閑話 温泉革命⁉︎
宿屋の大浴場は、川から水が流れ込む岩場を利用したほとんど天然のもので、申し訳程度の木造の屋根がある。
硫黄の香りを含んだ湯気を眺めながら、エルヴィナとニクラスは、湯船の縁から二、三歩下がった場所で並んで立っていた。
リオネルとバド、それからメグは、初めて見る施設に興味津々で、それぞれ色々な箇所を見て回っている。
この町の源泉は川の水で冷やされ、人肌にちょうど良い温度になる。木でできた堰を上げ、湯船に湯が張られていくのを見守りながら、エルヴィナはニクラスへ疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「女湯がないとは思っておりましたが……お作法など、ない、と?」
「ええ。狩りの後、適当に入っておしまい、です」
「それだとお湯が汚れますでしょう?」
「そうですね。でもそれを気にするような狩人は、いませんね……」
「なんですって!」
エルヴィナの剣幕に、ニクラスは思わず一歩後ずさった。一方のエルヴィナは、再び湯船へ目線を戻すと、ブツブツと独り言を放つ。
「これは、一大事ですわ……効能を通達して済むような問題ではなかった……老若男女問わず楽しめるようなものに整えていかなければっ!」
タブレットをぎゅうっと抱きしめながら、エルヴィナは何度もうんうんと頷く。
そんな断固たる決意の滲む態度に、ニクラスは不思議そうな顔をする。
「なんだか、とても活き活きされてますね」
「だって! 温泉ですわよ! 入るからには、皆で楽しみたいと思うのは当然ではなくって? ヘルムート様にも大々的に宣伝していただくことですし」
「……いつの間に父とそんなに仲良く……」
ハッとエルヴィナが顔を上げると、ニクラスの眉尻が盛大に下がっている。
「えーと、あの、ヘルムート様は、お、夫の? リオネルと、その、以前から懇意だったようですの。ですから」
しどろもどろになったのは、『夫』というパワーワードを口に出したのが初めてだから、である。
(ひいー、ついに、言っちゃったよおーー!)
ところが、ニクラスの憂い顔は晴れない。
「夫……ああいえ、僕のことはどうぞお気になさらず」
「はい……」
エルヴィナは当然、息子を差し置いてシュタイン公と仲良くなってしまったから、と思っているが――
鍛治ギルドに顔を出すニクラスと別れ、大浴場から部屋へと戻っていると、リオネルがエルヴィナに「大丈夫ですか?」と声を掛ける。
「え?」
リオネルはエルヴィナの隣を歩きながら、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「悩んでいるように見えたので、何かあったのかと」
「あ! はい、ちょっと温泉計画を練り直す必要があるなと、考えごとをしておりましたの」
「そうですか。あまり根を詰めないように。すぐに王都へ帰らなければならないですし」
「そう、ですわね……温泉の入り方指南だけでもと思いましたのに……狩人の皆様はお忙しそうで、どうしたものやらと」
ただでさえ、季節は冬になる。
今のうちに獣を狩って塩漬け肉を蓄えたり、毛皮を取ったりして、寒さに備えている時期だ。
森に入って木を切り、暖炉のための薪を作る仕事もある。
「その、入り方指南とやらは、難しいのですか?」
エルヴィナの部屋の扉前で立ち止まると、リオネルは顎に手を当てながら問う。
「いえ、お風呂の入り方だけですから、見様見真似で十分ですわ」
「ふむ。ならば、この町の女性や子どもたちだけを集めたらどうでしょう」
「え!」
リオネルの考えが聞きたくなり、エルヴィナが部屋の中へ誘うと、リオネルは微笑んだ。
「今日は、一緒に夕食を取りましょうか。食べながら話した方が早いでしょう」
「お願いいたしますわ!」
すると背後に付き従っているバドは、大きく息を吐く。
「ったく、また訳分からんことはじめそうだな」
「エルヴィナ様らしいですぅ〜!」
「おいメグ。そうやって楽しそうな顔してるけどな。あいつの世話すんの、ほんとに大変なんだぞ?」
「バドさんこそ、お忘れですか。わたし、毎日お嬢様に付き合って、神殿通ってましたよ」
「ああ? 俺なんてな、小島にでっけえトカゲがいたとかなんとかで、探すの一日中付き合わされて」
「それを言うなら、過去の台風の記録。神殿図書館で遡れるだけ調べまくりましたよ!」
突如として、神殿騎士とメイドがマウント合戦を繰り広げ――
「ふふ。なかなか活発なご令嬢だったのですね」
「お恥ずかしいですわ! もうやめて、二人とも!」
真っ赤になったエルヴィナを、リオネルはニコニコと眺めていた。
