77.帝国近衛騎士とクラスメイト
白の月が終わり王の月が始まってもリリの生活は何も変わらなかった。中等部3年の学力試験の結果も変わらず、今回も不動の1位が立っている。
そして中等部の生徒たちは、頂点に記された名前を伝説の勇者や英雄を見るような羨望と恋慕に潤んだ目で眺めた。
「素敵素敵本当に素敵。あんなに耽美なお姿で美しくて優しいのに、誰よりも聡明で、さらには上の学年の剣術1位の方をなぎ倒せるくらい強くていらしてなによりあの黒い騎士団服と緋色のマントが目に焼き付いて離れないのにそんな方が女性なのだもの!」
「本当にそう……物語から出てきたかのような方よねぇ」
熱く語る女子生徒に周囲の生徒たちも強めに同意する。その中にはあえて不動の1位のその名を眺めに来た下級生たちの姿もあった。
そうして廊下に集まり順位表を眺める生徒たちの後ろを、リリはいつもと変わらない速度で歩く。
3年Sクラスの教室に入ったリリはマティアスを見つけて歩み寄る。いつも通り朝の挨拶をして、隣に座り午前の授業を受け、共に昼食を取り、午後の授業を終えたら寮の前まで送ってもらう。
それはリリがマティアスと出会ってから毎日行ってきたことだった。そしてそんな日々がこれからも続くことをリリは何よりも願っている。
だからこそリリは、敬愛するミリュエル・バルニエを悪名高いらしい男へ売るように嫁がせようと画策する者どもを殺してやりたいと思っていた。踏み潰し括り殺してもまだ足りないほどの怒りと憎しみがリリの中にずっと渦巻いている。
そしてその強い衝動を腹の中に抱えながら、リリはいつもと変わらない笑顔を見事に保ち続けていた。
「リリ、大変だよ」
マティアスと朝の時間を過ごしていると、先に寮を出たはずのアニエスがオレリアと共にやってきた。ただアニエスはこらえきれずといった様子で笑い出している。
そしてアニエスが声を上げて笑うという珍しい光景をクラスにいる皆も驚き目を向けた。
そんな中でリリが問いかける。
「どうしたの?」
「高等部2年の試験結果を見てきたんだけど、SクラスとAクラスの全員が入れ替わってしまったんだ。あんな素晴らしいことはないよ!」
今回の試験で、高等部2年Aクラスの生徒全員がSクラスの生徒より上の順位を取ったらしい。そのため自動的にAクラスの生徒は全員がSクラスとなり、逆もしかりとなる。
「あなたは努力する人が報われる話が好きだから、そこまで楽しくなってしまったのね」
「うん、本当に痛快だった。その場でシオン・トリベール殿ともお会いしたんだけど、みなで取り組んだことが大きかったと言っていたよ。わからないことを教え合い励まし合いながらやれたからと。そして何よりアナベル嬢の教えが良かったとも聞いたよ。個々それぞれの得意不得意や習得レベルを把握して、それに合わせて教えられるのはさすがデュフール家の才女だと」
アニエスがここまで饒舌になるのは珍しいが、状況を知れば納得してしまう。アドリエンヌたち5人で試験を利用して仕返しをするのだと思っていたが規模が違っていたのだ。
先日のベルナールは、男を立てることを辞めるのは良いことだと言っていた。加えてデュフール家の才女を女という理由でAクラスに置くのは無駄だと。
さらにベルナールは、アナベルが勉強を教えればAクラスの生徒たちもSクラスを超えられるという確認でしかないとも言っている。アドリエンヌという有能な指揮官とアナベルという有能な教師がいれば、Aクラスの生徒たちは最高の戦士になるとも。
そしてその言葉を証明するかのように、高等部2年Aクラス全員がSクラスを超える成績を出した。
もちろんSクラスの生徒たちもサボっていたわけではない。元々優秀だからこそSクラスにいたのだ。
だがだからこそ、それを成したという事実が彼らの評価にもなり、アナベル・デュフールの評価へと繋がる。
