第13話 魔の森を抜けて
「エルヴィナ嬢。もしかして」
「リオネル様……また『占い』が」
電子音に反応したのは、リオネルもである。
エルヴィナが逸る心を抑えつつタブレットの表面をタップすると、通知が詳細に変わった。
《周辺環境アラート》
地熱源および水属性エネルギーの波動を検知しました。北へ向かうと、接近します。
「ニクラス様。その神聖な場所とやらが、ここから近いのでは?」
画面から顔を上げたエルヴィナと、ニクラスの目が合った。
「……僕も詳しい場所は、知りません。というか、知っているのは父だけです。他の者たちは、見つけられるなら見つけてみろ、と」
エルヴィナは思わずリオネルを見やった。すると、軽く頷かれる。そのまま話して良い――エルヴィナはそう解釈して、口を開いた。
「わたくしたちのような他国の人間が山に入るのは、狩人の皆様なら嫌がりそうですのに、許可が下りたのはなぜだろうと不思議に思っておりましたの。そういうことならと、腑に落ちましたわ」
「なんだかすみません、巻き込んでしまって」
エルヴィナの目に、ニクラスは善良な人間に映る。むしろ、善良すぎた。やはり一癖も二癖もある宰相の方が、政治には向いていると感じている。
「なら、竜神様の占いに、賭けてみませんこと?」
「竜神様に、賭ける……?」
「ええ。どうやらあちらの方に、通常ではない力があるようですの」
エルヴィナが指差す方向は、鬱蒼とした森になっている。ニクラスはしばらく絶句していたが、やがて大きく息を吐き出した。
「分かりました。僕も、覚悟を決めました。あそこは魔の森と呼ばれていて、魔獣や幻獣が出ると言い伝えられています。しかも、道に迷う」
このタブレットがあれば、大丈夫――とは断言できないまでも、希望はある。エルヴィナは強く頷いた。
「行きましょう!」
エルヴィナの迷いのない様子に、肩を竦めたのはリオネルとバドだ。
「まったく。本当に猪突猛進ですね」
「昔っからああなんですよ。思いついたら、やってみないと気が済まないもんなあ」
「バド殿は、エルヴィナ嬢をよく知っているのですか」
「ん? ああ、六歳からの付き合いですからね。鼻水垂らしながら、走り回ってました」
「……ほう」
昔のことをバラされてはたまらないとばかりに、エルヴィナは大声で諌める。
「バド! 余計なこと、言わないっ」
「げ、やべっ」
巨体で肩を竦めるバドに、悪びれた様子はない。その隣でリオネルがボソボソと何か言ったようだが、エルヴィナの耳までは届かなかった。
「あーあ。どうせ、はしたないとか言われてるんでしょうね」
ちろりと舌を出したエルヴィナに、ニクラスが眉尻を下げて笑みを返す。
「明るくて羨ましい、と。僕も素敵だと思います」
「え?」
「いえ、なんでも。さあ行きましょうか」
ニクラスに続いて、陽の射さない木々の間に一歩踏み出したエルヴィナの頬を、じっとりと湿った空気が撫でた。
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森へ入って程なくして、エルヴィナの背後ではリオネルとバドの不穏な会話が繰り広げられていた。
「四方八方から、視線を感じるような」
「閣下、なかなかの感性ですねえ。多分、なんか居ます」
エルヴィナは少しだけ怖い気持ちになって、ぶるりと身を縮こませ、手の中にあるタブレットの画面に目線を落とす。
すると、先ほどの通知のカラーが白から黄色に変わって明滅している。表示されている文字は同じだが、より警告が強くなったに違いない。
「……目的地に、近づいていると思います」
エルヴィナの発言を合図にしたかのように、みるみる足元に白い霧のようなものが発生し、地を這い木々の間を埋めていく。
「警戒しろっ、魔力を感じるぞ!」
いち早くバドが叫ぶと、護衛の騎士たちが次々抜剣しはじめる。
ところが、みるみる視界を霧が覆ってしまい、お互いの影すら見えなくなった。
「くそ!」
「何も見えないぞ」
「剣を納めろ! お互い切ってしまう!」
「なんなんだこれは」
どうすべきか立ち往生していたエルヴィナだったが、なぜか騒然とする同行者たちの声はだんだん遠ざかっていく。
