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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部3年
63/78

61.オーブリー侯爵と淑女たち

 リリは昨年に引き続き1ヶ月の夏季休暇を竜神殿で過ごした。

 アニエスはその間に報告を兼ねて帰国するというが、リリはそれに同行しなかった。もし帰国して懐かしい両親に会ってしまえば泣けてしまう気がしたからだ。


 そうしてアニエス不在の夏季休暇中、リリはアドリエンヌの誘いでオーブリー侯爵家に数日泊まることができた。もちろんその際には他のお姉様がたも来てくれて目一杯に甘やかしてもらえる。

 だがオーブリー侯爵家にいたのは優しいお姉様がただけではなかった。

 オーブリー侯爵家はアドリエンヌを筆頭に3人の子がいる。そして下は12歳になるクリフトフと8歳になるオーギュストという男の子ふたりだった。

 しかもふたりともに姉であるアドリエンヌのことが大好きで、普段は学園の寮にいることが寂しくてたまらないという。

 そのため特に末っ子のオーギュストはリリたち客がいても構わずアドリエンヌの後をついてまわる。

 そしてリリは涼やかな風の流れるサロンでお茶会を楽しみながらも、アドリエンヌのそばを離れない8歳児を真顔で眺めていた。


「アドリエンヌお姉様の弟君、本当に可愛らしいですね」

「ありがとう。見苦しくてごめんなさいね」

「いいえ、甘やかされ育った駄犬などその程度でしょうから」


 リリの一言にアドリエンヌだけでなくオーギュストも停止する。だがリリの周囲でお姉様がたはこらえきれないといった様子で笑い出した。

 特に隣に座るミリュエルは面白いと連呼しながらリリを抱きしめてくれる。


 だが駄犬と言われたオーギュストはショックを隠せない様子で涙目になっていた。


「姉様! この無礼者をなんとかしてください! ぼくはオーブリー侯爵家の次男で、犬ではないです!」

「姉という理由をつけて令嬢の後ろをついてまわる不作法者ごときでも侯爵家の子息を名乗れるなんて、ここは甘くて優しい国ね」


 反撃したつもりが倍の言葉で返された8歳児は大量の涙とともに声をあげて泣き出した。そのためアドリエンヌは弟を慰めようとはするが、リリの言葉も正しいためなんとも言葉がかけられない。

 そしてミリュエルは作法は大事よねと笑いながら、桃色のジュレをスプーンですくってリリに差し出す。途端にリリは小さな口を開けてそのジュレを口に含んだ。

 そこで人にものを食べさせてもらうその不作法を目撃したオーギュストは、泣きながらそっちも不作法ではないかと声をあげる。

 だがリリは平然とした顔で首を傾げた。


「わたくしは侯爵家の子でもなんでもないもの」

「やっぱり無礼者じゃないか!!!」


 侯爵家でもなんでもないただ人が貴族に歯向かうとはおかしい。そうオーギュストが叫んでいるとサロンに家主が飛び込んできた。


「可愛いオーギュストの泣き声が聞こえたがどうしたんだ。アドリエンヌ」


 恰幅の良いオーブリー侯爵が現れるとオーギュストは泣きながら父親の元へ駆け込む。だがアドリエンヌはそんな父の問いかけに苦笑するだけで答えることができなかった。

 ただサロンに集まる華やかな令嬢たちと、そこにひとりいるオーギュストを見た侯爵は何かを察する。


「ああ、そうか。アドリエンヌが恋しいあまり淑女の集いに紛れてしまったんだな。だが…そうだな。淑女の方々には申し訳ないことをしたが、許しておくれ。この通りオーギュストはまだ幼い子供だ。紳士になるにはまだ何年もかかる」


 そこに集まるのはアドリエンヌの幼馴染みであり親友である令嬢たちだ。オーブリー侯爵もよく知る少女たちなので、久しぶりに見た末っ子の無邪気な様くらいは許してくれるだろう。

