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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部3年
76/99

74.《欄外》小悪党と悪党

 竜王国王都は高波対策として山の斜面に沿って勾配をつけつつ作られている。

 その上層には王城や貴族の邸宅が建ち並ぶ高級住宅街があり、中層には大通りに面して店が立ち並ぶ商業地区が広がる。そして下層には平民が暮らす住宅街や職人たちが暮らす工業地区、そして海に近い場所には漁業に関わる平民や港の関係者が暮らす住宅地もある。

 そんな下層部の一角には、街の高低差を利用した地下施設も存在した。その多くは船の建造デッキや海外から持ち込まれた品々を保管する倉庫として使われている。


 そんな地下施設の一角に竜王国の管理が及ばない賭博場がある。他国に行けば違法賭博と呼ばれるそこは、盗賊ギルドのない竜王国では港の元締めが管理していた。


 竜王国王都が夜を迎えて港の業務が終わると地下施設へ繋ぐ倉庫街がにわかに活気立つ。

 港の男たちが店の外に並ぶテーブルで酒を飲み、周囲に集まる女を買い、地下施設で刺激の強い遊びに興じるためだ。

 そんな倉庫街で酒に酔って歩く海の荒れくれ者たちは強い。そして久々の陸にハメをはずす者が多いため、ちょっとした衝突から乱闘になることもある。

 そんな男たちはそれぞれ胸を張り、海で鍛えた肉体を見せつけながら堂々と歩く。そんな男たちは前方からやってくる大柄で筋肉質な男に気づいて体勢を変えた。

 胸を張り風を切るように肩を広げる姿勢を辞めて、大柄な男の横を避けるようにすれ違う。

 だが大柄なその男は猫背のように背中を丸めながら、己を避けた海の男など目もくれず連れと話をしていた。


「マジで盗賊ギルドねぇな…見張りがない」

「金庫が扉を開けたまま放置されてるようなものだね」

「宰相連れてこなくて正解だったな。いつ何が起きるかわからねぇ」

「海の男とかいう連中が強さを誇示して歩いてるからねぇ。ついさっきイリアンデ君を見て肩を縮めて道を開けてたけども」


 大柄な男の隣を歩く優男は、髪の色を隠すかのように頭にターバンを巻きつけている。善良そうなその男は楽しげに周囲を眺めていた。

 一方でイリアンデと呼ばれた大柄な男は鬱陶しそうに倉庫街の一角を見る。

 そこは周囲の倉庫と同じ入り口だが、平然と人々が出入りしている。


「入り口に見張りもねぇのか」

「この国は賭博の取り締まりもしないのかも?」

「治安が死んでるってことか」

「港の中なら何が起きても問題視しないのかもしれないね。こちらでいう歓楽街」

「歓楽街で違法薬物なんて扱ったらおまえが殺すだろ。そういう役目もいねぇのに箱だけあるのは怖ぇだけだ」

「うーわ、人を快楽殺人者みたいに言う? イリアンデ君だって先月5人くらいやってたじゃない。あれ結局なんだったの?」

「あれは奴隷商。ガキをどっかから拉致ってきて王都で売ろうとしてた」

「殺したのは否定しない…いや、そこはしないね」


 殺人を否定もしないイリアンデに優男は笑顔のまま納得した。

 そんなふたりは何の審査も問いかけもされることなく倉庫の中へ入り、さらに奥にある開かれたままの扉を抜ける。するとその先は多くの男たちの楽しげな声ににぎわっていた。

 潮の香りをかき消すように酒の匂いと何らかの葉を燻したような白煙が漂う空間に入ってすぐイリアンデが顔をしかめる。

 その視線の先では、平民を名乗るには小綺麗な金髪の男が賭博に興じていた。


「あいつだよ」

「あんな凡人からこの国一番の美人が? イリアンデ君も冗談が言えるようになったんだね」

「言わねぇし。あんたもわかってて遊んでるだろ」

「簡単に調理できそうなカモを相手するより君と遊ぶほうが楽しいからね」

「おれは楽しくない。そこらへんで見張ってるから簡単に調理して来てくれ」


 こんな面倒なところに長居はしたくない。そう素直に言い放つイリアンデに優男は笑顔で承諾した。

 そうして歓楽街の誰より真面目な盗賊の頭と別れた優男は、標的がいるテーブルに近づくと隣の席に座る。そこはルーレットのテーブルで、簡素なルーレットに玉を放り込み入ったマスの数字を当てるゲームが楽しめるらしい。

