72.水色の新入生と高等部侯爵家の面々
「シオン・トリベールせんぱぁい」
移動教室のため廊下を歩いていたシオンはまったく聞き覚えのない声から、珍妙な言葉遣いで名を呼ばれた。とたんに共に歩いていた級友たちが笑う。
貴族の子息なら誰しもその口調のおかしさに引っかかるだろう。まるで幼児のようだと。
足を止めて振り向いたシオンは、廊下を走る水色頭の女子生徒を眺めた。見覚えのない顔と見覚えのない色のその女子生徒は、おそらく噂の新入生だろう。
ただシオンが聞いた噂では『天真爛漫で可愛らしい新入生』だった。
「はじめまして! わたしセシーって言います! お友達になってくださぁい」
絶対に拒絶されないという自信があるのだろう。かげりのない笑顔の女子生徒は平然と手を差し伸ばしている。
しかしここまで見てもなおシオンは目の前の生き物を可愛いとは思えなかった。もちろん女性の美醜で何かを判断することはシオンの性格に反する。
だが可愛い以前に嫌悪感が強すぎるのだ。
「ごめんね。誰とも知らない人と友人になれない」
「ええっ! でもわたし、オリヴィエ先輩たちとすごく親しくて、シオン先輩のことも優しい方だって聞いてるんです」
「オリヴィエさんがぼくのことを褒めていたの?」
「はい!」
「それ、嘘だよね」
笑顔のまま平気で嘘をつく。侯爵家の人間を平気で騙そうとする時点で問題なのだが、作法も常識も知らない彼女は知らないのだろう。
そう思いながらシオンはため息を吐き出した。とたんにセシーと名乗った目の前の女は焦った様子でシオンの胸に触れようとする。
しかしその手がシオンへ触れる直前、何かに弾かれたように手を引っ込め女はたたらを踏んだ。女は痛む手を押さえながら驚愕の目でシオンを見つめる。
「なにしたの? なんで触れない?」
「ぼくは何もしてないけど、瘴気を避ける古代異物を持ってるからそのせいかな。ごめんね。ぼくは瘴気に弱い身体だから、魔力の強い人は無理なんだ」
これはシオンがこれまでの体調不良を含め周囲にも説明していたことだった。昨年まで寝込むことが多く学園生活がままならなかったのは、魔力が毒になる体質のせいである。
だがある人がその原因を教えてくれて、浄化もしてくれた。おかげで人並みに動けるようになったのだと。
そしてそんなシオンの説明に説得力を持たせたのは、昨年度の年度末に導入された新型魔力測定器の存在だった。あの測定器の説明時にも教師たちが言っていた。「今まで魔力が無いとされていた者たちは、実は神聖力を持っている」と。
「そんなのおかしい。シオンはそれを知らないはずでしょ?」
それはわたしが教えることなのに。そうつぶやく女を真顔で眺めたシオンだが、すぐに笑顔を作った。
「じゃあ移動中だから行かなきゃ。君も早く教室へ戻ったほうがいいよ」
優しい口調を心がけて告げたシオンは待っていてくれた友人たちと歩き出す。そうして女から離れたところでシオンは友人たちの雑談にまざった。
現在の高等部2年Aクラスの男子学生たちは、昨年もその前も砂糖菓子の突撃を目の当たりにしてきた。
唐突に教室へ現れてはアドリエンヌの元へ飛び込み、その身に顔面をぶつけて「コルセット!」と叫ぶのだ。
そんな可憐で無邪気で甘えん坊な後輩を見てきた彼らが、今さら噂の新入生とやらに何か思うことはない。
そして同時に、ミリュエル・バルニエの悲劇のような見合いを持ち込んだ主犯らしいオリヴィエ・アンベールたちと親しくなれるわけもない。
むしろ彼らをSクラスから落とすために、Aクラスの生徒たちは結束して皆で勉学に励んでいた。
Aクラス全員がアナベルを中心として試験勉学に励み、最終的に彼女ら5人に加えて何人かが上がれたらオリヴィエたちを落とすことができる。それはミリュエル・バルニエのために皆でできる仕返しとして考え出した答えだった。
「けどシオンがもらったその古代異物すごいな。あの新入生が何をしようとしたのかわからないけど、触れないって」
「なんだっけ? あの近衛騎士君になりすましてた……」
「ミシェル・ディラン君だよ」
