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無気力宰相と契約結婚した元営業女子、転生特典タブレットで世界を救う。  作者: 卯崎瑛珠
第四章 竜神神殿と帝国の陰謀

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第26話 滅亡に瀕す 後


 神殿の屋根の下に避難した瞬間、目の前を覆うほどの大雨が滝のように降ってきた。

 雨粒自体も大きいのに、その量たるや、あっという間に地面が波打つほど。


「これは、止むまで身動き取れそうにないぞ!」


 バドの声すらも打ち消す雨音の激しさに、リオネルが顔を顰めていると、突然エルヴィナの膝が崩れた。


「っエリー⁉︎」


 脇から抱くようにして咄嗟にリオネルが肩を抱き、エルヴィナの体は倒れるのを免れたものの、手からはタブレットが滑り落ち――ガシャンと派手な音を立てた。

 バドが気づき慌てて拾い上げると、板状のボディはかろうじて無事だが、表面が見事にひび割れている。

 

「ド派手に割れちまった……」


 タブレットを手に困惑するバドと、動揺して名前を呼び続けるリオネル。

 

「エリー! エリー!」

「あ……う……」


 うっすらと意識があるエルヴィナは、大丈夫だと言おうとして口を開くが、言葉にならない。

 視界がぼんやりと霞がかって、全身に力が入らない。もしや、タブレットを起動していた時に感じていた違和感は――

 

「おい、エルヴィナっ! リオ、こいつ一体、どうしちまったんだ!」

「分かりません! とにかく中へ!」


 リオネルはエルヴィナを横抱きにすると、神殿内へ続く扉を開けるようバドを促す。


「どこか、寝かせられる場所は⁉︎」

「あーっと神官の仮眠室がある!」

 

 リオネルを先導して早歩きをするバドの背中を目標に、なんとかエルヴィナは目をこじ開けている。だが、どれだけ必死に瞼へ力を入れても、容赦なく降りてくるのに抗えない。


(なんで、急に力が抜けちゃったのかしら。倒れている暇なんか、ないのに)


 歯痒さばかりが、胸に募る。

 耳には、ザーザーという音が聞こえている。人々の喧騒なのか、雨の降る音なのか。判断がつかない。


(力が……)


『いいの、エルヴィナ。目を閉じて。身を任せて』


(その声は……アクア?)


『うん。わたしがいるから。大丈夫だよ』


(ごめんね、タブレット、割れちゃった)


『大丈夫。わたしを信じて。目を閉じて』


(目を、閉じる……)


 エルヴィナの意識は、やがて深い水の底へ沈んでいくように、真っ暗な中へゆっくりと落ちていった。

 

  $$$


 気がつくと、エルヴィナは建物の中に立っていた。

 太く長く白い柱がいくつも立ち並ぶ空間は、とても静かだ。


 ここはどこだろうとキョロキョロ首を巡らせると、見覚えのある場所だと気づく。


 ところどころ、柱に刻まれた竜の浮き彫りが淡く光り、床に映る水面のような波紋が揺れる。

 誰の足音も、何の物音もしない。美しく整いすぎた静寂が、不気味に背筋を撫でたその時――


「ふぉふぉふぉ、まいったのぉ」


 エルヴィナは、その声の主の名前を反射的に叫んでいた。

 

「ヤーム!」


(やっぱり、ヤームが竜神様だった!)


 エルヴィナは、自分をこの世界に呼んだのがヤームであると確信した。

 ところが、声だけで姿は見えない。

 

「どこにいるの⁉︎」

「おぬしの予想通りの場所、だと思うがのぅ」


 その時、エルヴィナの脳裏にまざまざと蘇ったのは、ノインベルクで見たタブレットのポップアップウインドウだ。

 

「あの時の国境監視アラートは……ランダン山脈の麓の森! もしかして、『魔力の大きな乱れを検知』って出たのは、帝国がヤームに何かした時だったってこと⁉︎」


 エルヴィナの問いかけに、ヤームは笑い声を上げた。

 

