68.ミシェル・ディランは最終兵器 後編
広い食堂には多くの学生がいてそれぞれ食事をしているが、早い者は既に食事を終えて食堂を出ようとしている。
主に騎士科の学生たちはその傾向にあるようで、たくましい体型の学生の集団が模擬戦の方法について語りながら足早に食堂を出ていった。
「おまえがベル姫と一緒に生徒会してるとかどうなってるんだよ」
「今すぐ隕石降ってくるんじゃねーか?」
「むしろ爆発しろ」
笑いながらそばを抜ける学生たちの中にいたひとりが、アニエスに気づいて慌てて戻ってくる。
「アニエス君どうしたの! あ!もしかして今日はベル姫にステーキ食べさせてもらう日? もし時間余ってたらあとで模擬戦しようよ!」
「なるほど、君は自殺志願者なんだね?」
「いやいやまさか」
騎士科の学生らしいその男子生徒はアニエスの言葉に笑って返した。だが笑っていたその騎士科学生は笑みの片鱗を残しながら首を傾げてアニエスの肩を叩くように手を乗せる。その上で二の腕を軽く叩いて確認した後に手をつかみ手のひらを見た。
「おかしいと思ったらアニエス君じゃなかった! え? でもこんなそっくりさんいる? 誰さんです?? そこでニコニコしてるシオン君この子だれですか!」
「アニエス君の双子の弟さんらしいです」
騎士科の学生と面識があるらしいシオン・トリベールが笑顔のまま答える。すると学生は安堵したような顔でなるほどとつぶやいた。
「なんか一瞬でも魔女が化けたのかと思っちゃってごめんね。生徒会でそういう話を真面目にしてるアニエス君たちを見てるから、実はこっそり怯えてるんだよ」
「魔女は魔力が強いと言うだけの女の総称だ。人間である限り他人に化けるような技術は持てないだろう。せいぜい魔法武具を使って己の外見を少し変える程度だよ」
「そうなんだね。弟君もそういうこと詳しい子なの? 君も帝国騎士?」
「今の私はアニエスを名乗っているから帝国騎士ではあるよ」
「ややこしいややこしい。それはややこしい。こっちは君自身のことを知りたいんだよう。いくら双子だからってなんでも一緒くたに扱うの失礼かなって思うし」
「こちらは一緒くたに扱ってもらって構わないよ。それより私はこの施設の中心に行きたい。君との会話は楽しいが、続きはその後でも良いかな」
「中心?」
アニエスから向けられた思わぬ望みに学生はちらりとシオンを見た。するとシオンもうなずきながら、模擬神殿という名前を口にする。
「高等部と中等部を合わせたこの学園の中心に竜の神へ祈りを捧げるための聖堂があるから」
「確かにあそこは中心地で王立学園の象徴だよね。竜信仰の中心である竜神殿を模した場所だから模擬神殿ってみんな読んでる」
シオンに続くようにそう語った学生は仲間へ先に言っててと告げると改めてアニエスを見た。
「改めましておれはアルノーだよ。君は?」
「今はアニエスだよ」
「うーん、弟くんはとんでもなく防御力強いじゃないか。名前も教えてくれないの?」
それは寂しいけどと3人で歩き出す中で学生が言う。そしてシオンも同意するようにうなずいて寂しいよねと何かを請うような目で微笑む。
そうして前を歩く年上ふたりから名乗ることを求められた彼は小さく笑った。
「本音で語っても?」
「むしろそのほうが嬉しいよ。アニエス君の弟ってことはもう友達みたいなものだし」
「うん、君がどんな人なのか知りたい」
「実を言うと私は私がわからない。ディラン公爵家でアニエスの双子の弟として生まれて名を与えられた。そしてミシェル・ディランとして15年を生きているが、私には前世の記憶もあるから」
「前世の記憶って、死ぬ前の記憶みたいなあれだよね?? え? そんな人いるの?」
素直に驚いた騎士科のアルノーは素直に凄いとつぶやく。だがその足取りは迷うことも止まることもなく第二校舎から第一校舎へと移動していた。
「ところで背後からやってくる強い魔力の持ち主は、噂のベルナール・ローランかな」