「え! まさか、わたくしだけはぐれた?」
沈黙の訪れたエルヴィナは、不安になり周囲をぐるぐると見渡すが、白い霧しか見えない。
「嘘……ここから一歩も、動いてないのに⁉︎ ……おーい!」
タブレットの通知を確認していただけで、歩いてはいなかった。自分の行動に何か落ち度はなかったか考えてみるが、思い当たることはなかった。
「おーい!」
いくら叫んでも、返事は返ってこない。それどころか、音がまるで吸い込まれるように消えてしまう。
「誰かー!」
するとどこからか、か細い女の子の声が聞こえてくる。
『助けて……』
幼く、鈴のような可憐な声質に、エルヴィナは真剣に耳を傾けた。
聞き覚えがない声だが、悪意はなさそうだ。呼びかけに答えたのならば、自分の恐怖心は一旦脇に置いて、会話をしてみようと無理やり気持ちを切り替える。
「助けて? 困っているの?」
『大変……どうしよう……』
「あなたは、どなた?」
『あなたこそ……だれ……ヤームの匂い……』
「エルヴィナよ。ヤームを知っているのね?」
『うん……わたしは……ク……』
そこで、声は途切れた。
ざわりとした嫌な予感が、背筋を駆け抜ける。エルヴィナは顔を上げて、霧の中を声のした方角へと躊躇いなく進み始めた。
手の中のタブレットは、先ほどからずっと通知を明滅させていて、北へ向かうほど光が濃くなっていた。
エルヴィナの魔力も、タブレットに吸い込まれていくような気がしている。立ち往生するよりは、タブレットの示す先へ行こう。声の主を助けることが、竜神様のお告げかもしれないのだから。
無理やり心を奮い立たせ、足元もろくに見えない中、地面を踏み締めるようにして歩く。画面に浮かんだ、地図アプリを頼りに。
竜神の紋章に浮かんでいる数字は、チラリと確認すると、エルヴィナの認識よりもかなり減っていた。
――神恩探査モードに5000ptを消費して残り51280pt。さらに、地図アプリを使っているせいか、一定時間経過で勝手に100pt減っていく。
(こんなこと、初めて。というか、まともにタブレット使ったの初めてだもんね! 竜神様ったら、『神恩ポイントで修理』以外の機能、ろくに説明しなかったし。だから押し付け商材って抗議したのに!)
恐怖心に負けそうだったので、不満を挙げ連ねて、怒りで誤魔化す。
のしのしと力強く、土を踏みしめる。視界は悪くても、目的ははっきりしていた。
「神聖な場所! 見つけるし! さっきの子も、助けるんだから!」
声に出して自分を鼓舞するエルヴィナは、リオネルたちとはぐれた地図上のポイントを頭に入れて、北へ北へ進んだ。
むせかえるような濃くて白い霧は、視界と音を遮断している以外、害はないようだ。
四方八方から見られている、とバドが言っていたが、エルヴィナには実感がない。むしろ、エルヴィナを孤立させたのではないかと思い始めている。
「はあ。はあ。ほんと、山道、辛い。見えないの、辛い。足首、しんどい」
大きな石や木の根に足を取られながら、木の幹で不安定な体を時折支えながら、一人で歩く時間は――まるで竜神に呼ばれた時のようだと思った。
場所は違うが、空気感が似ている。物音ひとつしない、静謐な空間。自分の乱れた息の音だけが、ここは現実だと知らせてくれているようだ。
「はあ。はあ。……あ」
突然、目の前の濃い霧の向こうが、眩しくなった。明らかに、森の木々ではなくひらけた空間になっているはず、と思わせる輝きがある。
「着いた⁉︎」
きっと、『神聖な場所』に違いない。
エルヴィナは確信を持って、ずんずん進む。霧を両手でかき分けるようにして、最も明るくなっている場所へと、木の間を通り抜けた。
「うわっ!」
突然、霧が晴れて視界がひらける。足首まで茂っている雑草が、鬱陶しい。それぐらい、エルヴィナの歩みは速度を増し、かろうじて走っていないぐらいの速さで、前進する。
「うわ、うわあああ!」
ブーツの底が蹴る地面は、土から草、草から岩に変わった。
目の前には、もくもくと白い煙を吐き出し続ける光り輝く巨大な穴のような場所があり、その手前に――誰かが立っていた。




