91.友情と忠誠と
ベルナール・ローランは幼い頃から知識にのみ興味を向ける人間だった。
知識を得る喜びを、そして知識を得るごとに世界が広がる楽しさに捕らわれていたから。だから人並みに守ることはしても、弟妹が何をしているかなど気にならなかった。
そうして王立学園の中等部に入り、周囲はにぎやかになったが本人の意識はなにひとつ変わらない。知識以外に興味を向けず、高等部卒業後には自分に知識をくれたデュフール家の長男のように王城へ務めるのだと思っていた。
そんなベルナール・ローランを変えたのは中等部に珍しく入った留学生。誰よりも小柄で愛らしい姿から砂糖菓子の異名を与えられた少女だ。
2年前の戦闘実習で初めて出会った砂糖菓子は別の色も持っていた。
それは竜王国を象徴する深く広い海の色。そして多くの国民が見たことのない我らが竜王陛下の鱗の色でもある藍に近い青色。
ベルナールの目に映る彼女は、知性の生き物である竜と見るには直情的で我欲が強い。だと言うのに強い言葉は真実を貫き、時に竜王国貴族の頂点たる侯爵たちすら正義を持って断罪する。
過激でワガママ面と圧倒的正義を持ち合わせた、やたらと手間のかかる砂糖菓子。そんな彼女と関わり、そして彼女の幼馴染みと関わったせいで興味を向ける先が増えた。
だがだとしてもベルナール・ローランは、17年間ずっとひとりで学ぶことと鍛えることだけをしてきた。社交性を捨ててきたベルナールが誰かと友情など育めるわけもない。
そしてその誰かに対してうまく思いを伝えられるわけもなかった。
戦闘実習から連休を挟んで学園がいつも通りの生活を取り戻した日の昼。ベルナール・ローランは食堂で遭遇したアルノー・グランデに言葉を向ける。
「もう2度と俺を守るなんて言うな」
その一言にアルノーは顔面蒼白となり、周囲にいた騎士科の生徒たちも慌てふためく。自分たちもアルノーも何も失態はしていない。うまくやったと帝国の宮廷魔術師も言っていたのにと。
だがベルナールはそんな周囲の言葉など耳も貸さず、まっすぐにアルノーへ義憤の目を突き刺していた。
「でもベルちゃん、おれは」
「その呼び方も2度とするな。人を姫扱いした騎士もどきの遊びも辞めろ」
「それは無理だ!」
「では午後の授業の後で決闘に応じろ。俺に勝ったならその騎士もどきの遊びも認める。だが俺に負けた場合は2度と守るなんて言うな」
「そっ、ベルちゃ」
「呼ぶなと言った」
相手の言い分を踏み潰すように言葉をかぶせベルナールは、相手の返事を待つことなく踵を返す。そうして残されたアルノーは両手で顔を覆いながらその場でへたりこんだ。
「おれの青春が崩壊した!!!」
「誰か足の速いやつ中等部に知らせてくれ! このままだとアルの精神が死んじまう!」
せっかく地獄の戦闘実習から生き残ったのに。そう声を上げる騎士科の生徒たちの言葉にひとりが手をあげ走り出す。その間もアルノーは絨毯の上にヘタりこんだまま動けなかった。
仲間たちに肩を叩かれても何をしても動けない。そのままアルノーは昼食を取れないどころか、午後の授業すら自失した状態で受けることになる。
ベルナール・ローランが騎士科のトップに決闘を申し込んだ。話の詳細を省かれたその情報は昼の食堂を中心にまたたく間に広がっていく。
だがその日は朝から別の噂も広まっていた。高等部にいる侯爵家の子息たちを中心に広まったもので、戦闘実習に関することだ。
今年の新入生で『真のラピスラズリ』であるセシーが戦闘実習に参加したからこそ帝国騎士団が介入し騎士科の生徒たちも救われた。セシーはあの日に危険な魔物が現れることを知っていて、あえてその身を呈して帝国騎士団を招いてくれたのだと。
その噂の中心である侯爵家子息たちとセシーは朝から多くの学生たちに囲まれた。ただ彼女の元へ集まるのは下位クラスの者たちばかりで、Sクラスにいる他の侯爵家子息の姿はない。
高等部1年Sクラスで2種類の噂を耳にしたアラン・マイヤールは、噂のひとつを捨てた。真のラピスラズリなどと言うふざけた呼び名も噂も、本物が何も言わないのならこちらが触れることはない。
それよりもこれから始まる決闘のほうが問題だろう。なにせベルナール・ローランは剣も魔法も知識も最高レベルな『神童』なのだ。
相手も騎士科トップだというが、ベルナールに勝てるとは思えない。
思案するアランの隣には、いつものように婚約者のクレール・オリヴェタンがいて首を傾げる。
「でもベルナールさん、どうして決闘なんてなったのかしら?」