 複数のランプに照らされたテーブルの周りには十人ほどの男がいて、それぞれ数字を選んで賭けている。その様子をしばらく眺めていた優男の隣にいる金髪の男が勝ち始めた。

 2回連続で当たったかと思えば1回はずして次は3回当てる。そうして当たりが出るごとに金髪の男のテンションが上がり声も大きくなっていった。


「よし! やっぱりわたしはついてるんだ!!」

「おめでとうございます。すごいですね」


 声高に幸運であることを口にするのは、己は幸運だと言い聞かせたいからだろう。そう思いながら声をかけると金髪の男が照れたように笑った。


「ありがとう」

「最近ここ以外でも良いことがあったんですか?」

「はい。娘の婚約が決まったんですよ。しかもかなり好条件の相手で」

「それはおめでたいですね。でも幸運というよりご苦労された結果だと思いますけど」


 優男は笑顔のまま数字のマスに銅貨を置く。すると金髪の男は別のマスにここ数回で増やした銀貨をすべて置いた。


「いやいや本当に幸運なんですよ。娘を育てるのに苦労はありましたけど、今回は親切な方に紹介していただけて」

「幸運なことに良縁を結んでもらえた、と」

「ええ! これ以上ないほどの良縁でした」


 そんな会話の合間にもルーレットは回り、金髪の男が賭けたマスの数字に玉が飛び込む。そんなことを繰り返しながら優男の隣で金髪の男は延々と賭博に勝ち続け、だんだんと賭ける金額も大きくなっていった。



 ルーレットテーブルが5回連続で当てたと盛り上がるのを離れた場所から眺めていたイリアンデは嘆息つく。小さなテーブルにはイリアンデの腕が乗せられ、その手には酒のグラスがある。



 イリアンデはもう40代だが25年近くクレリスという都市の歓楽街にいる。元は奴隷として貴族の家にいたが、10代前半で自分を自分で刺して逃げ出した。

 当時のビタン貴族は、平民を人とも思わない外道が多く子供を拉致して奴隷として売買する事案が多発していた。そして彼もその被害者のひとりとして奴隷にされ、しかし治療費を惜しむ貴族が扱いを悩んでいた隙に逃げ出す。だが腹部の傷は狙いより深く動けなくなったところを親切な老夫婦に拾われ一命を取り留めた。

 それから様々なことがあり歓楽街に流れた後は、当時の盗賊の頭である2代目イリアンデの下についた。そうして数年の後にその名を継いで盗賊の頭となると、歓楽街で貧しい子を拉致する人間たちを始末していった。

 そんな流れを知っているからこそ、あの優男はこちらが奴隷商を殺す事も納得する。

 あちらもイリアンデと同じく先代の名を継いでブレグスト・ガイヤールとなった男だが、あちらの場合は親の後を継いだ形だ。若い頃に両親を殺され、急遽ブレグスト・ガイヤールを継ぐことになった。そんな男の本名はイリアンデも知らない。むしろ賢すぎて何を考えているのかわからないような相手と親しくなりたい気持ちもないので知る気もない。

 しかも互いにかつては対立していた盗賊ギルドの頭同士なのだ。こうして仲良く異国に来ていることがおかしい。


「やあ、イリアンデ君。そのお酒は美味しいのかな」


 退屈な思いと共にテーブルを眺めていた彼の元へいないはずの人物がやってくる。傭兵などが好む地味な色のケープコートをまとっていても気品がこぼれる帝国の宰相は、こんな社会の下層にある違法賭博場でも爽やかな笑顔を見せる。


