第12話 警告と山登り
タブレットにポップアップしていたウインドウをタップすると、次のような内容が表示された。
《周辺環境アラート》
観測地点『カルネ温泉郷』にて、地熱流動の異常を検出しました。源泉の再調査を行いますか?
調査には神恩ポイント5000ptを消費します。
(現在の所持ポイント:56280pt)
▶ 調査する
▶ キャンセル
「⁉︎」
エルヴィナはさらに詳細を見ようと、慌ててもう一度タップする。
《補足》
山崩れにより、温泉源の噴出ルートが遮断された可能性があります。
地熱源および水属性エネルギーの微弱な波動を検知。
神恩探査モードを使用することで、代替源泉の探索が可能です。
(神恩探査モードって……そんなことができるの⁉︎ もしそれで別の温泉を探すことができたら、きっと観光復旧のきっかけになるわ。……それより何よりっ)
「温泉に入れるかもっ⁉︎」
ニクラスが、目をぱちぱちと瞬かせた。
「温泉? 今、営業休止していますが……竜神様のお告げか何か?」
「ええとあの、そう、そのようなもの、ですわ。他の温泉が見つかるかも、という占いでして……山歩きして探してみたいと存じますが、良いでしょうか」
「まさか……ご自身で山へ? 危険ですし、それはさすがに……」
「行きたいのです」
ニクラスがあんぐりと大きな口を開けた一方で、リオネルが渋い顔をしているのが目に入ったが、エルヴィナは見ないふりをする。
ニクラスは額に手を当て、絞り出すように意見を述べた。
「ええと……ご存知ないと思いますが、山に道らしい道はなく、それでもご自身で歩き続けなければならない。獣も出ますし、お勧めできません」
「土砂崩れもございましたし、安全に懸念があるのは重々承知しておりますわ」
「懸念というより、危険です。滑落までは行かなくとも、新婚のご夫人が転んで怪我をされては……」
エルヴィナの耳に、『新婚』の二文字はまったく入ってこない。自覚がないどころか、これは結婚ではなく契約だと思っているからだ。
「ニクラス様。温泉は、ノインベルクの観光の目玉。復旧しなければ、ノインベルクの魅力が半減してしまいます」
引く様子のないエルヴィナへ、リオネルが身を乗り出すようにした。
「エルヴィナ嬢。それ以上無理を言うべきではないですよ」
無機質な硬い声だ。エルヴィナの発言を遮ったのは、思いやりからではないだろう。そのことで、逆に冷静さを取り戻した。
(わたくしとしたことが……感情的になっちゃったわ。これ以上は、国同士の関係に差し障りが出るかも、よね……)
リオネルが止めてくれたことに素直に感謝し、エルヴィナは口をつぐんで身を縮こませた。
ニクラスは不憫に思ったのか、ポリポリとこめかみをかきつつ、申し訳なさそうに告げる。
「あの、僕は今、仕方なく国家元首の代理を担っている身です。普段は国の代表でもなんでもありませんから、すぐには判断が……一度持ち帰らせてくださいませんか」
「妻が、わがままを言って申し訳ありません」
リオネルがかしこまって頭を下げると、ニクラスは慌て出す。
「あああ、どうか頭を上げてください。僕は、ジリー卿に頭を下げられるような身分では」
「? ニクラス殿は、シュタイン公のご子息でいらっしゃる」
「我が国は共和制であって、貴族の称号や血縁は、ジャルダンほど重視されないのです」
「それはそうでしょうけれど」
男二人が言葉の応酬を続けていると――背後からギュロロロゴオオオ、とド派手な音が鳴り響いた。
「えっ、また魔導具でしょうか⁉︎」
パッと顔を上げたニクラスに、エルヴィナはただただ申し訳ないとばかりに、眉尻を下げる。
「いいえ。わたくしの護衛の、お腹の音ですわ」
部屋の戸口に立っていたバドが、一斉に注目を浴びたのが恥ずかしかったのか、照れ笑いを浮かべた。
(バドったら! 神殿騎士のくせに、下品なことしないで欲しいわっ)
さらにバドは、人懐っこいいつもの調子で言い放つ。
「いやあ、すみません。山豚のことを考えていたら、我慢できませんでした」
それを聞いたニクラスは、笑いながら立ち上がった。
「食事の用意、してきますね」
夕食を共に取ることにし、一旦お開きとなった。
$$$
翌日の朝は、よく晴れていた。
山豚に感動したジリー侯爵夫人を、狩りの現場まで案内する――ディナーですり合わせした建前である。
評議会にかけるまでもなく、『ニクラス自ら案内し、いかなる事故も怪我も責任も追わないならご勝手に』となったらしい。
「意外とあっさり、承認されましたのね」
エルヴィナが問いかけると、ところどころぬかるみの残る山道を歩きながら、ニクラスが自嘲の笑みを浮かべる。
「……父が引退した後、次の元首を狙う人は多い。僕に落ち度があれば願ったり叶ったり、なんでしょう」
