第22話 落ち込む暇はない
澄み切った青空であるのに、どこか遠くで雷が鳴っている――
竜神神殿のある小島は、神殿騎士たちがいつも以上の人数で巡回をしていた。
帝国から使節団がやってくる、という先触れが届いているのは、神殿関係者も同じ。
着いて早々、バドも任務に駆り出されてしまった。
馬車を降りたエルヴィナは、まず最初にリオネルと共に大神官との謁見に向かう。今までと違い、宰相夫人としての公式訪問となるため、形式的な挨拶を済ませなければならない。
主殿にある龍神像の前で出迎えた大神官は、高位神官を三名後ろに伴って、穏やかな表情を浮かべている。くるぶし丈の白いローブに、金糸で織られたストールを肩から垂らしている初老の男性で、リオネルとは知己の仲だ。
「無事のお戻りだけでなく、仲睦まじいご様子。大変喜ばしいことです」
「ありがとう存じます」
和やかな雰囲気の中、エルヴィナは一人、落ち着きなく周囲を見回している。
大神官が怪訝な顔をしたところで、リオネルが「妻は人を探しているようなのです」と促すと、エルヴィナは遠慮なく直接問うた。
「あの。ヤームは今、どちらにいますかしら」
「ヤーム?」
「神殿魔法使いの、ご老人ですわ」
「ええと、神殿魔法使い? などという者は、おりませんが……」
エルヴィナは、驚きで固まってしまった。
「いない?」
そんなはずはない、と自分の記憶を遡る。
黒ローブ姿のヤームのことは、はっきりと覚えている。結界の管理をしていると言い、いつもエルヴィナの散歩に付き合って、「ふぉふぉふぉ」と笑っていた。
「そんなはずありませんわ! わたくし、確かにこちらでっ」
困惑顔の大神官は、リオネルが「本当にいないのだろうか?」と迫っても、首を横に振る。
(そんな! ヤームがいなかったら)
エルヴィナの顔が、サッと青ざめる。
「この神殿を守っている結界は、どなたが⁉︎」
新婚旅行に行く前、タブレットで記録していた写真と見比べると、綻びがあるように見えていた。
屋根の上に広がる結界は緻密な模様で、まるで硝子細工のように微かに光っている。その一部が、淡く揺れているようだったからだ――まるで、裂け目が生まれそうな前兆のように。
ヤームに『直した方がいいのでは』と忠告をしてから旅立ったから、その後どうなったのか気になっている。
「結界、ですか?」
「ええ。神殿を囲うようにして、ほら、建物の上空に見えるでしょう? 前と少し違う箇所があって、まるで綻びているみたいで」
早口で迫るエルヴィナの勢いに押され、大神官は上体をのけ反らせ眉根を寄せる。
「申し訳ごさいませんが、結界などというものにも覚えはございません……」
「そんなはずは!」
リオネルが、エルヴィナの肩をポンと叩いた。
これ以上大神官を問い詰めても、何も出てこない。頭では分かっていても、感情を止めることができなかったエルヴィナに、リオネルがブレーキをかけてくれたといえるだろう。
「エリー。挨拶はこれぐらいに。久しぶりに訪れたのだし、少し島を散歩しましょう」
「え、ええ」
「大神官殿。私と妻はしばらく滞在させていただきますが、こちらのことはお気遣い無用です」
「かしこまりました。お部屋はいつものところをご用意してございます」
「助かります。では」
「……ごきげんよう」
あからさまにホッとした様子の大神官に申し訳なくなり、エルヴィナは丁寧にカーテシーをしてから主殿を後にした。
リオネルのエスコートで、いつも滞在するという貴族宿泊用の別館へ案内されながら、エルヴィナは肩を落とす。
「リオ……わたくし、嘘はついていません……」
「あのぐらいで落ち込むなんて、らしくないですね」
「え?」
パッと顔を上げるのと、リオネルが横目でチラリと見てくるのと同時だった。いつもと変わらず、淡々としていることに少し安心し、またがっかりする。
(あ、そっか。わたくし……リオに慰めて欲しいんだわ……)
指摘されたことで初めて、自分の弱くなっている心に気づいて、たちまち恥ずかしくなってくる。
「エリーはいつも、信じるものに向かって突き進む。らしくないです。いつも通りにすればいいだけのことでしょう」
それから、饒舌なリオネルを意外に感じた。
「あの。もしかして、励ましてくださってます?」
「っ」
問いかけると、今度はリオネルが押し黙ってしまった。
「リオ?」
「っ……はあ。無気力宰相には少々荷が重い任務でしたね」
「むき……どうしたのです、ご自身でそのようなことを仰るだなんて」
自分を律し、淡々と目の前のことをこなすようなリオネルにしては、珍しい自虐だ。
ぴたりと足を止めたリオネルは、額に右手を当て深く息を吐く。見たことのない仕草だなと、しげしげ眺めるエルヴィナの視線に耐えきれなくなったのか、リオネルは自嘲の笑みを浮かべた。
「妻を励ますことも、できない。私は情けないなあと……ああいえ、弱音を吐くつもりはなくてですね……ただ、面倒だからと人を避け続けた代償がこれかと、情けなく思っている次第です」
「っ!」
慰めて欲しい、と思ったエルヴィナの心に、リオネルが気づいていた。
それだけで、喩え用のない喜びが身の内から沸々と湧き上がってくる。
「リオ。嬉しいです」
「え」
「そのお気持ちだけで。わたくし、とっても嬉しいです!」
リオネルはエルヴィナの表情を見て、ようやく安心したように眉尻を下げた。
「良かった。元気のないエリーは、人が違ったようで逆に恐ろしいですからね」
「あ。今絶対、余計なこと言いました」
ぷうと頬を膨らませるエルヴィナの腰に手を添え、リオネルは再び歩き始める。その横顔は先ほどと全く違って、明るい。
「そうですか」
「そんなことより! 結界のことが気になりすぎます。調べるとか復旧とか。とにかく、神恩ポイント使えないか試してみなくちゃ」
「ふふ。もう復活しましたか。さすがです」
「落ち込んでいる暇は、ないですから!」
途端にいつもの調子を取り戻す自分を、自分でも現金だなと思っている。
「それなら、私の部屋で少し話しませんか。詳細な説明をして欲しいです」
「はい。メグにお茶を淹れてもらいましょう」
話しながら廊下を歩く二人の足取りは、軽くなっている。
問題が解決したわけではないのに不思議だが――
(リオがいる。きっと、大丈夫)
一人ではないことに安心する。
エルヴィナにとって、初めての経験だった。