「エグいな…」

「おや、そのお酒はエグみが強いのかい?」


 面倒なのをふたりも相手しなければならない苦行に顔をしかめるイリアンデの前の椅子に宰相が平然と座る。


「順調かな?」

「人をハメる事に関してアイツが手間取ることはねぇよ」


 だから宿で待ってろって言ったのにと険悪な顔でぼやくイリアンデにも、宰相はまったく怯えたりしない。むしろ安心しきったような顔でテーブルに肘を乗せて頬杖をついた。

 そんな宰相の態度にイリアンデはまた嘆息つく。


「沈めたほうが楽じゃねぇか。そうすりゃ後は爵位返上で終わりだろ」

「死ねば一瞬だからねぇ」

「死ぬまで恐怖を味合わせる、じゃ駄目かよ」

「私がそんなぬるい男だと?」

「あんたは、おれをピクニックに誘っておいて、砦を焼く手伝いをさせた悪魔だよ」

「ああ、懐かしい。あの時は本当に暑い夜を過ごしたよね」

「敵側が数百焼け死んでるレベルでな」


 熱いどころじゃなく灼熱地獄だ。盗賊ギルドをまとめてるはずなのに、敵国を攻める手伝いをさせられたことを指摘してもブレない宰相には呆れてしまう。

 そうして今も楽しげにルーレットテーブルを眺める宰相の目の前でイリアンデはゆっくりと立ち上がった。

 飲み物を持ってくるから動くなと告げて席を離れると、カウンターでアルコール以外のものを注文する。その間にルーレットテーブルから歓声が沸き起こった。そのため目を向ければ見物する客が集まりまた勝ったぞと声を上げている。


 賭博場というものは、盗賊ギルドのような組織が裏で取り締まるのが基本だ。そうすることで組織なりの秩序が生まれる。

 どんな組織も国家を敵にしたいとは思わない。下手に取り締まりなどされて他の部分も探られては困るからだ。だから違法にならないギリギリのところを保とうとする。

 しかしこの手の場所は無秩序で、いつ何が起きるかわからない。だから念の為に来るなと言ったのに、雇い主が聞いてくれないのは困る。

 そう思いながら果汁のグラスを受け取り振り向いたところで、宰相がいかにも船員でもやってそうな男たちに話しかけられているのを目にする。

 もう何度目かわからないため息とともにテーブルへ戻ると、イリアンデに気づいた男たちの笑顔が凍った。それでも引きつった笑みを浮かべて宰相に手を振り再会を望む言葉を残しつつ立ち去る余裕は保てたらしい。

 そんな男たちが消えるのを待ってテーブルにグラスを置いたイリアンデは椅子に座る。


「あの連中は?」

「私を異国から来た富裕層だと思って仕事を求めにきたようだよ」

「あんたの姿勢が良すぎてバレてんだな。それで?」

「それだけだよ」


 問いかけるイリアンデの目の前で宰相は微笑みを浮かべたまま礼を告げてグラスを手にした。

 だがその作法も所作も何もかもが下層の人間とは違いすぎる。そしてそのことを、宰相はわかってて隠さないのだ。

 グレイロード帝国の裏社会を牛耳る盗賊の頭がふたりもいるのだから安全だろうと、わざと警戒心というものを捨ててくる。そんなわかりやすすぎる信頼の見せ方はイリアンデには真似できないし、歓楽街にそれができる人間はいない。