「まぁ、らしくないと言えばらしくないよな」
「もし危険なようなら、アランが止められる?」
「おれがベルナールさんを? できるわけがない。むしろ騎士科トップとの決闘に割り込める人間が……あ」
ひとりいたな。そうつぶやいたアランはクレールの手をつかんで修練場の方向を指差した。
「あのカッコつけが乱入しないわけがない。見に行こう」
「ふふっ、アランはアニエス君の騎士姿大好きだものね」
「そうじゃ……いや、好きだよ!」
カッコいいからと真っ赤な顔で叫んだアランに、教室内で様子を見ていたクラスメイトたちが笑う。
かくして授業後に行われるという決闘は多くの学生たちが見守る中で行われることになる。
広大な敷地を有する高等部は、校舎だけでなく剣術修練場も広い。中等部が持つ修練場の4倍の広さのそこは主に騎士科が剣術の実技訓練で使われていた。
さらにこの修練場では毎年高等部内の剣術大会が行われ、観客席には生徒だけでなく騎士団関係者たちも集まる。
そんな高等部修練場の観客席は、その日高等部と中等部の生徒でほぼ満員の状態になっていた。にぎやかな観客席では食堂から持ち込んだお菓子を食べながら観戦しようとする令嬢もいる。
多くの観戦者が眺める中、模擬戦用の試合場に立ったベルナールとアルノーはそれぞれ刃を潰した剣を持っていた。しかしアルノーは戸惑いを隠せない顔で観客席やベルナールを見る。
「なんでこんなことになっちゃうの!」
「うるさい黙れ」
決闘なんておかしいと訴えたいアルノーを無視してベルナールは剣を引き抜く。その足で一気にアルノーへ接近すると迷いなく斬りかかるため、アルノーも鞘に収めた剣で受け止めた。
「なんで! おれベルちゃ…ベルナールを怒らせるようなことしてないよ!」
「だったら俺を守るな!」
「なんでなの!」
普通科であっても洗練された剣技を持つベルナールにアルノーは剣を抜くことすらできず防戦一方になる。むしろアルノーは剣を抜けたとしても防戦一方になるだろう。
それが観客席から見ている騎士科の生徒たちの一致した意見だった。なにせアルノーはベルナールを守るために存在すると豪語してきて、実際にそれを実行した男なのだ。ただだから騎士科の生徒たちは、ベルナールのこの行動が理解できなかった。
戦闘実習でアルノーに守られたベルナールは、感謝しこそすれ怒る理由はないはずだ。だというのに再会した瞬間から彼は怒り決闘を持ち出した。
そして実際に今もベルナールはアルノーに本気で斬りかかっている。あの剣術のレベルでかかってこられて、今もまだ決闘が続いているのは純粋にアルノーだからだ。
アルノーはふざけた男だが自分たち騎士科のトップである。相手がベルナール・ローランだから、防戦一方だからと、すぐ敗北する男ではない。
「おれはベルちゃんと戦えないよう!!!」
騎士科トップとしての威厳も何もない叫びをあげるアルノーに、騎士科の生徒たちは苦笑する。だがそれでも彼らの脳裏にあるのは先日の戦闘実習におけるアルノーの本気の姿だ。剣技、魔術、統率力。そのすべてにおいてアルノーはずば抜けていた。
だがそれでも戦意を持てないアルノーは、不意を突かれたように剣を上に弾かれる。あげくそんなアルノーへ、ベルナールは躊躇いなく横凪に斬りつけた。
寸前、疾走する黒い影は観客の目に緋色の線を残して現れ、初めて金属のぶつかる音を発生させた。
アルノーを蹴り飛ばし、ベルナールの剣を弾きながら回転して落ちてくるアルノーの剣を手でつかむ。
「決闘と聞いて駆けつけてしまいました」
にこやかな顔でそう告げたのは、昨年にも決闘を行った中等部の留学生だった。漆黒の騎士団服と、その背にある緋色のマントはグレイロード帝国騎士団の上級騎士を示す。
観客席に女子生徒たちの黄色い悲鳴が湧き上がる中で、近衛騎士アニエス・ディランは手にしている剣をアルノーに投げる。
その光景をベルナールは驚きの目で見つめていた。
「なぜ君がここにいる?」
「だってベルナール卿に勝てば守る権利をいただけるのでしょう? そのチャレンジをアルノー殿に独り占めさせるわけにはいきません」
「俺はアルノーに守るなと言ったんだ! 守りたければ勝ってみろと」
「では問題ないですね!」
にこやかな顔で斬りかかるアニエスの剣は速く重い。その強さを初めて実感したベルナールは引き下がりながら体勢を整えて攻撃の隙をと考える。
「そもそもなぜベルナール卿はこんな決闘なんて始めたんです?」
「だからアルに俺を守るなと」
