第17話 森の結界
国家元首の息子であるニクラスは、普段何をしているのかというと――狩りと木工だ。
朝狩りに出て昼過ぎに町へ戻ると、獲物を解体し、ギルドに持ち込まれた弓や矢の修理をする。その、繰り返しだ。
派手さは一切なく素朴な狩人そのもので、エルヴィナは不思議な気持ちになる。
これがジャルダンなら、貴族の子息は領地経営に関わったり、横繋がりのため王都での夜会に参加したりして、貴族社会に馴染んでいく。
それらの『後継として用意された人生』は、単純に息苦しそうだと思っていたが、道筋を決めてもらえる楽さもあるのだなと気づいた。
そんなニクラスに『新婚旅行で温泉探索、夫婦水入らずですわよ』と断りを入れ、郊外の山の麓までやってきたエルヴィナは、馬車を降りて歩いている。
隣を歩くリオネルもまた、侯爵子息の身分に逆らうことなく、神殿騎士ではなく宰相になった人である。
(やっぱり、国王陛下には逆らえないよね)
場所が場所だけに、エルヴィナとリオネル、バドのたった三人での登山となった。右にリオネル、左にバド。横に並んだのは、石や枝で足がもつれたエルヴィナを、すぐ庇えるようにした方が良いとの判断からである。
「……なんですか」
どうやらエルヴィナは、右側を歩く宰相のことを見過ぎていたらしい。訝しげな目をされてしまった。
「あ、いえ、護衛のみなさん。置いてきても大丈夫だったのかなって」
「心配無用です」
「そうですか」
登山といっても、緩やかでさほど険しくはない。軽装でも十分だろうが、問題はそこではない。
万が一宰相が無事ではなかったら、護衛たちはその責任を取らされるはずだ。
「私の命令に逆らってまで守ろうとする。そんな気概のある者は、いませんよ」
すると左を歩くバドが、苦笑している。
「それはちょっと可哀想ですよ閣下。何人かは、いましたよ」
「そうでしたか?」
「はい。俺がちゃんと連れて帰るからって約束して、引いてくれたんです」
「それは……面倒をかけましたね」
「いえいえ」
二人の間でやりとりをじっと聞いていたエルヴィナは、自然と口角が上がってしまう。
「なんです、その変な顔は……」
「どうした、なんか変なもんでも食ったか?」
「違うわ。二人が仲良くなったのが嬉しくて」
歩きながら首を捻るリオネルを見たバドが、
「閣下は仲良くなったなんて、思ってねえみたいだけどな」
と軽口を叩く。
リオネルを見上げてみると、あからさまにギョッとしていた。そんな彼の大きな感情の変化は、エルヴィナの目に珍しく映る。もちろん、良い意味で。
さあどうするのだろう? と観察していると、早口で話し始めた。
「バド殿、その……どうなると『仲良くなった』という判断になるのかが、私には分からなくてですね」
「殿はいらないっすよ」
「なら、バド。私と君は……仲が良いのだろうか?」
「! はっはっは!」
盛大に顔を上げて大笑いをした神殿騎士の声が、青空に吸い込まれていく。
今日も晴れて良かった、とエルヴィナは全く関係のないことを思った。
「仲、いいすよ! こうやって俺と閣下、気軽に会話してるじゃないすか」
「でも君は、その、私のことをまだ閣下と呼んでいるが」
「あー、それはほら、エルヴィナと二人で決めたっていう愛称。まだ聞いてないですし? しかも、俺がその愛称で呼んでいいかも分からないですし?」
「うぐ。そ、そうか」
(なんか、男子二人のイチャイチャを邪魔しているような気分になるのは、なぜかしら……)
ニコニコしていたはずのエルヴィナが、スーンと無表情に変わっていく。
「ごほん。リオ、だ。そう呼んでもらって、構わない」
「リオ! かっこいいし呼びやすいっすね〜。んで、エルヴィナは?」
「エリーよ」
「ああ? エルじゃねえの?」
「女性らしい方がいいでしょうって、かっ……リオが」
「ほーん」
そうした雑談をしているうちに、鬱蒼とした森の手前に辿り着いた。木々が所狭しと生えていて、太陽光が届かないせいかジメジメしている。
リオネルが大きく息を吸ってから、二人を振り返った。
「……目的地は、この奥です。罠などが多いとの報告ですが」
「んじゃ、俺が先陣っすね〜」
「タブレット、起動してみますわ」
何も言わずとも動き出す二人を見たリオネルが、やがて声を出して笑いはじめた。
「えっ、笑ってる!」
「リオも笑うんだなあ」
驚いている幼馴染二人を、リオネルは――
「何も言わずとも、意図が通じる。これを、仲が良いというのですね。初めて知りました」
柔らかな笑顔で、見つめていた。
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タブレットを起動したエルヴィナが、次にタップしたのは地図アプリのアイコンだ。
表示される地図には、やはり現在地が矢印で表示されている。そして周囲にポツポツと表示されている赤丸は――
「バド!」警告するリオネル。
「えげつねーなっとぉ!」空中へ飛び上がって剣を水平に振り抜くバド。
「うわぁ……やばぁ……」ただただ大口あんぐりのエルヴィナ。
と三人にぶんっと物騒な音を立てて襲いかかった、巨木にロープネットで吊るされた大岩だったりする。
ドン!