きっとそれこそがブリジットの考えた、相手にとって最も苦痛を与える報復なのだ。男尊女卑に近い竜王国の常識を無視して他人を怠惰と中傷し、ミリュエルの未来を潰した男どもへの。
「では次はわたくしがくびり殺す番ね」
楽しげなアニエスの話を笑顔で聞いた後にリリはさらりと言い放つ。とたんにマティアスやオレリアが驚いた顔で止めに入った。
「駄目だよ。それは問題しかないよ」
「そうよ。あんたはただの砂糖菓子なんだからやめなさいよ。ミリュエル・バルニエの見合いだってすぐ何か起きるわけじゃないんだからね」
マティアスへ続くようにオレリアが厳しめに言い出した。そしてその強さについて、オレリアは態度がゆるいマティアスの分も加えているのだと言っている。
「でもミリュエルお姉様はいまも将来を絶望しておられるわ」
「それこそわたしたちに何ができるのかって話でしょ。伯爵家の当主が決めた婚姻をくつがえすのは難しいことよ」
「それこそわたくしの…」
「リリ、先生が来たよ」
自分の出番ではと言おうとしたリリはアニエスに制され口を閉ざした。アニエスは隣の机にオレリアと座り、今日戻ってくる答案の見直しを一緒にと頼まれている。
その様子を横目にしたリリは眉間のシワもそのままに教壇を見やった。そこで隣に座るマティアスから、授業後に生徒会室へ行こうと誘われる。
「ひとまず姉たちからミリュエルさんの様子を聞いてみよう。リリは顔を見せるだけで癒やしになるんだから、何もできないわけじゃないよ」
「わたくしはいま、あなたに癒やされているわ」
「そこのおふたりさん! いちゃいちゃタイムは高等部になってからやってくれよ」
マティアスの優しさにリリが微笑んだところで、担任教諭の不躾な声が飛び教室内に笑いがあがる。そのためリリは勢いよく立ち上がった。
「わたくしは可愛い子犬を愛でていただけよ! 不躾な物言いはよしてちょうだい!」
「リリが先生に対しても容赦なく噛み付く獰猛な小型犬なのはわかってるから授業に入らせてくれ。というわけで教科書開けよー」
中等部1年の時から変わらずSクラスを受け持っているこの教師は、リリの扱いも慣れた様子で授業に入る。そしてリリもそんな教師に従い椅子に座ると教科書を開いた。
ただリリはあの担任教諭が何も気にしていないフリをして、こちらのことをよく見てくれていることを知っている。それこそ中等部1年の時などはよくリリの愚痴を聞いてくれたものだ。
2年になってからはリリの文句を受け止める役はアニエスが担っているが、担任教諭の立ち位置は変わらない。
午後の授業が終わるとリリは改めて生徒会室に行くことを望んだ。とはいえアニエスはいつも授業後には生徒会の手伝いをしているので、リリはそこに同行するだけなのだが。
それでもオレリアは厳しい表情でリリを直視する。
「殺人事件は辞めなさいね」
「では地獄を見せるだけに控えるわ」
「そんな暇があるならミリュエル・バルニエを癒やす方法を考えなさいよ! あんたは自分があの人たちの最愛である砂糖菓子だってことを思い出しなさい!」
リリが本気を出せば侯爵令息だろうが断罪できることはオレリアも知っている。だがそんなことよりも大切なものがあるだろうと指摘された。
そこでリリは驚いたように目を見開く。
「そうね。そうだわ……」
そこでやっとリリは、竜の衝動が加害者への殺意を強めていたことを自覚した。そうして目を瞬かせながら見上げるようにアニエスを見る。
今回のアニエスは怒るリリを止めようとしなかった。だからリリもこの怒りは正しいのだと思う部分はあったのだ。
「アニエスもオレリアと同じことを思っていて?」
「そうだね。でもオレリア嬢のような友人の言葉を受けて気づくことも必要かな、とも思っていたよ。私もいつもそばにいられるわけではないと、瘴気疲労によって知ってしまったからね」
自分が役立たずの時のストッパーが欲しい。そのようなことを苦笑とともに言うアニエスにリリは眉を寄せた。