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その翌日。急遽宿屋の大浴場に集められたのは、この町に住む、子どものいる女性たち。
「いきなりお湯に入っては、危ないです。こうして、掛け湯をしてくださいませ」
エルヴィナのセリフに合わせて実践をして見せるのは、短い袖に、スカートの裾を縛ったメグだ。膝から下に、木桶で丁寧にゆっくりお湯を掛けてみせている。
「今はお洋服を着ておりますから、あのように足だけですが。実際には、お湯を掛ける場所を徐々に上げていって、胸の辺りまで掛けてから、湯船に入ってくださいませ。心の臓がびっくりするのを防ぎますのよ」
エルヴィナの言葉に、全員真剣に耳を傾けている。
――温泉は、狩りに出かけた男たちのもの。
どうやら、この町にはそういう認識が根付いていたらしい。
リオネルのアイデアで女性たちに声を掛けたら、第一声が「女でも入っていいのか」という困惑の反応ばかりだった。
『良いのです! きちんと仕切りをして、女湯を作りますから!』
エルヴィナが声高に『シュタイン公にも話は通している』と言うと、女性たちは途端に顔を輝かせた。
『実は、男ばかりずるいと思ってたんだよ』
『これから寒くなるし、余計にね』
『ぜひ! ただし、疲れを癒やしてくれるお湯なのに、汚れた体で入られては、せっかくのお湯も汚くなってしまうでしょう。旦那様たちにも、正しい温泉の入り方を教えてあげてくださいね』
子どもたちを連れて『温泉指南』に参加した女性たちは、皆が皆ワクワク顔だ。
エルヴィナはキビキビと動きながら、メグのお手本を通じて、実際の入り方を説明している。
「ねえ! 僕、もう入りたい!」
「あたしも!」
退屈してきたのか、子どもたちが騒ぎ始めたので、いよいよ本番だとエルヴィナは大きく息を吸った。
「そうですわね! さあ、ちゃんと入れるかしら?」
「入れるよ!」
「任せてっ」
子どもたちと連れ立って、建物へ戻る。
そこには、日本と同じように、壁際一面に棚が取り付けられ、籠が並んでいた。
「さあ、どの籠にする?」
「あたしこれ」
「僕の!」
脱いだ衣服を入れ、湯船に入る前に体の汚れを掛け湯で流す。
教えた作法を皆しっかり守っている様子に安心して、エルヴィナは脱衣所から外へ出た。
廊下には、女湯に紛れ込む者がいないようにと、宿の人間が立っていて――すでに二、三人覗きに来たのを追い払った、と苦笑された。
「さて、外はどうかしら」
大浴場の壁の向こう側は、外に足湯を作ってあり、すでにシュタイン公とリオネルが並んで足を浸して、会話している様子だ。
「おお、女湯はどんな様子だ?」
気さくに笑うシュタイン公に、エルヴィナはわざと頬を膨らませる。
「覗きに来るような不届者への罰を考えねばなりませんわ!」
「ダハハ! そりゃあキッツイのを考えにゃならんな! どうするリオネル」
「そうですね……掃除が良いのでは。広いですからね、大浴場」
「お優しいこったなあ。俺様なら、嫁の裸見た犯人全員、真っ裸にしてこっから吊るしてやるけどな」
足湯の屋根を指さして、ヘルムート・シュタインがニヤリと笑い、用事があるからまたな、と足湯から上がって去っていく。
「……なるほど。エリーの裸体を見た者……」
リオネルはしばらくボソボソと呟きながら何事かを考え、やがて
「斬首が妥当です。見せしめのための首棚をここに設置しましょう。そうですね、ちょうどこのぐらいの高さで……というのは冗談ですが。掃除では甘い。間違いなく粛清対象ですね」
と大真面目な顔で告げた。
当然、周囲で様子を見ていた男どもは震え上がり、口々に町の仲間たちへ伝えた結果。
温泉作法を間違えたら、ジャルダンの宰相が晒し首にすると豪語していた、となり――どんな荒くれ狩人も、非常に礼儀正しく温泉に入るようになったらしい。
「女湯を覗くだけで斬首ですの?」
「だけ、という問題ではありませんよ。絶対に起こってはならないことです」
幸いにも? エルヴィナは、やはりリオネルはとても正義感の強く真面目な人だ、と思ったのだった。
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「……おい、メグ。俺思うんだけど。もうさ、契約結婚じゃなくねえか?」
「はい〜! ガチですぅ〜!」
「だよなあ。あんないっぱい書いた契約書、どうすんだ……?」
するとメグは、にへらっと満面の笑みを見せた。
「破っちゃえば、いいんですよぉ〜! ビリビリっとね〜! きゃっきゃっ」
「お前も大概、やばいやつなの忘れてた……」




