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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部3年
77/101

75.《欄外》売買契約

 竜王国王城には優秀な人間が多く勤めている。特に侯爵家の中でも高い知性を持つデュフール家の当主トリスタンは実質的な文官のトップとして実務を担っていた。

 竜王国は特殊な国で、玉座に竜王が座り、その補佐たる宰相の位置に知を司る魔力剣アイリーンが立っている。

 そのため政務長官のオーブリー侯爵ロドルフも文官長のデュフール侯爵トリスタンも、間違える不安のない状態で実務と向き合えた。

 そしてそんな彼らの下にも将来の竜王国を支える若い世代が勤めている。特にデュフール侯爵家の長男ユルリーシュは23歳と若いのに優秀なだけでなく寛容さもあるため年上にも年下にも慕われていた。

 そしてそんなユルリーシュの友人のひとりにバルニエ伯爵家のジェレミーがいる。


 このジェレミーは実家との折り合いが悪く、王立学園を卒業して王城に務めるようになると職員寮に入り一度も実家に帰っていない。

 そんなジェレミーはその日もいつも通りに寮から登城して職務を始めようとしていた。ここ数ヶ月のジェレミーは大陸間魔導列車のルート策定業務に奔走し、現地調査のために王都を離れることもある。それは多忙だが責任とやりがいのある仕事でジェレミーも楽しさを感じていた。

 だが仕事を始めるため地図を出そうとしていたジェレミーは同僚から事件の話を聞く。


 今朝、夜が明けた頃に港で働く者が騎士団詰め所に駆け込んできたらしい。その知らせを受け現場へ行くとそこは届けのない賭博場で、さらに中には大勢の死体が転がっていた。そのため騎士団は早朝から大騒ぎで多くの騎士たちが調査のため動員されている。

 ただ調べてみると施設の奥には個室があり、そこには性的暴行が行われていた痕跡があった。むしろ全裸の死体や拘束具、そしてそれ用の薬物や魔法武具もあったという。

 そのため既に性的暴行された被害者か、賭けに負けた何者かによる犯行だろうと言われている。


 ただジェレミーは単独犯が誰にも知られず賭博場にいる複数の人間を殺せるだろうかと疑念を抱いた。そのため同僚へその点を話していたところで、職場の上司から特別応接室へ行くよう言われてしまう。


「特別応接室ですか?」


 そこは国賓待遇の相手と内々の話し合いをするための場所だった。そのため当然だがジェレミーは使用したことがないし、そこで話をする相手もいない。


「なぜ自分が……」

「そこまでは教えられなかったが、竜の賢女様からの呼び出しだからな。間違いはないよ」


 相手は人ではなく魔力剣なのだから、人間違いが発生することはない。そう言われたジェレミーは何もわからなくても納得していた。

 事情も何も知らなくても、そのため多くの疑問が生じたとしても、知の魔力剣の指示というだけでこの国の民なら納得するものだ。


 かくして疑問を捨てたジェレミーは言われるまま特別応接室へ向かった。

 竜王国王城の中でも最も格式高い内装に作られ、歴史的価値のある品々で飾られた部屋。そこは友好国の国賓を招いて話をする時にのみ使われる名前通り特別な場所だ。

 そのため過去にもパレドリア帝国やサイトラ王国から来た国賓以外の使用は資料にない。それ以外の者は警備面も考慮し、騎士も入れられる謁見の間での対応が基本だ。


 部屋の入り口に藍色のマントをつけた騎士が見張りとして立っている。これも特別応接室の特徴だった。この部屋を守る役目も上級騎士にしかできない。それは万が一に国賓と遭遇しても礼儀を間違わないようにとの配慮からきている。

