76.報復されるオリヴィエ・アンベール
月末試験の終了と共に白の月を終え、王の月になると早々に試験結果が貼り出される。その順位表はクラスごとに分けられており、Sクラスは上位20名の名前が明記され、Aクラスは21位から40位までの名が並んだ。
そのため生徒たちは貼り出されたその順位表により己の立ち位置を周知されることになる。
「バカな、ありえない! なんだこれは!!!!」
高等部校舎2階にある2年生の区画に貼り出された試験結果を前にして、鮮やかな緑の髪と金色の瞳を持つ美形オリヴィエ・アンベールが驚愕の声を上げた。そんなオリヴィエが見つめる先にあるのは学力試験の一番上に書かれたアナベル・デュフールという名だ。
そしてそのすぐ下にアドリエンヌ・オーブリーの名がある。
オリヴィエはそのふたりの名が嫌いだった。
自分はアンベール侯爵家の後継者として生まれ、アンベール家の屋敷内では世界の中心的な存在として育てられている。だというのに屋敷を出た途端にそのふたりがアンベールの上に立ちはだかった。
家柄の序列でも1位のオーブリー家と2位のデュフール家。このふたりと出会った時点で、オリヴィエは自分の家が最上位ではないことを知った。
そしてアドリエンヌが女の分際で王国最高と呼ばれ、アナベルは周囲から才女と讃えられる。
アドリエンヌは筆頭侯爵家の長子だから、周囲も気遣い称賛しているのだと思った。そうでなければ王国最高の令嬢の称号はシェルマンが言うとおりエメーリエ・ルヴランシュにこそふさわしい。
さらにアナベルはデュフール家の末娘で、すぐ上のフランクがさほど優秀ではなかった。だから末子の贔屓も加わっての称賛だとオリヴィエは思っていた。そしてそれを証明するかのようにアナベルは中等部からずっとAクラスだった。
だからふたりは格下だと信じていた。ふたりが持ち上げられるのは家柄のせいだと。
だがいまオリヴィエが眺める試験結果の頂点にふたりの名が並んでいる。
「おまえたちはいったい何をしたんだ! アドリエンヌ・オーブリー! アナベル・デュフール!」
「Aクラスの皆で勉強した結果よ。だからSクラスの全員が入れ替わってらっしゃるんだけど」
どんな不正をしたんだと叫ぶオリヴィエの背後に女子生徒が立った。振り返ったオリヴィエが見たのは今回の試験で4位となったブリジット・ローランだ。
黒髪黒瞳の地味な色彩だが、彼女はなによりベルナール・ローランの妹という肩書がある。その一点でオリヴィエは昔からこの女に嫉妬していた。
「いや、そんなわけがない! どうせおまえたちはクラス単位で不正をしたんだろう」
「アナベル・デュフールが試験勉強を教えるというズルを不正と言えるのならそうでしょうね。でも想像力の欠落した愚かなあなたでもわかるでしょうが、我々は試験勉強をしただけなのよ」
「ふざけるな! 勉強しただけでAクラスのゴミ共がSクラスになれるわけがないだろ!」
「自己紹介ありがとう。Aクラスのゴミであるオリヴィエ・アンベール」
オリヴィエの私憤へ華麗に返したブリジットに周囲の生徒たちが笑う。そのためオリヴィエは真っ赤な顔で周囲を睨みつける。そうして侯爵子息に睨まれただけで周囲は黙り視線を背けていった。
だがオリヴィエの前に立ちはだかる女は腕を組み、平然とオリヴィエを見下そうとしている。
「男を立てるのは怠惰の言い訳、でしたか? この国に長くはびこる悪しき伝統。そして貴族令嬢の足枷でもある常識。それを全否定して、我々を叱咤くださったことは感謝しますわ」
「そう…そうだ! 怠惰の言い訳だったことが、ここで証明されたわけだ! おまえたちは」
「そう。わたしたちは、ほんとーーーーに! 怠惰に過ごしておりました!」
新たな武器を手に入れたオリヴィエが責めようとしたところ、逆にブリジットが声高にその点を認めてしまった。そのため何も言えなくなるオリヴィエの目の前でブリジットは組んでいた腕を解いて周囲にいる生徒たちをぐるりと見回す。
「わたしなんて中等部から今までの5年間で物語を53作も書いたんですよ! めくるめく冒険譚から秘められた恋の話まで、思いついたものは何でも!」
高らかに語るブリジットに複数の生徒たちから買っただの読んだわよだのと声があがる。そしてブリジットはその声すべてに目を向け手を振りありがとうと返した。
「わたしは兄のようにすべてを完璧にこなせるわけではないけれど、創作することは何よりも愛しているし尽力したい。だから正直、勉強はしてこなかったわ。学生の本分である勉学を疎かにしてきたのだから、オリヴィエ・アンベールの言うとおりの怠惰ね」
違う。オリヴィエは目の前の化け物のような女を見ながら内心で否定した。目の前の女が出した作品は、学生が片手間で生み出すものではない。世間で広く売られ、オリヴィエの姉たちですら愛読し絶賛するほどのものだ。
