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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部3年
96/115

94.卒業レセプションはホワイトパレスで 中編

 王立学園高等部敷地内にある白亜の宮殿、通称ホワイトパレスでは卒業レセプションが開かれていた。奏でられる優雅な音楽や学生たちが立てる楽しげな声から遠く離れた1階の準備室で、ミリュエル・バルニエはひとり本を読んでいた。それは準備室の棚に飾りのように置かれていた古い書物で、海の向こうの大陸にあるテイリュンス王国やアルマート公国について書かれている。

 誰かが図書室からここへ持ち込んだのかもしれない。そんな異国について書かれた本を読んでいると不意にドアが叩かれた。


「ごめんなさーい! ミリュエルさんいらっしゃいますかー!」


 扉の向こうからマティアスの声が聞こえて慌てて立ち上がる。ミリュエルは本をソファに置くと扉に駆け込み勢いよく開けた。

 するといつも目元を隠している前髪を乱したマティアスが、息を切らせて立っている。しかしなぜかマティアスの裏には3ヶ月前に軍艦船で知り合った女性騎士たちもいる。


「さあ! 準備を始めましょう!」

「はい?」


 にこやかな顔の女性騎士たちはそれぞれ荷物を持って準備室に入ってくる。それを見送ったミリュエルは唯一ここへ入れないマティアスに問いかけた。


「どういうことなの? わたしの砂糖菓子は何をしているのかしら?」

「この事は、リリは知らないです。えっと、あの方々が、男子寮に来て、ここへ案内して欲しいと言われたので、走ってきました。でもあの騎士さんたち、息も切れてなくて……すごいなって」


 汗だくのマティアスは額にハンカチを当てながら眉を垂らして苦笑する。その可愛らしい瞳は、不思議なことにブリジットよりもベルナールに似ていた。

 そこで女性騎士たちに両腕を捕まれ部屋の奥に連れて行かれ着替えをと言われる。

 わけもわからないミリュエルの目の前で、女性騎士のひとりが箱を開けて黒いドレスを取り出した。しかし細かい説明もないままに制服を脱がされたあげくドレスを着させられる。ただそれが軽やかな素材で、夏のこの時期でも涼やかな着心地であることは袖を通した感じでわかった。

 ドレスを着させられたミリュエルは、靴を履き替えると鏡台の前に座らされる。そこで今回も女性騎士たちが代わる代わる髪を結い直し、化粧も直してくれた。

 そうして丁寧に仕上げられながら、ミリュエルは鏡に映る己の姿を眺める。

 黒地を基調にしたドレスの胸元には小ぶりな赤いバラが並ぶ。肩は柔らかく包み込むような半袖で、背中には細めの黒リボンが結ばれているらしい。だから髪は結い上げて背中を見せるようにしましょうと女性騎士から言われる。

