84.リリの父親は底なし沼
かつて緑竜だったというその闇竜は動けば俊敏で、さらに風を操る。この風が厄介で砂を巻き起こし突風を吹かせるだけでなく空気を圧縮した物を撃ち込んでくる。
だがどれほど圧縮されて固くなろうとも空気である以上は視認できない。
「なんであの人はひょいひょいとアレを避けられるんだろね」
意味わかんないわとぼやいた女性は、背中に垂れる黒い三つ編みを揺らしながら走っていた。そんな彼女の後方には広範囲で爆発の跡が残っている。
「あのちびっ子のアレなんだっけ…ああ、メラメラミメラゾーマだ。炎を4つ集約させるための魔法陣を地面に敷き詰めて、その上に3連の爆破魔法陣を仕込むことで地面から吹き上がる炎が圧縮されて爆発? アイツの発想もわけわかんなかったんだ」
「氷で闇竜を囲った場所にその魔法陣を敷いたらどうなる?」
走りながらぼやく女性の隣を走る茶髪の男がまだ遠い場所にいる闇竜を指差して言う。とたんに紫紺の瞳を見開いた女性は男を指差した。
「さすがフィーリス。悪巧みも天才じゃん」
「いまのは悪巧みだったかな」
「じゃあ氷よろしくね! 戦神様に溶かされないくらい大きいやつだよ! あの闇竜は一撃でぶっ飛ばしたい」
そう告げた女性は男から離れるべく空中高く飛び上がった。そうしてひとり、草がえぐれた地面に立った男を闇竜が見つける。
生前がなんであれ、魔物である限り竜の雛を見つければ襲って食らおうとするものだ。そして闇竜も類にもれず男を見つけるとまっすぐに向かってきた。
そんな闇竜を見上げながら笑いをこぼす男の瞳が、琥珀色から深い海の色へ変化する。
彼は最初から、闇竜を引き寄せるための囮として動いていた。闇竜がこれ以上学生たちを狙わないように。そしてその後方にいる女子生徒たちと、そこに紛れた娘に気づかないように。
「落ちろ」
藍に近い青色の冷徹な瞳で命じると闇竜の頭上を強襲するように無数の巨大な氷が落下してくる。その氷は闇竜の翼を破りへし折り、その突進を止めるように周囲を塞いでいった。するとその氷が塞ぐ箇所を有に超える広範囲に八枚の魔法陣が天へ向かうように連なり並ぶ。
それを見た男は苦笑いを浮かべると全速力でその場から逃げ出した。だがすぐさま男の後方で複数の爆音が重なり響き、次の瞬間には男の背を爆風が襲う。
爆風に飛ばされた男は地面へ落ちる前に金色の甲冑騎士に抱き支えられた。あげくそこからさらに下がった場所におろしてもらう。
「大丈夫か?」
「はい。ハーティの魔法が予想以上でした」
「そうだな。ピクニックで打ち上げるには派手な炎だったな」
「近衛騎士団長殿は、そのピクニックネタが気に入られたようですね」
いまだ吹き上げる炎の渦の中で闇竜の絶叫が響く。その凄惨な光景を眺めながら言う男に金色の甲冑騎士はよそを見るように兜の向きを変えた。
「気が楽ではあるな」
正式な遠征ではないから肩書や礼法を気にする必要がない。だから楽だと言うのが、この近衛騎士団長の本音だろう。
そう思いながらも男は恐ろしく長身な相手の顔を見上げる。
「近衛騎士団長殿は誠実で真摯な方ですが、たまには気を抜くのも良いことですよ」
「そうだな。だがこの後で娘の男関係をどうにか…いや、気にする必要もあるからな」
「ああそうでした。ベルナール・ローラン君は無事でしたか?」
「……どうだろうな。彼らは俺達と違って人の死を見たことがない。そしてアニエスは、同僚の死や魔物と戦う危険性を知っていても、弱者を支える技量がない」
「死者が出たんですか?」
「まだ死んだと聞いていないが、危険な状態の学生がいる。フィーリスにそちらを任せても良いか」
「わかりました。近衛騎士団長殿はどうされますか?」
自分の役目を引き受けた男が問いかけると甲冑騎士は空を指差した。そこにははるか上空で巨大な炎の玉を作る青騎士がいる。
「ノワール殿が何をされるのか間近で見たい」
「なるほど。楽しいピクニックになりそうな炎ですからね」
あの戦神は森を焼き尽くすつもりだろうか。そう思いながらも言葉にすることなくふたりは別れてそれぞれの方向へ進む。
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リリにとって今日は3度目の戦闘実習で、2度目の戦場だった。
