86.ピクニックの主犯
基本的に魔物は死ねば黒い灰に変わる。これは野生動物が瘴気に穢れ魔物に変化した際に一度死んでいるからだとされていた。
既に死んでその身は朽ちているから、2度目の死を迎えた時に骸として残らない。
だがその闇竜は、その原則を無視して死んですぐ黒い灰にはならなかった。焼け焦げた骸は闇竜だった時よりさらに黒くなったが灰になる速度が遅い。
その様子を眺めていたローティス・フィレントは、おもむろに闇竜の骸へ近づき鱗を2枚剥ぎ取った。
それぞれ鱗の裏側を見れば、どちらも焼け焦げることなく残った美しい緑色を見ることができる。
「おじさま、お父様が王城へ行くのだけど……おじさま?」
背後から可憐な声が届いたためローティスは小さく嘆息を漏らし表情を作りながら振り向く。すると白を基調とした帝国風の乗馬服を土や血に汚した琥珀色の少女がいた。
「お疲れ様。リリは伝言係をしてくれているのかな?」
「ええ、お父様とルクス様はこの後のことをお話しているから」
「そうなんだね。言伝ありがとう」
「ねぇ、おじさま?」
「なんだい?」
可憐な瞳に見上げられローティスは笑顔で返す。するとこの地ではリリと呼ばれる少女はローティスを見つめたまま首を傾げた。
「おじさまは怒っておられるの?」
「ああ……君にはそう見えるんだね」
「ええ、見えるわ。何に対して怒っているのかわからないけれど」
「そうだね。きっとこれは僕の心の問題だよ」
「感情は心から発生するものなのだから、それはそうでしょうけれど」
怒りは心から発生する感情のひとつだ。だから心の問題ではあるが、怒りの原因説明になっていない。そんなリリに2枚の鱗を持たせたローティスは、彼女の背中を押して踵を変えさせた。そうして闇竜の骸から離れるべく歩き出す。
闇竜の骸から離れ、その周辺にある地面のえぐれた場所も抜ける。そこまで離れたローティスはリリに後ろを見ないよう告げた。
その上で左手首につけていたブレスレットをはずす。
「―――天地にあるは光と闇の刃。相反するそれを汝はひとつとなることを禁じた」
ローティスが簡略的に唱えれば闇竜の骸を挟むように天地に魔法陣が現れる。上空に現れた白い魔法陣と地上に現れた黒い魔法陣は回転しながら空気の渦を生み出した。
たちまちに沸き起こる突風に天幕が揺れて私服姿の騎士たちや学生たちがざわめく。
「汝が禁じた黄昏の刃を、ここに開放する」
それはこの大陸でも帝国があるガイアイリス大陸でも使われていない魔術形式である。そのため最小限の魔力で絶大な効果をもたらす。
「黄昏の抱擁」
最後の一文を唱えた途端に上空の魔法陣から白い渦が現れ、地上にある魔法陣から黒い渦が現れる。それらは闇竜を包みながら渦を巻き混ざり合い、竜巻のように周囲に風を起こしながら細く収縮してかき消えた。
そうして風が止むとそこは闇竜の骸含めすべてが消失している。
「おじさま、後ろを見ても良いかしら?」
「もういいよ」
リリの問いかけに返しつつブレスレットをつけ直す。するとすぐに琥珀の瞳がローティスを見上げ、そして闇竜の骸があった場所へと向けられた。
「キレイに消えてしまったわね?」
「あの竜もこれ以上は骸を利用されたくないだろうからね」
「やっぱりおじさまは優しいわ」
「みんな僕のこと悪魔って言うんだけどね」
「優しいからこそ汚れ役をになうのでしょう? お父様が言ってたわ」
父親の受け売りと告白するリリにローティスは笑ってしまう。そうして今度こそリリを連れて天幕のそばへ戻った。
その合間にリリから鱗を受け取ったローティスは、リリから裏が緑だと指摘される。
「でも不思議ね。闇竜は魔物だから黒い灰になるのだと思っていたわ」
