第28話 無気力宰相の信仰心
「まさか、道中の雨まで止むとは……!」
「すごいね、アクア」
『ンフー』
「うっし、飛ばすぞ!」
モーリア子爵邸にメグを送ってから、エルヴィナはリオネルの前に相乗りする形で馬上にいる。
先導するバドの馬を追いかけながら、エルヴィナは緊張感を高めていた。
目的地は、もちろんランダン山脈の麓である。
ぬかるんだ街道を、鞭を入れてひた走る。
替えたばかりの馬は元気だが、一日中ほぼ全速力で麓まで走らせるとなると、潰すようなものだ。胸が痛んで、エルヴィナは唇を噛む。
そんなエルヴィナは、タブレットを布製のカバンに入れ、しっかりと紐を胴体に巻いてきた。絶対に落としてなるものか、落としたら最後、直せない! である。
「これから一日中、走り続けることになります」
最低限の装備での、強行軍だ。気絶から目覚めたばかりのエルヴィナを、リオネルはなおも気遣う。
「疲れたら、言ってください」
「大丈夫ですわ!」
言葉だけでなく、エルヴィナの背中を温めてくれているリオネルの体温が、心強い。
(こういうのを、戦友っていうのかしら)
文字通り、戦場へ向かっているようなものだ。
生まれ変わった時、まさか神を助けにいくことになろうとは、思わなかった。
「見えてきたぞ!」
一日走り続けて、大きな山の峰が間近に迫った頃、バドが叫ぶ。
と同時に――
《ピコン》
タブレットの通知音が鳴った。
「バド!」
揺れる馬上で、画面を確認することはできない。リオネルの咄嗟の判断で、止まって確認しようと手綱を引く。バドも「おう!」と応え、馬の足の速さを抑えていく。
ゆっくり歩く馬の上で、エルヴィナは慎重にカバンからタブレットを取り出し、ポップアップウインドウを確かめる。
《世界滅亡アラート》
ランダン山脈の麓の森にて、神鏡の暴走を感知。すぐに封印しないと世界が滅亡します。
封印には神恩ポイント500000ptを消費します。
(現在の所持ポイント:5890pt)
▶ 封印する
▶ キャンセル
「ごご、ごじゅうまんっ!? だから! 全然! 足りないよおおおお!」
エルヴィナの悲痛な叫びが、暗雲立ち込める空にこだまする。
「神恩ポイント、ですか」
背後から降ってくるリオネルの冷静な声も、今は腹立たしく感じるほど、エルヴィナは焦っている。
「ううう。もう、間に合わないかもしれない……神鏡が、暴走してるって……」
「急ぎましょう」
「でも!」
「やれることを探して、やるんです」
再び馬に鞭を入れたリオネルを、エルヴィナは不思議な気持ちで振り返った。
「無気力宰相、でしたのに」
思わずぽろりと、本音が零れる。
しまった、と思っても遅かった。
怒られるだろうか、と身を縮込めていると――
「そうですね。私は、臆病でした」
あっさりリオネルの返事があった。
徐々に早まっていく馬足に合わせて、また揺れが激しくなる。舌を噛まないよう、エルヴィナは奥歯を噛み締めた。
「あの時、竜神様がいらっしゃらなければ。私は間違いなく死んでいました」
「え?」
「子どもの頃のことです。王都から船で竜神の小島へ向かっていたら、船から突き落とされたのです」
ヒュ、とエルヴィナの息が止まった。
「泳ごうとしたものの波に飲まれてしまい、溺れて海底へ沈んでいったのですが、青く輝く竜に運ばれ、小島の砂浜に打ち上げられて助かりました。子ども心に、竜神様が助けてくださった、と思いました。アクアが青いトカゲなのを見て、やはりあれは竜神様だったと確信しました」
「犯人は!?」
「捕まって処刑されています。が、殺害を依頼したのは、父を疎んだ貴族の仕業です」
「それなら、その貴族も裁かれるべきです!」
リオネル・ジリーは侯爵子息である。ジャルダン王国では高位貴族に位置する家だ。その子息を海に突き落とせと命じたのなら、ただでは済まない。
「もちろん、父は糾弾しようとしましたが。その貴族を裁きの場へ引っ張り出すことすらできませんでした。大金を積まれ、囲い込まれてしまった。そこに正義などない。貴族の汚さを、目の当たりにしました」
「そうだったのですね……だから、リオは……」
「情けない話ですが。金でなびくような貴族たちに迎合する気には、なれなかった。宰相という地位を陛下に賜っても、孤立しました」
王宮内は、政治がものを言う。
若くして宰相に就任したリオネルにとって、茨の道だったことだろう。
「竜神様に救っていただいたこの命を懸けて、帝国の思惑を止めます」
決死の覚悟に、水を差すべきではないかもしれない。
けれども、生きて帰る決意も必要だ。エルヴィナは、リオネルを鼓舞することにする。
「リオ。あなたの覚悟は素晴らしいです。世界を救ったら、英雄になるのですから。一緒に王都に帰って、その貴族たちの鼻を明かしてやりましょう」
「おや、良いのですか。結婚契約によると、私がいない方が、悠々自適に暮らせますよ?」
事実、離縁後の生活保障は、贅沢なぐらいであった。
離縁には当然、『死別』も含まれる。
リオネルの皮肉に、エルヴィナも皮肉で返した。
「あら。死んで契約破棄だなんて、つまらないですわ。この度の世界の救済についても、きちんと報酬を加味していただかなければ」
「はは。また商談ですか」
エルヴィナの頭頂に、リオネルの明るい声が降ってくる。
「ならば、契約満了の際、双方合意の元で覚書を作成し、サインしなければですね」
「当然です!」
話しているうちに眼前まで迫ったランダン山脈は、知っている形よりもかなり違っている。
「もう、あんなに崩れているだなんて……!」
「やはり本気で山崩しをしているようですね」
「ヤームッ」
エルヴィナは、ヤームの無事を祈るのに必死になり、背後のリオネルの発言は話半分で聞いていた。
「エリー。ふと思ったのですが。その神恩ポイントが足りない件」
「ええ、足りないです、全然」
「夫の分の信仰を、なんとか加算できないものですかね?」
エルヴィナの思考が、びたりと止まった。
「ジリー侯爵家長男として、竜神神殿には多額の寄付をしてきましたし、エリーほどではなくとも、頻繁に祈りを捧げてきました。私の信仰心が加味されるなら、莫大な神恩ポイントが貯まると思うんですが」
「ちょ、え⁉︎」
「そのタブレットに貯める、という仕組みにもよりますが……」
(え? え? ポイント合算なんて、そんなことできる? 普通は個人に紐づくものよね)
どんどん近づく目的地を前にして、エルヴィナは激しく動揺しはじめる。
「あ、ああ、アクア!? 今の聞いてた!?」
『聞いてたよー! えっとね、タブレットにリオネルの魔紋登録してみたらどうかなー?』
「えっ、そんなんで良いの!?」
『うん。でも、そもそも魔紋登録できるかってことなんだよね。二人の気持ちが通じ合ってたら良いんだけど』
「二人の気持ち?」
「アクア様。それはつまり、どういうことだろうか」
すると、アクアはけろりと告げた。
『二人同時に、タブレットに魔力を流さなくちゃなの。相当息が合ってないと無理。それこそ、愛し合うとか〜』
「「愛!?」」
馬上で固まるエルヴィナとリオネルに、バドが切羽詰まった表情で声を掛ける。
「おい! あっちから強大な魔力を感じるぞ! 森の方向!」




