5.お姉様は14歳
入学して2ヶ月も経てば季節は冬に進むが竜王国の冬は母国と比べて暖かい。
大陸北端だとしても、そもそも大陸の位置が南にあるため温暖で季節の変化も緩やかだ。冬の前に豪雨の時期もなければ、冬に雪が降ることもないらしい。
母国では雪が降るが、帝国北部と比べれば積もらないのだとか。だが雪が降った翌朝に地面が真っ白になる光景は本当に綺麗で楽しかった。
ただリリは寒がりなので両親から雪の日は外に出ないよう言われていた。むしろ雪が降らないほど温暖だからという理由で留学が許されたほどである。
そこまでいくと過保護だと思うが、今となってはその過保護も少し懐かしく思う。
留学して2ヶ月。全寮制の学園で毎日楽しく学んでいたリリも両親や親戚や幼馴染みを懐かしみ始めていた。
幼い子供のような郷愁をいかにして消せば良いのか。そんなことを考えながら中庭をひとり歩くリリのもとへ数名の女子生徒たちがやってきた。
ちなみに移動教室で移動中なのだが、いつものようにクラスの皆はリリのはるか先を歩いて行ってしまっている。
「ごきげんよう。あなたが1年Sクラスのリリさんね」
女子生徒たちは5人。全員がリリより背が高く、制服のリボンの色が赤色だった。つまり中等部の最上学年だ。
「お初にお目にかかります。先輩がた。リリと申します」
胸に左手を添えて、右手をドレスより丈の短い制服のスカートをつかむ。さらに腰を落とすように膝を曲げて頭を少し下げる。
それは目上の相手へ向ける竜王国の中では簡易でも上位の挨拶のはずだ。カジュアルな夜会などで上位の者を相手に使われるものだが王族相手には使わない。
格差も序列もない学内でも年齢による序列はなくならないからと学んでいたが正解だろうか。
そう思いながらお辞儀を緩めて相手を見上げようとした瞬間に誰かが「かわ…」とつぶやいた。
皮なのか革なのか何なのか、リリにはわからない。
「あなた、庶民だと噂されていたけれど竜王国貴族なのね」
「いいえ。留学生として2ヶ月前にこの国へ参りました。でもこれが正しいご挨拶でしたら何よりです」
本物の竜王国貴族に母国人と誤解されるほどの評価を得た。その事実に安堵したリリはつい表情を緩めてしまう。
そこでまた誰かが「かわ」「やば」とつぶやくが、リリに話しかけてきた金髪の先輩が咳払いで黙らせた。
「あなた、それほどの礼儀作法を持ちながら婚約者のいる男性に近づくとはどういうことなの。それともあなたの国にはそれが無礼という教えがないの?」
婚約者のいる男性という言葉にリリは素直に驚いた。けれどもまず理解が追いつかないので確認のため無礼を承知で問いかける。
「申し訳ありません。それは誰のことでございますか」
「は??あなたふざけてるの?」
「いいえ。わたくしに話しかけてくる殿方の誰も名乗る事を致しませんので、誰が誰なのかわかりません。ネクタイの色で学年は認識できますが」
こればかりは仕方ない。なにせ連中は格下の相手に名乗る習慣を持たないらしいのだ。
「お姉様がたが、もし該当する方の身体的特徴を」
「もう一度言いなさい」
「えっと、身体的特徴を」
「最初からよ!」
「お姉様がたが」
「「お姉様!!!!」」
相手は年上の女性なのだからその呼び方で正解なはずだ。だというのにきれいに声をそろえて叫んだ。
「あなた、見た目通りに可愛いのね。いえむしろ見た目通りに可愛いのね!」
「わたくしの見た目は平凡です!!」
重ねるように遺憾なことを言われたがそれは誤解だとリリは慌てる。悪目立ちだけはするなと母から言われた通りにしている。なんら特別なことはない。身体的特徴も普通なはずだ。けっして目立っていない。
「何をふざけているの!あなたは可愛らしいのよ!3年生の中でささやかれる通りの砂糖菓子よ!」
「私は人間です!」
「当たり前でしょう!」
人間であることから否定されたと思い慌てて否定したが誤解だったようだ。リリはそこに安堵するが、その様子すら先輩がたから心配そうに見つめられる。
その上で心から心配そうに問いかけられた。
「リリ、あなたは留学生としてこちらに来てから友人など作ったの?誰かひとりでもあなたの容姿や態度や環境について問いかけたりした?」
「いいえ、お姉様。わたくしはここへ学びに来ておりますので、友人などは必要ありません」
「つまりあなたは社交性を学ぶ必要はないと考えていると? それはおかしいことだわ。学生が学ぶべきことは学業だけではないのに」
「ですが、竜王国貴族のルールでは、格下の人間を名前で呼ぶことはないとのことです。つまり竜王国において社交性は死に絶え、宮廷においても序列重視の…」
「待って待って、待ちなさい」
リリの説明に先輩は額に指を当てて制止してきた。
「いくらなんでもそれはないわ。名前を呼ばないなんて作法はありません。いったいどこの愚か者があなたにそんな嘘を教えたの」