まだ14歳のリリは今回の闇竜がどのように作られたのか予想もしない。だから単純に魔物だと認識しているのだろう。そう思いながらローティスは笑顔で不思議だねと返す。
とたんにリリはその愛らしい顔をしかめてわかりやすい不満を見せた。
「おじさまはわたくしを子供扱いしておられるわ!」
「いやいや、おじさんだってわからないこともあるからね。ああ、ほらマティアス君を見つけた……マティアス君はどうなってるのかな?」
天幕のそばでマティアスを見つけたローティスは、前髪が無駄に長い男子学生を指差した。彼は今も赤い頭のままでいてくれるノワールの前に立ち、なぜかノワールに前髪をイジられている。
「わたくしの可愛い子犬は、ノワール・ブレストンに憧れてあの魔法武具を作ったのよ」
「あー……そうだった。魔法武具を使うと赤い髪と目になるのは憧れに近づくという…いや、しかしだよ。あれはもう恋する乙女の顔じゃないかな」
「いいえ、あれはいつものマティアスよ。ベルナール・ローランが相手でもあんな顔になるのよ。だから恋などではないわ」
「実の兄に恋をしているパターンなんて帝国なら腐るほどあるよね」
「おじさま! あれはわたくしの子犬なのよ!!」
その誤解は絶対に認められないと声をあげたリリの元へミリュエルが走ってきた。あげく可愛いと言って抱きしめればリリの機嫌が少し改善される。
その様子を見たローティスは眉を浮かせた。
「君はこの子の扱いが上手なんだね」
「ええ、わたしには3人の妹がおりますもの。あっ! ローティス様、エクレアご馳走様でした」
「それは僕じゃなくイリアンデ君が」
「ご馳走様でした。そして次はローティス様をいただいてご馳走様と」
「ミリュエル!!!!!」
「あなたそれは駄目よ!」
笑顔で過激なことを言うミリュエルを、近くで様子を見ていたアドリエンヌとアナベルが止めた。だがブリジットは止めることなくリリのそばにやってきて、ミリュエルの手を離させる。
そしてリリはそんなブリジットを見上げて問いかけた。
「ブリジットお姉様? ミリュエルお姉様はおじさまの何をいただくおつもりなのですか? 確かにおじさまは何でも持ってそうですけども」
「婚約指輪よ」
ミリュエルの発言を卑猥なものだと気づかないリリへ、ブリジットは笑顔で嘘を教えた。とたんにリリはなるほどと納得する。
「1年間は会わないという条件は達成したのだから、次は婚約の話をと言うことですね」
「ええ、というわけでリリは天幕へ行きましょう。聖騎士の方がリリを探していたわよ。あなたは念入りに消毒しなければならないもの」
竜は穢れに弱いからと言わず、ブリジットはアドリエンヌに後を任せてリリを連れて行く。それを見送ったアドリエンヌはミリュエルの横に進み出ると、改めて頭を下げた。
「ご助力ありがとうございました。竜王国筆頭侯爵オーブリー家の娘としてお礼申し上げます。おかげを持ちまして死者を出すことなく事なきを得られました」
「さっきも言ったけど、僕たちはピクニックに来ただけだよ」
今もなお周囲には私服姿の騎士がいて、学生たちが落としていった装備などを拾い回収してくれている。さらにそばにある天幕の中にはわかりやすい神官服の神官がいて、学生たちの傷の手当もしてくれた。
こんな状況でもローティスは「ピクニック」だと言って譲らない。
だがアドリエンヌもオーブリー家の娘としてそれを流すことはできなかった。
「騎士科の学生たちを守るため組織だって魔物と戦闘してくださり。さらに闇竜という魔物を倒してくださった。これはただ人がピクニックに来られたのでは得られないほどの助力です」
私服姿だろうが帝国騎士は帝国騎士である。魔物討伐に関する経験は竜王国の学生たちの比ではない。その助力だけでもありがたいのに、十将軍まで来ている。それは本来なら国家をあげて謝意を示すべきことだ。