 やがて準備が終わる頃、ミリュエルはドレスに揃えたような深紅の石がはめられたペンダントをつけられた。


「このペンダントをつけたら、いくばくかの魔力を込めるよう言われているのですが…ミリュエルさんできますか?」


 髪を結ってくれた女性騎士に優しく言われたミリュエルは、わからないまま深紅の石を握る。


「こうですか?」


 ほんの少しで良いならと魔法を使う感覚で手に魔力を集める。すると鏡台の鏡越しに、ミリュエルたちの背後に黒いロングコートをまとった男性が現れた。

 こちらに背を向け現れたその人に女性騎士たちが驚き振り返る。


「これは絶妙なタイミングで呼んでくれたね」


 低く落ち着いた声色のその人はなぜか眼鏡をかけ、本を手にしていた。だが彼は振り向き鏡台の前に座るミリュエルを見て笑う。


「これは良いね。君たちの忠告を聞いた甲斐があったよ」

「宰相閣下はお仕事中でしたか」

「いや、スーベルト王妃殿との会談を終えたところだからちょうど良かったよ」


 その会話はまるでこの人が先程までグレイロード帝国にいたかのような内容で、ミリュエルは素直にそれを受け止められない。

 そうして黙り込んでいると眼鏡をはずした帝国宰相ローティス・フィレントが、それを本とともに女性騎士へ渡した。

 あげくミリュエルの隣に進み出ると手を差し伸べてくれる。


「さて、来年に向けた予行練習でもしようか」

「喜んで」


 ローティスの手を取ったミリュエルが立ち上がると膝下丈のスカート部分がふわりと揺れる。オーガンジーで覆われたそこは光を受けるたびに軽やかに舞っていた。

 それはローティスの髪や瞳の色に合わせた黒を基調としている。だがミリュエルの年齢を考慮した可愛らしいデザインになっていた。

 だからこそミリュエルは嬉しくなってしまう。こんな可愛らしいドレスを、他ならぬローティスが用意してくれた。しかも今日のローティスは詰め襟のある黒のロングコートを着ていて、揃いの装いにも見えるのだ。


 休憩室を出るとマティアスがいて、ミリュエルの姿を見るや嬉しそうに微笑む。


「良かった。レセプション楽しんできてください」

「マティアス君は大広間に行かないの?」

「僕は騎士様たちにサブホールのスイーツをと思ってます。ミリュエルさんのために走ってくれた方々なので」


 お礼しなきゃと笑顔で言うマティアスにつられるように笑みをこぼしたミリュエルは、確かにそうねと返した。その上でマティアスに後を頼むと、ローティスにエスコートされて大階段へ向かう。

 スカートを軽やかに揺らし階段をあがるミリュエルは、隣を進むローティスをちらりと見やった。

 3ヶ月前の船で見下ろした時のローティスは、瞳の色が違うこともあってきらめく美人に見えた。だが黒髪黒瞳に装っているローティスは、伏せがちな長いまつげに縁取られた瞳もたまにこぼれる嘆息も色気を伴ってゾクゾクしてしまう。


「君は人の顔を見るのが好きだね」

「若い身空ですので、押し倒したくて仕方ありませんの」

「なるほど、1年前の僕の言葉で切り返してるわけだね。でもここから先は政治的な話もしなきゃならないだろうから、遊んであげられないんだ」

「あらまぁ、今日は素敵なおじさまではないのですね? だからその素敵で暑そうな衣装なのかしら」

「これは単純に……」


 階段をあがり廊下を進みながら、言葉を濁したローティスを見上げる。すると彼はなぜか苦笑いをこぼしていた。


「笑う要素が?」

「スーベルト王妃との会談後も、着替えることなく正装で仕事してたんだよね。だから存外この子供の遊びを楽しいと思っていたのかなって」


 この卒業レセプションのために正装を脱がずにいてくれた。その可愛らしいさまが、アダルトな色気と相反していてより魅力を引き立たせる。


「後で個室にこもりましょう。あなたを押し倒したいわ」

「君のその遊びだけは楽しめないな。それに、ここからは本当に政治的な場所になる。君の竜王国一の美少女な仮面が必要になるよ」

「あら、誰を相手に戦われるの?」

「おそらくロドルフ・オーブリーだと思ってる」

「あらあら、わたしの頼れる方のひとりだわ。仮面がなくとも勝ててしまえそう」

「そうなの?」

「でもその前に、わたしが心を奪われた殿方について、まずは自分に会わせよとおっしゃっていたの。だからまずは、ローティス様はわたしの愛しい婚約者様として紹介されて、娘を心配する父親のような心持ちの閣下から値踏みされてしまうの」

「わー、それは怖いね」


 楽しげに語るミリュエルの言葉に、ローティスは笑って返しながら前方にそびえる大広間の入り口を見た。そうして歩みを止めぬまま悠然と微笑む宰相の仮面をつけるローティスを見たミリュエルの身体の芯がゾクリと震える。

 先程まで穏やかなおじさまだったのに、一瞬で底の知れない宰相へと変化するのだ。その変わりようにはミリュエルも勝てる気がしない。


 シャンデリアがきらめく大広間は和やかな音楽に包まれている。中央では多くの生徒たちがダンスを楽しんでいるだろうが、入り口に立ったミリュエルにその様子は見られなかった。なぜなら卒業生の保護者たちが壁際だけでなく入口付近にも集まり、談笑しながら眺めているからだ。