 そう考えながら眺めた侯爵の視線は、令嬢たちの中に紛れた琥珀色の娘に気づき止まった。


「アドリエンヌ、見知らぬ淑女がいらしているね」


 おおよそオーギュストを怒らせたのは彼女だろう。アドリエンヌの幼馴染みたちはオーギュストのことなど生まれた時から知っている。そしてその成長もヤンチャな様子も、実の弟のように優しく見守ってくれていた。

 だが初めてこの屋敷に来た少女にとってオーギュストは馴染みのない8歳の子供だ。


「彼女は夏季休暇明けには中等部3年生になります。リリです」


 アドリエンヌの紹介に苗字がないことで侯爵は息子が無礼者と叫んだ意味を理解した。もちろん学園には優秀な富裕層の庶民も多く在籍しているので、アドリエンヌが交友関係を結ぶことに問題はない。

 だがその庶民が侯爵家の子息を害するとなると話が変わる。


「つまり庶民の娘がオーギュストを泣かせたと」

「お父様、これはとても複雑な案件です。そしてオーギュストの作法がなっていないのは事実で、リリはそれを指摘しただけです」

「そんなことでオーギュストがあれほど泣くのか」

「その会話はいつまで続くのかしら」


 事情がいまいち理解できない侯爵へ鈴なりのように軽やかな声が流れ込む。とたんにオーブリー侯爵は娘を見つめたまま驚いたように目を見張った。

 その可憐な声色を、そしてその声が紡ぐ正義と圧倒的攻撃力を、オーブリー侯爵は覚えていたのだ。

 そうして再び目を向けた先で、リリと紹介された可憐で甘い見た目の少女がクッキーを手にする。それはアドリエンヌが今朝から久しぶりだと大騒ぎをしながらみずから焼いたものだ。


「アドリエンヌお姉様はこんなにも素晴らしいのに、その下が猟犬にも劣る不作法な生き物だなんて冗談としても笑えないわ。そして侯爵は、わたくしがここではただのリリであることを感謝なさい。夏季休暇中は竜神殿で過ごしているわたくしだけれど、リリとして何かするつもりはないもの。だけど理解なさい。いまはわたくしがお姉様を堪能する時間であって駄犬の調教時間ではないの!」

「ふざけるな! ぼくの姉上だぞ!」

「躾のされていない駄犬はお黙りなさい! ここから明日までお姉様のすべてがわたくしのものなのよ! 憎むべきコルセットを脱いだお姉様を堪能したいわたくしの願望がやっとかなうのよ! さあ侯爵! おまえは理解したならその駄犬を連れてお行きなさい! 次にまた淑女の集まりに忍び込む愚行を許したらその反抗的な駄犬をひっぱたくわよ!」


 その存在はかつての謁見の間での断罪とはあまりにも違う態度を見せていた。物言いもそのままに、まるで児戯のような言葉を発したのだ。

 それが彼女なりのオーギュストへの躾なのだと理解したオーブリー侯爵は声をあげて笑った。そして他人の前では見せない父親のその態度に驚くオーギュストの腕をつかむと、恭しく胸に手を当て腰を折る。


「そのように申されるならば聞きましょう。たとえただの少女を名乗ろうとも、貴方様は大切なお客人ですからな」

「やっぱりアドリエンヌお姉様はおまえに似たのね。その優秀さをそこの駄犬も持ち合わせていると良いのだけど」

「いやはやお恥ずかしい。では失礼いたします」


 オーブリー侯爵は戸惑うオーギュストの腕をつかんだまま、半ば引きずるようにしてサロンから連れ出す。そうして半泣きで姉上が取られたのにと愚痴る末っ子を使用人に任せると、侯爵は執事を引き連れて執務室に向かうことにした。

