90.元モブの目覚め
山の勾配を利用して縦に層を作るように高低差をつけて築かれた王都の横に、それらの層すべて使って作られている竜神殿と王城がある。これにより王城の敷地内から直接海へ出ることも可能となっていた。
そんな王城や竜神殿に近い王都中央部の一角に集会場がある。そこは日によって様々な集会や催しが行われ、主に民が知識を得る意図で使われていた。
その日、集会場の看板に『魔術師向け講習会』と書かれているのを確認した彼は会場へ入り込む。集会場の出入りは自由で、どの講習会も理解できるなら年齢を問わず参加できる。
どんな学び舎も広く門戸を開いて身分関係なく学ぶ機会を与える。それは知識を尊ぶ竜王国ならではの傾向だろう。
講習会の最前列に座った彼は、講習会が始まるまでに前回のおさらいをした。前回メモした大量の下手な文字を読みつつ魔力循環なるものを頭に浮かべる。
講習会の初回である前回、先生は基本的な事からと魔力循環について教えてくれた。それは人の体内を魔力が巡るという、彼にとっては目から鱗な話だ。
その講習会から1か月、彼はずっと魔力循環の訓練をし続けた。なので今回また新たな何かを教えられたとしてもついていける。
そんな彼が待っていると講習会の先生がやってきた。最前列にいる彼をちらりと見ても、他の講師のように子供の遊び場ではないと追い出すことはしないようだ。優しくて良かった。そして他の講師たちと違ってこの先生は若い。
長い黒髪は背中で編んでまとめて、小柄な身体は自信に満ちている。先生は元傭兵だが、その時からかなり有名な魔術師だったらしい。
だから教える内容もかなり実戦向けだと、講習会に参加している大人たちも言う。
講習会を何度か受けるうちに彼も少し魔法が使える気がしてきた。そんなある日、講習会が終わったところで彼は先生に首根っこをつかまれる。
「あんたちょっと一緒に来なさい」
「まほうおしえてくれますか!」
「あんたに必要なのは基礎よ」
彼はまだ7歳で、強くなることと空を見上げることしか興味がない。そんな彼にとって先生は特別な存在だった。
なぜなら先生は強さの象徴のような人だから。さらに彼を追い出すことなく、毎回きちんと生徒として扱ってくれるから。
先生に引きずられて海までやってきた彼は砂浜に座った。すると先生はどこからか枝を拾ってきて砂に絵をかき始める。
「人間には魔力を溜めておく器があるんだけど、これは訓練を積むことで大きくできる。だから老齢の魔術師が強いってのは当たり前ではあるよね」
「せんせーはわかいです」
「そうそれ。あたしはガキの頃からひたすら訓練しまくったし傭兵時代も戦場で鍛えたから強いの。つまり必要なのは時間じゃなく、より集中して訓練することなわけ」
「おれはさいしょのこーしゅーからずっと魔力じゅんかんしてます!」
「でしょうね。あんたの魔力が異常に伸びてるのは知ってる。だから今回はこれ。魔力枯渇について教えるわ」
「こうしゅーかいじゃないのにじゅぎょーしてくれるですか」
「あの講習会に来てる連中は専門の魔術師だから、魔力枯渇なんて知ってるのよ。けどあんたは知らないでしょ。クソガキだから」
「たしかにしらない! こかつおしえてください!」
知らない知識が得られると理解した彼は笑顔を輝かせて立ち上がった。そうして先生が砂に描いてくれる絵を眺める。
「魔力枯渇は身体の中の魔力を全部使い果たしてゼロになること。こうなると人の身体は空気中の瘴気すら受け付けなくなる」
「魔力としょーきはおなじなのに、なんで?」
「瘴気って単体だと汚れすぎて身体に良くないのよ。あたしらが持ってる魔力は、その瘴気を自然に流して外に出してくれる。あるいは体内に取り込まずに魔術として活用したりとかね」
「魔力はいいやつで、しょーきはちょっと悪いやつ?」