 卒業生はざっと600人なので、それを見に来る保護者の数も相応に多い。さらにその中へ紛れるように、卒業生を職場に引き抜きたい者や己の子の縁談相手を探す者もいるという。なにせこれは卒業レセプションであると同時に社交界デビューの場でもあるのだ。

 令嬢にとってはここが一生を決める場になることもある。


 だが既に己の歩む未来を決めているミリュエルは、いつも通り背筋を伸ばし前を向いていた。前を歩くローティスの広い背中だけを見つめて、誰が見ても恋する乙女と見るだろう微笑みを浮かべる。

 人混みをかき分け抜け出れば、周囲にいる卒業生や在校生たちの視線が黒い衣装のふたりへ向けられた。そうして普段の明るく天真爛漫な印象を脱ぎ捨て、黒く落ち着いたドレスをまとったミリュエルの姿にみなが驚く。

 さらに卒業生の中でも戦闘実習に参加した者は皆がローティスのことを知っていた。肩を金地で飾り付けていても、そのロングコートの闇より深い漆黒がグレイロード帝国の色であることも。


「ミリュエル君、ダンスの腕前は?」

「なんでもできてこそのミリュエル・バルニエだもの。どんな場所でも優雅に踊れる自信がありましてよ?」

「それは結構。僕はダンス嫌いだから君に任せても良さそうだね」

「あら、宰相閣下にも不得手なものがおありなの?」

「あるよ。ダンスも苦い薬も。あと最近そこに君という存在も加わったよ」

「それは光栄なことだわ」


 優雅な笑顔を保ったまま言葉を交わし、その延長のようにダンスを申し込まれて応じる。そうして大広間の中央に進み、優雅な曲に合わせてダンスを始めたミリュエルは笑ってしまう。

 ダンスは嫌いだというローティスは、外側から見れば完璧なステップと優雅な所作で周囲を魅了している。だがその実、視線はミリュエルに向けられず、自然な形を保ちながら周囲を観察しているのだ。

 つまり彼はミリュエルに、おまえのことなど気にしないが楽しそうなフリをしろと言ったのだ。


「本当に好き」

「……本性が出てるよ。ところでデュフール侯爵の姿がないようだ。来てないのかな?」

「在校生の親がわざわざ参列する理由はありませんもの。しかもアナベルは4兄弟の末娘。適度な放任主義のおかげで彼女はあのように知性を磨けているのです」


 女でありながらアナベルがあそこまでの知性を持てたのは、まさにデュフール侯爵家の娘だからこそだ。デュフール侯爵トリスタンは、末娘が望むままに学ぶことを許す寛容な方なのだ。

 談笑するような顔で説明したミリュエルに、なぜかローティスが喜びを溢れさせたように笑みをこぼした。そして不意打ちに色気のシャワーを浴びてしまったミリュエルは目を見開き思考停止する。

 ステップすら頭から抜けてバランスが崩れかけたところで、腰を持ち上げられて足が床を離れた。


「竜王国一のご令嬢はどうしたのかな」


 抱き上げたミリュエルを、遠心力を使いふわりと回しながら床におろしたローティスが皮肉をぶつけてくる。そんな愛しい相手に、ミリュエルは笑顔で謝罪した。おまえのせいで動揺したのだなどとこんなところで言うわけにはいかない。