 すべては誰よりも真面目な竜の賢女が数百年も前に決めたことらしい。

 扉の前に立つ騎士へ名を告げると、騎士は恭しく扉を叩き入室の許可を取る。その後に内側の騎士が扉を開けることで、ジェレミーの入室許可が得られた。

 そうして普通では入ることもできない部屋へ入ったジェレミーは、青い壁と白い絨毯が敷き詰められた室内を見た。絨毯に青色を使わないのは「陛下の色を踏まない」という意味からくるこの国の特徴だ。だが壁の色に青を使うのは珍しい。


「ジェレミー・バルニエ」


 内装に目を奪われてしまったジェレミーは名を呼ばれて慌てて頭を下げる。室内には既に竜の賢女だけでなく政務長官のオーブリー侯爵や文官長のデュフール侯爵、そして国賓らしい男性もいてそれぞれソファに座っていた。


「は! お召により参上致しました。外交部のジェレミー・バルニエです」


 慌てて名乗ると政務官長であるオーブリー侯爵が「ご苦労」と言葉をくれる。

 その上で頭を下げたままのジェレミーをそのままにオーブリー侯爵が賓客へ話を向けた。


「彼以外にバルニエ伯爵家の後継者となれる男子はおりません。したがって我が国としてはその借用書にある金額はお支払いし、伯爵位はこのジェレミーへ継がせるという形を取りたいと考えております」

「竜王国の国家予算から計算すると銀貨2万5000……つまり金版硬貨250枚を私がこちらに滞在する今日の夕方までに払うことは不可能だと考えられますが?」

「それは」


 通常、他国の国庫の中身まで把握できる人間などいない。戦争状態にあり相手国の戦力をはかろうとする時にはもちろん調べるだろうが平時でそんなことはしないからだ。

 だがこの国賓はそれを平気でした上で、半日中に払えと言い出している。


「そもそも払うとしてどのような予算として捻出するつもりでした? 伯爵が賭博で作った借金を返すなんて理由で予算を組める国はないでしょう。我が国でも通じません。むしろ我が国であればバルニエ伯爵家を潰して平民に落とす処分をするでしょう。我が国におられる赤の魔力剣殿は何事にも厳格なお方ですから、賭博で破綻した貴族を救うことはしません」


 国賓は少し楽しげな口調で別の色の魔力剣の存在を口にした。赤の魔力剣がいるのはグレイロード帝国だ。ジェレミーは見たこともないが、魔力剣の筆頭であると書物で読み知っている。


「竜の賢女殿はどのようなお考えですか? バルニエ伯爵に対する処罰もなく、借金を肩代わりして今回の事態そのものをもみ消そうと?」

「いえ、本来であれば、貴族ひとりのためにここまでは致しません」


 国賓の問いかけに鈴なりのような美しい女性の声が返った。ただその口調は緊張したように硬い。


「ですが今回は致し方ないことだとも考えます。バルニエ伯爵がいたという賭博場は凄惨な殺人現場となっておりますから、そのような場に伯爵がいたと民に知られれば、伯爵が賭博の損失を消すため人を雇い犯行に及んだとの誤解を生みます。それにローティス・フィレント様も」

「私は賭博もしておりませんし、バルニエ伯爵とも面識がありませんから、疑われて困ることもありません。しかし人の口に戸が建てられぬと言うように、竜王国がもみ消しのために動いたという事実はいずれ露見するでしょう。人は愚かで、より刺激の強い噂に食いつくものです」


 低く落ち着いた聞き心地の良いその声色で朗々と語るのは竜王国の内部事情そのものだ。


「魔女が仕込んだ瘴気を受けて、竜王陛下が伏せられている。そんな状況で、竜王陛下不在の王城にいる貴族たちが仲間を守るため国の予算を使い込んだ。こんなことが知られてしまえば、人々は王城にいる人間を疑うでしょう。この国は人が統治する国家と違い、竜王陛下の存在以外は貴族だろうと軽んじられていますからね」