「オレリアの言葉はいつも正しいから、アニエスがそう思うのは当然ね。それにアニエスはそろそろ本格的にベルナール・ローランの捕獲に専念すべきだもの」
もう季節は春になってしまっている。このまま何事もなく夏に進めば今の高等部3年生は卒業してしまう。その点を意識させられたアニエスは笑いをこぼした。
「私が失態するとディートハルトが泣くことになるからね。尽力してみるよ」
「ディーなんてどうでもいいのよ」
そばでマティアスがオレリアに、『ディートハルト』について説明している。中等部1年の頃は異国にいたオレリアは、その頃にこの学園にいた短期留学生を知らない。そのため説明量は多くなっていき、いつの間にか懐かしい話とばかりにクラスメイトたちも集まり話し始めた。
「ディートハルト君は衝撃だったよね! 登場してすぐにマティアス君を口説き始めてさ」
「そうそう。それが今のアニエス君のラピスラズリに通じてるんだけど」
「ヤンチャなディートハルト君の次に来た刺客が本物の騎士っていう、帝国の人材の豊富さだよね」
キャラが濃厚で毎日が楽しい。そう語るクラスメイトたちにアニエスも笑っていた。ただそう語るクラスメイトたちは、だから砂糖菓子がやんごとない人なのはわかるよとも言う。
「ラピスラズリと言えば高等部の水色もラピスラズリって呼ばれ始めてるの知ってる?」
「あー、そうだった。あれは砂糖菓子として大丈夫なのかなって思ってたよ」
ついでだからと問われたリリは素直に驚いた。彼らの言動はやんごとない人どころか、リリこそが本物のラピスラズリと知っているようなものだったからだ。
「どうして知っているの!!」
「入学した時から態度がおかしかったんだよ」
「なんで隠せてると思ったのかわからなすぎるよ。頭良いはずなのに、そこが抜けてるんだよね」
「まあそこが砂糖菓子だよね」
すべて知っていて中等部3年の今まで黙っていた彼らは、きっと偽物が現れなければそのまま知らないフリをしていただろう。
そんなクラスメイトたちのせいで、リリは全力で感動を隠すハメになった。しかも彼らはそんなリリの反応を見て笑うのだからたちが悪い。
「これよこれ。なんでほっぺた膨らむのかわかんない」
「担任もアニエス君が来るまで頭痛が酷いって言ってたからね。ほんとにアニエス君は先生からオヤツもらって良いと思うよ」
「なるほど。いやしかし、私のような身の者が男性へ食べ物を貰おうとする、あるいは食事に誘う行為はこの国では不躾だと教えていただきましたが」
クラスメイトの親切な言葉に、アニエスは遠回しにそれは卑猥な事なのではと問い返す。するとクラスメイトたちはそれぞれ顔を見合わせたり苦笑いを見せた。
「夜会なんかでご令嬢と紳士がそういうやり取りをするのはそうだよ。食事って言って会場から消えるわけだから」
「高等部でも昔からそれを模倣して、女子をどっかの個室に連れ込んでふたりきりになったって周囲にバラして既成事実作るヤツもいるんだって。だから気をつけろってことだと思うよ」
元は紳士淑女が夜会を抜け出しふたりの時間を過ごすための隠語として使われてきた。それだけなら良かったが、子供である学園生徒までそれを真似、あるいは悪用し始めたため注意として広まった。
そんな説明をしてくれたクラスメイトたちは、だからとアニエスに手を向ける。
「アニエス君が先生に食堂のスイーツをたかっても問題ないんだよ」
「そうなんですね。しかしそうなると……自分以外の男に食べ物を求めてはならないという忠告に教師陣は含まれないと」
「いやいやいやいや待って待って」
「アニエス君駄目だ待つんだアニエス君!」
「男の子まで虜にしてるの大問題じゃないか!」
アニエスが投げた新たな疑問にクラスメイトたちがざわめいた。Sクラスは男子生徒が大半を占めるため、彼らは女子生徒のように虜になるというより友人の距離感で接してくれている。