「赤い髪の自称侯爵家の殿方です」
「あなたは本当に名乗られないまま口説かれていたのね。しかも侯爵家って…」
呆れた顔でため息を吐き出す先輩のそばで周囲の方々から9家しかないがどの家なのかとささやき合う声が聞こえる。だが今はそれを聞き流してリリはまっすぐに先輩がたを見つめた。
「わたくしは知識を得たいと両親へ我がままを言って留学させていただいております。12歳の未熟な娘を他国へ行かせるため、両親だけでなく多くの方の手を煩わせてしまいました。ですので余計なことに時間を割きたくないと考えておりました」
「あなたの考えは分かります。我々が学生として過ごすための学費も領民から得た税から出ていますし、愚かなことも無駄なこともしたくないわ。でも社交性とはつまり座学で言う礼儀作法の実施訓練でしょう。それにあなたの言い分では芸術面も捨てられそうだけれど、経験することで得る見地というものもあるのよ」
「芸術品などはその手のプロに勝てないことかと」
「少なくとも描き方を学ぶことで、絵画などを見た時にどのような画材が使われたかわかるでしょう?芸術を学ぶというのはその素養を養うということよ。つまり教養ね。あなたの国にはそういうものはないの?」
「芸術に対する理解の深さに関しては、旧ビタン貴族とわたくしたちグレイロードの出身ではかなりの隔たりがある…と学びました」
「なるほど。そうね…あなたの砂糖菓子のようなふわついた見た目に反して言葉が無骨なのはグレイロード出身だからなのね。あの国は世界最大の騎士国家でもあるし」
仕方ないことなのねとまたため息を吐き出した先輩はご友人たちと顔を見合わせる。
そうして何やら小声で話し合った後にまた仕方ないわねとつぶやいた。
ただこの会話でリリ自身も多くの学びを得られているので、何かを仕方ないで片付けられたくないと思う。許されるなら今後も間違いを指摘をして欲しいし、年長者として教えて欲しい。
そう思いながら見つめるリリの目の前でずっと会話をしてくれる金髪の先輩がリリを見た。
よくある金髪のこの先輩は緑の混ざったきれいな瞳をしている。
「リリ、来年には高等部に行く私たちだけれどあなたの世話をしてあげるわ。だから男性たちに話しかけられた時はすぐ報告しなさい」
「ありがとうございます。話しかけられたくないのでお姉様がたのところへ逃げ込みます」
お世話してくれるだけでなく助けることもしてくれるらしい。こんなに嬉しいことはないと顔を破顔させるリリの目の前で何人かが「砂糖が過ぎる」「遺伝子の奇跡」と謎のつぶやきを漏らす。
そしてリリに優しくも厳しい言葉をくれた金髪の先輩も真っ赤な顔で眉をつり上げた。
「今後もお姉様と呼ぶなら害虫駆除くらいしてあげるわよ!」
先輩がそう宣言してくれたのでリリは正解を見つけた。つまり自分に話しかけてくる男子学生たちは害虫なのだ。
上級生5人と出会ってからリリの学生生活はガラリと変わった。これまで昼の休憩などは独りで食堂に行き食べていたため、お姉様がたが言う害虫どもが囲むように周囲の席を埋めに来ていた。
だが今は周囲を5人のお姉様が埋めてくれるため害虫も寄ってこない。
そうして平和な昼食の時間を得たリリは最初に向けられた話の真相を知る。
5人の上級生は3年生のAクラス。Aクラスは基本的に優等生クラスで、一般評価は高い。貴族の令嬢であればここが最高評価として許されるという。
ならばその上にある特級のSクラスは何なのか。
そんなリリの質問に上級生は簡単に教えてくれた。つまりのところSクラスは竜王国の高位文官を目指す子息が集まるクラスなのだ。
もちろんそんな意志がなくとも学力成績が高ければSクラスに入ることはできる。だがSクラスに決まった時点で教師や国からそれとなく文官への道をと勧められるらしい。
むしろそのように優秀な人材を誰よりも先に見つける利を王立学園は狙ってもいるそうだ。
それはそれで理にかなっていると、話を聞いたリリも思う。
ただ今年度の1年に関しては学力首位に留学生が立ってしまった。だがどれほど優秀な学生でも外国人を国の幹部候補にと誘うことはできない。
そういった意味でもリリは最初から悪目立ちしていたようだ。
そうやって学内の事情を事細かくリリに教えてくれたのはアナベル・デュフール侯爵令嬢。ほんの少し赤みがかった茶色の髪の上級生は3年Aクラスの中では学力の高さを言われているらしい。
ただだからとSクラスになってしまうと将来困ることになるので、これ以上の評価を得ないよう調整しつつAクラスにいる。
そんな説明を聞いてしまうとリリとしては疑念を抱かずにはいられない。
「竜王国では女性が国で働くことはないのですか?」
キョトンとした顔で問いかけるリリの姿は砂糖菓子のように甘く可愛らしい。しかしその質問は見た目に反して現実的で竜王国への批判めいている。