「ではどうしろと言うのですか! そもそも賭博場の凄惨なあれも、この借用書も昨晩のうちに起きたことなのですよ! 事が知られれば確実に非難の矛先がバルニエ伯爵へ向けられます。しかしあの家にはまだ幼い娘が何人もいるのですよ」

「そうですね」


 激高した竜の賢女が口にするのはジェレミーの幼い妹たちに対する配慮だった。父が高額で売るためだけに孕ませ産ませた子たちでジェレミーは一度も会ったことがない。だから思い入れもないが、保護されるべき子供であることは事実だった。


「アイリーン殿のその冷徹になれない性格には、我々も建国時には何度も救われました。ですが統治者とは時に冷酷であらねばならないものです。我が陛下が国のため肉親を切り捨てたように」

「あなたはバルニエ伯爵家の者たちを切り捨てよと言うのですか?」


 恐ろしいことを提案する国賓に竜の賢女の驚いた声が飛ぶ。そのためジェレミーも自然と下げていた頭を上げてソファにいる面々を見てしまった。


 部屋の奥に置かれたひとり掛けのソファには長い黒髪の美しい竜の賢女が座っている。彼女はいつも通り藍色の騎士団服にも似た衣装をまとっていた。

 そして彼女の斜め前には身なりの良い男がいる。黒髪黒瞳に白磁の肌という北の大陸ではよくある色彩の男性は黒いコートに似た衣装に見を包んでいた。肩などが金地に飾られたそれは北の大国グレイロード帝国の正装なのかもしれない。


「そもそも今回これを無かったことにした場合、今後のバルニエ伯爵家の子女たちはどうなるとお考えですか」

「どうなると言われましても、伯爵家の娘として育ちますわよね?」

「ええ、そうです。そうして育った娘たちも、次女のように高額を出してくれる相手に売られることになる」

「は……ええ、待ってください。処理能力が限界を迎えておりますわ。ローティス・フィレント殿はいま、娘たちを売ると言いました?」

「ええ、そうです。バルニエ伯爵は自分の娘たちを高値で売り、その金で賭博に興じる不貞の輩です。そのことについてはオーブリー侯爵がよくご存知でしょう」

「そうなのですか? オーブリー侯爵」


 国賓だけでなく竜の賢女にまで話を振られたオーブリー侯爵は肩を落とすようにして恭しくうなずいた。


「かれこれ5年前になるでしょうか。バルニエ伯爵は当時11歳の次女を高値をつける相手に売ろうとしました。バルニエ伯爵の次女はこの国で最も美しいと評判で、さらに賢く気立ても良い。買ってでも欲しいと思う者がいるのは当然やもしれません」

「そして少し前にはとある侯爵家の企てにより、悪い噂の絶えないが竜王国一の富豪である平民の男に高値で買われたそうですよ」


 オーブリー侯爵の説明へ補足するように国賓がさらりと言い放つ。だがその説明にジェレミーは驚愕した。


「それまさかフェルナン・ダルトワではないですか!? 逆らう相手は女でも船から海に落として殺すと言われている!」

「その噂の信憑性は疑うが、名前は正しいよ。だがバルニエ伯爵家の次女にとっての不幸は、そんな悪名高い男に売られることなのか。それとも父親の賭博のために、人生で初めて知った恋を踏みにじられることなのか。どちらなんだろうね?」

「あのすべての男に絶望して、男はゴミだと思ってるミリュエルが、恋なんてしたんですか?」

「そのようだよ」


 驚きのまま問いかけるジェレミーの視界の中で、オーブリー侯爵もまた驚いた顔を見せていた。


「なぜその話をご存知なのですか。彼女は実の家族にも自分のことは言わない子ですが」

「しかし彼女は学園内ではよくさえずるようだよ。大人という敵のいない世界で伸び伸びと友情を育み、人生の宝物となる日々を過ごし、夜には寮の女の子たちを相手に初めて手にした恋について話に花を開かせる。そして我が国が派遣した近衛騎士はとても優秀だろう? 昨年はオリヴェタン侯爵家の問題をセレンティーヌと共に片付け、多くの女性たちの憧れにもなった。そんな優秀な騎士は留学中に知ったすべてを報告してくれる真面目な子でもある」


