第15話 戦略的夫婦喧嘩
泉を背にして森の中へと戻るエルヴィナの視線の先に、リオネルたちの姿がはっきりと見えてきた。
「エルヴィナ嬢!」
「どこ行ってたんだよ! 心配してたんだぞ」
「はあ。良かった。見つかって何よりです。お怪我は?」
自分ではかなり歩いたつもりが、そうでもなかったらしい。
リオネル、バド、ニクラスの順に声を掛けられ、その態度から多大なる心配をかけてしまったことが察せられる。
エルヴィナは、なんとかして癒しの泉の話を秘密裏に伝えなければと考えてみたものの、妙案は何も浮かばず――とにかく深々と頭を下げた。
「うっうっう。迂闊に離れてしまいましたの。ご心配をおかけして、大変、大変申し訳ございませんでした」
バドもニクラスも無事なら良いと許したが、リオネルだけは眉根を寄せ厳しい顔をしている。
「なんです、そのらしくなく殊勝な態度は……」
微かに首を傾げたリオネルは、頭を下げたままちろりと上目遣いをしたエルヴィナを見て、すぐ思惑に気づいたようだ。呆れた顔でふーっと息を吐いた。
「謝って済むことではありません。いきなりいなくなるなど、大迷惑です」
行方不明になった新妻に掛けるには、冷たすぎる言葉だ。普通の女性なら、落ち込むに違いない。
ところがエルヴィナは、内心ガッツポーズをしている。
(乗ってくれた!)
「はい……軽率でした」
大袈裟なくらいに落ち込んでみせると、ニクラスは慌てて慰めだす。
「あの、リオネル殿。反省されてますし、もういいじゃないですか」
「ニクラス殿。そうやって甘やかせば、また同じことを」
「ですが」
「ちょ、ちょ、閣下! 説教は後にしましょうよ〜」
バドがエルヴィナを背に庇うようにして、両腕を大きく広げるものの、リオネルはものともせず、強引に手で押し除ける。その行動に、バドも面食らって固まった。
二人はアイコンタクトを交わしているが、バドやニクラスは、不穏な空気にオロオロするばかりだ。
そんな中リオネルは、エルヴィナを煽りに煽った。
「まったく。竜神様のお告げだったからこそ、私は無理をしてこの山へ来たのですよ。それなのに、このような勝手な行動を取るなど」
「そんな風に仰らなくても良いではないですか……えぇと……頭でっかち宰相っ」
エルヴィナとしては、懸命に捻り出した悪口のつもりである。バドがたちまちひゅっと息を詰め、空を見上げた。それからギクシャクと周りの人間たちへ、この場から離れるよう、身振り手振りで促し始める。
「今、なんと言いましたか?」
リオネルから湧き出る冷たい空気は、演技の範疇だと思いたい。
周囲の動きを横目でチラチラ見ながら、エルヴィナは体の前で両腕を組み、憤ったフリをする。傍目にも分かりやすくするためだが、わざとらしすぎて若干恥ずかしい。
「頭でっかち宰相、と言いました! 頭ごなしに責めるだなんて、酷いですわ」
「頭ごなし、というからには、反論がおありなのですね?」
宰相とその妻が、盛大な口喧嘩を始めた、ようにしか見えない。
この場にいる全員が、巻き添えをくってはたまらないとばかりに、二人を遠巻きにした。
ニクラスは、なんとか仲裁をと踏みとどまっていたものの、首を横に振るバドに背後から優しく押されて、ようやく足を動かし距離を取る。
そうなってからようやく、リオネルは大きく眉尻を下げ、囁いた。
「さすがにこれぐらい離れれば、狩人の耳とはいえ聞こえないでしょう。何があったのです?」
「……わたくしが人払いしたいと、よくお分かりになりましたね?」
「エルヴィナ嬢がしおらしいだなんて、異常事態ですから」
「しおらしいのが異常事態だなんて、言い過ぎではございませんこと?」
「頭でっかち宰相、には少々傷つきましたからね。意趣返しです」
「ンフフ。他に悪口を思いつきませんでした」
「そうですか。でもそうして笑ってしまったら、演技の意味がなくなりますよ?」
「ごほ。そうでした」
リオネルがすぐに演技だと気づいてくれたことが、エルヴィナにとって嬉しい誤算だった。バドに期待したのだが、善良な脳筋には荷が重すぎたらしい。
(竜神様を尊んでいらっしゃるこのお方ならば、きっと話しても大丈夫)
エルヴィナは、大きな決意でもって、顔を上げた。
「閣下。どうか他言無用でお願いしたいのですが……実はわたくし先ほど、癒しの泉を見つけましたの」
「っ!」
「ですが、それをニクラス様に打ち明けるべきか。迷っております」
「なるほど。ノインベルクの後継者問題に、多大なる影響を及ぼしますからね」
「ええ」
リオネルは、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「それだけでしょうか? タブレットから、何か神聖な力を感じるような気がするのですが」
「え! あの、みんなそのこと、分かってしまいますの?」
「ああ、ご心配なく。神殿との縁が深い者にしか分からないでしょう。この場であれば、バド殿ぐらいです」
「ああよかったっ! 実は……アクア、という不思議な存在が、その、この中に」
「! 今、アクア、と言いましたか」
「はい。アクアをご存じなのですか?」
「なんという……にわかには信じられませんが、真実なのでしょうね……」
リオネルは、ぐっとエルヴィナに近づき、耳元に口を寄せた。
「この世界の水源を司るという伝説の、水の精霊の名前です。人間にとって、水はすなわち命。この意味、分かりますね?」
「そっ!」
大声を上げかけたエルヴィナを前から抱きしめるようにして、リオネルは止めた。
「静かに。悟られてはまずい」
「っごめんなさい」
側から見れば、先ほどまで険悪だった新婚夫婦が、いきなり抱き合っているようにしか見えない。
エルヴィナは、尋常でなく動揺している。
このシチュエーションに対してではない。しっかりと鍛えられているリオネルの筋肉の弾力を、リアルに感じてしまったからだ。
(ちょ! 自慢じゃないけど、前世も含めて、殿方に抱きしめられたことなんて、ないんだからねっ!)