 そしてイリアンデはこの手の人間が苦手だった。

 宰相が実は誰よりも強い魔力の持ち主であることは知っている。だから何があっても己の身を守ることはできるが、イリアンデがそばにいる限りこの男はその力を使わない。

 イリアンデに守らせておいて、ほらおまえがいる限り大丈夫だろうと言う言葉をあえて告げて信頼を表現するのだ。

 だがイリアンデは、信頼を表現するためにその身を捧げるようなことをするなと言いたくて仕方ない。


 イリアンデは、刺されたら痛いことを知っている。悪党に捕まり奴隷にされ、人としての尊厳を失う屈辱も知っている。

 知っていても悪党は殺すが、知っているから無駄に誰かを傷つけたいとも思わない。

 今も楽しげにルーレットテーブルに群れる人々を眺める宰相へ、イリアンデはまた質問を向けた。


「どんな仕事を求められた?」

「観光案内の仕事じゃないかな。いろいろ教えてくれると言っていたよ。この賭博場での勝ち方も」

「それ」


 この賭博場を仕切る側の人間に目をつけられている。その事実に気づいたイリアンデは眉間にしわ寄せた。


「ここを仕切ってるのって」

「港の元締めだよ」

「知ってたのか」


 盗賊ギルドがない場所を調べるのは難しくないが時間がかかる。そのため今回のような急の仕事では下調べや準備が足りないことも仕方ない。

 だが宰相はここのことを知っているらしい。


「こんな海の向こうの国の賭博場のことまで知ってるもんなのか」

「竜王国で生まれてるからね。11歳の時にこの国から逃げ出してビタン王国に移って養子になったんだ」

「親は?」

「私のことは死んだと思ってるよ。それよりこのお茶、少し変わった味がするね? どこの茶葉かな」


 不意に話題を変えた宰相は一口飲んだそのグラスをイリアンデに差し出す。それを受け取ったイリアンデはグラスの中身を少し飲んで眉間のシワを濃くした。


「ここを仕切ってるヤツ」

「港の元締め?」

「殺していいか」

「賭博場を営んで稼いでるだけの人なのに?」

「うちの宰相に薬物仕込んだ罪」

「そのお茶、薬の味はしなかったけどそうなんだね?」

「そうだから宿に帰る」

「ブレグスト君は」

「アイツは問題ない」


 グラスをテーブルに置いたイリアンデは宰相の腕をつかむと強引に立たせて移動を始めた。


 賭博場を出ると倉庫内を進んで外に出る。

 にぎやかな倉庫街には多くの人間が行き交っているが、敵が港の人間なら周囲すべてが敵ということだ。


「歩けるか?」

「問題ないよ。少し眠いくらいで」

「一口飲んだだけで効果出るのがヤバい」


 宰相の言葉をねじ伏せるように言い放ったイリアンデは、ため息を吐きながら魔法武具の名を呼んだ。


「甲冑装備したら周囲索敵しててくれ。宿まで飛んで帰る」


 魔法武具に命じれば、すぐさまイリアンデの全身が黒い甲冑に包まれる。魔法武具によって生み出された鎧は軽い上に防御力が飛び抜けて強いことで有名だ。だが甲冑装備の機能を持つ魔法武具は数が少なく一般人が一生のうちに見る機会もほぼない。


 そんな魔法武具の甲冑が現れたことで騒然となる中で、イリアンデは宰相を肩に担いで飛び上がった。

 港のはるか上空へ飛び上がると王都中層にある広場近くの高級宿まで飛んでいく。

 商業地区の中でも上下はあり、街の高低差に比例するように高い場所ほど価格帯も高くなる。だが宰相はあえて中間地点にある高級だが平民も利用する宿を選んだ。

 ただ今回のように空から移動することを踏まえてバルコニー付きの最上階はイリアンデが指定した。そこがその宿の中で最も値がはる部屋だとしてもだ。



 イリアンデが宿のバルコニーに降り立つと、すぐに内側から扉が開かれる。扉を開けてくれたのは金髪に銀色の瞳を持つ少年で、イリアンデが持つ魔法武具の精霊と呼ばれるものだ。

 魔法剣の精霊は、魔力剣の実体映像よりも能力は劣る。さらに武具による個体差はあるが、イリアンデの剣は戦闘には向いていなかった。ただ探知能力に特化しているため、非常時には歓楽街全域の索敵をして問題を見つけることもできる。