初めての戦場は2年前。見学のためやってきた戦闘実習の中に中位魔物が現れたのが発端だ。
そして今回は闇竜が現れた。そちらに関してはアルノーを中心とした騎士科がやるというから、リリは言われる通り後方支援の中にいた。
高等部のお姉様がたに囲まれて、小さいだの可愛らしいだのといつも通り可愛がられる。そんな平和な空気は闇竜が尾を一度振るっただけで壊れてしまった。
むしろアルノーのあの爆炎魔法であれば通常の闇竜なら死んでいたはずだ。竜の骸から生まれる闇竜は脆い身体をしているのだから。
だがそれでも死なない異常なソレは多くの学生をなぎ払った。
軽い擦り傷や切り傷だけなら良い。骨折した者や意識のない者は治すのに苦労する。骨はまっすぐ繋げるのに集中力が必要で、意識のない者はどこが悪いのかわからない。
そんな中でただひとり魔法の使えないリリは、周囲の手伝いに奔走した。包帯が切れたと言われたら荷物へ取りに行き、消毒が終わったと言われればまた運ぶ。さらに捻挫が痛いからすぐに治せと、重症度順を無視した者の対処もリリが行った。
騎士科の男子生徒も他と同じで砂糖菓子に弱い。リリがどこが痛いのかと問えば格好つけるために痛くないと言う。ただ全力で魔物と戦いたいから、速く戻らねばと気が競ってしまうのだと。
そんな相手にリリは言うのだ。治癒が後回しということは命に別状がない証で、それはあなたがうまく攻撃を避けたからだと。
だが少し休憩は必要だから、足首を固定したらそのまま座っていて欲しい。
そうリリが告げるとなぜか顔を赤らめた男子生徒はもう大丈夫だからと立ち上がった。そして砂糖菓子が怖い思いをしないよう頑張ると前線へ走っていく。
そんなことをリリは何人も行った。そうして視線を落としたまま女子生徒たちを手伝って手伝って、暴れる闇竜にも森から湧き出る魔物も何もかも無視した。
そうして現実から目の背けて、己の無力さや不甲斐なさすらも無視し続ける。
「そうか。打ち負かされるということは体勢が悪かった可能性があるな。走ってくる相手には体勢を低く迎えるものだ」
耳を塞ぎ心を塞いでいたリリの耳に異様に落ち着いた声が届いた。リリの背後で交わされる会話の最後に男子生徒が礼を言う。
「肩がはずれたなら戻すしかない。治癒魔法では治らないよ」
落ち着いた声の後にゴキッと痛そうな音と周囲の小さな悲鳴が飛ぶ。音が痛そう。あれは男じゃないと治せないかもとささやく声を聞きながら、リリは視線を持ち上げる。
そうして見上げた先に今のリリと同じ色合いの人がいた。
「あ」
かすれた声の代わりのように大粒の涙があふれてこぼれる。同時に闇竜や魔物に対する恐怖がこみ上げてきて、リリは声をあげて泣いてしまった。
すると相手は苦笑とともにやってきてリリの頭を撫でてくれる。
だが抱きしめることも慰めることもせず、父はよそに目を向けてしまった。それが寂しくてリリは立ち上がると父の後を追うように生徒たちの隙間を進む。
そうしてアニエスを見つけ近づくと、地面に横たわるアルノー・グランデを見つける。
うつむいて手伝いばかりしていたリリは知らなかった。爆炎魔法のその後で尾が振るわれたその中にアルノーがいたことを。そして彼がやられたことで、ベルナールが自失してしまったことも。
アニエスは治癒魔法が効かないこと、戦神の羽根がベルナールの魔力と共に体内に入ったことを報告してくれる。だがリリにはそれで治癒魔法が効かない理由がわからなかった。
「戦神ロールグレンの羽根は命の炎を燃やす媒体。ベルナール・ローランの魔力を燃料にして燃えるはずよ」
「瘴気疲労は穢れから起こる。だが神聖力しか持たない者だけがそうなるわけじゃない」
わからないというリリのそばにしゃがんだ父がアルノーの額に手を乗せた。そんな父にアニエスが問いかける。
「アルノー殿は瘴気疲労を起こしていたんですか? しかし彼はいつもと変わらない状態で、強力な魔法も使いこなしました」
「穢れを泥のようなものと考えてみると良い。神聖力しか持たないアニエスの川は清らかだから、その泥に水が汚れて体調を崩す。だが魔力を持つ者は自然な川に近いから泥が流れても問題ない。だが川の水そのものがなくなったらどうなる?」
父の問いかけに、アニエスだけでなくベルナールも目を見開いた。
