、消火っ……でも遠すぎる!」
歯噛みするバドの一方で、エルヴィナは必死になって頭を回転させた。
火を消すには水。ここには、アクアがいる。
「アクア! 火事の真上だけ、雨を降らせられる⁉︎」
『できるけど、エルヴィナの魔力。いっぱい、使っちゃうよ?』
「お願い!」
『しょうがないなあ〜』
タブレットの表面から、少女の姿のアクアが飛び出て、山の向こうへ飛んでいく。
「エリー、また倒れてしまう!」
「無茶すんなって!」
「わたくしの魔力でなんとかなるなら、良い。人命には、変えられない」
エルヴィナの強い心に、リオネルもバドも圧倒され――
「エリーにばかり頼ってはいられませんね」
「おう。あとは任せろ」
男二人の闘争心に火がついたようだ。
剣を抜き、躊躇いなく森の中へ歩を進めていく。
「え、ちょ」
エルヴィナは戸惑いつつも、その背中を追いかけた。胸の中に、タブレットを抱きしめながら。
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一つの鐘が鳴り終わる頃、エルヴィナたちの眼前に現れたのは、大きな洞穴だった。
岩山の斜面が削られてできた天然要塞で、入り口は大人三人が並んで入れる程度の大きさ。
穴の奥は黒く塗りつぶしたかのような闇で、見通しが効かない。
「あそこだな」
先頭のバドの足がぴたりと止まると、リオネルはその右横に立った。
二人の目線の先をよく見ようとエルヴィナがリオネルの脇から身を乗り出そうとすると、黙って腕で防がれてしまった。
「入り口に結界があります」
「切れるか?」
「無論」
こともなげに言い捨て、リオネルはザクザクと入り口に向かっていく。
見張りの姿もないからか、無防備だ。
「心配すんな。強力な結界だから、油断してんだろ。それにおそらく、見張りに人員を避けるほど大人数じゃねえ」
「バド、そんなこと分かるの?」
「あのなあ。一応騎士だぞ。中の気配ぐらい、探れる」
「ほええ」
「その声やめろ、気が抜ける」
「いやぁ、だってほら、膝が震えちゃって」
勢いで来たものの、いざ現場を目の当たりにすると過度な緊張感がエルヴィナを襲っていた。
消火のため離れたアクアが、今近くにいない心細さもある。
「おぶってやろうか? ガキのお前が、木から落ちた時みたいにさ」
「そんなの、よく覚えてるわね⁉︎」
盛大に尻餅をついて泣き喚き、バドに背負われて神殿へ連れて行かれた。神官に祈ってもらって泣き止んだら、今度はバドが目を赤くしていたのを思い出す。
「バドも泣いてたじゃない」
「あんだけ痛いって泣かれたらなあ。ガキだったし、死んじゃうかもって思ったんだよ」
「何それ、初めて聞いた」
「初めて言った。……死なせねーから。大丈夫だ」
ぐいっと口角を上げる大きな幼なじみに、エルヴィナはようやく肩の力が抜ける。
「脳筋に気遣われるとか」
「ノウキンてなんだ」
「脳みそも筋肉でできてるってこと」
「それ、いい意味か?」
「さあね」
言い合っていたら、空気を鋭く切り裂く白い光が幾つも眼前を走っていった。
「お、さすが」
「切れたの⁉︎」
視界の先で一人立っているリオネルからは、何やら不穏な空気が漂っている。
「リオ!」
心配になって駆け寄ったエルヴィナが不安げに見上げると、眉根を寄せている。
「結界切れたのに、なんでキレてるのかしら⁉︎」
「まったく、私が必死に頑張っていたというのに、なぜ他の男といちゃいちゃ……」
一体何を言っているのだろう? と純粋な気持ちで見上げるエルヴィナと目を合わせているうちに、リオネルはどんどんしどろもどろになっていく。
「リオ?」
「ゴホン。あー、結界。少々厄介でしたから。さて、見張りも見当たらないようですし、入ってみましょう」