「そういうこと。だから良いやつの魔力が枯渇して無くなると、瘴気が体内で悪さする。主に臓器不全かな。で、内臓を蝕むと人は死ぬから、魔力枯渇は命に関わる。だからあんたは、どんな魔術を使うにしても魔力を使い切ることだけは避けなさいってこと」
「はい! おれは大きなばくはつやりたいです!」
「んー? どんな?」
「イオナズン!」
「なにそれ」
「どーんってばくはつすると思います。それでメラとかメラミとかまぜて…」
「いやいや意味わかんない。メラってなによ」
「メラは小さい炎、メラミは中くらい、メラゾーマはめっちゃ強い火炎魔法」
「うーーーん、なるほどね」
彼の説明を首を傾げつつ考えてくれる先生は優しくて強い。だから彼は先生のことを第一の師匠と心の中で呼んでいた。
そんな先生は彼の知らない言語で呪文を唱えると地面に黄色の魔法陣を出した。
「これは爆発系の魔法陣。それで?」
「そうしたら、それは空に浮かばせて、地面にメラゾーマの魔法を作って、上からイオナズンでドカーンってやるとちょーすごいあつりょくばくはつ?」
「ああ…なるほどね。上から複数の爆発で圧力かけて圧縮爆発」
彼の話を適切に理解してくれるのはこの世で先生だけだ。少なくとも彼のこれまでの人生で、この話をまともに聞いてくれる人間はいなかった。
しかも先生はそばの魔法陣を消すと海の上に大きな赤い魔法陣を作り出す。
先生の呪文は彼の知らない言語だが、先生はそれを古い魔族の言葉だと言っていた。古代語だと。
そして古代語での呪文詠唱は現代の言語より速く細かい。
先生が呪文詠唱を終えると空に2つの魔法陣が重なるように浮かびあがった。
「やるよ。耳ふさいでな!」
「はい!」
先生の指示を聞いて両手で耳を塞ぐとはるか前方の海に赤い炎が上がったかと思ったらすぐに炎と海水を巻き込んで大爆発が起きた。
それは彼がずっと考え続けていた理論が現実になった瞬間でもある。
「いまのは空に2枚だったけど、枚数を増やせば爆発の威力が上がりそうだよね。でもあんたがこれをやる場合は場所を考えなさい。練習するならここで、海に向けてやること」
「はーい!」
「それと魔力を使い果たすことは絶対にやめなさい。内臓不全になると地獄の苦しみを味わうからね」
「どんな?」
「まず息が吸えなくなる。心臓も悪くなると血の巡りが悪くなって頭に血がいかない。こうなるともう死ぬわ。けどあんたはあたしの弟子だから、死ぬことは許さないわよ。授業料払ってから死になさい」
「あのこーしゅーはタダだよ?」
「魔術師として大成しろってことよクソガキ」
せっかく教えたことを無駄にするな。そんな先生の言葉は彼の中に強く刻まれていた。
教えてもらったことを無駄にするわけがない。魔力循環は常に意識して流し続け魔力の量も増やした。そして先生の教えを守り練習は海に向かって行った。
その上さらに騎士科の仲間たちの手も借りられて、最高の布陣で挑めた。だから何があろうと悔いはない。
なぜなら自分はベルナール・ローランを守って死ぬためにいるのだから。
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ハーティ・ロゼルディアは、帝国が建国した時に宮廷魔術師として王から任命されている。理由は単純でハーティよりも強い魔術師がその場にいなかったから。
幼い頃に「瞳の色が珍しいから高く売れる」と言う父親によって娼館に売られた彼女は、死にものぐるいで娼館から逃げ出した。しかし無力な子供が行ける距離などしれている。
追手の声に怯えた彼女が逃げるため入り込んだ窓の中は宿の客室だった。この中ならしばらく隠れていられると安堵する彼女だが、部屋を借りていたらしい男に見つかる。
むしろ彼は気配も物音もなく最初からそこにいた。黒髪と黒い瞳の、この街にはないきれいな顔立ちと、ベッドに置かれた緋色の宝剣。
彼女は彼から「赤の魔力剣ラディウス」と名乗ってもらえた。だが彼女は何もわからない。