「ベル姫が?」
だがアニエスの問いかけにアルノーは慌てて足を止めて振り向く。しかし第一校舎と渡り通路を繋ぐ地点に立つ彼らが追ってくる者を視認できない。
だが少し待っていると小さな足音を響かせて第一校舎の廊下へ淡い金髪の学生が飛び込んできた。
学生は息を切らせながら3人に駆け寄ると疑心の目でアニエスを凝視する。
「ベルちゃんそんな走ってきちゃうの?」
「アニエスが、シオンと歩いていると聞いたからな……だが」
本気で走ってきたらしいベルナールはいまだ呼吸もままならない。そのため口元に手を当てて、大きくため息のような息を吐き出した。
「アニエスじゃないな」
「双子の弟さんなんです。ぼくが魔力で衰弱しかけてるからと助けてくれて」
「たしかに弟がいると聞いたことがある。つまり君も神聖力を持っているんだな。そしてリリほどではないだろうが浄化ができるのか」
「それは大きな誤解だよ。ベルナール・ローラン殿」
「硬い呼び方をしないでくれ」
帝国の宰相も認める才能の持ち主と礼儀を向けようとした彼に、ベルナールは短く厳しい口調で返してきた。
そのためついアニエスも笑ってしまう。
「それはなかなかの理不尽だな」
「君はアニエスのフリをしてここにいるんだろう? アニエスが何をしているのか知らないが、フリを続けるのなら他人行儀でいるべきじゃない」
「なるほど。アニエスのために君と親しくするべきだと。その意図は理解するよ」
「君はいちいち言い方が硬いな」
アニエスの言葉にベルナールが呆れた顔で言う。だがそんなベルナールの言葉にこそアルノーとシオンは顔を見合わせてしまった。
この学園においてもっとも硬い人間にそれを言われたくないだろうと思ったためだ。
かくしてベルナールを加えた4人は渡り通路を抜けた先に開放されている扉を抜けた。
白い豪華な扉を続けて3枚抜けた先に高い吹き抜けを有した聖堂がある。そこはこの国の信仰の中心である竜神殿を模して作られた模擬神殿にある最も広い場所だった。
どこからか陽射しが差し込む聖堂には白い巨大な竜の石像が鎮座する。その裏に飾られたステンドガラスには青い竜が天から降りる様が描かれていた。
「君はここにきて何をするつもりなんだ」
「魔女の力を抑制する魔法陣を組む」
「なんだそれは」
アニエスの答えがわからないベルナールは今も怪訝な顔を見せている。そんな彼を放置してアニエスは制服の上着を脱ぐとアルノーに持たせた。その上でネクタイを緩めるとなぜかアルノーが赤らんだ顔をそむけた。
しかしアニエスは気にすることもなく聖堂の中心に立つ。ちょうどそこは陽射しが差し込む場所なので、昼には陽射しが中央に入る設計なのだろうと考えられる。
「先程の話の続きだが、私は私がわからない」
袖をまくりながらそう告げたアニエスは陽射しを取り込んでいる高い天井にある天窓を見上げた。
そしてその光景は、そばにいる3人にはどこか神聖な何かに見える。
「ぼくはミシェル・ディランとして生きている。でも前世の記憶があるせいで、よくそれが混在してしまう。そしてその記憶がミシェル・ディランであることを否定して不安定にさせる。それでもこれは悪いばかりではないんだ。こんな感じで……」
語尾とともに手のひらを床に向けると足元にも赤色の魔法陣が現れた。アニエスの足元でクルクルと回る魔法陣だが、そこから魔法などが出てくる気配はない。
赤色の光を飛びて床で回る魔法陣を眺めていた3人の視界の中で不意に炎が高く燃え上がる。そのため視線を上げれば、緋色の髪と宗教画に描かれる2枚の紅蓮の翼が目に飛び込む。
「広域魔法陣の展開」
アニエスを名乗る彼がそう呟けば魔法陣が一気に拡大した。床で円形に描かれていたそれは2枚に分離しながらさらに広がり、1枚は空へ飛んでいく。
聖堂内にいる3人が見えないほど大きく広がった魔法陣はやがて王立学園全域を包むほどに広がると、その空間に赤い光を散らしながら消えていく。