 国賓の説明を聞いたオーブリー侯爵の脳裏に決闘騒ぎのことが浮かんだ。あの一件のおかげでマイヤール侯爵家のアランは初恋相手であるクレール・オリヴェタンに想いを告げる勇気が得られたらしい。

 それはまさに美談そのもので学園内で知らないものはいないと、オーブリー侯爵も聞いている。

 ただ近衛騎士が行う報告は留学中のセレンティーヌに関することだけでよいはずだ。バルニエ伯爵家の次女の婚姻話まで知る必要はない。


「近衛騎士がセレンティーヌ様の安全を考慮し、グレイロード帝国へ報告するのは理解できます。しかしバルニエ伯爵家の問題は関係ないのでは」

「バルニエ伯爵家の次女ミリュエルは、セレンティーヌの大切な『お姉様』のひとりだ。だから、と近衛騎士は私に言ったんだよ。これまで本国で近づく淑女たちのような扱いは避けて欲しいと。つまり向けられる恋心とやらを冷たく振り払うな、ということになるね」

「まさか……ミリュエルが言っていた相手は、宰相殿なのですか」

「戦闘実習の場で高らかな告白を受けたのは私だよ。そしてその時に1年は会わないとの条件をつけた。その間にうら若く未熟な恋心とやらが冷めて他の男に行くことを考慮してね」

「それは無理でしょう。ミリュエルは親ほど年上の相手を好んでおります。つまりのところ彼女は本能的に自分を守ってくれる相手を探しているのですが、その点で宰相殿は完璧な存在となります」

「そうだろうね。実際にこうして、ミリュエル嬢を苦しめる根源を始末するために来ている。私は彼女が他の誰かに恋をして私を忘れることは認めるけど、親に売られて泣くことは認めていない。つまりそういうことなんだよ。竜の賢女殿」


 ここまで説明した後に、ずっと黙って聞いていた竜の賢女に話を向けた。すると銀の瞳で国賓を見つめていた竜の賢女はゆっくりとうなずく。その動きはほんの少しだけ人の動きとしてはぎごちなさを感じた。


「情報を精査して、状況も把握できました。つまりローティス殿はバルニエ伯爵を断罪するために来られたのですね。借用書もそのために?」

「いや、これはバルニエ伯爵が賭博場で一晩にして生み出した借金を肩代わりした時のものです。もちろん本人の了承のもとで作られました。ですがこの借用書にある通り、返済不能の際には伯爵位に付随する一切の権利、そして王都屋敷の所有権は私のものになります」

「返済できないほどの借金を作らせて、そのような借用書を作成したのでは?」

「返済できない金額を借りたのは本人の意思によるものですよ。賭博場の関係者は死に絶えましたが、あの夜に客としていた者たちは知ってます。聞いたところバルニエ伯爵は賭博場の中でもかなり目立っていたそうですよ。あまりに勝ち続けるので見物人が出るほどだったとか」

「ローティス殿はその場にいらっしゃらなかったのですね?」

「実は賭博場に行ったのですが、飲み物に何か入れられたらしいんですよ。おそらく睡眠薬に類似した何かでしょう。客を眠らせて何がしたいのか知りませんが、私の連れが宿へ送り届けてくれたのでこの通り無事です。私自身は宿につく前に寝てましたけどね」

「ええ……現場の状況も今朝のうちに王城へ届いています。そこから推測するに、目をつけられた客はまず強力な睡眠薬を飲み物に仕込まれます。これにより意識が喪失した客を施設の奥にある部屋へ連れ込み、複数の男が犯すのです。男の身体を女のように扱うための魔法武具も現場にありました」