魔力剣とは何なのか。剣が宿で何をしているのか。そしてなにより、あなたは娼館へ戻してしまうだろうか。
自分のこれまでの事情を説明した上で向けた質問に、彼は怪訝な顔を見せた。その上で彼女の瞳を見る。
「魔族の血を濃く受け継いだその瞳は娼館へ売られるためにあるわけではない。私もいまだ持ち主が見つからず旅をしている身だが、おまえが望むならしばらく共にいてやっても良い。その間におまえへ魔術を教えてやる」
「魔法を、あたしが使えるの?」
「おまえの持つ紫紺の瞳はそういうものだ」
それから1年間、ラディウスは彼女と旅をしながら様々な景色と魔法を見せてくれた。そして1年間が終わるとラディウスは彼女を傭兵ギルドに連れていき、その施設の長に預けた。
それ以降の彼女は傭兵として学び、実戦に出て名を挙げていった。そうして様々な国で仕事を請け負い世界を巡りラディウスを探し続ける。
そして16歳の時にビタン王国でラディウスを見つけて、所有者であるロイトヒュウズの下で宮廷魔術師として働いている。
宮廷魔術師の仕事は多岐にわたるが、異国から請われて講師として赴くこともある。けれどあまりにも多くの国に行くため、ひとつひとつを覚えていることはない。
だから宰相からピクニックに行くと言われた時も、次は何を潰すのかと笑った程度だった。どんな魔物も魔獣も敵対国家すらも宰相の策略と十将軍の力の前では敵にならない。だから彼女は本当に気楽な旅だと思っていた。
馬車の窓から身を乗り出して見たはるか前方に巻き怒る炎の渦を見るまでは。
地面にひとつ、空中に3つの魔法陣。それはかつて彼女自身が竜王国で意欲だけは立派な子供に教えた形だった。むしろあの子供の発想から生まれたものだと言っていい。
「宰相、あいつはあたしがやるから」
馬車が停留所についた頃には闇竜の尾がすべてをなぎ倒していた。その瞬間に彼女は結界を張り巡らせて闇竜が前に進むことを阻む。
その間にピクニックだからと私服参加させられた第一部団の精鋭部隊が負傷者を避難させてくれるだろう。彼らは帝国騎士団の精鋭だ。
闇竜は結界を尾で叩き風を当てている。だが彼女の結界を壊すには弱い。
そんな彼女の元へフィーリスがやってきた。茶色の髪と同じ色の瞳と色合いは平凡なのに顔立ちが飛び抜けて整っている。そんなフィーリスは40代に突入したのに年齢不詳と言われるほど老いない。
「ハーティ、オレは離れていたほうがいいか? 下がらなくて良いなら囮になるけど」
「さすがフィーリス、囮作戦最高じゃん」
「だが君の魔法を崩さないか?」
「自惚れんじゃないよ。あたしが空に行けばあんたの影響なんて全無視なんだかんね」
彼女の言葉にフィーリスがふわりと笑う。この男は誰彼構わずそうやってお綺麗な顔で微笑むから罪深い。彼女自身も知り合った当初は魔力を消すから嫌だと避けていたのに、いつの間にかほだされた。
「とにかくまずは宰相が魔法武具使ったら魔物どもぶっ飛ばすから。フィーリスはあたしのそばにいなよ。グレイドルの代わりに守ってあげるから」
「面目ない。でもハーティの魔法を間近で見られるのは嬉しいかな」
「人たらしめ!!」
戦場だというのにニコニコ笑うな能天気。悪態ついたハーティは空へ飛び上がると雷の魔法を走らせるようにして魔物どもを駆逐した。これで精鋭部隊が学生と交代して布陣を組む時間は稼げるだろう。
そうして彼女はいまだ暴れる闇竜を見下ろしにらみつけた。
「あんたの獲物、横取りするけどあやまってやらないから」
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全身の痛みで目を覚ました彼の視界に入ったのは白い天井だった。とたんに彼の脳によぎるのは『彼女』が死んだ場所だ。
病に犯された彼女は、医療機関に独りで入った。その後も独りで病と戦い、薬の苦しみとも戦い、けれど勝てなかった。敗因は孤独にあるのか、あるいは病が強力だったのかわからない。