そんなものを53作も生み出す傍らでAクラスを維持している時点で、この女はベルナール・ローランの妹なのだ。
「わたしはAクラスをゴミだなんて思ったこともないけれど。Aクラスをゴミだと思っていて、さらにAクラスにいることを怠惰の結果だと豪語していたオリヴィエ・アンベール? あなたは勉学を疎かにしていたようだけど、他に何をしていたの?」
「なにって…」
「アドリエンヌのように政治外交に関する勉強? アナベルのように地政学の論文執筆を? まさかわたしの親友であるミリュエル・バルニエを商人に売るのに忙しかったわけじゃあないわよね?」
「違う! それは」
「それは?」
シェルマンがやったのだと言えないオリヴィエは口を引き結んだ。
そうして黙ったオリヴィエの目の前でブリジットがおかしそうに笑った。
「傲慢でプライドだけは誰より高く、己より誰かが優れているなんて認められない。己を差し置いて他の誰かが称賛されることが許せない。かといって何ができるわけでもなく、行ってきたのは己より小さく弱いものを痛めつけることだけ。そんな品性下劣で無価値なあなたは、これからあなた自身がゴミだと馬鹿にした側に立つのね。こんな愉快な転落劇の脚本を書いたのは誰かしら? ええ、このわたし、ブリジット・ローランよ!」
ああ面白いと笑ったブリジットはもう何も言い返せないオリヴィエの目の前で、あのベルナール・ローランに似た端正な顔に万編の笑みを浮かべている。
「愚かなあなたが今まで傲慢に過ごせていたのは、わたしの兄が優しかったからよ。子供の頃にあなたが、幼いマティアスが親友として愛していたぬいぐるみを壊し、兄の本を池に投げた時もそう。わざとあなたを殴ることで大人の介入を阻止したの。だってあなた、怒られるのは得意じゃないでしょう? でももうそれは終わり。わたしから兄にあなたをかばうことはするなと言ったから。もちろんそれがなくても、兄は生徒会で忙しくているのだけどね」
これまで自分がベルナールに守られていたなど知らなかったのに、それを知ったと同時に失ったことも知らされる。そんなオリヴィエは混乱と喪失に顔を青ざめていた。
「ベルナールが、ぼくを……」
「次は兄に絶縁書でも書かせて送りつけるのも楽しそうね」
愕然とするオリヴィエの目の前でブリジットが悪魔のような事を言い出す。そのためオリヴィエは全力でそれだけはやめろと叫んだ。
地獄のような朝のやり取りの後、オリヴィエはAクラスの教室に入る。すると室内は苦痛なほどの重い空気と沈黙に包まれていた。
教室内にいるのは先月までとまったく同じ顔ぶれだ。だが生徒が同じなだけで教室が違う。
つまりSクラスにいた全員がAクラスより下の順位に落ちてしまっていた。高等部2年でのこの変動は、王城での出仕を狙う者にとっては絶望的な状況だろう。
王城の上級文官になるにはまず王立学園をSクラスで卒業する必要がある。しかし時に専門的な知識が評価されてAクラスの学生が王城から声をかけられる場合があった。
だがそれは高等部3年Aクラスでの話だ。
そして高等部では1・2年生と3年生でクラス編成が変わる。Sクラスは20人のまま変わらないが、Aクラスは半数の20人に減らされBクラスも10人減らされ30人になる。そうすることで普通科3年では上位クラスと呼ばれるS、A、Bクラスの生徒数が30人も削られるのだ。もちろん削られた分はCクラス以降の下位クラスに受け入れられるが、世間の評価は低くなる。
だが何よりAクラスの定員が半数に削られるのが痛い。今まではSクラスだったから何も変わらず卒業して王城へ出仕できると思っていた。だがAクラスに落ちてしまうと卒業後のことより、まず来年度もAクラスで生き残ることを考えなければならなくなる。
「これって…ミリュエル・バルニエをフェルナン・ダルトワに売ったとかいう話のせい?」
静かな教室内に誰かのつぶやきが黒いシミのように落ちる。とたんにそのシミが広がるように周囲の生徒たちがささやき合いざわめきとなって広がった。
そんな中でオリヴィエは親友のシェルマンを見つめる。この教室内に侯爵家の子息を貶める人間はいない。だが約束されたはずの明るい未来をこんなところで潰されたと恨む者はいるかもしれない。
午前の授業を終えたオリヴィエはシェルマンと共に逃げるように教室を出た。そうして中庭へ逃げ込み、息を切らせたまま東屋に飛び込む。
「ミリュエル・バルニエを売った程度でこんなことになるのか? たかが伯爵の娘だぞ」
「いや、そこじゃないと思う。僕たちは間違えたんだ。あの調子に乗ったミリュエル・バルニエひとりを潰せば良いわけじゃなかった。むしろ僕たちは甘過ぎたんだ」
「甘過ぎた?」
混乱していたオリヴィエはシェルマンの言葉に眉を浮かせた。あの悪女たちに怒りを向けていた自分だが、それでも相手は幼馴染みと手加減してしまっていたのか。