派手な音を立てて落ちた岩は、下敷きになったら即死級である。地面が大きく波打って、ギャアッギャアッと何かの鳥が鳴いた。
先ほどは大きく口を開けた落とし穴(底にひしめく木の杭つき)を見つけたし、足首を縄で括って逆さ吊りするタイプの罠まであった。
昼間でも暗い森の中でそれらを見つけるのは非常に困難で、タブレットのマークがなければ気づかないものも多かったはずだ。
「さすがシュタイン公の隠れ家。ただでは辿り着けないということですね」
「ジャルダンの諜報部はこれを抜けたってことだろ? 結構やるじゃん」
男二人がどこか楽しそうなのは気のせいだろうか。
(ビジネスで殺伐とするならまだ分かるけど、戦闘とかはほんと勘弁して!)
密かに怖がっているエルヴィナだが、少しでも役に立たなければと、必死にタブレットの画面を維持していた。
神恩ポイントは、29880ptからズルズル減り続けて25880ptになっている。
(タブレットの時計で確認したところによると、GPS機能は10分で100pt。厳しい!)
「結構貯めたつもりだったのになあ」
先頭を行くバドの背中を追いかけるようにして歩くエルヴィナの独り言に、リオネルが反応した。
「何をです」
「あっ、えっとその……なんと説明すれば良いか……」
しどろもどろになるエルヴィナに、リオネルはフォローを入れた。
「ただの雑談です。言わなくてもいいですよ」
「誤解しないで欲しいというだけですわ! 竜神様への信仰の深さを定量的にした数字があって。神恩ポイントっていうのですけど、それを不敬とか言われたらと」
ふ、とリオネルの眼差しが柔らかくなった。
「私にはその数字が見えませんが……良いのではないですか? 金銭を神殿に寄付して信仰した気になっている者たちより、毎日神殿に通ってそのポイントとやらを貯めたエリーの方が、よほど信心深いと思っています」
「っ! 本当に、そう思いますの?」
「私は、嘘はつきませんよ」
胸の内が温まる思いだった。
エルヴィナがこの世界で出会った人々の中で、リオネルは最も竜神を大切に思っていると感じていたからこそ、認めてもらえたという喜びが湧き上がってくる。
「嬉しいですわ! でもそのポイントが、足りなくなりそうな気がしています」
「索敵と現在地把握に使っているのでしたね」
リオネルが何事かを考え始めたところで、バドが片手を上げた。
やがて、親指で木々の間を指し示す。
何かを見つけた、という仕草だが、鬱蒼とした草花があるだけにしか見えない。
「ああ。なるほど。私の出番ですね」
「え? リオ?」
リオネルは、帯剣の柄に手を伸ばすと、ザクザクと地面を踏みしめバドの差した方向へ近づいていく。
「そこに、結界があります。そしてそれを切れるような力を持っているのは、上位の神殿騎士だけです。バドはまだそこに至っていません」
「上位の、神殿騎士……」
「やっぱりかぁ。団長が酒に酔うと、いつも残念がってんだ。リオが入ってくれてたらって」
光栄ですねと笑ってからリオネルは大きく息を吸い、剣を抜いて大きく振りかぶると、空中を何度か切った。
素人のエルヴィナが見ても剣筋に迷いはなく、剣が動く度に風が唸り、暗い森の中を光の筋が駆け抜けた。
そしてリオネルは剣を納め、腹から声を出す。
「私は、ジャルダン王国宰相リオネル・ジリー! どうか、対談の機会を!」