ただ死にゆく最後の一瞬まで彼女のそばには物語の世界があった。そして彼女はその主人公になり、ベルナール・ローランに恋をした。
むしろ死にゆく彼女にとって、それは恋ではなく命そのものだったに違いない。
彼女の命、人生、世界のすべて。だから彼女は攻略情報とやらを広く世界に拡散して、皆に後のことを託した。その物語を愛するすべての人間がベルナール・ローランを幸せにしてくれるようにと祈って。
そしてそんな『彼女』の記憶を持つ彼も、同じようにベルナール・ローランを幸せにしたいと思った。闇竜イベントから彼を守ってやりたいと。
だからそこで死ぬのは本望ではあるが、この白い天井は理解できない。
死んだことで『彼女』の世界に来てしまったのだろうか。だがそんなわけがない。
だって彼女は1000年前に生きた人間なのだ。
「いや、頼んだのはおれだけど、大神官にそこまでさせるのはおかしくないか」
扉が開く音と共に会話が届く。
「しかし患者の治癒とお世話は我々の約目ですよ」
「いやアレはただのガキだから。寝てりゃなんとかなる」
「背中や内臓に重症を負った方です。治癒を行った後も経過観察をしつつお世話しなければ」
「目が覚めたら学園に放り投げてやりゃいいよ」
「ひどい!!」
どう聞いてもこちらを雑に扱おうとしているイリアンデの声に、彼はかすれた声ながら返した。とたんにイリアンデが枕元にやってくる。
「生きてたのか」
「生きてますよ! むしろなんで生きてるのかわからないし目覚めに放り投げるとか言われちゃってるしなんなのもう。あと全身痛いのなんですか? 筋肉痛かなこれ」
「おまえがバカだからだろ」
「ひぇ、酷いが過ぎる」
イリアンデの無慈悲な言葉に半泣きになっていると、白い神官服の男性がやってきた。清楚な女性と見まごうほどの綺麗な人の登場に彼も口を閉ざす。
「はじめまして、わたしはヘリス・ミッシャードと言います。グレイロード帝国王都にある大神殿におります」
「神の寵愛を受けて、14で大神官になって15で聖騎士団長になった偉いさん」
「イリアンデさん、わたしは偉くないですよ」
「バカ野郎の背中をキレイに直したあんたの奇跡は偉いさん扱いされていいとこだよ。あんたが来てくれなきゃバカの身体も戻らなかった」
そう告げたイリアンデは、ヘリスと名乗った美人の肩を叩いて部屋を出ていく。それを見送ったヘリスは少し照れたように頬を赤らめていた。
だがすぐにそのままの笑顔で彼を見る。
「アルノー・グランデさんでよろしいですか?」
「はい。王立学園騎士科3年のアルノー・グランデです」
「まず先日の戦場であなたは瀕死の傷を負いました。魔力が枯渇した状態で背中に岩の破片が突き刺さり、一部は肺を損傷していたようです」
「それは死にますね」
「ええ、適切な処置が……いえ、違いますね。あの場に戦神ロールグレンが現れて、あなたに羽根を与えなければ命の炎は消えていたでしょう」
「戦神…ミシェル君が?」
「あなたにお菓子を貰う予定だと聞きました」
「そんな話をしたかもです。あの子かわいいから、なんかお菓子とかあげたくなっちゃうので。でもそれで命を救ってもらうのはすごい代償が」
「それだけではないのです。戦神ロールグレンはあなたのご友人に、羽根を媒体として魔力を注ぐよう言われました。しかしそれだけでは治癒が届かない。あなたはおそらく、この国で魔女と呼ばれる強い魔力を持つ者のそばにいたのではないですか? そして彼女が撒き散らす魔力を近くで受けてきた」
「そりゃあ…ずっと新入生の監視をしてましたから。でもおれはモブなので、魔女の妙薬だのクッキーだのは食べてないです」
「制御することなく魔力を放出する。それは常に高濃度の瘴気を撒き散らしているのと同じです。そのためあなたの体内は穢れを溜め込み魔力循環すらうまくいかない状態でした」