「では私は危機一髪だったわけですね」

「そうですね。こちらも賭博場の客に確認させますが、ローティス殿が借用書を作るのは不可能だと考えます。つまり共犯者がいるんですね?」

「私が罪に問われるようなことをしたような言い方になっていませんか?」

「ああ…そうですね。つまりバルニエ伯爵を罠にかけるための仲間が」

「おりますよ。しかし竜の賢女殿が意識すべきなのは、私に仲間がいるかどうかではありません。竜王国のバルニエ伯爵がグレイロード帝国のローティス・フィレントという男を敵に回したという事実です。そして私は既にバルニエ伯爵を経済的に破産させすべてを奪い取る準備を終えている」

「あなたはバルニエ伯爵を殺したいのですか? 財産も何もかも奪い絶望させた後で」

「つい先程、ロドルフ・オーブリー殿が話してくださいましたね」


 『グレイロード帝国の宰相を敵に回すとは滅亡を意味することである』。それはジェレミーも知る言葉だが、だからこそいまここで竜の賢女がバルニエ伯爵の死を連想するのは正しい。

 だがそんな竜の賢女へ、国賓は向かい側に座るオーブリー侯爵へ手を向け告げた。


「11歳のミリュエル嬢は父によって売られかけた。その時は幸運なことにロドルフ殿に守ってもらい難を逃れられた。だが無力な令嬢が手にするのは絶望だ。王立学園を卒業した先の未来が、自分だけ闇に黒く染められている。だというのに親権を理由に竜王国は彼女を救わなかった。そうやって誰にも救われず絶望をひた隠しながら生きた5年をバルニエ伯爵にも味わってもらうのが筋でしょう。それまでは死などという救いを与えてやるつもりもありません」

「相応の制裁を、ということですね。しかしそうなるとバルニエ伯爵に何をさせるおつもりなのですか? 犯罪を犯していない貴族を奴隷に落とさせる法は竜王国にはありませんよ」

「バルニエ伯爵…ではなく、ただのエティエンヌを娼館に売るだけですよ。そこでやっと売られる側の気持ちも理解できるでしょう。それ以降は彼の得意な種馬となって、金を払っても種が欲しい女に配ってやれば良い」

「売れるんですか? 殿方ですが」


 国賓の言葉に愁眉を潜ませた竜の賢女は怪訝な顔でオーブリー侯爵やデュフール侯爵をみやった。


「殿方も娼館に入ることができるのですか? そして売れるとしても、人間の殿方は喜ばれるのでは? これは制裁になりますか?」


 魔力剣は人ではない。だからこそ彼女はわからない部分を補足しようと侯爵に問いかけてしまう。

 そしてオーブリー侯爵は言いにくそうな顔でひとつ咳払いをした。


「ああ…そうですね。竜の賢女殿にこのような話をするのは心が痛みますが、そういう男がいるのは事実です。ですがこの手の職業には病気が付き物でしょうし、男だから楽しいわけではありません。そしてバルニエ伯爵は多くの子がいますが、そういう行為が好きなのではなく金が好きなのです。しかし娼館に売られた後は己の為ではなく、他人のために種をばらまかなければならない。しかも金を払う客なら貴族も平民もありませんので……彼には屈辱でしょう」

「制裁になる、と」

「相手が女ばかりとは限らないでしょうけどね」


 納得しかかった竜の賢女へ国賓がさらりと言い放った。その上でやっと国賓の視線がジェレミーへ向けられる。


「父親と絶縁して捨てる気はあるかな?」

「王立学園を卒業した時に捨てたつもりです」

「伯爵家に関しては?」

「いまの仕事が続けられるなら、爵位の有無は関係ないと考えます」

「それなら話が早い。私はこの借用書を使って爵位返上の手続きを頼むつもりだ。その後に伯爵でなくなったエティエンヌを娼館へ放り込む。その時点で私のやる事は終わるから、その後のことは竜王国の裁量に従うよ」

