第20話 癒しの温泉の後の、不穏な報せ
「……本当に、良かったのですか?」
ジャルダンへの帰途、馬車の中でリオネルにそう尋ねられたエルヴィナは、迷いなく頷いた。
「もちろんですわ。癒しの石など、わたくしが持っていたところで、宝の持ち腐れというもの。それよりも、他国への利益供与と見なされないかが気がかりでしたけれど」
「それについては、問題ありません。もともと、ノインベルクで見つけたものを、そこへ返しただけの話ですから」
「安心いたしました」
エルヴィナは、旅館の湯殿に温かな湯が再び湧いているのを確認した後で、アクアに頼んでみた──『源泉に癒しの石を置いてきてほしい』と。
久々にタブレットから現れたアクアは、相変わらずエルヴィナにしか姿を見せなかったが、嬉しそうに笑って快諾してくれた。
『エルヴィナなら、きっとそうすると思ってた。任せて!』
そしてそのことを、シュタイン公にだけ打ち明け――
『そりゃあ、我が国は潤うに違いねえ。けど、ジャルダンは……』
『優秀な宰相がおりますもの。ご心配には及びませんわ』
『うは、惚気られちまった!』
潜伏先から意気揚々と下山したシュタイン公は、自ら温泉に浸かり「傷が良くなる、奇跡の湯だ」と大げさに触れ回った。
実際エルヴィナも入ってみたが、本当に見違えるように体力が回復した。源泉にあの小さな石は、果たして効果があるのだろうかという不安は、一気に吹き飛んでいる。
帝国がどのような出方をするかは賭けだったが、シュタイン公は『山脈からの補給線確保は非常に難しい問題だ。水不足なら余計に、そんな体力はないだろう。武力じゃなく政治力で来るはずだ。俺がいるからには好きなようにはさせねえから、心配には及ばん』と頼もしいことを言っていた。
ニクラスは『あれほど心配していたのに!』とシュタイン公を叱責したが、結局は『まったく、敵わない』と肩を落としていた。
『エルヴィナ様は、本当に賢くて明るいお方です。……宰相閣下が羨ましい』
別れの際、名残惜しげに見送ってくれたニクラスに、エルヴィナは微笑みながら、あえて何も言わずにいた。
――その想いに気づかないふりをするのが、大人の礼儀というものだろう。
ガタガタと揺れる馬車の中で、エルヴィナはノインベルクで過ごした時間を思い返し、充実した表情を浮かべていた。
シュタイン公の怪我という衝撃的な通知を受け取り、山登りをして癒しの泉を見つけ、アクアに出会い。さらには国家元首へのプレゼンも成功を収めた。
日数としては短くとも、非常に濃厚な新婚旅行となったことが、嬉しい。
一方でリオネルは、浮かない顔をしている。
「これは、契約結婚です。エリーはいつでも解約できる立場にあります」
本当に良かったのかという最初の問いは、癒しの石だけでなく、結婚自体にもかかっていたのか。
エルヴィナはリオネルの意図をはかりかね、率直な表現で尋ね返す。
「何を仰りたいのですか?」
「ノインベルクに残るという選択肢もある、ということです」
エルヴィナは思わずカッとなってリオネルを睨んだが、彼が悩ましげに葛藤しているのが見て取れ、すぐに怒りの矛を収める。
やはりこの人には深い思いやりの心があるに違いない、と確信したからだ。深慮の挙句に、疲れ切って人付き合いを遠ざける――その気持ちも、今なら理解できた。
だからあえて、明るく言ってのけることにする。
「あら。せっかくシュタイン公に『優秀な宰相補佐』とお褒めいただいたのです。それに、リオ一人で王宮内を立ち回れるとでも? 今度こそフロランが倒れますわよ?」
置いてきた宰相書記官は、きっと今頃瀕死になっているだろうと想像すると、不憫でならない。
「エリー……時には汚いものも、見てしまうことになりますよ。その時、後悔はしないでしょうか」
(ああ、なんて優しい人なのだろう。無気力なんかじゃない。思いやり宰相なんだわ)
エルヴィナは竜神に多大なる感謝の念を抱いている。自身の魂を褒めてくれ、新たな人生をくれたからだ。
恩返しというと烏滸がましいから、生きていく指標にさせてもらっている。
そんな自分が出会ったのが、この信心深く優しい宰相だ。このご縁を大切にしなければと強く感じたエルヴィナは、リオへ断言した。
「後悔などいたしません。申し上げたでしょう? わたくしの願いは、人々が癒され、竜神様のお力が正しく伝わることです。リオと共に、成し遂げたいと思います」
「では私は、誓います。あなたを守ると」
ドキン! とエルヴィナの胸が高鳴る。
リオネルは、真剣な目で真正面からエルヴィナを見据え、左胸に右手を当てている。