 ただミリュエルを軽々と持ち上げたところで歓声があがり、周囲もふたりのことを羨望の目で見ている。おそらく誰もミリュエルが失態したとは思っていないのだろう。

 そうして一曲終わると大きな拍手が包み込んだ。その誰もがミリュエルを見ているが、ミリュエルは笑顔の裏で己の失態を悔やんでしまう。


 一曲だけ踊ったミリュエルはローティスと共に親友たちの元へ向かった。曲の合間にすべてを観察し終えたらしいローティスは親友たちの居場所すら把握していたようだ。


「ミリュエルのドレス可愛いわ! 描きたい!」


 そうして合流して早々にミリュエルは興奮気味なリゼットに手を握られた。


「踊ってる間、背中の紐がふわふわと揺れて可愛かったし、スカート部分も軽やかで描きごたえあると思うの」

「でもリゼット? このドレスの裾は切れないわよ?」

「たくし上げましょう。いいえ、この形は床に座ってふわりと膨らませたほうがいいわ。あるいは床に横たわって足の方向から描いて中を……」


 いつものリゼットの構想が咳払いにかき消された。とたんに現実に戻ったリゼットはローティスを見上げ顔を真っ赤にさせる。


「すみません。こんな形のドレスは見たことがなかったから、絵の構想がわいてしまって」

「リゼット・デュムーリエ嬢の芸術に対する熱意は僕も理解しているよ。だけど君はもう少しだけその熱意を抑えることを覚えよう」

「そうですよね…」


 絵を描くことに対する執着が強いリゼットは家族からも同じことを言われてきた。女が饒舌になるのははしたないと。そしてだからこそ、大人のいないこの王立学園内では自由に絵の才能を伸ばせていたのだ。

 そんな家族に抑圧されて育った親友が、のびのびと描くことが好きなミリュエルは、笑顔を作りローティスを見上げた。


「ローティス様、それでは彼女の良さが失われてしまいます。芸術は抑圧すべきではないと愚考しますけど」

「でもこの程度のドレスで興奮していたら、帝国に行った後で大変なことになるよ。もちろん着用者がミリュエル君だからそうなる、というなら問題ないけどね」

「わたしのこのドレスは素晴らしいものですけど、帝国にはこの手のものがたくさん?」

「この国は宮廷がないから、君たちもわからないんだろう。あの連中は季節ごと夜会ごとに新作ドレスを制作して己のセンスで殴り合うことを趣味にしてるんだよ。だからリゼット君のように大興奮で喜ぶ子なんて、連中に囲まれて延々と感想を求められることになる。しかも異国から来た伯爵令嬢の人権を気にしないだろうから最悪、拉致監禁されて感想を求められたり絵を描かされるよね」

「犯罪ではないですか」


 ローティスの言いように驚いたアドリエンヌが目を見開き言う。するとローティスは肩をすくめて仕方ないという。


「異国の人間は後ろ盾がない。アドリエンヌ君はソフィード侯爵家に守られるけど、他は違うじゃないか。ああ、ブリジット君はバルフィスト公爵家が欲しいと言って聞かないからそっちに行きそうだけど」


 唐突に1年後の進路を発表されたブリジットは目を瞬かせる。


「そのバルフィスト公爵家、というのは…」

「六大公のおひとつだわ。ジャスター・バルフィスト公爵は芸術への造詣が深い方らしいけれど、そのためにブリジットを懐に…とはならないと考えられるのだけど」


 異国の貴族の名など知らないブリジットに、アナベルが思案顔だが教えてくれた。ただ疑念があったのかアナベルはそのままローティスへ質問を向ける。


「バルフィスト公ジャスター様が芸術家の支援をされる方だとしても、令嬢が読む物語の部類まで手を出されないと思うのですが」

「確かにバルフィスト公爵本人はそうだけど、関係者はそうでもない。むしろ5ヶ月前に君たち、お土産の本を探してるイリアンデ君を助けてあげただろう? あの時に購入された中にブリジット君の作品がいくつかあって、かなり流行ってるんだよ。特に兄弟の恋を描いたアレコレが」

「そこはビタン王国時代から続く慣習が……いえ、しかしだからといってブリジットを囲うという話になりますか?」

「ちょっと君はその聡明な頭脳からジャスターの存在を消そう。彼がこれまで残した華やかな逸話のせいで思考が曇ってしまってるんだ。そして思い出して欲しい。帝国で生まれてこの国でも流行っているあの物語だよ。あれの作者がブリジット君にご執心で、娘に迎えたいとまで言ってるんだよ」


 ローティスの説明にミリュエルを含む5人の脳裏に『月夜の物語』の存在が浮かぶ。そしてブリジット本人は真っ赤な顔で口に手を当てた。


「神がわたしに…ですか?」

「うん、でもその存在は秘匿にされてるから、この話も内緒だよ。でもそんな感じでブリジット君はバルフィスト公爵家が後ろ盾になることが決まってる。だから他の子たちはよく考え学んておこうね。僕という後ろ盾は女の戦いで戦力にならないし、変な女に拉致監禁されて自画像を描けと命じられる結末にならないように」