「それはアルノー殿だけですか?」
「……他に、いないだろう!」
強い剣を打ち込みながら平気で話しかけてくるアニエスが恐ろしい。そんなアニエスの剣を弾き返しながらベルナールは浅く乱れかけた呼吸を整えようとする。
「じゃあ私は勝っても負けても守ることを許されているということですね」
「そうじゃない。君だって、俺を守ろうとしなくて良い。俺は誰かから守られたいと思わない」
ベルナールが息を切らせかけながらも己の気持ちを吐き出す。その合間にアニエスは横目にアルノーを見た。
だがすぐにその視線をベルナールへ戻す。そして黒瞳を細めにこやかな顔で告げた。
「それはおかしいな。あなたは私の大切な方なのに」
「……は」
突然の告白に戸惑い一瞬の隙が生まれる。そのほんの一瞬の間に、アルノーがベルナールの背後に回り込み、抱きしめるように動きを封じた。
あげく勢い余ってかアルノー共々地面に尻もちをついた。
「おれはベルちゃ…ベルナールに剣は向けられないけど、大事な人なので守りたい…です!」
「ははは、これはベルナール卿の負けですね」
動けなければ戦えない。そう告げたアニエスはにこやかな顔でふたりを見下ろし、決闘は終わったとばかりに剣を鞘へ収める。
その姿を呆然と眺めていたベルナールは、ややあって眉間にしわ寄せた。
「なぜ君が邪魔をする! 俺はアルノーに死んでほしくないから」
「それがおかしいんです」
ベルナールの言葉を遮るように告げるアニエスは、一瞬にして真剣な表情を見せた。そうなるともう彼女は騎士にしか見えない。
「先日の戦闘実習は文字通り戦場でした。であれば! 騎士が共に戦う仲間を身を呈してでも守るのは当然のことです。我々騎士はそうやって常に仲間と命を預け合い強大な敵と戦っていくのです。そしてアルノー・グランデ殿は騎士科筆頭生徒として前線に立ち、騎士として仲間を守っただけの話です。それを讃えることもせず、守るなと言うのは騎士に対する侮辱にほかならない」
「だがアルノーは騎士である前に俺の友人だ。守るなんて言われたくない」
ベルナールの本音を前にしたアニエスは笑ってしまう。
そして同時に観客席もざわつかせた。なぜならこの決闘は単純なケンカではなく、ベルナールがアルノーを思いやったものだったからだ。
友人を思いながらも、不器用ゆえに決闘などと言い出してしまう。これまで完璧な優等生だと思われていたベルナール・ローランの失態には観客たちも素直に親近感を抱いた。
そうして皆が見守る中で、アニエスがベルナールの前で片膝をつく。
「騎士ではなく友と言うなら信じてください。アルノー・グランデ殿はベルナール卿に対しては剣も抜けぬ腑抜けですが、闇竜に対してはあれほどの実力を発揮する方です」
アニエスの言葉を受けたベルナールは、いまだ己を抱きしめるように拘束するアルノーを見る。するとアルノーは、真っ赤な顔で目を見開き口を引き結んでいた。
そんないつものアルノーを見た後にまたアニエスへ目を戻す。
「あんな思いをするのはもう嫌なんだ」
「それは誰もが思うことです。そしてだからこそ我が帝国には十将軍を筆頭に多くの騎士がいます。魔物とは魔獣とはそれだけの戦力を集めて挑むものなんですよ」
「では、俺たちの目算が甘かったということか」
「それもありますが、あの時に宮廷魔術師様も言ってらっしゃいましたよね。本来であれば、我々の力だけで片付けられたと。闇竜もアルノー殿の魔術により倒せていたから、あの一撃もなかった」
「あの時の……確かに言っていた。あの闇竜は特別耐久性が強かったと」
「ね? アルノー殿は頼るに値するご友人ですよ。そして話が通じない相手でもありません。アルノー殿は、いつもベルナール卿の意思を尊重してくださる優しい方です」
再び笑顔を取り戻したアニエスはそう告げた上で立ち上がる。その背に揺れる緋色のマントにベルナールが目を奪われていると、アニエスが観客席に向けて高らかに話し始めた。
「乱入というお目汚しをしてしまい申し訳ありません! 自分は中等部3年Sクラスに在籍しているアニエス・ディランと申します!」
唐突に自己紹介を始めるアニエスに、女子生徒たちから名を呼ぶ声や知ってるという声が上がる。それらに手を振り応えたアニエスはさらに自分の胸に手を当てた。
「ご覧の通り自分はグレイロード帝国騎士団所属の上級騎士です! そして騎士科の方々におかれましては、先日の戦闘実習において私のあまり役に立たない戦闘も目にされたことでしょう。しかし! どうかここでベル姫応援し隊への加入をお許し願いたい!!」