そうして彼らが慌てふためく中でオレリアが腰に手を当て慌てるのはわかると言い出した。
そのためクラスメイトたちもその言葉に驚きつつオレリアを見る。
「オレリアさん、これ知ってて放置してるんですか?」
「誰だって馬に蹴られて死にたくないでしょ? アニエスが本気の超絶鈍感で、向こうも本気の無自覚だから何も進まないんだけど。これは馬に蹴られて死ぬ案件なのよ」
「え? 両方鈍感で恋なんて成り立つの?」
「無自覚に独占欲こじらせて、他の男にステーキをたかるなって遠回しに去年卒業した侯爵子息たちの誘いを断らせて。さらに卒業するまでは代役としてアニエスに餌付けしまくってたんだけど、甘いもの系はみんなリリに食べられちゃって。さらに今年に入ったらステーキ2枚食わせるって生徒会の手伝いをさせることで、授業後の時間を拘束するベルナール・ローランの迷走は面白いけど、誰も馬に蹴られて死にたくないでしょ」
長い説明を一気に言い放ったオレリアは同意を求めるようにクラスメイトたちを見やった。そしてクラスメイトの多くも話の途中で何かを察し始め、いまは生暖かい空気に包まれている。
そしてその中のひとりがポツリとつぶやく。
「完璧な人でもこっち方面は駄目だったんだ…」
そのつぶやきが教室内へ波紋のように広がるといっせいに笑い声があがった。あげくその中には大変だなとマティアスの肩を叩く者もいる。
そんな和やかな室内で、アニエスは妙に真剣な顔でリリを見やる。
「ベルナール卿の行動はなんら問題ないことだと思うんだけど、この国ではおかしいことだったかな」
「ベルナール・ローランはあなたのことを特別に思っているんだけど、そのことは知ってるわね?」
「それはわかるよ。ベルナール卿は最初から私のことを近衛騎士として扱ってくれているからね。昨年に私がやった決闘を観戦した後でも、私のことを高みの存在のように言っておられたから」
「そうね。きっとその時はまだ、ただの目標地点のような存在だったのかもしれないわ。でもその後、祝祭の時に魔力をすべて消されて寝込んだベルナール・ローランの命を繋ぎ止めるために、あなたトリベール侯爵家へ通っていたでしょう?」
1年前の祝祭の時にリリはトリベール侯爵家でシオン・トリベールの命を救った。その事に悔いはないが、未熟な雛であるリリは周囲すべての魔力も浄化してしまっている。
そしてそれを受けたオレリアとベルナールは魔力が枯渇して寝込むことになった。むしろベルナールはその優秀さゆえに短期間で魔力操作ができるようになっていた。そして浄化の瞬間、己の魔力をすべて出してまで弟のマティアスをかばってしまったのだ。
だからベルナールは魔力が完全に枯渇してしまい生命を維持することすらできない状態になった。
そしてそんなベルナールの命を繋ぎ止めたのはアニエスの扱う神聖魔法だ。その点はリリも助けられたと思っている。
だがそんなリリよりも助けられたと思ったのはベルナール・ローラン本人だろう。
「彼は真面目な人だから、命を救うためとは言え、女性が毎夜トリベール侯爵家に忍び込む事を良しとしないわ。だから心配も申し訳なさも感謝も抱く。もちろん信頼や好意も当然持つわね」
「おおよそ罪悪感があるだろうことは、私も見て取れていたよ」
「だからベルナール・ローランは、あなたを守りたいとも思うのよ。それが恋なのかどうかなどわたくしにはどうでも良いことだけど。彼はあなたのことをよく見ているから、あなたが女扱いを侮辱ととらえて怒ることも知っているのではないかしら。オレリアが言う昨年卒業した侯爵子息どもは、実際にあなたを女として見て食事に誘ったのでしょう? 帝国ならその時点であなたに殴り殺されていたでしょうけど、今のあなたは任務中の近衛騎士だものね」
よく我慢したわと平然と語るリリにアニエスは苦笑する。そして話を聞いていたクラスメイトたちは、アニエスの危険な素の部分を知った気がした。