魔力循環すら滞る。その説明に彼―――アルノーは素直に驚いた。
「今まで普通に過ごせてましたよ」
「それはあなたの中にある膨大な魔力が止まることなく循環し続け、穢れを留めなかったからでしょう。しかしその魔力がなくなると穢れはその場に留まり身体を蝕み始めてしまう」
「だから…治癒が届かない? その穢れが治癒魔法も神官様の神聖魔法も邪魔するから?」
「そうですね。なのでフィーリス様が……えっと、リリのお父様です。あの方があなたの身体に竜の浄化を流し込みました。しかし浄化をしたそばから魔力を流し込み循環させなければ、あなたの治癒が間に合わない。なのでその場にいて魔力を持つ学生は全員があなたに魔力を流しました。なにせ流すそばから竜の浄化でかき消されるので、全力で魔力を流しても半分ほどしかあなたの中に流れないのです」
「本気の竜の人ってすごいんですね」
竜の浄化により高濃度の瘴気を浄化する。しかしそれはアルノー自身の体内だけで、周囲にいる人間たちの魔力は浄化でかき消されない。
そんなことはあのリリではできないだろう。なにせ彼女はシオン・トリベールを救う時に周囲すべての魔力も消してしまったらしいから。しかもそのせいでベルナールは9日ほど寝込んでいたのだ。
もちろんその間のアルノーは、寂しくて死ぬ思いをしていた。
「そうしてあなたの身体は多くの方々の魔力と戦神の羽根に生かされました。もちろんその場で治癒を行ったアニエスの力も大きいでしょう。わたしはその後であなたを少し治癒しただけ。なので、ここでわたしは偉くないのです」
「みんなで助けたから、手柄はみんなにっていう」
「そうです。あなたは聡明な子ですね」
「えええありがとうございます。でもちょっと疑問なのですけど、大神官様はなぜここに? あとイリアンデさんも……」
そもそもなぜあの戦闘実習の場に、戦神や大神官 がいるのか。そこがわからないアルノーは全身の痛みに耐えつつ起き上がった。そうして自分が上半身裸であることに気づく。
「今回のピクニックに参加したのは宰相様、近衛騎士団長様、宮廷魔術師様、第一部団長様、聖騎士団長であるわたし。そして第一部団精鋭部隊です。でもそもそもこれは、イリアンデさんが謁見の間で、陛下や十将軍の前で頭を下げたところから始まります。あなたが先祖返りであること、闇竜が現れる可能性。それらを話した上で盗賊の頭たるあの方は国家に頭を垂れました」
「いや、でも、そんな、ことで帝国騎士団が動くんですか」
「帝国王都を裏から仕切る盗賊の頭はけっして国家に属さない。それはそうなのですが、あの方は建国以来その立場だからできる形で陛下をお守りくださいました。陛下が王都と民にとって重要な方だからです。けれど盗賊の頭だからその礼は受け取らず、我々の仲間となることもない。そのような方が頭を下げてまで助けてやってほしいと言ったのです。あなたがもしお礼をとおっしゃるなら、イリアンデさんを差し置いて他におりませんね」
「そう…ですね。月夜の物語だと副団長しか助けない人でしたけど、おれみたいなモブも助けてくれるのかと驚きがすごいですけども」
『月夜の物語』を持ち出して驚いていると告げたアルノーにヘリスも笑った。
「命の危機に瀕した方がいるなら助けることはいたしますよ。それより起き上がっても問題がないようであればシャワーを浴びられますか。着替えは……あなたの衣類は大きく破損していたので、こちらで用意いたしました」
「ありがとうございます!」
はつらつと礼を言ったとたんに腹に力が入ったからか高らかに空腹を伝えるラッパが鳴る。とたんに口を引き結んだアルノーの目の前で、ヘリスは安堵したような笑顔を見せた。
「空腹を感じるのは生きている証です。元気になって良かったですね」
そう告げたヘリスに頭を撫でられたアルノーは、ほんのり香る花の匂いや大神官の聖母みに顔を真っ赤にさせていた。