「エリーはいつも前向きで、素晴らしい提案をする。それは良いことですが、敵を作ることにもなりかねないのです。ですから」
真摯な誓いに、エルヴィナはあえて微笑んだ。
「まるで騎士の誓い、ですわね。大変光栄ですわ」
「こちらこそ。エリーの騎士に、ならせてもらえるだろうか」
「もちろん! わたくしは、あなた様を支えると誓います」
「エリー……嬉しいです」
馬車の中での誓いは、形式ばった結婚式の時よりも、二人の絆を深く結びつけたようだ。
――その証拠に、馬替えに立ち寄った町で、バドが二人の様子を見て少し頬を染める。
「うわ。なんかまじで新婚夫婦見てる気分!」
「「え?」」
「無自覚かよ!」
「ふああ〜〜〜奥様が、奥様ですぅ〜〜〜〜!」
「どういうこと?」
エルヴィナはリオネルと顔を合わせてみるが、リオネルも分かっていないようで、首を捻っている。
「ったく、そういうとこだろうが」
「ひゃああ〜、知らない間に〜〜〜!」
バドとメグに揶揄われながら、ジャルダン王都への帰路を順調に進んでいく。
そんな一行が途中で立ち寄ったモーリアには、王都から不穏な手紙が届いていた。
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「帝国から、第一皇女が来る? なぜですの?」
モーリア邸の、応接室。
ゆっくりと体を休めてから王都に戻ろうという一行を歓待したモーリア子爵は、憂鬱な表情を隠さず、テーブルの上に置かれた一枚の紙を見つめている。
「分からん。ただ、来るとだけなんだ。そして竜神神殿に行くためモーリアを通るから歓待せよ、と陛下のご意向が」
今朝、王都からゲートクリスタルへ届いたという通知だ。
それには、ランジュレ帝国第一皇女、エメ・ランジュレが使節団と共にジャルダン王国を来訪する、と書かれているらしい。
険しい顔のリオネルが、唸るように言う。
「陛下のご意向……私の裁可なく外交判断を下すとは考えにくい。何者かが、私の留守を見計らって押し進めた、と考えるのが妥当でしょうね……」
リオネルの言うことは、尤もだった。
国民に明るいニュースをという国王の指示で、主要街道には『宰相が新婚旅行で立ち寄るので、歓迎せよ』と通達されており、実際何度も歓待を受けた。
最初は気恥ずかしかったエルヴィナだが、皆が皆「おめでとう」と明るい笑顔で言ってくれるのが嬉しくなり、決断して正解だったと思えた頃に、この報せである。
はっきり言って、嫌な予感しかしない。
シュタイン公の掴んだ情報が正しければ、帝国は深刻な水不足で、第一皇女は「水の巫女」を自称している。
故意か偶然か、エルヴィナとリオネルがモーリアに帰還した日に、来訪の報せが来る。
何かを画策しているに違いない、と推察するのが妥当だろう。
「お父様。お耳に入れたいことがございます。お人払いを」
「エルヴィナ⁉︎」
モーリア子爵には、いずれシュタイン公からの手紙が届く。情報共有が早いことに越したことはない。
リオネルも強く頷き、バドや護衛へ扉の外での警護を指示する。メグは、他の侍従やメイドたちに、速やかな退室を誘導する。
「なんか……大事みたいだね。分かったよ」
気の優しい子爵は、ぎゅっと目を瞑ってから、大きく深呼吸をした。
同時に、エルヴィナの持つタブレットが、《ピロン》と電子音を響かせる。
「っ!」
エルヴィナが画面をタップすると、もはや見慣れたウィンドウがポップアップしていた。
《国境監視アラート》
ランダン山脈の麓の森にて、魔力の大きな乱れを検知。調査しますか?
調査には神恩ポイント5000ptを消費します。
(現在の所持ポイント:25880pt)
▶ 調査する
▶ キャンセル
ランダン山脈は、帝国との国境に横たわる大きな山々だ。超えるのは大変だが、道がないわけではない。
つまり、相手方はかなり近くまで来ている、ということだ。近々王都に到達し、モーリアを経由して竜神神殿に行くに違いない。
「エリー、今度はどんな占いが」
「え、その板、やっぱり魔導具だったのかい?」
緊迫したリオネルと、今さら感のモーリア子爵を、エルヴィナは交互に見ながら告げる。
「帝国の使節団が、どうやら国境まで無事に辿り着いたようです。おそらく――魔法使いを連れて」
エルヴィナの脳裏に、神殿の魔法使いであるヤームの顔が浮かぶ。
(ヤーム……結界、直してくれているかしら……)
喉をゴクリと鳴らして唾を飲み込むが、ざわりとする嫌な予感は、胸から消えなかった。