「昨年卒業したとかいう下賤な輩が死のうがどうなろうが、わたくしにはどうでも良いことよ。それにベルナール・ローランも、そこは気にしないでしょう。ただあなたは近衛騎士で、異国に立てば母国の顔となることを強いられる立場だわ。優秀な彼が一番に考慮するのはそこよね。相手があなたを女として扱い下心を持って誘ったとしても、あなたは近衛騎士だから、異国の侯爵令息の誘いを断れない。そんな事にならないように、侯爵令息であるベルナール・ローランがあなたに誘いを受けぬよう告げた。それは理性的な彼らしい判断ね」
「確かにそうだね。私もなんら問題はないように思う」
「でもここで最も問題なのは、ベルナール・ローランは長く理性的な人間であることを強いられてきたということよ。彼はこの国にある9つの侯爵家から『神童』であることを期待され続けてきた。例外として父親のローラン侯爵は、そのさらに先で息子が自由に生きる道を選択することを望んでいたのだけど。でも他8つの家は純粋に神童を求めたの。おかげで他の子供たちはベルナール・ローランと比べられ下に見られ矜持は傷ついたかもしれないけれど、愚かであることも、感情のまま振る舞うことも許されてきた。オレリアが兄のため国を離れることも、マティアスが愛らしい子犬のままでいることも含めて。でもベルナール・ローランは違うのよ」
恋愛は駄目だと笑っていたクラスメイトたちは、リリの語る不自由過ぎる環境に笑みを消していく。だがリリはそんな彼らの顔など目も向けず、まっすぐにアニエスを見つめていた。
「ベルナール・ローランが学園内で、すべてにおいて1位であることなんて当然のこととしか見られない。だから彼は、最上位貴族のお手本のように、常に冷静で理性的で、すべてを俯瞰で見ることを強いられる。だから彼は友人も作れず、他の者どものように楽しく笑いながら学生生活を過ごすことができない。そもそも彼は学ぶことばかりしてきて同世代との会話なんて知らないでしょうし。でもそれはあなたも同じよね」
「努力を積み重ねたという意味では、そうかもしれない」
「あなたはグレイロード帝国建国以前から続くディラン公爵家の長子。そしてすべての王位継承者の中で最も早く生まれ、長く彼らを導く立場にあった。そんなあなただからダンスは男女パート両方踊れるし、学業もこの学園なら卒業レベルまで履修できている。そんなあなたという存在だから、期待という重圧に固められたベルナール・ローランの理性を砕いてるのよ」
「砕いてるのかな? 私が見るベルナール卿はいつも理性的で優秀な方だけど」
「そうね。あなたのその先入観にとらわれ鈍感になりがちなのはお父様似なのね」
「唐突に悪口を言うのはやめよう。でも、だとしたら私はどうしたら良いのかな?」
「アニエス、あなた恋をしたことは?」
「そんな暇がどこにあったかな?」
リリが問いかけた先でアニエスもまた笑顔で返す。その短いやり取りだけでも周囲はリリが言っていたことを正しく理解できた。
ベルナールが優秀であることを期待されすぎて子供らしいことができないように、アニエスもまた子供らしいことをしてこなかったのだと。
「それ以前に私はリリが言うとおり女として扱われるのが嫌な性分だ。この国には女騎士がいないから、リリ以外のみなは想像しにくいと思うのだけどね。グレイロード帝国騎士団にいる女騎士が女扱いをされる時は、侮辱された時だけなんだ。女騎士では戦力にならない頼りにならない、だから強い男の騎士を寄越せと。そしてその偏見を解決するには実力を見せるしかない。だからリリが言うとおり殴り殺す……殺しはしないけど、殴り倒すくらいはするんだよ。騎士が派遣されるような状況で、女だ男だと語り合う暇はないからね」
「じゃあ、その女扱いという侮辱をされて、怒って殴り倒すわけじゃないんだ?」
