78.アルノー君と不法侵入者
「今日も元気だ。ベルちゃん最高かわいいだいすき! いくぞ!」
扉の前で気合を入れながら施錠を解いた騎士科3年のアルノー・グランデは勢いよく扉を開かせた。
「よし! ベルちゃんが来る前……に」
全力で窓を開けて新鮮な空気を取り込み爽やかな気分で仕事をしてもらいたい。いつものようにその願望をかなえるべく取り掛かろうとしたアルノーは扉を開け一歩踏み入ったその姿勢で固まった。
そんな彼の前方―――生徒会長の執務机に大柄で筋肉質な男が座っていたのだ。
「そこ閉めろ」
驚愕に固まるアルノーへ、恐ろしく極悪な雰囲気の男から命令が飛ぶ。そのためアルノーは全身から汗を吹き出しつつ扉を閉めた。
そこで自分も部屋の外に行かなかったのは、騎士科としての矜持だ。不審者を放置して逃走する騎士はいない。
しかもここは、自分の最推しであるベルナール・ローランとの思い出が詰まりに詰まった聖地なのだ。
「どっ…どうやってここに忍び込んだのか知りませんが、ここに金目のものはありません!」
「そんなことはわかってる。それよりおまえ、なんかデカい皿とかないか」
「皿? お高くない皿ならありますが」
「皿なら何でもいい」
そう告げた暴漢なのか悪漢なのかわからない男は、執務机に置いていた巨大な紙袋をすぐ前のテーブルに置いた。ただ音もなく置かれたそれはとても軽そうで武器の類が入っているようには見えない。
「それはなんですか」
「エクレア」
「エクレア!? あのシュー生地にクリーム入れてチョコをかけた最高スイーツです? この世界にもあるんですか? エクレアが?」
聞き馴染みのある名前に驚いたアルノーは慌てて部屋の片隅に走った。ミニキッチンの隣に備え付けられた棚から大皿を取り出すと、全速力で中央に戻りテーブルへ大皿を置く。
その様子を見た男はさらに険悪そうな顔で「面倒が増えた」とぼやく。
「つまりおまえも、先祖返りとかなんとかいうヤツか」
「いやいや先祖返りではなく異世界転生…いや、え? 先祖返りってなんですか? あなたは?」
「おれはただの盗賊の頭」
「先祖返りとやらですか。あとエクレア内緒で1個食べたら怒りますか」
「皿に出す合間に減っても誰も怒らねぇよ」
ひとつくらい。そう言い放った男が紙袋を指差すのでアルノーは紙袋を開かせた。すると大きな紙袋の中には大量のエクレアが入っている。
「なぜここまで大量のエクレアを…?」
「アニエスの好物だからだよ。アイツこれ10くらい食うから情報料で持ってきた」
「盗賊の頭という闇組織の頂点にいそうな人が、近衛騎士に情報料を渡して、何を聞き出す流れで?」
「この国で売れてる本を教えてもらう」
「盗賊の頭みたいな方が本を買って読むって想像つかないです」
「土産だからな。それよりおまえだおまえ。つまりおまえも先祖返りなんだろ」
「先祖返りって先祖の遺伝子が唐突に出てきちゃうアレですよね。隔世遺伝のすごい版みたいな。自分はそういうものはなにもない平凡なモブですよ。異世界転生したくらいです」
「おまえと同じヤツが帝国にいて、『月夜の物語』とかいうのを書いた」
「それ。そこが不思議でした。『月夜の物語』って、そのままラピスラズリシリーズの1作目を全年齢向けにした感じなんですけど、この世界はどっちのゲームの世界なのかと」
「どっちでもない。おまえが知ってる世界は1000年前に大戦に巻き込まれてぶっ飛んだ。だからおまえは、先祖返りみたいにその頃の記憶が復活したヤツってことになる」
「ええ…」
自分は死んで異世界転生したと思い込んでいたアルノーは、恐ろしすぎる答えに意気消沈する。
そのまま数分ほど黙っていたアルノーは、ややあって盗賊の頭だという男を見やった。