「ふぉふぉふぉ! 小島を歩いていたら、捕らえられてしまってのぉ。さすがのわしも、不意打ちをくらっては抗いきれんかった。年かのぉ?」

「笑ってる場合じゃないでしょ! 世界の危機だよ⁉︎ 神鏡が奪われて、すごい嵐が来て。どうしたらいいの⁉︎」


 焦るエルヴィナは、その場でぐるぐると歩き始めた。両腕を組んで、首を左右に捻りながら歩く。脳の中の記憶や知識を、こねるように。


「神鏡を元に戻せばいいのかしら……それなら、皇女を追いかけないと……でも、日が落ちちゃったら……」


 懸命に、何か良い手段はないものかと、ぐるぐる考え続ける。そんなエルヴィナの思考を、ヤームの穏やかな声が遮った。

 

「だがのぅ。おぬし、しばらく起きれんぞい」

「はい⁉︎ なぜ⁉︎」


 そういえば、意識を失ったんだった、と我に返る。アクアがそのまま目を閉じろと言っていたが、この場所に導いただけだと思っていた。

 

「魔力が、尽きたのじゃ」

「ええ⁉︎ 魔力なんて使った覚え、ない……魔法とか、できないしっ」

「何を言っておるのやら。タブレットを使い続けていたじゃろうに」

「うっ」


 そういえば、タブレットを操作する時間は、以前より格段に長引いていた自覚がある。

 起動したまま山登りをしたり、泉を探したり、シュタイン公の居場所を探したり。

 結構、いやかなり酷使していたかもしれない。


「呆れたのぉ。しかもタブレットの中には、アクアが住んでおった。力を失っていた精霊を、おぬしの魔力で養ってたのと同じじゃよ」

「養って……え、まさか」


 最近、体がだるくなることが多かった。疲労が溜まっているとばかり思っていたが――

 

「タブレットの画面がすぐ暗くなってたのって、わたくしの魔力不足?」

「そうじゃ」

「うっ、なるほど……魔力って、戻るものなのかしら?」


 エルヴィナの問いに、ヤームは答えない。

 シン、としばらくの間、静寂が訪れた。


「ヤーム?」

 

 突然返事をしなくなったのは、彼の身に何かが起きたからではないか。

 不安に駆られて、エルヴィナは何度も叫ぶ。


「ヤーム! ヤームってば!」


 大声を出してみるが、ぐわわんと耳鳴りがしただけだった。


「ヤーム……何かあったの……?」


 すると突然、ミシリ、と鈍い音がする。

 それから、ゴゴゴゴと床が波打ち始めた。


「え……」


 左右に並んで立っている太くて白い柱に、ビシビシとひびが入っていく。

 あれほど美しかった竜の浮き彫りが、ガタガタになっている。

 水面のような波紋が光る床も同様に、あちこちひび割れていく。


 ガラララ……。


 何かが崩れた音がした。


「ヤームッ!」


 悲鳴にも似たエルヴィナの声と正反対に、のんびりした魔法使いの声が、再び聞こえてくる。

 

「ふうむ。試しに、少しだけわしの魔力を分け与えてみたんじゃが。起き上がれるようになった代わりに、どうやらわしがこの場所を維持する力が、なくなってしまったようだのぅ」

 

 薄暗かった天井に走る割れ目が、少しずつ広がっている。

 そこから入ってきた明るい光が、脈状に走る線を、床にいくつも描いていく。

 

「この場所が、なくなる……起きたら、自分で何とかしなくちゃ」


 生まれ変わる時、力を貸すと約束したのに――エルヴィナは、無力感に苛まれた。


「でもどうすれば! 神恩ポイントだって、ぜんっぜん足りなかった! 毎日参拝して、コツコツ貯めたのに……絶対設計ミスだよ! やっぱ押し付け商材じゃん!」


 エルヴィナはすっかり『森恵理』に戻っていた。

 

「焦るでない、エルヴィナよ。おぬしはたった一人でこの世界に来たが、今は違うじゃろう」


 ヤームに諭され、エルヴィナは必死に深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着ける努力をする。

 

「そうですね、仲間がいますねっ。ありがたいことに、契約上の夫もね!」

「ふぉふぉふぉ。そうじゃ。特別なことは何もいらぬ。ただおぬしらしくあれば良い。さすれば世界は救われるであろう」

 

 いよいよ目の前が、真っ白くなる。


「わたくし、らしく……?」


 そういえば、確かにそんなことを言われたなと思い出す。


 ――リー! エリー!