「リー、このまま周囲一帯の索敵を頼む」


 肩に担いでいた宰相をベッドに落としたイリアンデは鎧を消さないまま頼みを向ける。すると少年は上目遣いにイリアンデを見つめたままベッドへ手を向けた。


「宰相さま、ねてる?」

「賭博場で盛られた。睡眠薬使ってアレするアレあるだろ」

「ねかせて、お金をとる強盗さんが、賭博場もやってた?」

「奪うのは金じゃねぇが……たぶん女向けの娼館がこの街にあるんだろ。うちの宰相は黙ってりゃおキレイな男だ」

「貴族の人はみんなキレイよね」

「味わった後、高値で売る。よくある事だ」

「ここは平和だっていってたのに」

「この国には人間を売りたがる連中がいて、うん十年前にフィーリスの母親を殺した。だからフィーリスはカイン・ブレストンを辞めて海を超えたんだろ。まぁけど今夜で終わりだ」


 今も甲冑を消さないイリアンデは後は頼むと告げてバルコニーに出た。そんな大男の手にはいつの間にか黒い鞘に収められた剣がある。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 その日の賭博場はここ数年見ないほどの熱気に包まれていた。客の半数近くが歓声を上げて眺める先には銀貨を山のように積み上げた男がいる。

 男の名はエティエンヌ・バルニエ。伯爵位を持つ貴族だが、その浪費癖のせいで家を潰そうとしている愚か者だ。

 だが今夜のエティエンヌはその愚かさをブレグスト・ガイヤールに操られる道化となっている。

 そしていま現在もエティエンヌは声高に一万枚の銀貨を借り入れチップに加えて、テーブルに積まれた山の数を増やした。


 褒めておだてて、たまにアドバイスもして。その裏で自分の魔法剣の力を使い玉を操り、カードを取り替え勝たせてやる。

 そんなことを繰り返しても普通の人間なら途中で怖じけ付くものだ。運が良すぎると大半の人はそれに恐怖する。

 だが貴族として生まれたエティエンヌの傲慢さがそうさせなかった。むしろこの男はそんな己の性質が伯爵家を傾けているのだとすら気づかない。


 そしてブレグスト・ガイヤールは、どんな人間も笑顔で破滅させることができる男だった。


「時間も遅くなってまいりましたので、これが最後の勝負となります!」


 進行役が高々と告げればそれだけで歓声が沸き起こる。中にはエティエンヌの幸運にあやかりたいと同じ数字に賭ける者たちもいた。

 そんな興奮の熱気と喧騒の中でルーレットが回され、銀色の玉が放り込まれる。男たちが目を見開いて銀の玉の行く末を凝視する中でブレグスト・ガイヤールが目を細めて笑みをこぼした。

 そんな彼の視線の中で、複数の照明からこぼれる光のほんの小さな隙間を飛んだ玉がマスの壁に当たりながらとある数字のマスに入る。

 その瞬間に響いた複数の悲鳴や絶叫は賭博場の外まで届いたことだろう。


 多くの人がハズレたと嘆く中、ブレグスト・ガイヤールはゆっくりと立ち上がった。

 すると椅子を引くその音に我に返ったエティエンヌが金髪をかき乱しながら「無理だ」と叫ぶ。


「賭け金を払えない!」

「それは困ります。こちらも商売ですので」


 小銭を失った客たちが去っていく中で放たれたエティエンヌの叫びに、進行役が苦笑と共に賭けた銀貨の数を数える。

 銀貨の数は2万5000枚。これはバルニエ伯爵家の屋敷を売っても半分にも満たない金額だ。エティエンヌはここまで勝ち続けたことで調子に乗り最後のほうは運営側に5000ずつ銀貨を借りて遊んだ。勝てば返せるからと大金すぎる金額を借り続けたのはエティエンヌの愚かさでしかない。


