66.手紙を届けた後で件の輩と遭遇する
水の月は雨の多い季節だが、この時期の雨は木々に潤いを与える。鮮やかな色合いの葉が舞い散る季節でもあるが、雨は落葉を促して地面に色とりどりの模様を作り上げる。
水の月の末日も弱い雨が降っていて、高等部に広がる広い庭園を濡らしていた。そんな庭園を横切る渡り通路を女子生徒たちの黄色い声があがる。
高等部の女子たちはそれぞれハンカチを手にしていて、水を滴らせた中等部の学生たちを囲みながら歩き進む。
「水を滴らせたアニエス君も素敵ですけれど、濡れたままでは風邪を引いてしまいますわよ」
「そうよ。今日も生徒会のお手伝いにいらしたのでしょう? その後で暖かなものを飲んだほうがよろしいわ」
「ベルナール様も、アニエス君が風邪で寝込んだりしたら心配されてしまうものね」
女子生徒たちは代わる代わる心配する言葉を向ける。そしてそれら優しい言葉を受けた中等部の学生は緩やかな笑顔で彼女らに礼を向けた。
「気遣いありがとうございます。ベルナール卿もそうですが、なにより麗しいご令嬢がたに憂えを抱かせてはいけません。体調管理には最善を尽くしたいと思います」
「ええ、寝込んでしまわれても高等部のわたしたちでは看病もできないのですもの」
「きっと心配で何も喉を通らなくなってしまうわ」
「それは大変だ。ですが皆様も病には気をつけてくださいね。せっかく明日から祝祭月になるというのに、祭を飾る花々に寝込まれてはいけませんから」
にぎやかな女子生徒たちに囲まれながら渡り通路を抜けた中等部の学生が校舎に入ると、周囲を行き交う学生たちの視線が向けられる。
多くの高等部学生たちの視界の中で、その学生は緩やかな笑顔でひとりの女子生徒の頭に乗った小さな黄色い葉を取り除く。そしてその葉を優しく差し出した。
「寒さを感じた時はいつでも私に言ってください。この腕で包み込むことを許してもらえるなら、いくらでも暖めて差し上げますから」
「は…い」
一緒に渡り通路を抜けた3人の女子生徒は間近にその魅了を受けてしまい真っ赤な顔で腰を砕けかける。あげく偶然そばを通りかかった女子生徒もその言葉に戸惑い膝がおれたように座り込んでしまった。
竜王国の令嬢たちは常に男子たちと距離を取り生きている。そのため婚約者のいない令嬢などは家族以外の異性から触れられたこともなければ、そのような言葉を向けられることもない。そんな令嬢たちにとって、中等部にいる留学生の言葉はあまりにも魅了が強すぎた。
だがそうして床にへたり込んだ女子生徒は、すぐさま留学生に手を差し伸べられる。だが腰が砕けてしまった女子生徒は足に力が入らず、羞恥心に赤面しながら首を横に振った。
すると留学生は「なるほど」とつぶやくとためらうことなく女子生徒を抱えあげてしまう。とたんに周囲に黄色い悲鳴が浮かぶが、留学生は気にすることなく医務室の場所を問いかける。
そうしていつものように周囲へ嵐を巻き起こす中等部のアニエス・ディランは、平然と女子生徒を医務室に運び新たな噂を作り上げていた。
高等部にいる約半数の人間は中等部にいる留学生の存在を知らない。そんな学生たちは周囲が語る噂を聞くだけで実際にどんな人物なのか知る手段もなかった。
運良くその姿を見かけた生徒は、噂通りの美形だったとはしゃぎ、まだ見たことがない学生はその話を聞いて羨む。
そんな中で高等部1年Sクラスに噂の美形留学生が現れると教室内は騒然となる。だが中等部から上がってきた学生は、アニエスが現れた理由をおおよそ察した。
「こんにちは、私の愛し…」
「おまえ!!!」
1年Sクラスにいるクレール・オリヴェタン侯爵令嬢へ挨拶を向けようとしたアニエスのそばへ、同じ教室にいたアラン・マイヤールが割り込むように駆け込む。
「おれの! クレールを! 口説くな!」
「壊れた堰が簡単に直らないように、ちょっとしたことで本音を出してしまう。アラン・マイヤール殿は本当に面白いですね!」
「本当におまえはなんなんだ!」
笑顔でからかってくるアニエスにアランは真っ赤な顔で悪態つく。昨年までのアランは照れが勝って初恋の相手に何も言えないまま生きていた。そうしてクレールが親の命令で成績を落としクラスが変わった時すら理由を問うことすらできず、何もできていない。