木々の間を吹く爽やかで冷たい秋風と違って、ニクラスの言葉は湿り気を帯びている。
「あら。逆にいうと、ここで温泉を見つけたら元首になれちゃったりしますの?」
「ははは。どうでしょうか」
町の人に借りたブーツは、少し大きいが布の切れ端を詰めたせいか履き心地は悪くない。貴族令嬢が山歩きのためにブリーチズを履くとは、と驚かれたものの、前世では普通にパンツやデニムを履いていた身からするとどうということもなかった。
しっかりとした足取りで歩くエルヴィナの後ろには、リオネルとバドがいる。メイドのメグは「足手まといになりますから」と町に残ることになった。
一方の宰相はというと、護衛の騎士たちからかなり苦言を呈されたが――
『平和な世の中で、体どころか頭まで鈍ったような護衛は結構ですよ』
と冷たく言い放ち、場の空気を文字通り凍らせていた。
一部の騎士たちからは一気に反感を買ったに違いないが、大丈夫だろうかと振り返るエルヴィナの心配をよそに、後ろを歩く四人ほどの騎士は、明るい顔で散策を楽しんでいる様子だ。バドがエルヴィナに耳打ちしたところによると、騎士にも二種類いるらしい。本当に騎士の任務が好きな者と、騎士という身分に酔っている者。山登りを反対したのは後者で、ついてきてくれたのは前者だと、と。
「それにしても、ジリー卿が鍛えてらっしゃるのは、意外でした」
ニクラスが、軽く背後を振り返って言い、また前を向く。
そうして周囲へ細やかに気を配る様子に、エルヴィナは感心しっぱなしだ。
「意外? 確かに、動きそうにない感じですものね」
エルヴィナの中でリオネルは、どちらかといえば、デスクワークのイメージしかない。
「神殿騎士を目指されていたのは、どうやら本当らしい。足腰も体軸もしっかりされている」
「あら。見ただけで分かりますの?」
「ええ。狩人にとって、動物の動きをしっかり把握するのは当たり前のこと。仕留めて解体する仕事柄、弱点や癖などを観察してしまうんです」
穏やかな表情や語り口調に騙されてはいけない。
エルヴィナは、ニクラスに少しだけ警戒心を持った。
「ふふ。エルヴィナ様は非常に素直なお方ですから、少々警告をと思いまして」
「ニクラス様……」
「誰もが良心の元に行動するなど、幻想ですよ。人は、利益がなければ動かない」
シュタイン公の怪我で、ニクラスは見たくはないものを見ているのかもしれない。
「……そうですわね。利益がなければ動かないのには、同意ですわ」
言いながら、エルヴィナはタブレットに目を落とす。
(ついに使っちゃった、『神恩ポイント』。調査に使えるとは思わなかったなぁ……しかも地図アプリ、現在地の矢印も機能しているみたい。GPSもないのにどうやって? やっぱり竜神様のお力かしらね。さすが神様、チートだわ)
せっかく貯めた神恩ポイントが五千も減っているのは、胃にくるが、後悔はしていない。温泉に入りたいのはもちろんだが、ジャルダンだけでなくノインベルクまで国が傾くとなると、その影響は甚大である。台風被害がなかったのではなく、時間差で広がっているタイムラグだったのだと分かった今、尚更だ。
「わたくしは、その利益が双方にあればと思っておりますの」
エルヴィナのモットーは、ウィンウィンな関係構築を目指す、だ。
モノを売り買いするからには、お互い幸せになって欲しい。
取引するからには、良い関係になりたい。
上司には甘いと怒られつつも、ずっとそうして商談を行なってきた自負がある。
「双方の利益だなんて。貴族のご令嬢がそんなことを」
「あら。わたくしのような人間がいても、良いと思いません?」
「そう……ですね」
ニクラスは、眩しそうに目を細める。
エルヴィナも、今日は良い天気でよかった、と常緑樹の葉の間から差し込む日差しに目を向けた。
ところが、ニクラスは日差しではなくエルヴィナを見ているように感じ、思わず足を止めた。
「ニクラス様?」
「ああいえ。新婚、とは思えない距離感だなあと」
「あら。わたくし、契約結婚だと公言してますのよ?」
「けいや……っ⁉︎」
ニクラスが動揺している間にリオネルが追いつき、渋い顔をして告げた。
「エルヴィナ嬢。タブレットを一度確認してみてくれませんか」
「え?」
バドを見やると、大きく頷かれた。
「おう。宰相殿と様子見ながら歩いてたんだけどさ。なんか、妙な気配がすんだよな」
「それに……ニクラス殿。出発前に町長から聞きました。この山にはわずかな人たちにしか知られていない、神聖な場所がある、と」
「ええ⁉︎」
エルヴィナが驚きでニクラスを見やると、顔を逸らされてしまう。
《ピコン》
すると山道にそぐわない、乾いた電子音が鳴り響いた――