「わたしが貸しましょうか?」


 死にそうなほど蒼白となったエティエンヌを見下ろし、ブレグスト・ガイヤールは善良そうな顔で問いかける。するとエティエンヌは一瞬目を輝かせたが、すぐに戸惑いの色を見せた。


「金貸しの方でしたか…。ですがこんな大金は……王都の屋敷を売っても返す宛がなくて」

「わかります。竜王国ではそうなりますよね。ですがゲームをしながら貴族なのだと教えてくださったじゃないでますか」

「ええ、それはまぁ」


 爵位は国家から与えられた肩書であり、物ではないので売ることはできない。それはどんな国でも変わらない鉄則だ。

 そんなことはブレグスト・ガイヤールも知っているし、愚かなエティエンヌも知っているだろう。


「わたしの国であるグレイロード帝国でも、爵位を売ることはできません。しかし爵位は信用になるんですよ」

「確かに貴族としての身分は信用になると思います。でも金にはなりません」

「爵位は金になりませんが、信用は金になります。ああ、場所を変えましょうか。これ以上ここにいると閉店作業の邪魔になってしまうので」


 そう告げたブレグスト・ガイヤールはにこやかな顔で金板をひとつ取り出して進行役の前に置いた。不意に出た高額すぎる貨幣に、進行役も驚いた顔を見せる。


「さすがにこれを大量に持ち歩かないから、まずはひとつだけでごめんね。港にリュースター商会の船があるから、閉店後でもいつでも取りに来てくれると助かるよ」

「リュースター商会の方でしたか!」


 それなら金板が出るのも当然ですねと進行役は急速に緩んだ笑顔となった。そんな進行役に後を頼んだブレグスト・ガイヤールは間抜け顔のエティエンヌを立たせて移動する。


 そうして賭博場だけでなく施設から出ると、時間が遅いからか歩く人も少なくなっていた。


「先程の話の続きなのですが、爵位は信用となり、信用は金になるんですよ」

「しかし爵位を担保にしたところで返す宛がなければ意味がないのでは?」

「グレイロード帝国ではその信用を買いたがる人間が多いんですよ。グレイロード帝国で爵位もあるが、友好国であるこの国でも爵位が欲しい。竜王国貴族になるつもりはないけれど、その肩書を名乗りたい人が多いんです。歴史と伝統を持つこの国ならではの価値ですね」

「なるほど」


 竜王国の民は知らないだろうが、国外では竜王国貴族という肩書に高い価値がある。そう語られたエティエンヌはまんざらでもない顔を見せた。

 そんなエティエンヌを連れて港に停泊した船に乗り込むと、船内でスキンヘッドの大男が迎えてくれる。そのいかつい出迎えにエティエンヌがためらうと、ブレグスト・ガイヤールは笑顔で謝罪した。


「このロイ君はうちの従業員なんですよ。船に関することは何でもできる有能な男です。さあ船室に行きましょう」


 お酒でも飲みますかと優しく言われ促されたエティエンヌは、船内の通路を歩いていく。

 リュースター商会が武器の流通に関して世界でも有数の大会社であることは誰もが知っている。そしてそんなリュースター商会のオーナーは世界の船舶の半数を所有すると言われているブレストン公爵家だ。

 ここに来てとんでもない相手と繋がりを得られたエティエンヌは我知らず笑みを浮かべていた。

 やがて高価そうな絨毯の敷かれた船室に通されたエティエンヌは、ブレグスト・ガイヤールと共に借用書を作成した。


『返済不能の際には、伯爵位に付随する一切の権利、ならびに王都屋敷の所有権を債権者に委ねるものとする』


 その文言にエティエンヌは不安そうな顔を見せた。権利を失うという言葉が引っかかったためだ。そうして目を向けた先でブレグスト・ガイヤールは問題ないと言う。


「海の向こうにいる誰かがこの書類を人に見せて、自分は竜王国の伯爵だと笑い話にすることはあるでしょう。しかし船で10日もかけてこちらに来る余裕のある貴族はいないでしょう」

