第2話 日課は、散歩
エルヴィナ・モーリア子爵令嬢。
森恵理だった女性が生まれ変わった先は、海に面した小国であるジャルダン王国の、貴族令嬢だった。金髪に水色の目で、色白に薔薇色の頬。エルヴィナは前世の記憶を持ったままだったため、いかにも貴族令嬢な自分の可愛らしい容貌に、鏡を見ながら「これなら商談に有利かもククク」とほくそ笑んだりしていた。だが、そういうおかしな行動は空気を読んで慎まなければ! と心に決め、今ではこの世界にしっかり馴染んでいる――つもりだ。
エルヴィナは、二十歳になっていた。
貴族といっても、庶民より少しだけ良い家と食事がある、という程度。貴族らしさは全くなく、せいぜい年に一度、国王の誕生日にはドレスを着させられ、王宮での夜会に出るだけ。それ以外は、のびのびと暮らしていた。
「ふわー、良いお天気!」
貴族女性は、基本的に家から出ない。家庭教師をつけられ、マナーや読み書き、刺繍を習う。デビュタントとなる十六歳で、王宮で行われる夜会に参加し、大体十八歳までに縁談がまとまる。
社会に接する機会は、時々開かれるお茶会くらいだから、貴族女性は早く結婚したがる。
元バリキャリ営業としては、退屈すぎる日々だがエルヴィナは――
「神殿、行ってきまーす」
「はい、喜んでついて行きまーす!」
メイドのメグと共に、竜神が祀られているという神殿へ毎日祈りに行くのが日課で、縁談の欠片もない。
「メグがそんな感じだからほんと助かる」
「はー? お嬢様のためなら、どこでも行きますてば!」
「神殿だけでしょ? ブレない、竜神オタク」
「ふぐう」
竜神の神殿は、湾に浮かぶ離れ小島にある。家から馬車で沿岸まで出て、そのまま石でできた橋を渡る。片道一時間ぐらいの道のりだ。
この橋は、潮位によって海の中へ沈んでしまうので、行き来できる時間は限られているし、毎日少しずつ違う。
もっとも、エルヴィナは毎日参拝しながら作った潮見表があるため、正確な時間を把握しているが。
「しばらくは、朝のうちに渡れるから良い時期ね」
秋の気候は爽やかな風をもたらし、青空が高く感じる。
外出するのに適した気温なのは、日本と同じだった。
「ですね、昼過ぎだと帰るの遅くなっちゃいますもの」
干潮時間をうっかり逃したり、天気が悪くなって渡りそこねても、神殿とは別棟に巡礼者用の宿泊施設があるので、最悪は泊まって次の機会を待つことができる。
小島――現代日本でいうと、初島ぐらいの大きさ――は結界に覆われ、神殿騎士たちが巡回している姿がよく目に入る。騎士たちの鎧は白色で、マントは薄い水色。鎧は銀縁、マントは銀糸で竜神の紋章が入っていて、神々しい。
橋を渡り切ったところでエルヴィナが馬車から降りると、そんな神殿騎士のうち背丈の大きな男がこちらへ気づき、ぶんぶんと手を振る。それからのしのしと、気安い態度で近づいてきた。
「おー、おはよ。今日も来たか」
エルヴィナの幼馴染であるバドだ。
身長百九十はある、筋骨隆々の体で赤髪の短髪といういかつい見た目。なのに顔は童顔というアンバランスな彼は、幼馴染といっても、食堂を経営する両親のもとで育った平民の出。従士から神殿騎士になったのは珍しいが、それだけ剣の腕と体格に恵まれたからである。
「おはよ、バド。今日も来たわよ」
「なあ。今日もその変な板で、何かするのか?」
「変な板って。いつも通り勝手にやるから、放っておいて」
「へえへえ」
エルヴィナが手に持っているのは、例のタブレットだ。ある程度の年齢までは、『竜神様、まさか嘘ついた?』と疑っていたが、魔力を使えるようになったある日、突然現れた。なるほど、起動させることができなかったらただの板だもんねと、八歳にして悟った様子の娘を見て、両親が首を傾げていたのを未だにはっきり覚えている。
生まれ変わる時にもらった『転生特典』とは表立っては言えないため、『神殿で拾った魔導具』ということにした。父であるモーリア子爵は、竜神様からの贈り物かもしれないし、特に害がないのならと黙認してくれている。さすがのんびりとした風土、人柄ものんびりしているのがありがたい。
「ふぎい! お嬢様の持ち物を、変な板呼ばわりするとはぐぬぬぬぬ」
背後で歯ぎしりしているメイドのメグは、とても小柄で、薄茶色の腰まである髪はゆるく三つ編みにし、メガネをかけている。エルヴィナが『竜神オタク』と呼んでいたら、その二つ名がすっかり定着してしまった彼女は、竜神の伝承や儀式にとても詳しく、質問すればすぐに答えが返ってくる。難点は、早口で情報量が多すぎることだ。