「そうそうそれ。古代異物を持ってたとこがすごい」
シオンと共に廊下を歩きながら友人たちが口々に言う。彼らも食堂に現れたアニエスそっくりな彼のことを見ていたらしい。
「まあけどそれはそれこれはこれって感じで、いまのおれらは勉強するっきゃない。古代異物があっても頭は良くならないし」
「それはそうだ」
Aクラスにいる侯爵家子息はシオンだけだ。他の男子学生たちは伯爵家や男爵家の子息が多い。そんな彼らでも仕返しに参加したいほどに、ミリュエル・バルニエの今回の話は許されざるものだったのだ。
彼らにはミリュエル・バルニエの見合いを潰す力はない。
だが伯爵令嬢である彼女の悲劇を他人事にとらえる者もいない。侯爵家は絶対的な存在だが、だからと今回のような形で自分たちの人生を潰されたいと思う者もいないからだ。
そう素直に義憤してくれる級友たちをシオンは心強く思っていた。さらに同じ侯爵令息としてシオンを排除することなく、今のようにオリヴィエたちや新入生が来ても大丈夫なように守ろうとしてくれていることも感謝している。
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「おかしい……。なんでシオンが神聖力のこと知ってるのよ。あれって主人公との恋愛イベントで教えられる話でしょ。魔女ルートだってそうだったのに」
2年生の区画から離れるべく階段を降りながらセシーは顔をしかめていた。オリヴィエたち3人は問題なく落とせたが、他がどうしても落ちない。
プラチナブロンドの病弱イケメンなシオン・トリベールは、主人公が救うまで寝込むことが多いキャラだった。だが先程のシオンは元気そうで、さらに己が寝込む原因も知っていた。
その時点でもうルートが壊れたと認識しても良い。
それに7人の攻略キャラの中で1番人気なベルナールにはまだ会えてすらいない。元々ベルナールは隠しキャラのようなものだから会いにくいのはわかるが、情報すら入らないのはおかしい。
少し前までは1年生モブたちも従順で、侯爵家の男子がどこにいるかなど教えてくれていた。そしてそれはゲームの中でも情報源としてあったのだ。
1年生モブたちは身近な味方として主人公を助けてくれるはずだった。
そしてその筆頭となるのが、1年Sクラスのアラン・マイヤールだ。
ゲーム内のアランは攻略キャラでもありお助けキャラでもあった。素直ではない性格でツンデレキャラとして人気が高いのだが、彼は初恋相手の死という傷を負ってもいた。そしてそんなアランを主人公が癒すというのがだいたいの流れだった。
もちろん魔女ルートのアランは薬物に溺れるが、そのおかげで初恋を忘れられたのだから幸福な結末だろう。
1年生の区画へ戻ったセシーは前方を女子生徒と歩くアランを見つける。そのため声をかけながら駆け寄ると、アランは面倒そうな顔で振り向いた。
「話しかけるなって言ったろ」
「アランが素直じゃないことはわかってるから大丈夫だよ! それよりアランは元気?」
ゲームのままならアランは1年前に初恋の相手を亡くしているはずだ。セシーも相手の女に興味はないが、親に虐待されて自殺しただのと何度もシナリオに書かれていた。
むしろそうやって何度もアランが苦しみを吐露していたのだ。だがそれも薬を与えるごとに減っていき、そのうちに主人公の言いなりになる。
『巫女ルート』ならそこで心の傷を癒すだのなんだのするのだろう。だがセシーはそんな面倒な手間を省きたかった。
「アラン、わたし寮でクッキー焼いてきたの。よかったら」
「ああ、いい。いらない」
そのクッキーは、正確には寮でも食堂でもなく週末に自宅で作った物だ。学園内では魔法どころか薬を作ることすらできなくなったため毎週末帰宅して作っている。
そのひとつを差し出そうとしたセシーにアランは素早い拒絶で返した。
その反応もツンデレかと流したセシーが差し出したか、アランは一歩下がり距離を取る。
「いらないって言ってるだろ。あとおまえ、その髪は不敬だからやめろ」
「は?」
唐突に向けられた不敬という言葉にセシーは目を丸める。我知らずにらむように見た先でアランも呆れた顔で周囲を見やった。