「わかりました。しかしその借用書には王都屋敷含むすべての権利とありますが、あの屋敷はどうなりますか。母と愛人と見たことのない妹たちがいるらしいですが」

「住民はひとまず他の場所に移すことになるだろうね。屋敷は手入れが行き届かず傷んでいるようだから」

「そうですね。父の借金のせいで貧しい生活をしており使用人も雇えず、修繕費用も捻出できないと聞きます」

「暗く不衛生な屋敷に幼児を住まわせるのは、それ自体が虐待だよ。君は妹たちと関わろうともしなかったようだけど伯爵位を継いだ後はそうもいかない。無責任と言われないようにね」

「はい。ご忠告痛みいります」


 実質絶縁状態だったことを軽く責められたジェレミーは恭しく頭を下げた。妹のミリュエルを救ってくれた相手の言葉を軽んじることはしない。ただ正直いまでもミリュエル以外の妹を妹と思う心はないし、これから世話をしろと言われてもどう関われば良いかすらわからない。

 しかしそれをしろと言われるのなら、まずは会うことからしてみるか。そう考えたジェレミーはこれからの自分がやるべき事を模索することにした。




 そこで話が終わったとばかりに国賓が立ち上がり、その様子を見ていたデュフール侯爵が何かに気づいたように目を見開いた。

 そしてその反応を前にした国賓は黒い瞳を細めて笑いながらも、デュフール侯爵の気づきに触れることなくオーブリー侯爵へ目を向ける。


「というわけでお二方にはバルニエ伯爵の爵位返上手続きと周知徹底をお願いするよ」


 いろいろと理解もできただろうからと依頼を向ける国賓にデュフール侯爵は笑いながら承諾した。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 夜遅くまで賭博場で遊んでいたエティエンヌは翌日の昼まで寝ていた。だが昼を過ぎる頃に幼い娘の泣き声で目を覚ましたエティエンヌは、まだ眠いのにと悪態つきながらベッドを降りる。

 適当な服に着替えて身支度を整えると、部屋を出て屋敷内の2階廊下から玄関ホールへ向かった。


「うるさいぞ! 平民じゃあるまいし泣き声くらいなんとかしろ!」


 階段を降りながら声が響く玄関ホールであえて叫ぶとその足で屋敷を出た。

 親から受け継いだこの屋敷もいつの間にかくすんだように古臭くなり、屋敷の隅などにはホコリがたまるようになっている。屋敷の管理は妻の仕事だが、我が家の妻はそれすらもできない無能なのだ。

 やはり美しいだけの女は愛人止まりで妻の役目には向かない。そう思いながら屋敷を後にしたエティエンヌは商業地区にある行きつけの酒場に入った。

 そこで遅い朝食を取っていると、顔なじみの常連客がやってくる。


「エティ知ってるか? あの賭博場で殺人事件があったらしい」

「なんだって? 安全な遊び場が売りだったのに酷いな。賭けに負けた人間の腹いせか?」

「いや、そこまではわからねぇけど素人が腹いせでできるレベルじゃあないと思うぞ。なんせ賭博場の人間皆殺しされてるんだから」

「は? あんな大きい賭博場で? 何十人が働いてるのかわからないくらいだったじゃないか。殺人事件に見せかけて騎士団が突入したんじゃないか?」

「そうだよなぁ、戦闘のプロが集団で突入しないとできないよな」


 おれもそう思うよと同意する顔なじみを座らせ、エティエンヌはその後も事件について細かく聞き出した。

 真犯人が誰であるかはわからないが、賭博場にいた関係者は本当に残らず殺されているらしい。そのため実際に賭博場で何人が雇われていて、誰が幹部なのかどうかもわからない。なので騎士団は賭博場で遊んでいた客側に、遊んだことは咎めないと前置きして広く情報を募りだしたのだとか。