そのため上級生5人はそれぞれ顔を見合わせた。
その上でいつも中心にいるアドリエンヌ・オーブリー侯爵令嬢が答える。
「私とアナベルは王妃候補なのよ」
「おうひこうほ」
「そのような間の抜けた顔は淑女でないわよ。リリは留学生だから知らなくても仕方ないでしょうけど、我が国の王は長らく独り身であられるの」
「カインセルス陛下は青い竜だから、20年前まで雛だったと学びました。しかし人の身からすれば成人して20年も経っているのに独身であられるのは歯がゆいことですね?」
歯がゆいという部分はしっかり理解できないけれど。そう思うまま述べたリリが語尾で首をかしげれば黒髪のブリジットが「殺人的可愛さ」とつぶやいた。
初対面の時から何かとつぶやいているのはこの黒髪美人なブリジット・ローラン侯爵令嬢である。彼女は俗に「物語」と呼ばれるジャンルの書物が好きで、その為なら異国語も古代語も習得するという才女だ。
なのでリリがグレイロード帝国から来たと告げた時は『月夜の物語』は知っているかと問われている。
「私たちはそうでもないけれど、親は歯がゆいことでしょうね。娘に出産という負担を与えることなく王妃というメリットと家の繁栄が出に入るのだから」
「アドリエンヌお姉様のご実家はそのようなお考えなのですね。他の貴族のお家もそうなのですか?」
「我がオーブリー侯爵家とアナベルのデュフール侯爵家はそうね。だから私たちは王妃候補としていなければならない。つまりこの学園にいても優秀な婚約者候補を探すことができない立場にあるの」
「わたくしから見ればこの中等部にいる異性はすべからず害虫ですので、悪い虫がお姉様につかないことは最良でございますよ?」
「リリ、抱きしめたくなるようなことを言うのは辞めなさい」
「承知いたしました。コルセットをつけたお姉様に抱きつく危険性は既に学んでおります。硬くて楽しくないので」
「リリ! はしたなくてよ!!!」
正直に話した途端に叱られてしまった。母国ではコルセットをつけた女性など宮廷にしかいなかったから油断したが、この国では学生でもコルセットをつける。
おかげで10日前にアドリエンヌお姉様へ抱きついたリリは鼻を強打してしまった。
「でも…」
人のいる時はやらない。その程度の常識ならリリもきちんと持っている。だから許してほしいと正面に座っている金髪を綺麗にまとめた上級生を見つめた。
「わたくしの中にある郷愁と家族のいない寂しさを埋められるのはお姉様だけなのです」
「殺しにきてるわ。アドリエンヌこれは殺しに来てるわよ」
「ダメよアドリエンヌ! この可愛さに屈しては二度と抜けられぬくなるわ! 抜ける必要があるのかわからないけれど!」
懇願するリリの目の前でアドリエンヌの両脇にいるアナベルとミュリエル・バルニエ伯爵令嬢が楽しげに必死にアドリエンヌを制止しようとする。
そんな二人から制止の声を受けているアドリエンヌは首から上を真っ赤に染め上げている。
「わたくし、アドリエンヌお姉様のこと大好きです」
「…寮の部屋だけであれば許します」
真っ赤な顔のアドリエンヌが告げた途端にリリは内心で勝利を祝った。
リリはどう努力しようと12歳の子供でしかない。3か月で積み重なったホームシックを削る方法など、母に似て厳しい先輩に抱きしめる以外にわからない。
もちろん異国の令嬢で100%赤の他人である彼女らを利用して己を癒そうなど不躾でしかない。本国の母が知れば真顔で「無礼者の末路はなんだろう」と遠回しな折檻警告を受けてしまうだろう。
それでもリリはこの孤独を癒すためなら誰にどう思われても良いと思えるほど人肌に飢えていた。
もちろんこの時のリリは、それが温暖な国であっても冬の寒さのせいだと知らない。
お姉様5人組
アドリエンヌ・オーブリー侯爵令嬢
筆頭侯爵家の長女。文武両道で作法も完璧な令嬢の鏡。癖のある金髪が目障りなのでまとめることが多い。王妃候補。
アナベル・デュフール侯爵令嬢
侯爵家の次女。頭脳明晰で読書(参考書)が趣味。赤茶色の髪色を気にしている。王妃候補。
ブリジット・ローラン侯爵令嬢
侯爵家長女。マティアスのお姉様。優秀な兄がいる。
物語(子女向けの小説)が大好きで、その世界を理解するためなら外国語も古代語も習得する。自身も詩や物語を書く。
ミリュエル・バルニエ伯爵令嬢
竜王国宮廷で知られた美少女。彼女がそうだからと、細くまっすぐな金髪は竜王国では美女の条件になった。本人は可愛いものや甘いものが好きなだけ。
リゼット・デュムーリエ伯爵令嬢
伯爵家の三女だが上と下に兄弟が多い。さらに彼女以外の家族は金髪で、彼女だけ黒髪だったため放置されがちだった。内向的な性格に育った彼女の趣味は絵画で見るのも描くのも好き。