なにせ闇竜はその呪いにより確実に竜を殺す魔物だというのだから。そんなものが王都に行けば悲劇しか生まれない。
そうして頭を下げるアドリエンヌを前にしたローティスは苦笑をこぼすと、天幕から出てきたハーティを手招きした。
呼ばれたハーティはローティスの元へ走ってくるが、アドリエンヌたちを見て眉を寄せる。
「他の女子たちは帰ったけど、あんたたちなにやってるの?」
「ハーティ君に紹介するね。彼女は竜王国の筆頭侯爵家オーブリー家のご令嬢でアドリエンヌさんだよ」
「あー……そっか。なるほど。それで?」
「ピクニックに来た僕たちに感謝したいらしい」
「それはいらないわ」
ローティスの説明にハーティはあっさりと言い放つ。それに驚いたアドリエンヌは頭をあげてハーティを見た。
「しかし宮廷魔術師様。貴方様が闇竜を倒してくださらなければ、我が国は大惨事に見舞われていました」
「さっき男どもにも言ったけど、あの闇竜が普通の闇竜ならあんたたちだけで倒せてたよ。ただ今回は例外的な作られかたをしてて、そのせいで耐久性が強かったってだけ」
「ではなおのこと感謝を示さねばなりません。竜王国筆頭侯爵家の娘として、礼儀を尽くさなければ」
「ああ、なるほどね。宰相が呼んだ意味わかったけど、なおさらいらないわ」
「なぜですか」
「だって数年後には筆頭侯爵家の娘じゃなくなるでしょ? たぶん」
ハーティの言葉はすべての貴族令嬢にとって残酷なものだった。竜王国では基本的に女は家を継げず、いつかどこかへ嫁ぐことになる。だからアドリエンヌも、言われた通り数年後にはどこかに嫁がされて筆頭侯爵家の娘ではなくなる。
この国の実質的な頂点に立つ立場を降りて、どこかの家の嫁として埋もれる人生しかない。
「わたしは…確かに、筆頭侯爵家の娘という価値を失いますが……」
「いやそうじゃないよ。価値とかじゃない。ホントにあたしはこの話を認めてないし、そっちも認められないと思うんだけど。うちのバカ息子、卒業式にあんたを誘拐するつもりらしいから」
「……はい?」
「そうだよね。驚くよね。わかるよ。あたしみたいなのが、義理とはいえ母親になるとか屈辱だろうからね。だからあんま言いたくなかったけど、娘になるかもしれない子のためなら闇竜くらいぶっ飛ばすってことだよ」
ハーティの発言からかなりの間を開けてアドリエンヌは何かに気づいたように赤面した。
「まっ……まことに…そんな……ええ??」
「なるほど、魔力測定器を壊したのはお母様の血筋なのですね」
「ディートハルト君のお母様が想像より可愛らしくてびっくりね」
真っ赤な顔で戸惑うアドリエンヌに代わり、アナベルとミリュエルが感想を述べる。その上でミリュエルはハーティとローティスとを見やった。
「未来の妻と未来の娘のために動いたという理由なら、侵略行為になりませんよね?」
「なるよ。そこは誤魔化せない。だから僕たちはピクニックに来ただけだと言い張るしかない。そしてアドリエンヌ嬢にも黙っていてもらわなきゃならないんだよ。もし言うとしても、ディートハルト君のお母様に助けられました〜という程度が望ましい。実際に主力はこちらのハーティ君だったからね」
「未来の妻のために〜は駄目ですか」
「君はまだ卒業まで1年もあるからね。それまでに愛しい人を見つける可能性が」
「ないです。あるわけないです。わたしの地獄を消した上でエクレアをくださった方を今すぐ押し倒したいくらいです」
「君はたまに知性より感情を優先しがちだけど、それは良くないよ。あと僕はこれまでの人生で地獄を作ったことはあるけど、地獄を消したことはないしエクレアもあげてないよ」
