第21話 水の巫女宣言と、ヤーム
枯れかけた井戸、農作物の不作、増える火事。
乾いた帝国の大地は、人々がいくら汗や涙を流したところで、潤わない。
恨みの声は、やがて帝国の首都にそびえ立つ帝城にまで、届き始めた。
城前広場に集まる民衆が、それぞれ不安や不満を両手に抱え、集まっている。もちろん、ぶつける先はない。貴族に逆らうことは、すなわち命を失うことであるからだ。
ランジュレ帝国第一皇女、エメ・ランジュレ。
緩やかなウェーブの水色髪と、藍色の瞳の乙女は、帝城のバルコニーに毅然と立つ。それから、よく通る甲高い声で、堂々宣言する。
「帝国民よ、憂うでない。わたくしは、水の巫女であるという啓示を受けた! 直ちに竜神神殿へ赴き、竜神の慈悲にて、この地に雨をもたらそう」
皇女直々の『水の巫女宣言』で、今にも爆発しそうだった不満は、当面沈静化している。
宣言を終え謁見室でカーテシーをする皇女を、玉座から見下ろす皇帝の目は、冷たい。
「エメ。そなたの宿命、わかっておるだろうな」
「当然ですわ、皇帝陛下」
「ならば良い。ジャルダンへは、先触れを出した」
エメは、ぐいっと口角を引き上げる。赤々と引かれたルージュが、綺麗な弧を描いた。
「必ずや、竜神をこの地へ連れ帰ります」
体の横で握りしめる拳に、強い決意が垣間見える。
長く伸ばされた鋭い爪が手のひらに食い込み、深い痕となったが、エメの拳は握られたまま。謁見室を出るまで、緩まることはなかった。
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モーリア子爵と話した後、エルヴィナたちは迅速に王都へと向かっていた。
使節団到着前に王都へ帰還し、内政を整え、再びモーリアから小島へ渡るためである。
帝国の馬車を先回りするため、極限まで無駄を省き、移動時間で各所に通達をし――というかなり無茶な行程になったが、エルヴィナはむしろ充実した気持ちで、馬車に乗り込んでいた。
一方リオネルは目の下に隈を作り、手には書類の束を持っている。どうやら、宰相としての執務を膝の上で行うつもりらしい。難しい顔で手元の紙を眺めながらも、エルヴィナを気遣った。
「急ぐとはいえ、やはり強行軍になってしまいましたね。体調は、大丈夫ですか?」
「わたくしは大丈夫ですわ。リオこそ、かなりの無理をしているのではなくって?」
「私のは、仕事ですから」
(うわー。社畜みたいなこと言ってる……)
別の馬車にはメイドのメグと共に、宰相書記官のフロランも伴っている。
馬車の窓から外を眺めると、青空の下できらりと帯剣の柄を光らせる、馬上のバドを見つけた。旅装ではなく、神殿騎士の正装姿なので凛々しく見える。
「帝国から先触れが届いたのは、間違いありませんでした。第一皇女自ら、モーリアを経由して竜神神殿に向かうというのも、水の巫女であるという宣言も」
「そう、ですか……」
エルヴィナは、膝の上のタブレットに目を落とす。
今は、ホーム画面の中を水色の小さなトカゲが、気ままに泳いでいた。
「竜神様から啓示を受けた、と言い張っているようですが。どうなのでしょうね」
書類から目を離さずにリオネルは淡々と言うが、その件に関してエルヴィナは首を縦に振る気持ちにはなれない。
「実は……またご慈悲で調べてみようかな〜なんて思ったのですが、ポイントが足りなくて」
「神恩ポイント、でしたか」
「はい。試しに『水の巫女が本物かどうか調査したい』と言ってみたのです。そうしたら、十万ポイント必要だと」
「今は何ポイントあるのです?」
「20880です」
「ふうむ……貯めるには、どうすれば?」
エルヴィナはついに、毎日参拝するごとに1ポイントもらっていたことを、打ち明けた。
信仰心を疑われることはないだろうと思っても、少し後ろめたかったのは――前世の記憶があることを言えてはいないから、だろう。
しかも自分は、竜神様に呼ばれてエルヴィナに生まれ変わった、などと。どう説明すれば良いのかさっぱり分からないし、信じてもらえるとも思えなかった。
「途方もない苦労をして貯めたものを、新婚旅行でほとんど使ってしまいましたね」
「ええ。でも後悔はしていませんわ。こうしてアクアに会えましたし」
水色トカゲがビクッと肩を振るわせると、エルヴィナを見て、フリフリと小さな手を振っている。
可愛い仕草に、思わず画面を撫でると――アクアも嬉しそうにキュウと鳴いた。
「そうですか……では私は、神恩ポイントに頼らず真偽を見極める手段を、考えておきます」
「お忙しいのに」
「いえ、これも外交問題です。仕事ですから」
(やっぱり、リオって社畜なのかもしれないっ!)