「ゲームの世界じゃなく、現実から1000年後。これって確認済みのあれですか」
「魔力剣たちは当時からずっといるからな。帝国にいる赤の魔力剣も、この国にいるアイリーンも1000前のことを知ってる。そのエクレアの作り方もアイリーンがこの国や帝国に持ち込んだものだ」
アルノーが前世の記憶として覚えている時代にあった菓子を復活させたのは、この国で竜の賢女と呼ばれている知の魔力剣。
その答えはアルノーに現実を納得させるには十分なものだった。そして同時に『この世界で何らかの理由により死んだとしても、元の世界に戻れる』という望みも消える。
「自分はラピスラズリシリーズ2作目の世界に紛れ込んだモブだと思ってました」
「モブってなんだ」
「脇役ってことです」
「ここは舞台の世界じゃねぇけどな」
「ですよね。でもそう思っていたんです。だからいずれ現れる主人公を見極めて、味方になるかどうか決めようって」
「その主人公ってのはリリか?」
「彼女は部外者です。ゲームと関係ない。この国の人間以外は部外者だと思ってました。それで、ゲームには巫女ルートと魔女ルートっていうものがあって、主人公はどちらかを選べるんです。だから主人公が巫女ルートを選んで普通に恋愛してくれるなら放置か手伝えば良いかなと思ってました。でも現れた主人公は魔女ルートを選んだようです」
「そういうのはなんかわかるのか」
「魔女ルートって、薬物を使ってキャラを思い通りにするんです。お金を出せば街の人も思いのままに操れて」
「おまえの言うそのゲームってのは、何をして遊ぶやつなんだ?」
「基本的には攻略キャラ……つまりこの学園の侯爵子息たちとの恋愛を楽しむゲームです。ラピスラズリシリーズは2作とも恋愛ゲームなので……あ」
「あ?」
変な声を上げて止まったアルノーに盗賊の頭は片眉を歪ませて返した。そんな盗賊の頭をアルノーが指差す。
「『月夜の物語』にいましたよね? 盗賊の頭はラピスラズリを何度も助けてくれる人で、副団長の」
「それ以上言ったら殺す」
「了解です。あー、お茶飲みます? エクレアも皿に出しちゃいますね」
殺すと言われて会話を途切らせるのが怖いアルノーは慌てて話の流れを変えた。紙袋を逆さにしてエクレアを皿の上に流し乗せると再びミニキッチンへ向かう。
そうして湯を沸かし始めつつ、アルノーは新たな話題を向けることにした。
「1000年前にゲームを作った人は予知能力でもあったかもしれないですね。1000年後のことをわりと的確に当ててきてるんです。名前とか」
「戦神が普通にいるんだから、未来を見るヤツだっているだろ。ただおれら人間とは関係ない世界の話ってだけだ」
「確かに、モブには関係ない世界ではありますよね。まぁあなたはモブじゃないですけどね。前作で…」
「この世に脇役はいねぇんだよ。アホか」
「いやでも自分は」
「おまえはおまえの人生の主役だろ」
アルノー・グランデの人生における主役はアルノー・グランデ。
そのごくありふれた言葉は、それでも今回の人生においてアルノーの中に一度も浮かんだことのない言葉だった。むしろアルノー自身がその言葉を避けた上に、己はモブだと言い聞かせて生きてきている。
だからこそ向けられたそれは強烈な衝撃を与えてくれた。
「でもおれはベルナール・ローランを幸せにするために生まれたと思ってるんです」
「ならそいつと一緒に自分も幸せにしろ。オムツの取れてねぇガキじゃねぇんだからそれくらいできるだろ」
「おれは子供ですけどね!」
「この国は17でもガキでいられるからいいな」
「盗賊の頭さんは13歳とかで大人の仲間入りしたんでしたっけ。あの話かなり好きで」
「黙ってろ」
「了解です」