「アニエス!!!」
そんなものには入るなと散々言ってきたベルナールの目の前で、アニエスは高らかに入隊申請をしてしまう。そしてそんなアニエスに騎士科の生徒たちから低く轟くような歓声が沸き起こった。
騎士科の生徒たちの歓声や女子生徒たちの黄色い声に包まれた修練場で、ベルナールは自分の肩に顔を落としたアルノーの頭に触れる。
「すまなかった。俺はやり方を間違っていた」
普段は他人の過ちなど笑って流すアニエスが、決闘に乱入してまでそれを阻んでくる。その時点でベルナールは自分が否定されたと感じてしまった。だから戸惑いも抱いたが、彼女の話は正しい。
「俺はアルノーに死んでほしくなかった。でも決闘という手段を取ったのは間違いだった」
「おれはベルちゃ…ベルナールに剣を向けられない」
「その呼び方もしていい。アルに名前で呼ばれるのは違和感しかない」
「わがままなベルちゃんも大好きです」
愛称で呼ぶなと言う次は名前も違和感があるという。呼びかたひとつで人を振り回すベルナールにアルノーの告白が飛んだ。
ベルナールがどれほど酷い態度を取ってもアルノーは変わらず好きでいてくれる。その安心感に笑ったベルナールはアルノーに身体を預けるように力を抜いた。
「しかしアニエスに勝てなかったな……」
相手は騎士なのだから納得もあるが悔しい。そんなベルナールのそばで不意にアルノーが吹き出したように笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大歓声が沸き起こる観客席にいながらリリは嘆息を漏らす。そんなリリの裏ではマティアスがクロード・ヴァセランと乱入した瞬間について話していた。
「兄上の剣を弾いて、同時に落ちてきた剣をキャッチ。これどういう原理かな」
「片手剣で弾いてるからできるんだろ。まぁ、片手剣でベルナールさんの剣を弾くってのがおかしいんだけど」
「腕の力が強い?」
「いやもうアイツは全部だよ。あそこまで流れるように動ける時点で全身強い。アランさんボコっただけあるわ」
クロードの一言に前列にいるアランがにらむように振り向く。
「そこまでやられてないからな」
「ああそうだった。精神的なとこベキベキにへし折って、素直じゃない性格を矯正されたんだ」
「おれはいつだって素直なんだよ!」
侯爵家子息であるクロードとアランが会話するのを聞き流して決闘場を眺めていたリリは、ふと隣にいるクレールを見やった。
「クレールお姉様、もしこの観客席のどこかにアドリエンヌお姉様がたがおられたら一緒にお菓子を食べましょう」
「アニエス君と合流しなくても良いの?」
「騎士科の者どもから正義の継承を行っているアニエスの邪魔はできないわ」
「正義の継承…?」
「アルノー・グランデを助け、騎士科の者どもに認められた。これで来年度の騎士科筆頭は実質アニエスのものになるの。少なくともここにいる観客たちはそのように思い込む。いま高等部2年にいる馬の骨がどう足掻こうと奪えない認知だわ」
「あらあら」
今年度高等部2年騎士科にいる馬の骨に該当する人物はひとりしかいない。それがわかる男子陣が黙り込む中でクレールがやんわりと微笑んだ。
「それはお姉様がたが喜びそうなお話だわ。甘いものを食べながらお話して差し上げましょう」
「では行きましょう。殿方は好きなだけアニエスの強さについて議論すればいいわ。それをしたところでアニエスに勝てる可能性は無いけれど」
議論そのものが無駄だと言い捨てたリリは立ち上がると、クレールが差し出した手を取った。
そうして歩きだしながらクレールはにぎやかな観客席を眺める。
「でもこの喧噪はベルナールさんだから起きるのよね。卒業されたら寂しくなるわ」
「卒業したらベルナール・ローランは帝国に攫われるのよ」
「そうだったわね。ますます寂しくなるわ」
「海を挟んでいるけれど隣の国よ。船に乗ってしまえば会えるのだから、アランに飽きたら帝国に行けば良いわ」
リリの過激な言葉に、背後を歩くアランから文句が飛びそれをクロードが制止する。それらに背を向けたままクレールが笑った。
「わたしがアランに飽きるわけがないって、わかってて言っているでしょう」
リリは悪い子ね。そう笑うクレールはもう1年前のような悩みを抱え込む少女ではない。その様子を見上げたリリは嬉しそうに微笑んだ。そんな彼女をいまも歓声が包み込んでいる。