 ――エルヴィナ!


「ふぉふぉふぉ。仲間が呼んでおる。おぬしらが迎えにくるのを、楽しみに待っておるぞ」


  $$$


 瞼を持ち上げたエルヴィナの目に映ったのは、リオネルの緑色の目だった。


「リ、オ……?」

「ああ! エリー! 良かった……」


 右手が熱い。しかも少し圧迫感がある、と思ったエルヴィナが首を少し動かすと、リオネルが両手で握りしめているのが見えた。

 ベッドの上に両肘を突いていたリオネルは、エルヴィナから手を離し上体を起こした。それから、いつもきっちり結ばれている黒髪の乱れを、直す。

 

「あの、ここは」

「神官の仮眠室です。先ほど七の鐘が鳴ったところですよ」

 

 ということは、次の鐘の頃には橋を渡れるはずだが、雨はどうなっただろうか。

 起きようと身じろぎをしたエルヴィナを、リオネルは止めた。


「気絶からいきなり起き上がるのは、危ないですよ。もう少し休みましょう。メグが、軽食と着替えを取りに行っています」

「っですが!」


 ヤームと夢の中で会話をした、などとは言いづらい。

 

「……実は夢の中で、お告げ? があったのです!」


 リオネルが真剣な眼差しを向ける。幾度となくタブレットの『占い』が当たってきたエルヴィナであるから、信じてくれている様子だ。

 

「ノインベルクに滞在中、ランダン山脈の麓に、魔力の乱れあり、とタブレットの占いが出たことがあったのですが」

「まさか、エメ皇女はそこに向かった?」


 さすが、話が早い――エルヴィナは、思わず眉尻を下げる。


「おそらく」

「分かりました。王宮へはもちろん、シュタイン公にも連絡をしましょう。ですがこの嵐です。追いかけようもない」

「嵐は、収まっていないのですか」 

「ええ。収まるどころかひどくなっています」


 リオネルの言葉に呼応するかのように、一層激しい雷と風の音が、鳴り響いた。


 すると、軽いノック音の後で、バドとメグが入ってくる。バドは大きめな籐の籠を持っていて、メグは両腕で抱くように衣服を抱えていた。


「お、目が覚めたか!」

「ああああ良かったですうぅぅ。パンとお着替え、持ってきましたぁあ!」


 エルヴィナは、三人の顔をそれぞれ見つめてから、微笑んだ。

 耳の奥で、再びヤームの声がしたからだ。


『エルヴィナよ。おぬしはたった一人でこの世界に来たが、今は違うじゃろう』


「仲間がいる……ほんとね」

「エリー?」

「確かめたいことがあるのです。神鏡の伝説について、誰か知っている?」

「神鏡? はい! 竜神神殿の成り立ちですね! もちろんですっ」


 メグはさすが竜神オタクだ。勢いよく手を挙げ、何度もうんうん頷いている。

 

「良かった。どういうお話か、教えて? パンを食べながら、聞くわ」


 途端にバドが慌て出す。

 

「おいメグ、それ、門外不出の……その話どっから聞いた?」

「それはもう、神殿騎士さんたちに、上目遣いで!」

「ああ⁉︎ マジかよ……」


 バドが額に手を当てるのと同時に、リオネルが苦笑する。


「とりあえず、情報漏洩の件は脇に置いておきましょう、バド。エリーが夢の中でお告げを聞いたそうです。神鏡のことを聞いてから、これからのことを決めましょう」

 

 建物の外には、今にも世界が滅びそうなぐらいに、大きな雷と風の音が響き渡っているが――この冷静な宰相がいれば、なんとかなるかもしれない。


 エルヴィナは安心感とともに、強く頷いた。

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