第23話 傲慢な水の巫女と、本気の宰相
帝国の使節団が訪れたのは、エルヴィナたちが小島に着いてから三日後の昼のことだった。
周辺の波は日々高さを増しており、モーリア橋を渡れるかも危ぶまれたが――
「竜神は、水の巫女の訪れを歓迎している!」
ランジュレ帝国の第一皇女であるエメ・ランジュレは、主殿で出迎えた大神官を目の前にして声高に言い切った。
あまりの強気な態度にエルヴィナは、思わず吐きそうになった溜息を必死で飲み込む。
巫女を自称する彼女の豪胆さを、豪華な衣装が後押ししている。背中まである緩やかなウェーブの水色の髪に、銀色のサークレット。白いローブには細かな刺繍が裾や袖に入っていて、揺れる耳飾りは銀。動くたびにキラキラ輝く光が、目に眩しい。
帝国民が水不足に喘いでいる今、これらを作らせるその器量が傲慢に感じて、とても好きになれない。皇女とはそういうものだと言われればそれまでだが。
「さて、この場に同席している貴様。何者だ」
「ジャルダン王国宰相、リオネル・ジリー侯爵です」
「ほう。出迎え、大義である」
「こちらこそ。お会いできて光栄です、殿下」
丁寧なボウ・アンド・スクレープに満足したのか、エメの藍色の目が細められる。
「こちらが我が妻の――」
紹介しようとしたリオネルの誘導で、エメの視線はエルヴィナを一瞬掠めたものの、すぐにまたリオネルへと戻った。
「それより。信心深いと有名な卿ならば、水の巫女であるわたくしに、何か言うことはないのか」
(うおー、意地悪ぅ!)
エルヴィナは、率直な感想を顔に出さないようにするのに必死になり、奥歯を噛み締め耐える。
「ございません。水の巫女という存在は、私にとっては、古来より伝わる書物にて読んだだけの伝説のようなもの。私見を述べるほどの知識は持ち合わせておりません」
冷たい拒絶の回答を放ったとは思えないぐらいに、横に立つリオネルの体温は高い。皇女の態度へ怒りを覚えてくれているに違いない。エルヴィナは、そのことに安堵した。
たとえ契約結婚相手だとしても、公的には伴侶であるエルヴィナへ侮辱と同じことをされたのだから、王国宰相として怒ってくれなければむしろ困る。
それに、妻を蔑ろにされても皇女との出会いを喜ぶような夫だとしたら、即座に契約破棄を突きつけてやるぐらいの気概は、持っているつもりだ。
だがエメはリオネルの怒りを無視したようだ。それどころか、口角を吊り上げ、誘うような視線を投げる。
「ふ。無気力という噂だったが、なかなかの気概があるようだな。神殿騎士訓練に混ざり、大神官との付き合いも長いと聞いた。今ならば、わたくしの夫にしてやっても良いぞ」
「新婚旅行から戻ったばかりの身にかけるには、不適切なお言葉かと」
(上から目線にしたって! 巫女を名乗るなら、清く正しく美しく!)
どこぞの女子校のスローガンのようなことを強く思い浮かべたエルヴィナは、今度こそ不満顔を隠さないでおく。
腹の底で何を考えているか、こちらから感情をぶつけて揺さぶってみようと思ったのもあるが、単純にむかついた。
「そうか? 本気なのだがな。残念だ」
ところがエメは、発した言葉とは異なり、残念どころか何の感情も感じさせない。
エルヴィナの誘いに少しは乗ってくるかと思われたが、本心を探れるような余地はまだ見えなかった。
「さてしばらくの間、わたくしはここで竜神への祈りを捧げる。ゆえに、許しを出すまで主殿には入らぬよう」
「それはっ、他の信者たちも、ですか」
「当然だ。忌まわしい干ばつの地を救うためのものである。何人たりとも邪魔することは許さない」
事実上の締め出し行為は、明らかに越権である。さすがのリオネルも、動揺して声を荒らげた。
「ですがっ、わざわざ参拝に来たのに竜神様に会えないというのはあまりにも」
「くどい」
せっかくノインベルクとの『竜神様の癒し街道プラン』が着々と進行している中で、これは相当な痛手になるに違いない――
エルヴィナは頭の中で経済損失をざっと計算してみるが、計り知れなかった。
わずか数日間のことだとしても『せっかく行ったのに、参拝できなかった』という風評が一度でも流れてしまえば、客足は途絶えてしまう。評判とはそういうものである。
ここは竜神神殿であり、中立の場所だ。
帝国皇女とはいえ、そのような裁可を下せるような立場にはないはずだ。
ところが大神官は、黙って頭を下げた。つまり、帝国皇女の意を汲んだということである。
だが一方その拳は、強く握り締められている。言葉にできぬ怒りと無力感が、指先に滲んでいるようだった。帝国がノインベルクを脅迫した前科を鑑みると、事前に何らかの脅し行為があった、と悟るには十分な態度である。
全ては推察に過ぎないが、エルヴィナたちには確信があった。帝国が何かを画策している、と。
「……大神官殿がそれを許されたのならば、従いましょう」
リオネルが譲歩して、なんとかこの場は収まった。
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「さて、様子はいかがです?」