 ローティスの注意事項を聞いた4人はリゼットを見る。そしてリゼットは悩んだ様子で眉をひそめると首を傾げた。


「女性から拉致監禁されるのはご褒美に…」

「違うわよリゼット。犯人が女性であっても拉致監禁は拉致監禁よ。犯罪よ」

「そうよ、宰相様は危機管理の話をされているの」


 危機感がないリゼットにアドリエンヌとアナベルが慌てて忠告する。その様子を眺めたローティスは何かを察したような顔でミリュエルを見た。


「さすがミリュエル君の親友だね」

「ええ、自慢の親友ですもの。それよりお話が終わったら政治的なお話をしに行きませんこと? 曲が終わったところだから移動するのにちょうど良いわ」


 ローティスの皮肉を笑顔で流したミリュエルが手を差し出すと、ローティスは同意して手を持ち上げてくれた。



 ミリュエルが大広間へ来た時から、緋色のマントを背にした帝国騎士ふたりが様々な女子生徒とダンスを踊っている。だがそんなふたりに関してローティスは気にした様子もない。

 曲と曲の合間に生徒たちはパートナー探しや休憩など様々に移動していた。その中を歩くローティスの足に迷いはない。

 そうして壁際にいるオーブリー侯爵の前に立ったローティスは、ミリュエルも見たことがないような冷たい笑みを浮かべた。


「前回はクズの速やかな爵位返上手続きありがとうございました」

「いや、こちらこそ……宰相殿には余計な手間をおかけして申し訳なかった」


 親友の父が思い切り苦々しい顔を見せている。幼い頃から良くしてくれて、11歳の時には自分を助けてくれた人が困っている。

 そう認識した瞬間、ミリュエルは無意識にローティスの腕をつかんでいた。そしてそんなミリュエルを肩越しに見たローティスだが、何を言うでもなく顔の向きを戻してため息をこぼす。


「……政治の話は子供の遊び場でやるものではないですね。雑音のない場所に移動しても?」

「ああ、そうだね。こちらにそれ用の個室があるから案内しよう」


 オーブリー侯爵が歩き出すとともに、ローティスは腕をつかんでいたミリュエルの手を優しく離させた。あげく「楽しんでおいで」と告げた上で、誰かを手招きして立ち去ってしまう。

 そうしてひとり呆然と広い背を見送ったミリュエルは、我に返ると己の愚行に気づいた。政治的な話をするから仮面をつけろと言われたにも関わらずミリュエルは自分の感情を出してしまったのだ。


「わたし…」

「ミリュエル・バルニエ」


 強い後悔の念に支配されかけたミリュエルは感情のない声に呼ばれて視線をあげる。

 するといつの間にか、別の親友の父であるシメオン・ローランがいた。さらに隣には騎士団服をまとったアニエスがいて心配げにこちらを見る。

 そのためミリュエルはアニエスと手を繋ぎながら、シメオンを見上げた。


「シメオン様、わたし失態をしてしまいました」

「失態ではなく利用されたのだろう。帝国の宰相閣下は冷酷なお方だ」

「冷酷、だから、わたしを利用して?」


 シメオン・ローランは昔から冷静な性格で、どんなことも俯瞰で見られる人だった。その上で彼自身が必要と思った時にだけ助言をくれる。だからきっといまもミリュエルのために告げてくれているのだろうに、後悔にさいなまれすぎて彼の言葉が理解できない。


「ごめんなさいシメオン様。わたしはわたしが愚かだった以外わからないわ」

「君のような小娘があの方と比べて愚かであるのは当然のことだ。だがあの方はそんな君の愚かさを利用して話し合いをしようとしている。おおよそ戦闘実習における帝国騎士団の介入に関する話だろう」