 その話を聞いたエティエンヌの頭をよぎったのは借金の存在だ。閉店後すぐに賭博場の人間が皆殺しにされたなら、あのリュースター商会の男へ取り立てもしていないはずだ。そうなるとエティエンヌの借金は帳消しになるのではないだろうか。


 思い立ったら急げと食事を終わらせたエティエンヌは、支払いを終えるとすぐに店を出た。その足で港へ走り昨夜リュースター商会の船に乗った場所へ向かう。

 だがその桟橋はもぬけの殻になっていて近くにもそれらしい船が見つからない。そのためエティエンヌは近くにいた騎士に伯爵であることを名乗った上で港にいる船について問いかけた。港のような平民の多い場所では、貴族であることを名乗らなければ粗雑な下級騎士に無礼な態度を向けられるからだ。

 すると騎士は手元の書類をめくり目を落としつつうなずいて返す。


「リュースター商会船は早朝に調査が終わり、今朝の3番目に出港してますね」

「なんだって!?」


 ではあの男は賭博場に支払っていないのに、借用書を持って行ったのか。その理不尽に私憤を抱いたエティエンヌだが怪訝そうな騎士に礼を行ってその場を離れた。港やその奥にある倉庫街も多くの騎士が行き交っている。そのためあまり長居をして捜査の邪魔をするのも良くないだろう。

 自分は港で働く下賤な者たちと違い伯爵位を持つ貴族なのだ。そう思うまま荷物が立ち並ぶ港を足早に歩き入り口にある港湾管理施設の横へ進む。

 そうして建物の影に入った瞬間、エティエンヌの姿が港から消えた。




 港から出ようとしていたエティエンヌの視界が分厚い緞帳が舞い降りたように闇に閉ざされる。だがそれは一瞬のことで、緞帳があがるように視界が開かれると景色が変わっていた。


「は?」


 戸惑いの声も一瞬。強い力に床へうつ伏せに叩きつけられ組み敷かれたエティエンヌはそのまま腕を背中で縛られ拘束された。


「ホラ、この通り若くて健康そうでしょう。しかも竜王国一の美少女と名高いご令嬢の父君なんですよ。それなりの値段がつきそうじゃないですか?」


 床に組み敷かれ何が起きているのか見えないエティエンヌの頭上に明るい声が飛ぶ。そしてその声に重ねるようにしゃがれた声が落ちた。


「若いってほど若くはないけどねぇ…。40過ぎたら種付けとしても需要がないし。それに竜王国一の美少女ってのもさぁ。あの子は見た目が良いから評価されてるわけじゃないんだよ。見た目も器量も何もかもが良いから称賛されてんだから、顔が似てるだけじゃあねぇ」