 今夜この屋敷には竜王国の至宝が滞在する予定となっている。となれば過去の陛下の傾向から彼女の好みそうな食べ物など用意させなければならない。



 かくしてオーブリー侯爵は全力でリリをもてなすことにするのだが、彼女は結局のところアドリエンヌたちにしか興味を持たなかった。

 淑女5人からチヤホヤと甘やかされて夜まで過ごす。その合間に侯爵は有能過ぎる伯爵令嬢ミリュエル・バルニエから今回のお泊り会とやらの開催理由を教えてもらう。


 リリは12歳の時から留学生としてこの国に来ていた。だが中等部でどれだけ楽しい生活を過ごそうと、海の向こうにいる家族を想い寂しくなる部分は変わらない。

 そのためアドリエンヌの提案で今回のお泊り会が催されたらしい。


「どのような立場でも、彼女が14歳の少女であることに変わりないのですもの。母親へ甘えるようにアドリエンヌを抱きしめたくなるのは仕方ないことですわよね?」


 髪の先、指の先まで洗練された淑女であるミリュエルは輝く美貌に慈愛を乗せて侯爵に告げる。その話を廊下で聞き出した侯爵は確かにと唸ってしまう。

 竜王国の至宝たる彼女は、そもそも人の腹から生まれた竜なのだ。人から生まれ人の中で育った彼女が人を家族として思うのは自然なことだ。

 生粋の竜である陛下や竜神殿の主にはない部分だが、ただの少女として見れば理解できる。


「そう考えるとなかなか難儀な話ではあるな。我々にとって竜は当たり前のように強い存在だ。彼女のような不安定さは聞いたことがない」

「そうでしょうか? 竜王陛下は人に一線を引いているだけで、寄り添う優しさはお持ちですわ」

「ほう、陛下をその目にしたかのような事を言うじゃないか」

「ええ、祝祭の時に。かの方は侯爵閣下が重要案件と称してはアドリエンヌのことを自慢に来ていたと嬉しそうに教えてくださいました。そして昨年の数カ月だけ帝国から来ていた短期留学生がアドリエンヌを攫うことも許しておられたようですけど?」


 ミリュエルが魅力的なその瞳で上目遣いに見やる先でオーブリー侯爵は顔をしかめて腕を組む。


「ディートハルト・ソフィードだったか? それこそけしからん話だ。アドリエンヌが望むならまだしも、小僧ごときがさらうだの何だのとふざけるのもいい加減にしてもらいたいよ」

「つまり、アドリエンヌが望めば許されると言うことですの?」


 憤然と言い放った侯爵だがミリュエルの指摘に勢いが削がれた。


「それは……アドリエンヌがその小僧を望むなら、仕方ない話じゃないか。だが今現在アドリエンヌはオリヴィエ君と婚約しているからね。既に存在する婚約を放り投げるような無責任を、アドリエンヌはしないだろう」

「ええ、ですが侯爵閣下? オリヴィエ・アンベール様は婚約を結んでからの数カ月で1度たりともアドリエンヌのエスコートも贈り物もしておりませんの。そんな男に大切な親友はあげられませんわ」

「…は?」


 ミリュエルから出されたありえない報告にオーブリー侯爵は顔をしかめたまま固まった。一瞬呆気にとられた侯爵のその顔色が憤怒に赤く染まる。


「ミリュエル嬢、それは確かかね。オリヴィエ・アンベールは娘を軽んじていると」

「軽んじておりますわよ。だってオリヴィエ・アンベール様にとってAクラスは愚物なのですもの。多くの淑女が殿方を立てるためにあえてSクラスを避ける、というのは怠惰の言い訳。なぜなら友人であるシェルマンの姉は学園ではずっとSクラスだったから。そのように公衆の面前で高らかにおっしゃっておりました。そこにあるのはアドリエンヌへの侮辱。最高の淑女で王妃候補だったアドリエンヌを大声で中傷しながら、エメーリエ・ルヴランシュこそが最高の淑女だと宣言されたのです」

「そんな男をアドリエンヌの相手にはできんな」

「ええ、わたしも閣下と同意見でございます。大切な親友には幸せになってもらいたいですもの。ですが閣下には今すぐの婚約破棄はしないでいただけませんか?」

「なぜだ。夏季休暇の間に破棄してしまったほうが良いではないか」

「いいえ」


 娘のこととなると冷静でいられないオーブリー侯爵に寄り添う姿勢を見せつつも、ミリュエルは上目に侯爵を見つめる。相手はミリュエルが幼い頃から知っている親友の父親なので、相応の信頼関係はある。