そんな中で追い詰められていたクレールを救ってくれたのはアニエスである。つまりアランにとってもアニエスは恩人なのだがまだその礼は言えていない。
むしろいつも笑顔でからかってくるため、礼を言える雰囲気すら作れなかった。
「アニエス君、今日はどうされたの? これから生徒会室に?」
「はい、この後で高等部で行われる音楽祭とやらについて話し合いを。しかしその前に麗しいクレール嬢に恋文をお渡ししたくて」
「は?」
緩やかな笑顔でおかしなことを言い出したアニエスは、制服の内ポケットから本気で白い封書を取り出す。それを驚きのまま見たアランは、反射的に封書を持つアニエスの腕をつかんだ。そして騎士として鍛えられたその腕の硬さにも驚く。
そうして唖然とするアランのそばで、クレールはなぜか嬉しそうに封書を受け取る。
「アニエス君、もしかしてそうやって渡してほしいとエミリーから?」
「さすがはクレール嬢ですね」
正解を引き当てられたアニエスは嬉しそうな顔で返しつつ、いまだ腕をつかんでいるアランの手を優しく叩いた。
そのためアランが視線を向けた先にアニエスの優しい横顔がある。
「エミリー嬢はふたりの恋のスパイスに私を利用しているんですよ。彼女らしい悪戯ですね」
「ええ、本当にエミリーは素敵なことを思いつく天才ね。それにそんなエミリーに付き合ってくださるアニエス君にも感謝したいわ」
礼をと言うクレールにアニエスは笑顔で大丈夫と返した。
「私がふたりの恋を応援しない理由はありませんから。それにおふたりの元気な様子を見られて安心しました」
そう告げたアニエスはクレールの手をすくいあげて指先に口付けるフリをして見せた。
「では、祝祭にはエミリー嬢と3人で過ごすことをお勧めして、私は次の目的地に向かいますね」
「ありがとう。エミリーを祝祭誘ってみるわ。ね、 アラン?」
「ああ…まぁ、あの子がいるとクレールがいつもより可愛いからな」
「まぁ!」
可愛いだなどと隠すことなく言い放つアランにクレールは頬を赤らめ、そんなことを言わないでと照れ隠しのように返す。
その仲睦まじい様子を笑顔で眺めたアニエスは再び挨拶を向けて教室を出た。
だがそうしてSクラスを離れ高等部1年の廊下を歩き始めてすぐにT字路のようになっている場所に差し掛かる。
そこは隣の校舎と繋ぐ渡り廊下の入り口で、多くの令嬢は交差地点の手前で足を止めて緩やかな所作で周囲を確認する。そうしなければ廊下を走る男子生徒と衝突する恐れがあるためだ。
だがそんな作法を持ち合わせるのは貴族の令嬢だけだ。高等部では庶民も混ざるためこの手の衝突事故も発生しやすいのかもしれない。
そう考えつつ横手から駆け込んできた相手を既のところで避けたアニエスは、全力で笑顔を保ち問いかけた。
「失礼、怪我はありませんか?」
「い、いいえ。こちらこそごめんなさい。あたしまだこの学園のルールとかわかってなくて……えっと」
問いかけたアニエスの目の前で、高等部の制服をまとった女子学生は頭を下げる仕草からこちらを見上げて驚きに目を見開く。
「……なにこれこんなイケ見たことない。絶対モブじゃない。攻略キャラよりイケメンとか意味わからない。続編? ここ続編もまざってるの?」
「大丈夫ですか?」
アニエスを凝視しながら意味のわからない独り言を垂れ流す。そんな下品で不気味な輩なのに、背中に届く程度の短さの髪の色は青に近い水色で、瞳はわかりやすい青だ。一般的な人間が持つそれとは違う濃い青色ではあるが青に褐色が見られる。
そんな女子学生はアニエスの問いかけに我に返ったらしく、驚きに目を見開いた後に前髪を整える仕草をしつつ、あらためてごめんなさいと謝罪した。
「あなたがあまりに素敵だから、思わず見惚れちゃいました。ああ…えっと、ごめんなさい。はじめましてですよね? あたしの名前はセシーです。あなたのお名前は?」
整った顔立ちのその女子学生は、上目遣いでアニエスを見つめながらも名前を聞いてくる。
その瞬間、周囲で様子を見ていた高等部1年生たちの間でざわめきが走った。もちろんアニエスは周囲がざわめく理由も読み取れる。