「確かに、頭も性格も微妙ですからね。とはいえ貴族の血が欲しいお客様もいるでしょうし、なんなら貴族を組み敷きたい需要はないですか?」

「ああ、そっちなら売れそうだね。傲慢なお貴族様を…って望むお客様もいるから。まあ銀貨3枚だね」

「は??」


 頭上の会話を聞いていたエティエンヌは己につけられただろう値段に驚き声を上げた。


「おかしいだろ! わたしは伯爵だぞ! この状況も無礼なのに銀貨3枚とはなんだ!」

「調教の好きなお客様が欲しければ紹介しますよ」


 憤然と声を上げるエティエンヌの頭上で楽しげな声の主が言う。


「クレリスの歓楽街には遊びのためなら海も超える道楽者もいますからね。しかも盗賊ギルドのルールに則って無茶なこともしません」

「それは助かるよ。けどねぇ、やっぱりこの街も盗賊ギルドがあったほうが良いと思うんだよねぇ。噂に聞くグレイロードの盗賊の頭ってのはやり手らしいし」

「確かにイリアンデ君はやり手もやり手ですね」


 盗賊ギルドという聞いたことのない組織名でも、その名から裏社会の何かだとすぐにわかる。そうして黙ったエティエンヌは不意に身体を蹴りあげられ仰向けにさせられた。

 とたんに視界へ飛び込んだのは見知らぬ天井と、昨夜一緒にいたあの男だった。


「あんた…おまえ!! 昨日の借用書を返せ! いまのこれもなんなんだ!」

「何だと言われても、おまえはいま銀貨3枚で売られたんだよ」

「意味がわからない! なんでわたしがこんなことになるんだ」

「どんな肩書を持っていても人間なら売り物になるんだよね。イリアンデ君は人身売買を嫌ってるけど、僕はそうでもない。おまえみたいなゴミでも銀貨3枚の価値になるなら、売って小さい娘ちゃんたちのご飯代にしようってなるんだよね。ほら、僕ってふたりいる盗賊の頭でも優しいほうだから」

「盗賊のあた…頭ってなんだよ。あんたリュースター商会の人間じゃ」

「あー、あれ? 僕はそんなこと言ってないよ。あの船はリュースター商会が善意で船室を使わせてくれただけ。でもそれはそうだよね? 盗賊は武器を持たないと始まらないんだから武器の卸会社をしてるリュースター商会にとってはお得意様だから。ね?」


 にこやかな顔のブレグスト・ガイヤールはいつの間にかその手に黒い長剣を持っている。


「おまえをここに運んだのはこの魔法剣の力だよ。僕は影から影に人や物を飛ばすことができる。だからおまえも気をつけるんだよ? 夜も明るいこの娼館の中なら良いけど、ここから外に出た瞬間に影から刃が飛んできて殺されるかもしれないから」

「そんな……そんなこと…なんで」

「まだわからないかな? おまえはもう人じゃなく商品なんだよ。その身体が売り物だから奴隷紋を焼かないけど、そういうこと」

「わたしは奴隷にされるようなことをしてないじゃないか…あんたと賭博をしてただけだ」


 奴隷にされたことも恐ろしいが、なによりいまこの瞬間も昨夜と変わらない笑顔でいるブレグスト・ガイヤールが恐ろしい。恐怖に涙をこぼし訴えるエティエンヌに、相手は温厚そうな笑顔で「仕方ないな」と漏らす。

 そのため許されるかと希望に目を大きくさせたエティエンヌへ、言葉が落ちた。


「うちの宰相様は『頭脳だけで敵国を地図から消せる』とか言われてるんだけどね。おまえはその宰相様を怒らせたわけ」

「どうしてそうなる! わたしは君と賭博をしていただけじゃないか!」

「おまえが娘を売ろうとしたからだよ」


 それはエティエンヌにとっては既に売却済みの存在だった。契約は既に取り交わされ、あとは先方の帰国を待つだけの状態だ。だというのにブレグスト・ガイヤールはまだ売却していないかのような事を言う。

 しかもその娘の存在が海の向こうの国にいる宰相とやらを怒らせたとは意味がわからない。


「ミリュエルは既にフェルナン・ダルトワへ売ってある。それがなぜ関係ない宰相なんかが」

「関係ないことはないし、知り合う機会はどこにでもあるよね。ほら、こうやってグレイロードで盗賊の頭をやってる僕が小間使いのように、おまえから爵位を奪っていまも売却手続きまでしてる。おまえが娘を売ろうとしなければ、僕とおまえは無関係でいられたよね? だからおまえは世界最強の国家で宰相をやってる悪魔みたいな人を怒らせた現実に絶望していたら良いよ」


 残念だね。そう優しい笑顔でそう言われてしまったエティエンヌは、縛られ仰向けに床へ寝かされたまま脱力した。

 自分はもうこの建物から外には出られない。盗賊ギルドとかいう組織からだって逃げられる気がしないのに、その裏には大国の宰相がいるのだ。こんなものはブレグスト・ガイヤールの言うとおり絶望するしかない。




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