「その話で、愚かなわたしを利用する必要がありますか? むしろ何を思って利用したのです?」

「愚かな君のために妥協する。そうすることで帝国は帝国騎士団の介入に対する見返りを減らすことができる」

「質問しても良いですか」


 シメオンの説明に目を瞬かせるミリュエルに代わってアニエスが問いかけた。


「それは遠征費用含めかかった費用と竜王国の被害をゼロにした事への見返りですよね。宰相閣下は竜王国に対してそれを減らしたいと?」

「竜王国の多くの者は知らないだろうが、我らが竜王陛下は何度もグレイロードの危機に手を差し伸べられた。君たちの宰相閣下は、その時の恩を忘れる方ではないだろう?」

「確かに記憶力は恐ろしいほどにありますからね。しかし交渉相手が知らない事をわざわざ引き出してまで見返りを減らすことをしたら悪魔の異名に傷がつきます。だからこそのミリュエル嬢なんですね?」

「そうでなければ人前でダンスなど踊らんよ。君は子供だから知らないだろうが、あの方はため息ひとつで女を孕ませると言われているからね」

「確かに、『宰相閣下が疲労困憊になると恋に落ちる淑女が大量発生する』という謎の現象は耳にしてきました。そしてこの会場内も似た現象が発生して、リリはスイーツを餌におじさま情報を求められています」

「まったく厄介な方だ」


 本気で面倒そうな顔で嘆息つくシメオンだが、その顔はローティスに似ている。他の侯爵たちはシメオンの陰気な性格が外に出ていると言うが、彼がそうならベルナールもそうなってしまうだろう。

 最近のベルナールは違うが、かつてのベルナールは無感情な様子で眉間にしわ寄せる程度しか表情を変えなかった。


「シメオン様、わたしはどうしたら良いですか」

「君は在校生として卒業レセプションを楽しめば良い。そのように言われなかったかね」

「ローティス様からはそのように言われました。しかしわたしは挽回したいのです」

「君が求められていたのは愚かな小娘なのだから、挽回もなにもないがね」

「シメオン様!」


 救いが欲しいミリュエルが呼べば、シメオンは呆れた顔でため息を吐き出す。だが昔から彼はそのような態度を見せつつミリュエルの駄々を聞いてくれていた。ブリジットが欲しいと言っていた初版本も、アナベルが欲しがった学術書も入手してくれたのは彼なのだ。


「君がここで求められているのは竜王国一の令嬢だろう。誰よりも華やかに奔放に輝き周囲に君の存在を認知させ、例の婚約騒ぎをかき消すことだ」

「そんな簡単なことで良いのです?」

「ここ数ヶ月の君はそんな簡単なことすらできていなかっただろう。アンベールとルヴランシュにへし折られ泣きながら死ぬと叫ぶだけの小娘だった」

「そうでしたわ。派手に痛々しく弱い姿を見せてましたね。シメオン様のお耳にも届いていたとは存じませんでしたけれど」

「バルニエ伯爵が爵位を失った騒ぎを知らない者はいない。娘を売ろうとした愚か者が爵位を売られたと多くの者がささやいている。宰相閣下が君とダンスを踊ったのもその噂を強固にするためだろう。ダンスひとつで、誰がバルニエ伯爵を消したのか知らしめたのだよ」

「計算され過ぎて少し腹立たしくなってまいりました」


 あのダンスすら計算で、ミリュエルへの思いは一欠片もなかった。そうと知ってしまうと腹立たしいミリュエルの言葉にシメオンは眉間にしわ寄せる。


「平和ではない国を建国当初から支えてきた方が、小娘ごときのためにその頭脳を使っている。その事実を腹立たしく思うから君は小娘なのだ」

「もう! シメオン様のいじわる! でもわたしに教えてくれるために来てくださったのはありがとうございます。小娘なわたしは小娘らしく脚光を浴びてきますわ」


 シメオンがここで楽しめというのならそれが正解だ。そう割り切ることにしたミリュエルは、アニエスの手を引きながら大広間の中央に向かった。



 輝く笑顔で騎士と踊り始める竜王国一の美少女を眺めたシメオンは嘆息つく。そうして「手間のかかる方だ」とつぶやいたシメオンは人混みに紛れながら大広間を出た。



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