目の前の女はグレイロード帝国から来た公女だと周囲に誤認させているのだ。そんな女がアニエスのことを知らないのはおかしい。
むしろここ高等部1年の約半数の生徒は、アニエスが近衛騎士を名乗った約一年前には中等部3年生として決闘騒ぎも目にしている。だからこそアニエスが騎士であることは、騎士団服をまとった姿と共に鮮明に記憶へ焼き付いているはずだ。
「はじめましてセシー嬢。自分は中等部3年のアニエスと言います」
「どうりで制服の色が違うと思ったら中等部の子なのね!」
だからこんなイケメンなのに知らなかったのかとしっかりつぶやく女に対して、アニエスは鋼の心で笑顔を保ち続ける。
「あ! あたし実はお菓子作りが趣味で、今朝も寮でクッキーを焼いてきたの。アニエス君もどうかな」
「申し訳ありません。知らない方から物を貰うなと親から躾けられているんです」
「えっ、そうなの? 厳しい親御さんなのね?」
「己にも他人にも厳しい父です。ですがそんな父だからこそ、騎士として国の大切な方々を守る役目を任されているのでしょうからね。自分もその厳しい部分を尊敬こそすれ異論はありません」
「そうなんだ。アニエス君のお父様は竜王国の偉い騎士様なのね。それにもしかしてアニエス君も騎士になろうとしてるとか? だからお父様のこと尊敬してるのかな」
「そうですね。父のような立派な騎士になりたいとは思いますが、まだまだ道のりは遠いです」
アニエスは笑顔のまま、目の前の女が認識の乖離を広げていく様子を眺めていた。そして何も知らない女は大変な道なんだねぇと感心した言葉とともに微笑んだ。
「じゃあ、今回ははじめましてってことで。もう少し仲良くなったらあたしのクッキー食べてみてね。これでもお菓子作りは自信があるんだから」
「わかりました。ではそろそろ失礼しますね」
仲良くなったとしても身元不明の女から食べ物をもらう貴族はいないだろうに。そう思っても口に出すことなくアニエスは女に背を向け歩き出した。
そうして廊下をまっすぐ進むと校舎の玄関ホールから階段を駆け上がり、そのままの速度で二階渡り廊下を駆け抜ける。周囲を行き交う生徒たちが、廊下を走るアニエスの珍しい姿に驚き眺めるが気にしていられない。
そうして3年Sクラスに飛び込むと馴染みの背中を見つけて飛び込むように抱きついた。
「おまえはいつからディートハルト・ソフィードのような不作法者になったんだ」
駆け込み背後から急襲したことがいけなかったのかベルナールに叱られる。周りの学生たちも笑ったり黄色い声をあげているがアニエスはベルナールの背中に抱きついたまま離れない。
「リリがアドリエンヌ嬢に甘える理由をいま理解しました。可愛い人を抱きしめると癒やしになります」
「俺は可愛い生き物になった記憶がない」
「ベルナール卿は私の愛しいラピスラズリの兄君なんですよ! 可愛くないはずがない!」
「ああ…。ふざけて誤魔化したい何かがあったんだな。話を聞いてやるから背中から離れてくれ」
「駄目です。今の私は騎士の顔をしていません。でも少し落ち着いてきて気づいたのですが……制服濡れてるのに抱きついて申し訳ないです」
「それは良い」
気にしなくて良いと言い放ったベルナールは藍色の制服の上着を脱いでそのままアニエスの頭にかけた。そうして顔を隠してくれたベルナールに腕をつかまれると教室を出て生徒会へ向かう。
腕を引かれながら渡り廊下を抜けると第三校舎へ入ることができる。その奥まった場所にある生徒会室は、生徒会に用でもない限り立ち入ることがないような場所だ。
重厚な扉を開けて生徒会室に入るとベルナールからソファへ座るよう指示される。そのためアニエスが腰を下ろすと隣にベルナールが座った。
「何があった」
「何もないです。でも件の輩に会いました」
それは先日この部屋でベルナールと言い争うまでした存在だ。殺したくて仕方なかったアニエスをベルナールが止めてくれたとも言うが。
その存在と遭遇したと告げればベルナールも驚いた顔を見せた。そんなベルナールの反応を目にしつつも、アニエスは頭にかぶっていた制服を濡れていないか確認しつつ返す。