「すごいわ! 宰相なのに神殿騎士でも高位なぐらいの実力者だなんて」
「っ、褒めても何も出ません」
「ふふ。何もいらないですけど」
「そうですか。また何か要求されるのかと」
「しませんー!」
話しながら中へと歩き出す二人を追いかけるバドは「そっちの方がいちゃついてんじゃん」と苦笑しつつ、警戒を呼びかける。
「見張りはいなくても、罠がある可能性あるぞ」
「は! そうだ、タブレット!」
エルヴィナがタブレットを起動すると、ちょうどウインドウがポップアップしていた。
《魔力アラート》
現在地に、魔力が検知されました。罠の可能性があります。
索敵には、3000pt消費します。
(現在の所持ポイント:5890pt)
▶ 索敵する
▶ キャンセル
当然選んだのは、『索敵する』だ。
「またポイントを使ったのですか」
「はい。安全に、すぐ辿り着かなければ」
「……そうですね」
マップ上に、また赤い丸印が点々を現れる。道自体は一本のようだが、ところどころに罠が仕掛けられているようだ。
「これだけ分かれば、心配無用ですね」
「うし、俺が先頭」
ずいっと前に出たバドが、ぶおんと剣を振るう。
「今の範囲に入るなよ。俺の剣の間合いだからな」
「物騒!」
「はっは! エルヴィナを頼んだぜ、リオ」
「……分かった」
真っ暗な洞窟の岩肌に跳ね返る、バドの殺気が恐ろしくて頼もしい。
「バドって騎士だったんだね」
「今更気づいたか」
エルヴィナにとっては、ただの幼なじみだった。それが今――
「楽勝!」
バドの剣が軌跡を描くと、光の残像と共に魔物が倒れていた
剣一本で、カサカサする何かを一瞬の後にガキン、ブシャアッと倒したことになる。
明かりといえばリオネルの持つランプのみで、薄暗い洞窟の中では視界が効かないのが幸いだ。
「うえええ、何、何、今の何の音⁉︎」
「おそらくスパイダー系の魔物ですね。足が八本見えましたから」
「ぎょええええ、聞きたくなかったあああああ」
「? 倒したので平気ですよ」
(無気力宰相なんかじゃない、武闘派宰相だった!)
「バドの手を煩わせるような魔物はいなかったですね、つまらない」
「おい! つまらんてどういう意味だよ」
「私の出番がない」
「最後までねえよ! っとお!」
またグギャーのような何かの断末魔が聞こえた気がしたが、エルヴィナは聞かなかったことにする。
「ふうむ、残念です」
(やっぱそうじゃん!)
エルヴィナがいよいよ涙目になった頃、三人の目の前に木の大きな扉が現れた。
上部には目で見てはっきりと邪なものだと分かる、紫色の魔法陣が描かれている。
リオネルが近づいて人差し指で軽く触れると、バチッと電流のようなものが走った。
「リオ!」
「封印の魔法陣のようですね」
「怪我は⁉︎」
「ご心配なく」
チキキキ、とリオネルが再び剣を抜く金属音が、耳に響いた。
「離れていてください。切ったら、反転攻撃が来る可能性がありますから」
「え!」
「おー。エルヴィナは俺の背中に隠れてろ」
「でも」
「エリー。下がりなさい」
リオネルの覇気に押され、エルヴィナは黙って言うことを聞かざるを得なかった。
(リオって、こんなに怖かったんだ……わたくしは、優しくしてもらっていたのね)
契約結婚の夫で、無気力宰相で、信心深い。
リオネルを表す言葉は、それぐらいしか浮かばなかったが。
(本当は、臆病で優しくて、思慮深い。そして、とても強くて、怖い。たくさんのリオを、知った気がする)
人と関わることの大切さを、この世界でもまざまざと実感したエルヴィナは、ますます強く願う。
(やっぱり。この世界の人々も、助けたい……どんなに悪い人でも)
自然と胸の前で両手を組み祈りの姿勢になったエルヴィナの体の芯が、温まっていく気がする。