「高等部1年の中じゃあ、おれが一番上だから言わなきゃならないし、言うけど、この国の至宝に成りすますような色は辞めろ。魔法武具で色を変えるのは認められてるけど、おまえのそれは不敬だ」
「わたしは元々この色なのよ!」
「空より薄い青色の髪なんて人間じゃありえないだろ。バカか」
ありえない。セシーは反射的に思った。
ゲームの主人公もこの髪と瞳の色で、それが認められていた。むしろ巫女ルートで主人公が巫女として扱われたのはこの色を起因としている。
だというのにアランはそれを不敬だと言う。
「そんなことを言うアランのほうが不敬なんじゃないの!? だってわたしは」
「おまえ少し前にここで中等部の留学生と会っただろ。あいつはグレイロード帝国から来てるんだぞ。そんな相手に初対面丸出しで挨拶して口説こうとしたおまえの姿をみんな見てる。この国の至宝は帝国の公女なのに、あいつを知らないなんてありえない」
「帝国から来てるからってなによ! わたしもここへ来る前は帝国にいたのよ。アランは知らないでしょうけど帝国は竜王国より大きくて、人だってずっと多いの! みんながみんな知り合いなんてならないのよ」
「去年中等部の3年生だった連中は、みんなアイツが何なのか知ってる。去年のアイツは黒の騎士団服をまとって緋色のマントを背にした姿でおれと決闘してるからな。アイツはここではただの留学生だが、帝国からマントを与えられた上級騎士で近衛騎士団の所属だ」
「近衛騎士?」
そんな存在は知らない。続編の攻略キャラかと思ったあのイケメンは、肩書もこんな学生たちとは比べられないものだったらしい。
だがいまのセシーにとっては邪魔でしかない。
「あの近衛騎士は知らないわ」
「一般人のおまえが知ってるわけないだろ。けどつまりそういうことだよ。侯爵家にいる一部のバカをだませたからって他もいけると思うな」
「けどアランだっていつわってるでしょ!」
「はぁ? おれが嘘をつく理由がないだろ」
「だってアランの初恋の人はもう死んでるじゃない! 本当は悲しくてつらいのに平気なふりをして」
「ふざけるな! おまえのそれはオリヴェタン侯爵家に対する侮辱だぞ!!」
激昂したアランは声を荒げると廊下の壁を殴った。とたんにそばで棒のように立っていた女子生徒がアランの前に進み出て、彼の拳をつかむと下ろさせた。
「だめよ」
「けどあいつはよりにもよっておれのクレールが死んだなんて」
「昨年の騒ぎをどこかで聞いて、誤解してしまうことはあるでしょう。ましてや彼女は高等部入学組だもの。正確な情報が得られなくても仕方ないわ」
温和そうな口調でそう告げた女子生徒は、そのままの表情でセシーへ振り向いた。
鮮やかな金色と青色の瞳、そして整った顔立ち。だがその姿も、セシーには男受けが良い程度のものにしか見えない。
男にすり寄り、男に寄生して、男に甘やかされるだけの余ったれた貴族の女。
「アランが驚かせてしまってごめんなさい。でももうすぐ授業が始まるから、あなたも教室に戻ったほうが良いわ」
「そうね。そうする。でもわたしは誰のこともだましてないわ。この色だって前からこうしてるだけだもの。この学園に来る前からずっとよ」
「ええ、きれいな髪ね。とても可愛らしいわ」
何を言おうと女子生徒の笑顔は崩れないし、アランはこちらを見向きもしない。状況の悪さを認識したセシーは女子生徒の言葉に従って教室へ戻ることにした。
「わたしは教室に戻るわ」
「ええ、まだ学園に慣れていないでしょうけどがんばってね」
それは新入生に対する純粋な優しさだ。その無害で慈悲深い女子生徒の姿は、この学園内なら令嬢の鏡のような評価を得るだろう。
だがセシーはそんな女の存在が鬱陶しくてたまらなかった。
すべてに恵まれているから他人に優しくなれる。他人の物を奪う必要もない余裕ある上級国民の姿は見ていていらだつだけだ。
舌打ちしたセシーはAクラスへ戻るべく歩き出した。その裏で女子生徒がアランの頭に手を伸ばして撫でているとも知らず。