「ひとまずミリュエル・バルニエは潰せた。今回はそれで良しとしよう。そして僕たちは卒業までまだ1年以上ある。だからゆっくりと連中を破滅させる材料を集めるんだ」
「だがそんな時間をかけていたら、またセシーが傷つけられるかもしれないじゃないか」
「そうならないように、今後も僕たちでセシーを守ろう。いや、そもそも僕たちがセシーを守るのは当然の義務なのか。悪女たちのこともそうだけど、世の中には令嬢を個室に閉じ込めてふたりきりでいたと周知することで既成事実を作る輩がいると聞いた」
「そんな…令嬢の尊厳を傷つける行いじゃないか」
貞淑を求められる貴族令嬢は、短時間だろうと異性と個室でふたりきりになどならない。そんな状況では身の潔白が証明できないためだ。
ただこれは、口づけひとつで不貞と見なされ離縁が成立するこの国だからこその厳しさだろう。
けれどそれを悪用してわざと令嬢とふたりきりになる輩がいるというのは驚かされる。
「僕たちがいつも複数でセシーと関わっているのはまさにそこだ。でもそんなセシーを手に入れようと既成事実を作る輩がいないとも限らない。だからこの時期にAクラスになったのは逆に良かったかもしれない。Aクラスなら多少は勉強の手を抜いても問題ないし、セシーを守りつつ悪女たちを排除する準備をしよう」
「ああ、そうだな。シェルマンの言葉は正しい。あんな性格の悪い女たちが侯爵家の女として後々もい続けるなんて良くない」
「後に女王となるセシーの邪魔になるからね」
「そうか…。そうだな。セシーは女王になるんだ。あんなに無邪気で可愛い後輩がこの国と僕たち侯爵の主になるなんて複雑だな」
「確かに。女王陛下から先輩なんて呼ばれたら困るかもね」
オリヴィエもシェルマンも可愛い後輩の将来を想像して笑ってしまう。そうして和やかとなった東屋へ騎士科のテオドールがセシーと共にやってきた。
「せんぱぁい、お昼ごはん食べましょ〜」
跳ねるような軽い足取りでやってきたセシーは、水色の髪を隠すことなくふわふわと揺らしている。その愛らしい姿に笑ったオリヴィエとシェルマンは立ち上がり食堂へ向かった。
だが渡り通路に入ったところでセシーが眉を潜めて上目にオリヴィエたちを見る。
「さっき先輩たち笑ったでしょ。わたしおかしかった?」
「いいや、さっきふたりでセシーのことを話してたんだよ」
「女王陛下になっても僕たちのことを先輩って呼ぶのかなってね」
セシーの問いかけにオリヴィエとシェルマンはそれぞれ返す。するとセシーは少しの間をあけて笑った。そして可未来は決まってないですよと可愛い笑顔で言う。
「それより今朝もクッキー焼いてきたんです。だから後で先輩たちにも食べてもらいたいなぁって。あ、そういえばテオドール先輩なんでしたっけ? オリヴィエ先輩たちに言うって言ってましたよね」
「ああ」
セシーから話をふられたテオドールは言いにくそうな顔を見せる。そのためオリヴィエとシェルマンは顔を見合わせ、それぞれ何かあったのかと問いかけた。
するとテオドールは自分自身とは関係ないと前置きして話しだした。
「昨日の朝、港で大量の人が殺されてる現場が見つかったんだ。最初は街の治安担当だけで調べていたんだけど、規模が大きすぎると言うか。死者が多すぎて騎士団の上層部も動いた」
「ということはヴァセラン侯爵も動いたんだね?」
「ああ、だからこっちまで注意がきた」
「注意ってなんだ?」
テオドールは不器用な性格で説明も得意ではない。社交より身体を動かすほうが好きだと言う彼は、最近はセシーの騎士になりたいと言うようになった。
そんな彼は深刻な顔でオリヴィエたち3人を見る。
「非合法の賭博場を運営していた50人近くの人間が、一晩のうちに誰にも知られず殺された凄惨な事件だ。こんなことは単独犯にできることではないから、武装した集団が王都に入り込んでいる可能性がある。だからしばらくは週末も王都に出ることは控えるようにって」
「確かに、それはそうだ。セシーに何かあってはいけない」
王都が危険だから近づくなと言うならその指示に従う。そんなオリヴィエの隣でセシーは虚空をにらみ歯を噛みしめる。だがセシーはすぐ可愛らしい笑顔を取り戻すとテオドールの手をつかんだ。
「でもこうしてテオドール先輩の手を繋いでたら安全かな?」
「そう…いや、それじゃあ何かあった時に剣が抜けない。オリヴィエたちと手を繋いでくれたほうがいい」
「わかりました。じゃあ次は4人で注意しつつデートしましょ。あ! 今日のクッキーはお野菜を入れてみたんですよ。なんのお野菜か当てた方はご褒美でーす」
明るく天真爛漫なセシーの態度は凄惨な話題などすぐに洗い流してくれる。そうしてオリヴィエたちはクッキーに野菜が入るものなのかと語りながら食堂に向かった。