「夏季休暇が終わり高等部2年になれば、多くの子息が優秀な淑女と婚約を結ぼうと焦り始めます。場合によっては密室に淑女を閉じ込めて、2人きりでいたと周知させて既成事実を作る輩もいると聞きます」

「ああ、確かに下位貴族にはそういう輩もいるだろうな。我々の時代にはなかったが噂に聞いたことならある」

「ですが、どれほどの愚か者でも侯爵子息からアドリエンヌを奪う無謀は犯しませんでしょう? それならこのまま没交渉を保ちながらディートハルト・ソフィードが戻るのを待つのが最善でしょう。彼は帝国の侯爵子息ですが、王位継承権6位を持つ有望株ですもの」

「ミリュエル嬢は、小僧が戻ってくると思っているわけだな」

「ええ、帰って来ますわ」


 オーブリー侯爵にとってディートハルトという短期留学生は面識のない外国人だ。信用に足る要素もなく、娘を託す理由もない。だがミリュエルはその美しい笑顔を絶やさぬまま自信に満ちた顔で告げた。


「だって彼はわたしの親友をこの国で最高の淑女だと見抜いた方ですもの。それだけでも信用に足りますわ」

「アドリエンヌは誰が見ても最高の娘だから、わたしにとってそれは信用に足る理由にならんがね。君がそこまで言うのなら卒業まで待つことにしよう」

「ありがとうございます。閣下の親バカさんなところ、わたしは大好きですわ」

「君のその簡単に中年を魅了しようとする悪い癖は心配だが、その判断力は信頼しているよ」

「あら! だってわたし、子供は嫌ですもの。そしてできることなら大人を相手に大人の恋をしたいと昔から言っておりますよ」

「君のような淑女と恋をしようとする中年男にまともな人間はいないとも言っている。君はどこぞの後妻だの愛人に収まる器ではないのだから、将来有望な若者を見つけたまえ」

「確かに、後妻や愛人は嫌ですわ。ですがわたし、数ヶ月前にシメオン様と少し似たところのある殿方に一目惚れをしておりますよ。もちろんその日のうちに告白まで致しました」


 ことさら嬉しそうな笑顔で告白してくる娘の親友にオーブリー侯爵は親でもないのに疲労感を抱いた。しかも彼女の言うシメオンとは、ローラン侯爵のことだ。


「シメオンは確かに顔立ちこそ悪くない。だが内向的な性格が外に出てしまっているじゃないか」

「確かにシメオン様はそうですけれど、その方は知性にあふれた方でしたよ。40代半ばというお年だからこそこぼれる色気と、こちらを子供と手加減してくださる優しさが本当に素敵で」

「ミリュエル君」

「はぁい?」


 ミリュエルの名前の後につける敬称が変わる。そういう時のオーブリー侯爵は侯爵としてではなく、アドリエンヌの父親として接してくれていた。

 そしてそんなオーブリー侯爵には今までもたくさん助けてもらっている。


「次にその男と会う時はここへ連れてきなさい。君のことだからバルニエ家には何も言わないのだろう。わたしが親代わりとしてその男が君に相応しいか見極めてあげよう」

「まぁ! では閣下がお認めくださった暁にはわたしの両親にも侯爵家の圧力とともに説明くださるのね? ありがとうございます!」

「まだ認めていないんだ。喜ぶのはやめなさい」

「いいえ喜びますわ! だって閣下はいつだってわたしの味方をしてくださいますもの!」


 ミリュエルの人生は伯爵令嬢と言うには甘くないものだった。だがミリュエルの幸運はアドリエンヌ・オーブリーの友人だったことだろう。おかげで11歳の時に父親の借金ため売られかけた時も救われた。オーブリー侯爵が圧力をかけつつ借金を返してくれたおかげだ。

 だからミリュエルはその恩返しのためにも、アドリエンヌを幸せにしなければならない。そして同時に己自身も幸せにならなければならなかった。

 そのためにはまずこの退屈で絶望しか待ち受けていないこの国を出なければならない。ミリュエルは真面目にそう思っていた。

 そしてあの愛すべき砂糖菓子は、そんなミリュエルの前に舞い降りた天啓そのものであると。





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