男の言葉に同じ言葉で返すと肩をすくめられた。出くわした当初は恐怖と威圧感しかなかったが、相手が『月夜の物語』に存在すると知れば印象も変わる。
さらにアルノーは盗賊の頭という存在を別の場所でも知っていた。むしろ目の前の人物の言葉が正確なら『月夜の物語』は、1000年前に存在したラピスラズリシリーズ1作目を元にして書かれている。
そしてその1作目にも盗賊の頭は出ていた。だからこそ目の前の人物とは初対面なのに、親近感すら抱いてしまうから不思議なものだ。
「イリアンデさん、おれのお茶マズいですけど気にします?」
「名乗ってねぇのに呼んでんじゃねぇよ。クソ先祖返りが」
「お茶、不思議なことにおれが入れると緑になるっていうか」
ウンザリした顔を見せながらも、相手は執務机から立ち上がりアルノーの元へやってくる。その面倒見の良さは、こちらの盗賊の頭も同じらしい。
「なに入れたらそうなるんだよ」
「おれのハートが緑茶を目指しちゃってるかもですね。イリアンデさん緑茶って知ってます?」
「あー、アルマート公国で見たことはある。色が緑なだけのただの飲み物だな」
「じゃあここを卒業できたらアルマート公国行ってみます」
「なんだおまえ成績悪いのか」
卒業できない可能性を成績の悪さととらえたらしい男に怪訝な顔で見下される。そのため首を横に振りつつ、苦笑をこぼした。
「主人公が魔女ルートいってるから無いと思うんですけど、巫女ルートだと闇竜イベントが起こるんですよ」
「は? ここは現実って言ったよな。ゲームの世界じゃねぇんだぞ」
「ここが現実なのは理解しました。でももしもってこともありますし」
現実だとわかったからといって楽観的にはなれない。それは既に3人の攻略キャラが主人公に攻略されてしまっているからかもしれない。あるいは今まで完璧な近衛騎士だったアニエスの私憤を見てしまったからかもしれない。
理由は様々あるが危機感は捨てられない。そうアルノーが語ってみせると、相手は思った通り子供の戯言と流さず真面目に聞いてくれた。
「なら例えばその闇竜が出てきたとして、その時におまえはどうする? 逃げる以外に手立てなんてないぞ」
「闇竜イベントって攻略キャラたちの好感度が足りないと討伐失敗して逃げることになるんですけど、そうなるとベルナール・ローランが死んじゃうんですよ。ひとり残って王国騎士団が来るまで戦って。それはあくまでゲームの話です。でも現実で考えてもベルちゃんは責任感の強い子なので、闇竜が現れたら逃げてくれないと思います」
「そいつは目の前に竜の魔物が出ても逃げない間抜けなのか」
「違いますよ。ベルちゃんは何事にも一生懸命で不器用かってくらい生真面目で、誰より責任感が強くて優しい子なんです。だから最悪の時こそ自分を犠牲にしてでも誰かを守ろうとしてしまうんです。でもそれでベルちゃんが死ぬくらいならおれが死んだほうが世界の貢献度的にマシだと思うんですよね」
「世界の貢献度とか意味わかんねぇこと言うな。あとその茶葉はやめろ。高いやつだろ」
「これ、生徒会室に元々あるやつなんですよ。なのでどこのどんな茶葉なのかわからないという…」
「怖ぇ。得体のしれないもん飲ませるな」
「ええ? イリアンデさんこれが高い茶葉ってわかってるのに?」
「わかるからやめろ。おれはお貴族様じゃねぇ」
「じゃあ高くない茶葉を教えてくださいよう」
ミニキッチンの前で男ふたり立ちながら棚に並ぶ茶葉の缶を手にしていく。そうしてどの茶葉が良いかと話すふたりの背後で生徒会室の扉が開いた。
そのため振り向いたアルノーの視界の中に真顔のベルナールがいる。
その姿を見た瞬間にアルノーは叫んでいた。
「これは浮気じゃありません!!!!」




