6.砂糖菓子と春の訪れ
竜王国王立学園中等部に絶世の美少女がいる。毎年学年の3割ほどいる留学生のひとりらしい彼女は北の大陸から来ているらしい。
琥珀色の細い髪は日が当たると金に近い色にきらめき、たまに海から届く強風に触れるとふわりと揺れる。
長いまつ毛に隠れた同色の瞳は大きく、少し垂れた瞳に見上げられるとその甘さに吸い込まれる。
細く繊弱そうな身体つきながら学力成績は最高位で、入学最初の試験では首位に名が書かれていた。
庇護欲を抱かせる外見に反して高い知性を持つ。けれど魔力はゼロという貴族ではあり得ないデメリットもある。
その一筋縄ではいかない様が、まるで少し焦がした砂糖菓子のようだと評された。
竜王国において魔力のない女と結婚する価値はない。魔力のない女の腹から強い魔力の持ち主が生まれることはないからだ。
むしろどのような国であっても魔力のない高位貴族はいない。たとえ戦争のない国でも魔物は現れるし、人の身で魔物の対処は難しい。
だから貴族は高額を払ってでも優れた魔法武具を求め、魔力を用いてそれを振るうのだ。
そうでなければ魔物から領民を守ることはできない。そしてどのような国でも、高い爵位であればあるほど勇敢さを求められる。
勇敢さは敬意と世間からの評価に直結するからだ。逆に言えば性格がどうであれ、魔力が強く強大な魔物を倒した者は高い評価を得られる。
実際にグレイロード帝国が大陸の覇者として君臨し、序列を作らなくとも属国から認められているのはその点だ。
グレイロード帝国は世界最強の騎士国家として建国王を中心に多くの魔物や魔族を倒している。
魔物という人の身ではどうにもならない理不尽を倒す力を持って自国だけでなく周辺国すら守っている。
敵味方なくすべての人を守るという甘すぎる理念を実力で成す者を誰も笑わない。
けれどグレイロード帝国の強みは王ひとりが英雄ではない部分にある。帝国騎士団には騎士団長を含めた10人の将軍がいて、それぞれ長所を生かした活躍を見せてきた。
将軍たちは全員が騎士ではなく、能力を買われてその地位を任されている。そのため元傭兵の女性魔術師が宮廷魔術師となることもある。
つまり強大な魔力があれば、平民だろうが出身地がわからない傭兵だろうが実力主義の大国では将軍になれるのだ。
だからこそ貴族のような地位も財力も持つ者は余計に強い魔力を持った妻を求める。
自分には無理でも我が子がどこかの国で英雄になる可能性があるからだ。
魔力と魔法武具に関する授業を最前列で受けながら、リリは真面目にノートへ書き込んでいた。自分は魔力を持たないが、周囲の人間はみなそれを持っている。それに何よりリリ自身が魔法武具の世話になっているので知識は欲しい。
むしろ「この世に必要ない知識はない」というお姉様がたのありがたい言葉もある。だからリリとしてはどんな授業も己の研磨に必要なものと考えていた。
だからこそ昼の休憩や移動中など、教室を出た時に声をかけてくる害虫との時間は無駄でしかない。
入学してから3か月間毎日のように声をかけてくる自称侯爵家の無も知らぬ不審者もそうだった。
「おい!砂糖菓子!」
珍しくSクラスに現れた赤毛の害虫が足早にリリの前へやってくる。この3か月で少し背が伸びて筋肉もついたと先日語っていた害虫の羽音は相変わらず耳障りだとリリは素直に思う。
「貴様にこの俺様と花祭りを歩く許可をくれてやる!」
「申し訳ございません」
いつものように赤い顔で意味のわからないことをのたまう害虫にリリは笑顔のまま素直に返した。
「我が国には名も知らぬ他人様と連れ立って歩く習慣はないのです」
リリはこの習慣がこの世のどこにもないことを知っている。むしろそんな危険極まりない習慣など存在するわけがない。けれどお姉様がたから害虫撃退法の基礎としてこの方法を教えていただいていた。
ちなみにこの赤毛の害虫は己の髪や目の色を魔法武具で変えているため「本物の侯爵家子息」かどうか確認しようがないらしい。本人はオシャレのつもりでも、そのように容姿を変えた者が何者かを調べる方法はない。
生体魔力を調べれば本人確認はできるが、たかがナンパにそこまでする必要はないとのこと。
つまり何を自称しようが不審者扱いで良いとリリは優しいお姉様がたから教わっていた。
だが他人と言われた赤毛の害虫はなぜか驚愕の顔で黙り込む。
「貴様は…学力首位にも関わらずこの俺様の事を知らないのか? なぜだ?少し調べればわかるはずだ。この学年にいる侯爵家嫡男は他にいない」
「竜王国の侯爵家に赤い髪の方はおられません」
「あ…」
むしろ赤い髪の人間などこの周辺地域に存在しない。リリの母国があるガイアイリス大陸の北部になら赤茶系の髪などいるが、ここまで鮮やかな赤毛と赤い瞳の人間はいない。
人類では存在しないが、この国以外の場所なら宗教画などでよく見かける色彩だ。
「ああ…この姿は魔法武具で変えているからな。たが俺の本当の姿はローラン侯爵家の特徴を濃く受け継いでいる」