別館に与えられた客室に戻ったリオネルが開口一番に尋ねたのは、エルヴィナの持つタブレットの中に住む、水の精霊アクアのことである。
「もし皇女殿下が本物なら、アクアも何らかの反応を示すはずですが……この通り」
液晶画面を泳ぐ水色のトカゲは、つぶらな瞳でエルヴィナを見返すばかりだ。
「ふむ……」
考え込むリオネルの前に紅茶の入ったティーカップを置きながら、メグが何か言いたそうな顔をする。
「どうしたの、メグ?」
エルヴィナが声を掛けると、小柄なメイドは、発言をしても良いかどうかを窺うように、リオネルの顔を見た。
「この部屋では、いつでも遠慮せずに、思ったことを言ってくれていい」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた後で、メグは遠慮なく口を開いた。
「先日お伝えした通り、わたしの知識では、かつていたとされる水の巫女様は水の精霊と親交を深め、思い通りに雨雲を操ったはずです。もし今アクア様が何の反応も示されない、ということであれば、やはり」
「ええ。ニセモノ、でしょうね」
あっさりとリオネルが認めたことに、メグはもちろん、エルヴィナも驚いた。
「っ! やっぱりですか!」
「ちょっとリオ、それって」
「ええ。いかにもなことを色々並び立てて、御神託だと主張しているようですが……フロラン」
「ハイっ!」
宰相の後ろに静かに控えていた秘書官のフロランは、相変わらず目の下の隈が濃い。あえて存在感を消していると思って何も声を掛けなかったが、以前宰相執務室で会った時よりもむしろ動きが機敏になっている。今も素早くリオネルに書類を手渡しているが、過労で倒れたこともある彼だから、単純に心配だ。
「こちらをどうぞ! 裏づけ調査も済んでおります!」
「助かる」
「ハイイィ」
どうやらリオネルは、こうして労いの言葉を掛けるようになったらしく、フロラン曰く「報われる」のだそうだ。
(ここにも、社畜体質がいたよ〜……)
せめて自分が、秘書官の健康状態にも気を配ってあげなくてはと、エルヴィナは密かに誓った。
「やはり。乾季の最中に小雨の降ったことが、一度だけあったようですね。その際、たまたま皇女がその土地を訪れていた」
ペラリと書類をめくりながら、リオネルは眉根を寄せる。
エルヴィナは、口元にティーカップを運びかけていた動きを止めて、再びテーブルにソーサーを置き直した。
「ちょ、え? たったそれだけで、自分を水の巫女だと確信した、ということですの? いくらなんでも、思い込みが激しすぎませんこと?」
「もちろん、それだけではありません。雨に濡れた皇女は熱を出して寝込み、『大雨が来る』と寝言を言ったそうです――そして帝国ではなくジャルダンに、台風がやってきた」
「そんなのっ、単なる偶然では⁉︎」
「私も予言などではなく、うわごとの類だったのではと思いました。それでも、本人は迷いなく信じているようですし、他にもいくつか水に関する偶然が重なっています。無理やり奇跡だと繋ぎ合わせることは、可能でしょう」
藁にも縋りたいと思っていたならば、そういう理論も必要かもしれない。
だがエルヴィナの警戒心は、強まるばかりだ。
「本当に自分を水の巫女と信じているなら、帝国で雨乞いを続けるべきです。なぜわざわざ神殿に来たのでしょうか」
「それに関しては、帝国に忍び込ませていた諜報部が、興味深い報告をしていました」
ゴクン、とエルヴィナとメグが喉を鳴らすようにして唾液を飲み込むと、リオネルは目元に力を入れる。
「二人とも。聞く覚悟は、ありますか?」
この部屋にいる人間で、迷う者はいない。エルヴィナもメグも、フロランまでもが、強く頷いた。
「誰にも、漏らしませんわ」
「わたしも、誓います!」
フウ、とリオネルが深く息を吐きながら、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げる。
「エメ皇女は……帝城での水の巫女宣言の後、皇帝にこう誓ったそうです。『帝国へ竜神を連れて帰る』と」
ぞわり、と強烈な寒気がエルヴィナの背中を駆け抜けた。同時に、アクアも液晶画面からひゅっと姿を消す。
「そんな……!」
「エリー。これからあの皇女が何をしようとしているのか、まだ分かりません。神殿騎士たるバドにどう伝えるべきかも、正直迷っています」
「内政干渉、と捉えかねませんものね」
中立である神殿側の人間に、特定の国への対応を促すことは、干渉以外の何でもない。
「ええ。ですが竜神様への害をなすと確定した場合は」
ギラリ、とリオネルの緑色の目が光った。
「容赦なく叩き潰す。私個人は、そう思っています」
再度ぞわりと背筋を悪寒が駆け抜けたが、こちらは恐らく、喜びの方だ。
エルヴィナは、すっかり頼もしくなったリオネルに向かって強く首を縦に振った。
「わたくしもですわ。お力を狙う者から、竜神様を絶対に守らねば。それこそが、わたくしの天命ですから!」