「っく、やはり反動が」
「あぶねえ!」
切られた結界が、無数のナイフに姿かたちを変え、全員に襲ってくる。
「助けたい!」
だがエリーの願いでその全ては空中で動きを止め、硬い石の床にガシャガシャと派手な音を立てて落ちた。
同時に、分厚い木の扉が、ギイイと開く。
中からはオレンジ色の光が溢れ、暗い洞窟の中から眩しくなったことで目が開けられず、今攻撃されたらひとたまりもない、とエルヴィナたちは慌てた。
「ふは。さすがわしの見込んだ魂じゃのぅ」
ところが、そんなのんびりとした声が発せられて、エルヴィナの肩から緊張が抜けていく。
「ヤーム?」
「うむ。このようなところまで来てくれた。嬉しいぞい」
目が開けられず、姿を確認することはできないが、声は穏やかだ。
無事で良かった、でもなぜ? と思っていると――
「この世の誰も、わしには逆らえんよ」
ヤームのいたずらっぽい声が、エルヴィナの間近で聞こえてくる。
まだ視界は完全に戻らないが、見慣れた黒いローブと、長い白髭、それからシワだらけの手に握られた魔法の杖が見えた。いつも結界を整えてくれている時に使っていたものだと気づいて、エルヴィナは躊躇いなく抱きつく。
「ヤーム! 無事だった! 良かった!」
「ふぉふぉふぉ。無事、とは言い難いがのぅ」
「え⁉︎」
ようやく扉の中に目を向けると、床に仰向けに倒れている皇女と、黒ローブの人間と、騎士姿の人間が二人。全部で四人で事に及んだとしたら、少なすぎる。
「あの皇女は神鏡を覗き込んでしもうた。昔のわしと同じじゃ」
メグから聞いた、竜神神殿の成り立ちを思い出す。
――このままでは、世界が壊れてしまうと慌てたある国の王が、神鏡に姿を写した途端、無尽蔵の魔力が宿った。王は強大な魔法使いとなり、さらに不死身となった。
――王の力を恐れ、また奪おうとした輩が神鏡を持ち去ると、暴風と嵐とが世界を覆い、大洪水で巨大な山々すら崩され地形が変わった。
「もしかして、皇女は……」
「ほんの片目で、意識を失った。じゃからまあ、不死身とまでは行かぬが、魔女にはなってもうた」
皇女の側に片膝を突いて顔を覗き込んでいたバドが、神妙な声を出す。
「左目のあたりが、焼かれているみたいだ。痛そうだな」
エルヴィナがバドの肩越しに覗き込んでみると、閉じた瞼の内側に、赤い光がまだちらついているようだった。まるで、力を宿した証のようだ。
「うむ。皇女の力はわしが抑えた。じゃが神鏡の怒りが収まらん。」
「どうしたらいいの!」
「そこで、神恩ポイントじゃよ〜」
ヤームの朗らかな声に、いよいよエルヴィナの膝から力が抜けた。
「ええ……?」
「アクアを解き放って、火事は止めてくれたんじゃろ? あとは、神恩ポイントで鏡を封印するのじゃ。我ながら、完璧なシナリオ……」
「ありません!」
ビタ、とヤームの言葉が止まった。
「ん?」
「だから! ポイント! ありません! 何よ、一日10ポイントしかくれなかったじゃない! だから全然貯まらなかったの!」
興奮しすぎて声はひっくり返り、肩でゼエゼエと息を繰り返すエルヴィナをヤームはただただ、見つめている。
「今、何ポイントじゃ?」
「2890!」
「……何に使ったんじゃ?」
「主に水源調査と、修理ですね!」
「それしきで、なくなる、と?」
「そうです! 設計ミスです!」
「設計ミス、とな?」
どんどんヒートアップするエルヴィナを落ち着かせようと、今まで黙って成り行きを見守っていたリオネルが、おずおずと口を開いた。
「ですから、私とのポイント合算を申し出た次第でして……」
こんな時にも関わらずエルヴィナは、一人で担当していた難しい顧客に対して、会社のエース級二人で挑んだ商談を思い出していた。