「もうこれで魔女は魔法を使えない」
魔法陣が何の音もたてず広がっては消えた聖堂の中心地には、もう元の黒い色彩に戻った少年が立っていた。
「いまの戦神ロールグレンじゃないの!!!」
そこで我に返ったアルノーが聖堂内に響くほどの声をあげたのでアニエスに似た彼も笑う。
「そうだよ。ぼくは戦神ロールグレンの転生。でもノワール・ブレストンじゃないから、さっきの魔法だって言語化してイメージを補強しないとうまくいかない。現実なんてそんなものだよね」
生まれて15年しか経っていない子供だから、己の力も使いこなせない未熟者。そう肩をすくめた彼はベルナール・ローランの前にやってくるとシオンへ手を向ける。
「でも戦神の力を受けることで彼の浄化は完了した。それにぼくの結界内では他者を害するすべての魔法が使えない」
「でもそうなると魔法実習ができなくなるよ?」
「生徒が他人を害する意図を持った瞬間に魔法は消えるけど、その意志がなければ消えないよ。魔法実習とやらが人に危害を加えるものじゃなければ成り立つ」
「つまり魔法を使う瞬間の気持ちを察して勝手に消えたりする結界? それはなんかすごいね」
「アルノー君は誤解しているかもしれないけど、これは魔法ではなく神の奇跡だよ。イメージさえできればなんでもできる」
「教えてくれないか」
アルノーの質問に答えていた彼は、ベルナールが口を開いたことで視線を移した。その上で「どうぞ」とうながせば、ベルナールは真面目な顔で言う。
「他人に危害を加える魔法とはなんだ? 君は何を思って魔女のその魔法を阻もうと考えた」
「先程の私はシオンを救うことを求められ、リリとともに食堂へ行った。するとその場にあるすべての食事に魔法がかかっていた。正確には魔女の妙薬を使ったのだろう。食堂の食べ物に混入させれば簡単に学園全員の体内へ取り込ませられる」
「食堂で食事をした全員が狙われていたのか」
「魔女の妙薬は対象者の持つ魔力量によって効果が変わる。この国は魔力至上主義で高位貴族であるほど強い魔力を持つのだろう? だとしたら効果が出るのはその辺りだ」
「侯爵家が狙われていたのか。だがなぜ侯爵家を狙う?」
「個人の思惑など誰にもわからないだろう。だが私が魔女なら、君を狙うよベルナール・ローラン」
アニエスと酷似した外見の人物から名指しで狙うと言われたベルナールは素直に驚く。
「なぜ俺が?」
「見た目が良いから」
「は? ここでふざけないでくれ」
「いやこれは事実として言っている。魔女の妙薬は人の心を奪うものだ。表向きは魅了されたように見えるそれを受けると魔女の言いなりになる。それを使えば、信頼関係の構築も恋愛の段取りも飛ばして最高の男を手に入れられるんだ。君は最高の標的だと思うが……アルノー君はどう思う? 君はベルナール・ローランを姫と呼んでいただろう」
「おれが魔女ならやっちゃ…いや、失恋済みのおれはやらないよ。でも誰かと言うならベル姫を選ぶよ。だって可愛いから!!」
「熱烈な告白をありがとう」
真っ赤な顔で可愛いと叫んだアルノーに、アニエスは泰然と礼を向けた。そしてその隣にいるシオンも、確かにとうなずく。
「表向きは恋に溺れてるというなら、もうベルナールさん以外の全員が落ちてしまってる状態ですよね。侯爵家の男子3人ともあの青色の新入生に夢中だから。あ、そういえば既に魔女の魅了にかかってる人はどうなるのかな?」
「瘴気を浄化するのではなく魔法を砕くなら、竜の力に頼るか海の向こうから解除士を招くしかないな」
「そこは戦神ロールグレン様の奇跡でも無理なんだね」
「できなくはないが、体内を焼かれるような痛みを伴うから勧められない。その点で竜の浄化は苦しみも一瞬で済む」
「ちなみにリリ様の浄化は周囲の人の魔力ごと浄化してしまって、ベルナールさんは10日も寝込んだけど…」