「確かに、領地運営やら社交やら忙しいですからね」


 そもそも母国を離れる貴族などいない。貴族の多くは領地を守る役目を負っており、領地は野党や天災、病害など様々な理由で損害を出す。その損害から領民を守るのも貴族の役目なのだ。


 相手の言葉に納得したエティエンヌは不安をかき消し、借用書にサインをすると意気揚々と船を降りて帰宅していく。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 竜王国王都の中層にある広場は商業地区の中心に位置する。そのため王都を繋ぐ大通りは朝から多くの人や馬車の走る音ににぎわっていた。


 明るい日差しが透明のガラス窓から差し込む広い寝室で目覚めたローティス・フィレントは、そばにいた少年に昨夜のことを問いかける。

 すると人が持たない銀の瞳を持つ彼は睡眠薬らしいものが入っていたことを教えてくれた。だがそれはそれで気になってしまう。


「薬物の味も魔法の気配も無かったのに?」

「この大陸には手当に使うために身体の感覚をなくす薬草があるのです」

「ああ…だけどあれは麻酔として使われるもので、飲んだら…」

「ねむくなる薬じゃないですけど、ねむっちゃいます」

「確かにそうだね。全身が弛緩して意識も失う代物だ」


 少年の説明に納得したローティスはベッドを降りると身支度を整えて寝室を出た。少年と共に客室内の広間へ移動すると明るい日差しの差し込む食卓に朝食が用意されている。

 そして食卓のそばにはブレグスト・ガイヤールが新聞を手に立っていた。


「おはよう、ブレグスト君。昨夜はありがとう。君の仕事をする姿が見られて楽しかったよ」

「あの程度で満足いただけたなら何よりです」


 食卓に着いたローティスの前にブレグスト・ガイヤールが新聞を置いてくれる。だが置かれた2種類の新聞の間に借用書が挟まれていた。

 ローティスが嬉しそうに借用書へ目を通す間にブレグスト・ガイヤールも席について朝食を食べ始める。

 竜王国は魚介料理の豊富さで知られているが、朝食にも白身魚が出ていた。そして異国にやってきて高級な部類の部屋で朝食を食べる機会は他にないとブレグスト・ガイヤールは素直に食事を楽しむ。


「借用書ありがとう。ところで新聞に昨夜の賭博場のことが書かれているよ。通報により倉庫街の奥に賭博場が発見され、賭博場の中で港の管理をしていた男が死んでいたらしい。ブレグスト君、なにかした?」

「いいえ、僕は何も」


 昨夜は借用書を作成するためエティエンヌを連れ出していたから。そう説明したブレグスト・ガイヤールはついでのように朝食が冷める前にと食事を勧める。そのためローティスも新聞を折りたたんで食卓の隅に置いた。





 同時刻、倉庫街に竜王国騎士団が入り騒然とするその片隅で港に停泊するリュースター商会所有の船に猫背の大男がやってきた。

 気配も足音もなく近づき船室の扉を開けたイリアンデにロイは手元の書類を机に置いて背筋を正す。


「頭、お疲れ様です」

「ああ、これ。洗っておいてくれ」


 挨拶を向けたロイの前に立ったイリアンデはコトリと音を立てて血に汚れた金板貨幣を机に置く。


「これは……」

「ブレグスト・ガイヤールの金だ」

「そうですか」


 今朝通報により発見された賭博場は、複数の人間が殺されており凄惨な状態だったらしい。そのため港で働く男たちも戦々恐々としており、自分は昨夜倉庫街にいたと語る者もいる。

 さらに港に停泊している船はすべて出港を禁じられ、すべての船が朝から騎士団による調査を受けていた。ロイがいるこの船も今朝のうちに騎士団がやってきて調べられたが、この船にあるのは隣国サイトラで仕入れた木彫りの見事な家具類だけだ。