「この国では五柱神信仰が薄いのでご存じないのでしょうけれども。その色彩は炎の神である戦神ロールグレン様に対する不敬以外のなにものでもございませんよ?」
初対面から知性が死んだような羽虫は知らないでしょうけれどもとリリは忠告を向ける。
するとなぜか赤毛の害虫は嬉しそうな顔を見せた。
「さすが俺の砂糖菓子だな!庶民ながら博識だ!まさに俺は戦神ロールグレンを尊敬しているんだ。やはりおまえは俺の愛人にふさわしい!」
「あらあら」
死ねばよろしいのに…と言いかけた言葉を飲み込んだリリは机の上の教材をまとめて手にした。
正直なところリリはこの害虫がローラン侯爵家を名乗った瞬間から殺意しか抱けなくなっている。ローラン侯爵家と言えばリリが愛してやまないお姉様がたのひとりであるブリジット・ローラン侯爵令嬢のご実家なのだ。
嘘でも誠でもリリにとって最愛であるお姉様がたの関係を匂わせるなど万死に値する。
「本物の戦神ロールグレン様のようであれば、わたくしの心も揺れたことでしょうに」
「ははは!俺の砂糖菓子は本当に可愛いな。戦神の生まれ変わりは親の世代には存在したらしいが、既に他界している。だがその姿に憧れる男はこの国に多いものだ。なにせ戦神ロールグレンの生まれ変わりはあの竜の巫女の夫殿でもあるからな」
そこまで知っていてなぜ色合いだけ真似ようとしているのだろうか。むしろそこまで愚かでいられるのだろうか。そもそもなぜ平気で生きていられるのだろうか。
それら疑問を口に出すことなくリリは教材を手に教室を後にした。
あのまま害虫の言葉を聞いていたら笑顔を保てなくなっていただろうからだ。
教室を離れたリリはそのまま職員室へ向かった。文字通り学園職員の待機室で、それぞれの教科の専門教師がいる。
その中でSクラスの担任教師の元へ近づいたリリは軽く膝を曲げて挨拶をした。
その上で先ほどの教室での出来事を簡単に報告する。するとやっと家名が出たかと呆れた顔で返した担任教師はローラン侯爵家と書かれたメモを手に立ち上がった。
「上に報告しておくが、話しかけただけで処罰を与えることはできないぞ」
「つまり触れなければ処罰されないのですね?」
「おまえは黙ってると噂通りの砂糖菓子なのになぁ…」
可愛い笑顔なのに言葉尻から殺意しか感じられない。そう嘆く担任教師の前でリリは柔らかい笑顔を見せていた。
「ところで先生に質問してもよろしいですか?」
「今すぐ報告しなくて良いならな。どうした?」
「花祭りというものがあると聞いたのですが。それはこの学園の催しでしょうか? それとも王都で行われる催しですか?」
「王都で行われる祭りだよ。春を告げる祭りと言えばわかりやすいか」
「ありがとうございます。ではこの学園の生徒としては参加する必要のないものですね」
「その流れだと花祭りに誘われたと聞こえるが」
「一緒に歩く許可をくださるとのことでしたのでお断りいたしました」
「ああ…」
素直に質問した原因を説明したリリは担任教師から同情の目で見られた。Sクラスを任される優秀な教師だけあって、この教師はどんな生徒にも平等に接してくれる。そのためリリもこの教師はお姉様と呼び慕う上級生同様の信頼を向けていた。
そんな担任教師は「悲しいお知らせがある」とリリに言う。
「これから10日後の祭りまでひたすら誘われまくるぞ」
「殺してもよろしくて?」
「頼むから本音は心の中に閉じ込めておいてくれ。だからグレイロードの人間は駄目なんだ」
野蛮だ物騒だと嘆いた後に担任教師はとにかく、とまとめに入る。
「花祭りに行くかどうかは別として、詳細はおまえ自慢のお姉様がたとやらに聞いたら良い。むしろそのお姉様がたとやらと一緒に行けば良いと思うけどな。花祭りにはいろんな露店があるし」
「露店程度ならどこにでもありますが」
「花祭りに出る露店でその年の花を模した飾りを見つけ出して贈るのが伝統なんだよ。贈られた側は性別問わず1年間、幸福になる」
「竜王国の方々はその手の信憑性皆無なお話が好きですね。竜の涙だの竜の心臓だの」
「だからグレイロードの人間は、教養薄めで風流もわからない無骨者って呼ばれるんだぞ。それより、先生が言いたいのはだな」
「ええ、理解しております。わたくしがそれらを贈ることでお姉様がたが喜んでくださるということですね。でも今年の花とはなんでしょうか?」
「それを調べるところから大切なんだよ。けど花はある周期で変わってるから調べればわかる。おまえにはちょうどいい課題だな」
それは留学生ながら学力首位のリリにだから出す課題だった。
そうでなければ20日後に学期末試験を控えた学生に教師が言うことではない。そしてリリはそんな大人から向けられる障壁を乗り越えるのが大好きだった。
そうしてにこやかに承諾するリリの楽しげな愛らしい笑顔を、担任教師以外の教師たちが見惚れるように眺めている。しかしリリはそれら視線も気にしていなかった。
既にリリの脳内は書物を開き調べる楽しみへと移っていたためだ。