「そもそも未熟な雛にそんなことをさせるほうがおかしい。シオン君の命を救ったその時も、判断としては間違っているからな。この国において命は平等ではなく、竜の雛は何にも代えられない存在であるはずだ。だがリリは優しいから己の危険を顧みずやってしまう」
本来ならシオンは死ぬべきだった。そんなことを戦神ロールグレンの転生に言われたシオンは目を見開いたまま固まる。
だが絶句した様子のシオンを前にした彼の態度は変わらない。
「この国は天空の民の血を引く者が多いのに、魔力至上主義を貫いている。その時点で君のような存在は遺棄されるべきものだろう。君のような存在が生きるためにはこの国の魔力至上主義を排除しなければならない」
「そんな…ことは、難しいですよね。ぼくの父ならその話をすれば考え方を変えてくれると思います。息子の命より大事なものはないと言ってくれるので…でも」
大きすぎる課題に真っ青な顔で戸惑うシオンは、アルノーから肩を抱かれ優しく叩かれた。
「シメオン・ローランという人物を知ってるか?」
シオンたちから視線を移した彼はベルナールに目を向け問いかけた。するとベルナールは怪訝そうに眉を寄せる。
「知っているが、魔力至上主義そのもののような人だ」
「そんなはずはない。彼はかつてノワール・ブレストンと何度も手紙を交わしている。彼はその時点でシオン君のような子供を救う方法を求めていたんだ。彼の兄は、己の魔力の強さがシオン君のような子を死に至らしめると気づいて出奔した。そんな兄の考えは正しかったのか、そして正しかった場合はどうすればいいのか問いかけていた。そしてノワール・ブレストンは彼に竜王国の実情を教えた」
「だが父は俺に優秀であれと言い続けていた。弟にも高い魔力量を求めていたんだ。その厳しさのせいで弟は父に恐怖して家にいることも嫌だと言う。それは!」
「己の血族が既に取り返しがつかないほどの魔力量を有している。それはこの国では称賛される才能だが、反面で君たちの存在はシオン君のような子を殺す。だとしたら彼にできるのは、君たちが己の兄のように出奔することをうながすことだけだ」
「どこの世界に己の子を国から出させようとする親がいる!」
「マティアス君が無自覚にシオン君を殺したとして、君はそれを仕方ないことだと言えるのか? そしてマティアス君がそれで納得すると?」
彼のその言葉にベルナールとシオンは同時にトリベール侯爵家での出来事を思い出した。
あの時のマティアスは己の魔力を使ってシオンの身体から魔力を引き出そうとしている。そしてあの時のリリは普段は見せない強さで命じていた。
その時にリリも言っていたはずだ。魔力の強いマティアスが触れただけでも危険なのだと。つまり実際にあの時のマティアスはシオンを殺しかけていたのだ。
「マティアスはシオンのことを心から心配していた。だがもしリリがいなければ、あの時にシオンは死んでいた。そして魔力や瘴気が毒なら、確かに俺やマティアスの存在は人を死に至らしめる」
「シメオンは、我が子を出奔させたいのではなく、兄のような選択肢を与えるために厳しくしてきたのだろう。実際に君はグレイロード帝国の宰相が目をつけるほど優秀だ。そしてシオン君のことも、リリがいなかったとしてもシメオンに事情を話せば解決策は出ただろう。彼はノワール・ブレストンが生きていた時代に精霊石を集めておくと手紙に書いていたからな。そして実際にアルマート公国にあるリュースター商会に彼の購入履歴がある」
「精霊石とやらを集めればシオンのような子供は助かるのか? だが父はそんなことを誰にも言っていない」
「魔力至上主義の中心である侯爵家を変える勇気が彼にはないらしいからな。ノワール・ブレストンに対する手紙にも書かれていた。出奔した兄なら侯爵家たちと渡り合えただろうが自分には難しいと。きっとノワール・ブレストンが死んでいなかったらその手紙に応えられただろうが、もういない」
「君は?」