「いや? 全力で怒るよ。殴る拳に憎しみもこもる。だけど衛兵ではなく騎士が派遣されるという危機的状況に紛れて相手を殺しはしないよ。犯人なり敵なりを排除することが最優先されるからね。だからもし来年度ここの高等部にあがって、私をそのように扱う者が現れたなら皆は2度目の決闘が見られることになるね」
「ボッコボコにするんじゃないか」
それは面白いことではあるけどと笑うクラスメイトにアニエスもそんなものだよと笑って返す。
その上でアニエスは改めてオレリアへ視線を向けた。
「そしてオレリア嬢も、これは頭に入れておいて欲しいのだけど」
「なにを?」
「いまこうして立っている私は近衛騎士のアニエスなんだ。リリの世話をすることも可愛らしい小鳥を愛でることも、引き裂かれかけた恋を守るため戦うことも近衛騎士としてやってるんだよ」
「待って、それってここにいるのは任務なの? で、アニエスの言動すべて近衛騎士モードみたいなもの?」
「そうだよ」
「そういう性格だからじゃなくて、任務だからやってるの? ダンスレッスンで女子たちを褒めまくるのも?」
「国を一歩でも出れば、近衛騎士は母国の顔になる。先程のリリも言っていたけど、その通りのことを私もやっているよ」
「じゃあ、本当の性格は?」
「それを見せる近衛騎士はいない。他の所属の騎士は違うが、近衛とはそういうものだ。だからオレリア嬢が言う馬に蹴られるという状態は成り立たないんだよ。ハニートラップを回避するのは基礎の基礎だからね」
「ベルナール・ローランをハニートラップ扱いしたら駄目でしょ!」
「うん、オレリア嬢の気持ちはわかるよ。だけど異国人が向ける好意をそのまま受け取る近衛騎士はいないんだ。もちろんこちらがハニートラップを仕掛ける場合も、向こうの好意なんて利用する意図以外で受け取らない」
「なんかちょっとアニエスが酷い男に見えてきたわ」
「うん、いや。普通に考えて、多くの淑女を愛でてるとかいう輩なんだから、酷い男な認識が正解なんだよ。ただ私が女だから安全が担保されていて、小鳥たちもその部分を宿り木にしてくれているだけで」
やってることは手癖の悪い軟派な輩のそれでしかない。いつもと変わらない笑顔で己の悪事を暴露するアニエスにオレリアは複雑な顔でうなずいた。
「つまりベルナール・ローランの無自覚な恋心は報われないってことね」
「でも私のここでの任務には、卒業したベルナール卿を華麗に攫うことも含まれるからね。私は愛しいラピスラズリの兄君の身も心も盗む必要があるんだよ」
「帝国に従属させるって意味を捻じ曲げたらそういう言い方になるのね。それを任務でやるってさすが帝国騎士だわ」
アニエスの言い方は卑猥なそれにしか聞こえない。しかもそれは恋愛関係になることを求めていると誤解されるものでもある。
だというのに、それは近衛騎士として演じている上での言葉なのだから恐ろしい。
そう素直に思ったオレリアはリリを見た。
「あんたは、アニエスの素のところは知ってるのよね? 今のアニエスと似てる?」
「素のアニエスは普通の女の子よ。ステーキを食べたいなんて言わないし、可愛い物や」
「リリ」
オレリアに問われて答えるリリだが、その言葉をアニエスに遮られた。そのためこの暴露はいけないのかと見上げたリリとオレリアの目の前で、アニエスは真面目な顔で教室の入り口を見ている。
「誰か…いや、魔法剣かな」
「この学園にあなたの他に魔法剣を待つ者はいないわ」
急に警戒態勢となったアニエスへ、リリもさりげなくマティアスに下がるよう言いつつ告げる。そうしてクラスメイトたちも警戒し始めたところで、幼い少年が教室にやってきた。
10歳にも満たないだろう少年は、明るい金髪と銀色の瞳を持つ可愛らしい子だ。
「アニーさま、こんにちはー。お迎えにきましたよ」
のんきな笑顔で手を振る少年に、リリはため息を吐き出した。そして名を呼ばれたアニエスは声を上げて笑い、周囲には知り合いの魔法剣だったと説明した。