ミリュエルとローティスの応戦を眺めていたハーティはふと眉を浮かせた。
「今回のこれを言い出したイリアンデが言ってたやつ? 賭博場で宰相が薬物飲まされたって」
「ハーティ君、それは言わない約束だよ」
「いきなり長期休暇取って文官長を泣かせたアレ。この子のためだったんだ?」
「ハーティ君、聞こえてます?」
「うん、聞こえてる。だけど宰相は失恋こじらせ過ぎてたから良かったって思ってるよ」
「僕は恋をしてないです」
「そうだよね。恋より重い何かだよね。わかるよ。他国出身者がビタンで男相手に抱いて混乱するパターンたくさん見たから。でもそろそろ結婚したほうが良いよ」
「元傭兵の君がそれを言うとは思わなかったよ」
「元傭兵だからでしょ。あんたはフィレント侯爵として身を固めてないから、出身国に縛られてるんだよ。宰相、竜王国出身でしょ?」
その追求にローティスは目を丸めハーティを見つめた。そしてハーティも、その反応を答えとするようにうなずいて返す。
「あたし以外は気づいてないから大丈夫だよ」
「後学のために聞くけど、なぜわかったのかな」
「理由はいろいろあるけど、それ」
語尾とともにハーティはローティスの手元を指差した。
「竜の鱗を持ってるのを見て確定した。あと宰相が自分で魔術を使ったのはアレでしょ。あたしの持ってる魔法に消滅系がないから。だから自分で言語魔法の禁呪を使ってまで闇竜の骸を消した。それって殺されて闇竜にされた竜がこれ以上利用されないためでしょ?」
「……そうだね。命の冒涜でしかない」
「竜王国民の思想だよ。その鱗も竜神殿に持ってくつもりなんでしょ。もし宰相が行きにくいならあたしがやっておくよ? あたしが鱗を拾ったことにして、ルクスに持たせる」
「それは助かるよ」
ハーティが向ける親切をローティスは素直に受け取ることにした。この元傭兵は傭兵らしく見る目がありすぎる。そして傭兵だから仲間の嘘を嫌う。
だからと鱗を1枚渡したところ、ハーティは残り1枚を指差した。
「それはどうするの?」
「これで魔法武具を作って王城に献上するよ。竜は鱗の色を問わず雛を守るものだから、きっと今も眠ってる陛下の助けにもなるだろう」
「それ、めっちゃ竜王国民っぽい。っていうか、宰相って魔法武具作れるんだね」
「まぁねぇ」
もうバレてしまったからと、ローティスは軽く笑って答えた。その上でローティスはアドリエンヌを見る。
「子供の頃にこの国を出た僕だけど、この国を想う心は無くしてない。だからピクニックだなんだと手を出すけど、恩は感じないで欲しい」
「しかし今のあなたは帝国宰相という立場ある方です。出身だからという理由で礼を向けないのは」
「それを言い出したら僕の知性の土台となったのはトリスタン・デュフールだよ。僕が帝国で宰相となったのは、彼が僕に知識を得る楽しさを教えてくれたからだ。そして竜王国では昔から9つの侯爵家が助け合い支え合ってきたじゃないか」
感謝を必要としない本当の理由として、ローティスは目の前で驚くアドリエンヌたちに告げた。
「かつてローラン侯爵家の人間だった者として、君たちを救うくらいするよ。もちろん可愛い甥の成長を阻害しない程度でだけどね?」
笑顔で手加減していると言うローティスに、アドリエンヌが驚き過ぎて声にならない声を漏らした。そのそばで告白を見ていたハーティはどこが手加減なんだと笑う。
玉座を守る役目の近衛騎士団長とブレストン公爵という強過ぎるふたりを動かして、天幕の中には聖騎士団長まで待機させている。そこまでして手加減というのなら、宰相の本気とは何なのかと誰もが言いたくなるだろう。
だが珍しく宰相の人間らしい姿が見られて楽しいハーティは、その部分を追求することはしないことにした。