エルヴィナが毎日神殿を訪れるのに、喜んでついてきてくれるのはメグだけ。たとえ竜神への信仰心が篤くても、毎日参拝するのはやりすぎらしい。
「そう怒るなよメグ。ほら、まだ道の荒れたとこが結構あるからな。昨日も転びそうになってただろ? 気をつけろよ~」
道の荒れたところというのは、十日前に発生した巨大台風の爪痕のこと。未だにそこらじゅうに残っていて、騎士たちも復旧作業で忙しそうにしている。
「転ばないってば!」
「ふぎぎっ、竜神様のおわす場所、早く整備してくださいっ!」
「わかってるよ。今年は水の巫女様が現れるって噂だしな。今日は俺、大神官様につかなくちゃで、散歩についていってやれないけど、ごめんな?」
「いやバドなんていらないし」
「いりませんっ」
「はは!」
女子二人に敵対心を向けられても平気なバド(超絶鈍感)とはすぐに別れ、エルヴィナはメグと共にいつものルートを歩き出す。
徒歩で一周一時間半ほどの島に住んでいるのは、神職と神殿騎士のみ。食料は日に一度、王都から定期便の船が来る。
王国の国土は、海に面したC型のようになっている。エルヴィナの住むモーリア領は、Cの上端で海にせり出した土地。特にその先端は、モーリア岬と呼ばれていた。
王都はCの真ん中部分にあり、竜神神殿の建つ小島は王都とモーリア岬を直線で結んだ、ちょうど真ん中あたりの沖に浮かんでいる。海流と結界の関係で、モーリア領からの橋と王都からの船以外、小島に立ち入ることはできない。
エルヴィナにとって、小島は小さなころから通っている、庭と同じ感覚だった。
ここへ来ると、なんとなく落ち着く。そんな場所だ。
高台にある神殿裏から、島の周囲をゆっくり一周散歩する。
天気の良くないときは、神殿の中にある図書室で、竜神に関する書物を読む。
歩きながら気が付いたことを、タブレットのメモアプリへ日記のように記し、書物の内容で気になったページをカメラで撮る。
メモリを気にしながら、そうした情報をストックするのは、営業時代に身に着けた習慣だった、
ちなみにこの国、時間や長さは竜神が尺度である。特に時間は『竜神の咆哮が一日の始まり』で、竜神様が起きて唸ると、神殿に設置してある鐘が鳴る、と言われている。それから神官は、陸地へ向けて大きく鐘を鳴らす、これも神職の重要な役目だ。
今も、鐘が鳴っている。タブレットの液晶に目をやると、午前十時。ゴーン、と五回鳴って止まったことからも、一日の始まりをゼロ時として二時間おきに鳴る鐘の、五番目ということだ。
エルヴィナは、いつの間にか隣を寄り添うように歩いている黒ローブ姿の老人へ、軽く声をかけた。
「五の鐘だ。ねえ、ヤーム。一の鐘って、実はヤームが鳴らしてるんでしょ」
「ふむ? わしの筋力に見合う鐘とは思えんがのう。手首がもげるわい」
「……ふーん?(絶対嘘)」
ヤームの見た目は、エルヴィナが生まれ変わる時に会った、竜神と名乗った存在ととても良く似ている。ヤームは、もっと人間臭いけれど。
この神殿での初対面――いや、再会か――の時は本当に驚いたが、「わしは、王国の希少な魔法使いでヤームじゃ。よろしくのぅ」と言われたからには、そういう立ち位置なのだなと、特に触れないでいる。けれどもやはり気にはなるので、こうしてついつい探ってしまうのだ。
「まあいいや。ところで、やっぱりここ数年の様子とは、違う気がするなあ」
エルヴィナは、タブレットの中のあるアプリを立ち上げ、眉根を寄せている。
液晶を見ながら歩けば、また昨日のようにこけかけるのだろうが、今はそれどころではない。
「あんな大きな台風。来るような天気じゃなかったはずよ」
散歩の足を止めたエルヴィナが、道の真ん中でタブレットの画面を凝視する。
「ずっと、気圧も風も安定していた。どう考えても、異常気象……しかも、結界の様子もおかしいよね、ヤーム!?」
「ふぉふぉふぉ」
「ふぉふぉふぉ、じゃなくって! 結界担当でしょ!?」
「真面目な良い子じゃのぅ、エルヴィナは」
「また誤魔化す!」
タブレットに浮かぶ紋様と、頭上に広がる何かを見比べたエルヴィナは、大きな溜息と共に不穏な言葉を吐き出した。
「台風のせいならいいんだけど……なあんかちょーっと、結界の模様が違う気がするんだよね……」