ノワール・ブレストンはかつて世界最強と讃えられたグレイロードの元騎士団長だ。そんな彼なのだから世界中から救いを求める手紙も届くだろうし、その中にシメオン・ローランが含まれていたのかもしれない。だがノワール・ブレストンはベルナールが物心ついた頃には過去の人として扱われている。
けれど目の前にはそのノワール・ブレストンの生まれ変わりがいて、当時のことを詳細に記憶しているのだ。彼なら何とかできると誰もが考えるだろう。
「ぼくはノワール・ブレストンじゃない。アニエス・ディランの双子の弟でミシェルだ。戦神ロールグレンの力すらまともに扱えないぼくが名乗ることはしないし、できない」
「なぜ」
「名乗れば多くのことを求められるけど、ぼくはそれに応える力がない。この点はリリと同じだよ。未熟な雛だからできないことが多いし、無理をすれば死ぬ。ただ今回はアニエスが瘴気疲労で寝込んだから、その原因を潰しに来ただけで…」
「待ってくれ」
言葉を途中で遮るように彼の両腕をつかむ。そうしてベルナールは今まで以上に緊張した顔で問いかけを重ねてきた。
「アニエスは寝込んでいるのか? 瘴気疲労とはなんなんだ」
「詳細は知らないが、おおよそ魔女と接触したのだろうと憶測してる。あの魔女は広大な食堂でも位置がわかるほどの魔力を垂れ流していた。あれだけの魔力を近くで受ければ体調も崩す」
「アニエスは…確かに昨日そういう人物と遭遇したと言っていた。クッキーを渡されそうになっていたと」
「それは食堂の料理より明確なマーキングだな。きっとそれにも薬草と治癒魔法と魔女の魔法が入ってる」
「魔女の魔法? 薬草と治癒魔法だけではないのか」
「物語に語られる魔女の妙薬はそれだけで良い。物語の主人公である第三者へ渡す前提の物だからな。そして主人公は妙薬を使う直前に、己の魔力を込めるため何かしらの魔法を使う。そうするとそれを体内に入れた者は、魔力の持ち主へ惹き付けられる」
「つまり、最後の魔法とは、印を刻むためのものか」
「ああ、飼い主を間違えたら困るからな」
彼のその言い分を聞いたアルノーが「ペット感覚なのか」とつぶやいた。そのため彼はアルノーを指差して正しいと返す。
「魔女の妙薬の起源は、魔力の強い者たちが国を裏切ることを防ぐための拘束具のようなものなんだ。そうでなければ街から離れた辺鄙な場所で、己を犠牲にして魔物と戦う人生なんて選ばない。かつてこの周辺地域で魔女や魔剣士と呼ばれた者たちは、その土地の領主に妙薬を飲まされ、従属させられ死ぬまで戦わされた哀れな人々だ。だが年月の流れの中で従属させられるだけの存在が立場を逆転させる。それがさらに年月を重ねて、今の竜王国貴族が持つ魔力至上主義になった。魔女や魔剣士という存在が消えたのは貴族に取り込まれたためなんだ」
「では俺たちは魔女たちの子孫でもあるのか。だがだとしたら俺たちに妙薬を使おうとするあの魔女はなんなんだ?」
「魔女の妙薬を使って嫁ぎ先でも探しているんだろう。妙薬を使われた者は死んでも飼い主を裏切らないと言われている。侯爵家の人間が愛人も作らず己だけを死ぬまで愛してくれるなんて、支配欲の強い人間なら最高だな」
「それは困る」
「ベルナール・ローラン殿は」
「呼び方が硬い」
「君はぼくの義理の兄になるの?」
「は?」
呼び方を指摘しただけで口調が変わった彼から上目遣いに見つめられる。その何かを請うような瞳を見つめていたベルナールは、かなりの間を開けて勢いよく引き下がった。
アニエスによく似た彼から手を離して距離を取ったベルナールの顔は赤い。
「君は何を言っている!」
「ええ? 私は素直にあなたが」
「アニエスの真似をするな!」
「こんな理不尽はない! あなたの身体にアニエスの神聖力が残ってるんだから、そう思うのは当然じゃないか! 会うたびに治癒をかけてなければそんな痕跡は残らないのに!」
「そんなことはされてない!」