「わたくしもできる限り、お手伝いしたいと存じます」
「……助かります」
リオネルは、最初の出会いの時と同じように、エルヴィナを見ないで手元の書類に目を落としたままだ。
だが今の印象は、全く違う。わずかの時間も惜しんで、さまざまことをこなしているからだろう。
(リオの態度、随分柔らかくなったわね……笑うようになったし、バドとも打ち解けたし。あんなに無表情でぶっきらぼうで、トゲトゲしていたのが嘘みたい。無気力宰相だったのにね)
「エリー。今、失礼なことを考えていませんでしたか?」
「えっ」
ドキ! とエルヴィナの心臓が跳ねた。
「顔に出ていますよ」
「うげ。そうですか……気をつけますわ」
「ええぜひ。それで?」
リオネルは、ようやく書類から顔を上げエルヴィナをまっすぐに見つめた。
「はい?」
「一体、何を考えていたのです?」
「えーっとあれーっとそれでうーんとそうだ! リオはヤームのことは知っていますわね?」
はた、とリオネルが動きを止め顔を上げる。
「ヤーム……?」
「はい。神殿にいる魔法使いです。わたくし、旅行前に神殿のけっ」
「待ってください、エリー。本当にその神殿魔法使いは、ヤームと名乗ったのですか?」
エルヴィナはキョトンとしてリオネルを見つめたが、あまりにも真剣な様子に、思わず姿勢を正した。
「はい。それが何か」
「とても古い言葉で、世界という意味です。神殿魔法使いなら、意味も知っている可能性が高い。それなのに名前に使うなどと、恐れ多いことですが」
「そうだったのですね……知りませんでした……」
「ジャルダンは、世界から豊穣の地を賜った、という意味なんです。王宮図書館の歴史書にあるような情報ですから、普通は知られていません。が、その魔法使いはその名を使っている。どのような人か、会ってみたいですね」
「え? 会ったこと、ないのですか?」
「はい。私はご何度も神殿に通っていますし、大神官様とも懇意ですが。神殿魔法使いがいるなど、知りませんでした」
エルヴィナは、ポカンと口を開けた。
神殿魔法使いの地位がどれほどか分からないので、王国宰相に会ったことがなくても不思議ではない。
だが、存在の有無すらも知らないことがあるのだろうか。
エルヴィナの疑問を察したのか、リオネルは手の中の書類の端を揃えながら、再び口を開いた。
「竜神神殿は、確かにジャルダン王国内にあります。が、あくまで中立。全ての情報を開示しているわけではないのです」
「あ……そうですわね……そうでしたね」
竜神神殿はモーリアから近く、幼いころから慣れ親しんでいたから、距離感が文字通り近い。
バドも神殿騎士というからには、王国騎士とは身分がまったく違っていることを思い出した。
幼なじみということもあって気安く接してしまうが、本来はあまり近寄れるような存在ではない。
「ジャルダンの中の、独立地帯……竜神神殿……帝国の、水の巫女」
改めて並べると、心がざわりとしてしまうのは、気のせいではないだろう。
「エリー、焦っても仕方がありません。我々に今できることは、情報を集め、一刻も早く神殿へ行くことです」
「はい」
エルヴィナは、馬車の窓から空を見上げる。青く晴れ渡っているのに、どこか不穏に映った。