 特に近年は赤子が使うベッドが帝国で流行っていてよく売れる。それら説明はこの船に同乗している本物の商会員が説明してくれた。


 むしろロイやイリアンデは、リュースター商会が仕入れのため来ていたこの船を一時的に借りただけだ。


「頭」

「なんだ」

「ブレグスト・ガイヤールは何も言ってませんでしたが、賭博場に問題がありましたか」

「宰相に薬物盛った。昏睡させて好き勝手したら男娼に落とすつもりだったんだよ」

「陛下ならわかりますが、あの宰相は薬物くらい避けられるかと思ってました」

「アレは匂いや味じゃわからねぇよ。15年くらい前に歓楽街で流行ったやつと同じ薬だったからな。その時代に海を超えて流れたまんま使われてたのかは知らねぇけど……ようは悪質ってことだ」


 賭博場に来た客のうち見た目の良い人間を狙って昏睡させてどこかへ連れ去る。その後で具合を確認した後に娼館へ落とせば被害を訴えられる者はいない。

 竜王国に同性愛の文化はないが、あったとしても男が男に強姦されることは屈辱でしかない。だから誰も自分がそうされたと訴えないし訴えられない。

 賭博場の運営側はそこまで計算して娼館へ売る前にお手遊ぶのだ。賭博場の奥にはそれ用の部屋が複数存在し、イリアンデも実際に港の元締めを名乗る男から類似した話を聞いた。


「盗賊ギルドがねぇとクズが調子に乗るから駄目だな」

「頭がここに支部を作りますか」


 竜王国には盗賊ギルドがない。だから小悪党が人身売買などをやるのだとぼやくイリアンデにロイが問いかける。盗賊ギルドの支部程度なら部下を数名派遣するだけで作ることができるのだ。

 だからと問いかけた先でイリアンデは気のない顔で肩をすくめた。


「あいつのいない街をどうにかしてやる気がねぇ」

「そういえば、リシャル副団長が竜王国に行くなら本が欲しいと言ってました」

「は? なんでおまえが頼まれてんだよ」

「その時に頭が不在だったので。頼もうとしたがいないなら仕方ないとおっしゃる副団長から聞き出しました」


 急速に不機嫌になるイリアンデから目を背けたロイが事情を話せば、それなら仕方ないとのつぶやきが漏れる。

 かつて奴隷だったイリアンデが己の腹を刺して逃げた。その後、力尽きたイリアンデを発見したのはさらに幼い少年だった。

 そしてその幼い少年が泣きながら養父母に救いを求めたため、逃亡奴隷でも治療を受け生き延びられた。そんな幼い命の恩人は帝国騎士団で最も真面目で優しい副団長となっている。

 だからイリアンデは盗賊の頭として10代から今まで歓楽街から王都を守り続けてきた。


 そしてその姿を見てきた腹心として、ロイは常に不器用な性格の頭にとっての最善を考えている。


「おそらくモニカ夫人が本を求めているのでしょう。名前は聞いておりませんが、ここ数年でいくつか物語を出した作家が竜王国にいると聞いております」

「わかった。モニカの本を探すくらいなら宰相もできるだろ。無理でもやらせる」


 何より大切な命の恩人で幼馴染み。そんな副団長のためなら地獄にも行く頭は、己が徹夜明けであることを気にすることもなく船室を飛び出していく。

 それを見送ったロイは机の上に置かれた血まみれの金板貨幣に目を落とした。


「あの宰相、わざとハメられたんじゃねぇかな…」


 そもそもあの悪魔のような宰相が賭博場の奥にあるものを知らないわけがない。そして知っているなら賭博場で飲食物を口にすることもないだろう。となるとあの宰相は、イリアンデの性格をわかっていてやったように思えてしまう。

 だがだとしてもそれをロイがイリアンデに告げたところで、あの頭は気にしないはずだ。

 人を傷つけ食い物にする小悪党が、盗賊の頭という悪党に始末されるのは王都クレリスの歓楽街では当然のことなのだから。







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