「ぼくのアニエスは優しいから目の前に疲れた人がいたら心配するよ! でもこの学園であなた以外に痕跡を持った人間がいないなら特別ってことじゃないか! ぼくの憶測は間違ってないよ! そうだよね! アルノーさん!」
「わー、おれに振ってくれちゃうのか。でもアニエス君はそもそもベル姫と結婚できなくない? え? 帝国だと結婚できるの?」
「できるよ大丈夫」
「それなら何も問題なく両思いなんだけど、ふたりとも無自覚なんだよ」
「ええっ…ここでも鈍感なんだ…」
「アルもふざけた事を言うな」
無自覚だと言われたベルナールは赤面したまま言い放つのだがアルノーの苦笑いは崩せない。
「ベル姫は自覚してないと思うけど、アニエス君への独占欲はなかなかだよ。アニエス君が他の人間と食事するのが認められないから、卒業後もずっと自分が食事をおごるとか」
「それは安全を配慮して…」
「あんな明確な求婚はないよ。そばで見てたアドリエンヌ嬢なんて顔真っ赤にさせてたでしょ。問題はそのわかりやすい天然求婚をアニエス君もまったく気づいてないことだけど」
「アニエスは騎士以外の時は鈍感なんだよね。でもそれでも頻繁に治癒してしまうくらい大事にしたい相手なんだよ。ベルナールお兄様は」
「ミシェル君ったらもうお兄様呼びしちゃうんだね!」
「アニエスの安全を配慮したらそうなるよね」
「切り返しが強い。すごい。さすがあのアニエス君の弟君。可愛い顔なのに強い」
「そうだよね。わかる。今回すごくがんばったぼくにケーキ食べさせたくなったよね。あ……でもアニエスのフリをしてるから午後の授業が……」
この後も授業があるなら、のんきにスイーツを食べることもできない。時間が経過していることを思い出した彼はため息を吐き出した。
「じゃあぼくは中等部に戻るよ。ベルナールお兄様はその顔色をなんとかしないと、ここが帝国ならイケメン騎士に秒で誘われてなんとかされちゃうよ。だからアルノーさんがベル姫様を守ってあげてね」
「おれのベル姫が秒でなんとかされたら困るから守ります!」
「ありがと。そしてシオン君はそのお守りをぼくだと思って大事にしてね」
彼の言葉にアルノーだけでなくシオンも笑う。そのため彼は手を振りながら聖堂を後にして……すぐに舞い戻ってきた。
「中等部の道がわからないから助けて」
泣きつくようにシオンに抱きついた彼はもうアニエスのフリを辞めているらしい。迷える年下の少年に頼られたシオンは笑いながら一緒に行こうと優しく返す。
そうしてふたり立ち去るのを見ながらベルナールはいまだ赤い顔のまま考え込む。
ミシェル・ディランと名乗るアニエスによく似た少年は、真面目な話をするときほど口調が硬いものになっていた。おそらくあれは彼が言うとおり不安定な彼自身の中にある戦神や前世の人物が出てきているからだろう。そしておそらく心を許せる相手か親しい相手以外にはその面を出すことで己を守っている。
それはどこか騎士らしくあることで素の部分を隠すアニエスにも似て、ベルナールも好意的に受け取れてしまう。
「ベルちゃん、アニエス君の弟君めっちゃ可愛かったね」
「まさかおまえ…」
不意に向けられた感想に、あの子に気があるのかと問おうとした先で友人が勢いよく首を横に振った。
「おれはベル姫一筋だよ! でもあの子はこれこそ弟って感じで可愛かったってことだよ! 戦神様モードじゃない時は、近衛騎士で格好いいアニエス君に甘えてる感じが出てたじゃないさ」
「ああ、確かにな。雰囲気がマティアスと似ていた」
「最後のシオン君に泣きつくところとか、シオン君は嬉しかったと思うよ。彼、助けられっぱなしで恐縮しちゃってたし。なんか瘴気の濃い場所にいても死なないためにすごい古代異物をもらったんだって」
それは恐縮してしまうのは仕方ないことだよね。そう語ったアルノーはベルナールと共に高等部へ戻るべく歩き出す。すると渡り通路で秋の風に触れたからか、ベルナールもゆっくりと赤かった顔を元の色に戻っていた。