するとベルナールは制服を受け取りながらも背を丸めるようにして真剣な顔を近づけた。
「大丈夫か?」
「殺意は隠しました」
「そこじゃない」
「騎士に徹することもできたと思います。ですがこちらを性的な何かとしか思っていない下衆な視線は、我が国の歓楽街でもなかなかお目にかかれない…」
「君は故郷では歓楽街に行くのか」
「え? まぁ、行きますよ。帝国王都の歓楽街には2種類の盗賊組織があって、それぞれの頭がおります。彼らは建国当時から陛下の協力者…と言いますか、陛下にやり込められた方々らしく、父も個人的に頼み事をしておりますので」
「そんな男たちとも平気で関われるから胆力がつくんだな」
「盗賊の頭というと物騒な印象になりますからね。もちろん彼らもそれが正解だと言うのですが、とはいえ私が生まれた時に双子の赤ちゃんが見たいからと夜中に侵入するような人なんですよ。その後も父が遠征などで家にいない時は私達を守ってくれた方々です。なので怖くないですよ」
「そうか。君が怖いもの知らずなのはそこから来ているのかもしれないな」
「いや実際に怖いものはこの国にないですから」
自分が怖いもの知らずなのではなく、この平和な竜王国にそのようなものがないだけだ。そう訴えたアニエスの目の前でベルナールは確かにと笑った。
「だが今回は危険な状況だったろう。君が無事で何よりだ」
「周囲に人もいましたから、危険ではなかったと思います。遭遇した場所も高等部1年の廊下なので。ただあの女は寮でクッキーを焼いたと言って私にそれを渡そうとしてきました」
「学生寮に調理できる場所はないと思うが…」
貴族の子息も令嬢も当然のように料理はしない。なので学園側もわざわざ生徒が料理をするような施設を用意することもない。
もちろん寮ではなく校舎内であれば、調理を趣味とする令嬢が集まり使う場所はある。
だがその集まりは部活として生徒会に管理されていて、材料も定められた予算内で定められた業者から購入するよう決められていた。なので個人が勝手に食材を購入して勝手に調理することはできない。
「ではどこか別の場所で作成している可能性がありますね。あるいは外部の人間がそれを持ち込んでいるか…」
「食材と薬草と治癒魔法があれば作れるのだから、施設が使えればどこでもできそうだな」
思案するベルナールの顔を間近に眺めていたアニエスはふとその気づいたように目を丸めた。
「ベルナール卿も昨年やってましたよ! リリに甘いものをくださったアレです」
「食堂に依頼して作らせた携帯用の食べ物か。だがあれはリリではなく君のために作っている。そこは間違えないでくれ」
「わかります。私はベルナール卿に餌付けされていたんです。それよりあれって、食堂で頼めば誰でも作ってもらえるんですかね?」
「いや、餌付けじゃない。君に美味しいものを食わせたかっただけだ。そして食堂に関しては、寮ではなく学内で消費する前提なら応じてもらえる。もちろん食材費などはこちらが支払うことになるが」
「あの輩が食堂で作らせたか、食堂の調理場で作ったならいけますかね? どのタイミングで治癒魔法を使うのかわかりませんが」
それによって他人に作らせられるかどうかが違ってきそうだ。そう思案していたアニエスは、流れるように恐ろしい可能性を手にしてしまった。
魔女が食堂を使えるのなら、健康に良いと言う理由でそこで出されるすべてに魔女の妙薬を含ませられる可能性があるのだ。
「ベルナール卿」
もし目の前の人物が魔女の妙薬を知らぬ間に摂取しておかしくなってしまったら。そう考えたアニエスは焦燥感に捕らわれたまま相手を見つめた。
「明日から昼は中等部で食べましょう」
「なぜだ」
「ベルナール卿がおかしくなっては困ります。あんな輩にベルナールが魅了されまとわりつく光景など見たくもない。その時は本気であの輩を殺しにいきます」
「それは困るな」
アニエスは真面目に考えているのだが、その深刻さがベルナールには通じないらしい。そのためさらに言葉を重ねようとしたアニエスだが、背後で扉が叩かれると同時にベルナールも立ち上がってしまう。
そのためそれ以上は食堂の危険性について語ることができなくなってしまった。