「そ、そそそんな存在だったなんて。神殿でたくさん書物を読みましたけれど、アクアのことはどこにも」
「口伝えされる類のもので、大神官様はご存じです」
「それってつまり、相当な機密事項では」
「ご明察です。世界を揺るがすような出会いですね。なんということだ」
ごきゅん、とエルヴィナはリオネルの腕の中で、大きく唾を呑み込んだ。
それから、そっとリオネルの耳に口を近づけ、限界まで小さな声で囁く。
「あの、実は……癒しの石も、ございますの」
「なんっ!」
「しっ」
今度はリオネルが叫びそうになり、エルヴィナはあたふたと抱きしめてそれを止める。
「っ、すみません、さすがに、取り乱しました……」
「いえ」
(えーん! なにこれ、全然ロマンティックじゃない……切なすぎ!)
ザクザクと足音が近づいてきたので、そちらへ顔を向けると――
「なあ、仲直りできたみたいだしさ。山、降りようぜ?」
バドがなんとも言えない顔で呼びにきていた。
その肩越しに、あからさまに照れた様子の騎士たちがたくさん見え、エルヴィナはいたたまれない気持ちで、頷いた。
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――少し時は、遡る。
エルヴィナが突如として行方不明になったことに、ニクラスも護衛の騎士たちも当然のことながら動揺していた。
山登りに慣れているはずのニクラスも『神聖な場所』と呼ばれるエリアに関しては、土地勘がないらしい。
バドにとってリオネルは、『度々王都から神殿にやってくる偉い人』ぐらいの認識だったが、神殿騎士を目指していたと聞いて、一気に親しみが湧いていた。
だからか、気安く話しかけることができた。
「閣下。どうします?」
するとリオネルは、一瞬考えたのちに
「……しばらく様子を見ましょう。竜神様のご加護がありますから、大丈夫だと思いますが」
と答えたので、意外な思いがした。
(もし見つけられなかったら、とか考えたらぞっとするけど。肝が据わってるし、信心深いんだなあ)
神殿騎士であるバドは、当然竜神への信仰心は持っているものの、タブレットについては半信半疑だ。エルヴィナが大切にしている板、ぐらいの感覚でしかない。
「この霧です。エルヴィナ嬢は、むやみに動くような人ではない。動くとしたら、龍神様のお導きに違いありません。我々は、この場から動かないようにしましょう。探す時は、必ず目に見える範囲で動いてください」
そうしてリオネルが自ら指示を出したことで、現場はすぐに落ち着きを取り戻した。
「僕が、そばにいながら……お詫びのしようもございません……」
一方でニクラスは、冷静さを欠いている。青ざめた顔でリオネルに謝罪する姿勢には、誠意が感じられるが、政治や外交には向かないのではないか。一介の騎士であるバドですら、感じたことである。
剣技でも、相手に弱みを見せてはならないのは定石だ。――あえて弱く見せているのかもしれないが。
リオネルは、トーンの変わらない声でニクラスに応えている。
「今は議論しても意味がありません。下山が日没に間に合う時間ぎりぎりまで、ここで待ってみましょう」
「新婚の奥様ですよ⁉ なぜそんな冷静に……心配ではないのですかっ」
おそらくニクラスの感覚が普通だろう、とバドも思うが、どちらかというとリオネルの意見に賛成だ。問題は、リオネルの口調があまりにも冷たいということ。
「心配すれば、見つかるのですか?」
「っそんな言い方」
(うんうん。言い方がなあ。もうちょっと気を遣えばいいんだけどなあ、閣下は)
「まあ、まあ。少し休憩しませんか。こう霧が濃くては、探すのも危ないですし」
――エルヴィナが戻るまで、バドはこのような小さないざこざを何度も諫めるはめになり、嫌な汗をかきっぱなしだった。
それなのに、戻ってきたエルヴィナまで突拍子もない行動を始めるのだから、バドの溜息は止まらない。
半ば無理やりニクラスの背を押すようにして、二人から離させる。
「バド殿っ、あの、大丈夫でしょうか」
「夫婦喧嘩を仲裁しても、良いことないですよ。でしょう?」
「そういうもの、なんですか」
真面目な国家元首の息子は、さして自分と年が変わらないはずだが、と思いながらも、バドは諭すような口調になった。
「ええ。うちの親父とお袋なんて毎日朝から晩まで怒鳴りあってますよ。シュタイン公は、喧嘩しないんです?」
バドの軽口に対して、ニクラスは眉尻を下げた。
「母は、おとなしい人ですから」
「そうなんですねえ」
なるほどニクラスは母親似かもしれない、と考えていると、なぜか抱き合うエルヴィナとリオネルが目に入り、バドはいよいようんざりしてきた。
(ったく、いい加減にしてくれよ)
「えーっと、仲直りできたみたいなんで、呼んできます」
「え? あっ……」
ぽっと赤くなるニクラスに申し訳なさを感じてから、バドはわざと足音を立てながら、二人に近づいていく。
エルヴィナに振り回されるのには慣れているはずなのに、なぜかイライラする自分に、戸惑いながら。