「泥が溜まって固まり水も流れなくなる…。では俺が魔力を流し込んでも魔力循環ができないのでは」
「ああ、だがそれならその泥を取り除いてしまえば良い話だ。だけど君ひとりの魔力では足りないかもしれないから……」
父はそう言いつつマティアスに手を向けた。
「君の魔力が終わったら彼を頼ることにしよう」
「アルノーにそれほどの量の魔力を流し込んで大丈夫ですか。弟のマティアスは魔力量が特別多いですが」
「オレの力は泥を除去できるが、同時に君たちの流す魔力も消してしまうんだよ。むしろ穢れの量によってはここにいる全員の魔力が必要になる」
「ああ……そういう」
何かを理解したベルナールはちらりとリリを一瞥する。そんなベルナールの反応に父もリリを見た。
「リリは彼に何かしたのか?」
「わたくしは何もしていないわ」
「フィーリスさん、ベルナール卿はいま生物としての格差を目の当たりにしたんですよ。王立学園の砂糖菓子は攻撃力強めですが、フィーリスさんは正統派可愛いの代表なので」
アニエスの説明を聞いた父は照れたように笑った。アニエスは可愛いというが父はこれでも42歳の男性である。竜の雛であるためか他の人より若々しく、さらに温厚な性格が表れたように優しげだが。
そんな父はやるよと告げて再びアルノーの額に手を乗せた。すると音もなく父の髪が青く染まり、その瞳も深海のような深い海の色に変わる。
「姉上! ラピスラズリだ!」
そしてその光景を目の当たりにしたマティアスが報告するように声を上げてしまった。その反応にも父が笑う。
「君たちの友人はおもしろいね」
「お父様、マティアスは友達ではないわ。わたくしの可愛い子犬よ」
「……ん?」
マティアスを友人扱いされたリリは誤解されたくないと父に反論する。そんなリリの目の前で父は驚いたような目を向けてきた。
「友人まで犬扱いしてるのか?」
「だって子犬のように可愛いのだもの。それにわたくしは砂糖菓子扱いされているのよ? 生き物のほうがよっぽどマシよ」
「竜王国で砂糖菓子扱いは最上位の称賛だ。竜王国の風習を尊重しろと言わなかったか?」
「言いましたとも!」
反論の余地もない正論をぶつけられたリリは頬を膨らませる。それを見てまた苦笑した父はベルナールに魔力の勢いを強めてと優しく告げた。
「彼の身体は君が思うより大きな器を持っている。それにオレの力が浄化した川にすぐ水をやりたい。だから君は遠慮することなく魔力を流し込んで欲しい」
「遠慮は、してません。集中ができていないだけです。俺が未熟なので」
「違うよ。そんなことはない。友人がこんな状況になって動揺しない人間はいない。ただこの中で最も強い魔力を持っているのが君と弟君で、そんな君たちだから彼を助けられる。それだけだよ」
父の言葉を受けたベルナールは空色の瞳を揺らす。きっと彼はいまこの瞬間でもリリより強い罪悪感に支配されていたに違いない。
そしてそれをいま父が破壊した。
落ち込む相手の心のトゲを取り除き、前を向かせて、最善を尽くさせる。グレイロード帝国騎士団の中で長らく父の親衛隊が存在する要因とされている部分だ。
「戦神ロールグレンが羽根を置いた時点で、君は魔力を流すよう言われただろう?」
「はい。助けろと言われました」
素直に答えるベルナールの頬に父が手を伸ばす。そうして父が親指でぬぐいとったのはベルナールの頬を汚す血痕だ。
父はぬぐいとった血のついた親指をベルナールに見せる。
「大丈夫。君の親友は助かるよ。だから一緒にがんばろう」
父のその優しい言葉は底なし沼の入り口だと、ベルナール・ローランは知らない。だから父の言葉に心ほだされ緊張が緩み、いつもの集中力も取り戻せるだろう。
反面で、こうなってしまうと父の優しさの虜になり数日後には忠実なファンの出来上がりだ。それはそれで困るリリはアニエスを見やった。
すると視線に気づいたアニエスは笑顔でリリを見る。
「フィーリスさんの親衛隊が増えそうで良かったね」
「良くないわよ!」
リリの父親は子供の頃に母を亡くして異国のグレイロード王国へ移り、フィーリス・レイランドという名で生きてきました。
本名はカイン・ブレストン。
現ブレストン公爵で『人の腹から生まれた竜』で、リリの父親らしい超絶甘党です。




