58.恋するミリュエルと根負けするおじさん
戦闘実習は昨年よりも平和に終了を迎える。教師が言うところによれば魔物の数は例年よりも少なく、魔物と遭遇しない班がいたことも珍しいと言う。
そうして点呼の後に学園へ帰る際の注意事項など説明した後に解散となる。
点呼の合間に森から戻ったリリはマティアスと共に後方支援として草原にいた高等部の女子生徒たちに見つかり、代わる代わる怪我の有無など問いかけられた。
後方支援には治癒魔法の得意な高等部の女子生徒たちが任意で参加する。後方支援はあくまで任意参加で、無理のない範囲でと教師たちも言う。そこは令嬢の顔身体に傷でもついては学園も責任を負えないとの考えからだろう。
そのため任意という形で、騎士科生徒を見たい女子生徒や治癒魔法の練習や実戦経験を積みたい女子生徒が参加する。だが昨年の騒ぎがあって今年は騎士科の見物目的での参加者が激減したらしい。
だが経験を積みたい生徒は昨年のことがあったからこそと参加する。そうして昨年も参加した女子生徒が高等部3年生にいたようだ。
そんな最高学年の女子生徒たちに囲まれたリリは怪我の有無を確認されながら、森の散策で乱れた髪を整えられる。さらについでのように可愛らしいと頭や頬を撫でられ、持参したというクッキーを食べさせてもらえる。
あげくマティアスも、リリに対する忠誠心を褒められたり恋の話などを求められていた。
そうして多くの女子生徒たちから甲斐甲斐しくされるふたりを遠目で眺めたアニエスは、軽やかにやってくるミリュエルを目にして問題が残っていたことを思い出す。
「おじさん、ミリュエル嬢には最新の注意と気遣いをお願いします。彼女は竜王国随一の美女として名の知れた方ですので、一寸の恥も瑕疵も許されません」
「だけどねぇ……僕はあの手のタイプは苦手というか」
「ははは、おじさんに苦手なものなんてございせんでしょうに」
ローティスの弱音を軽く笑い飛ばしたアニエスは、そのままの笑顔でやってきたミリュエルを迎えた。
「後方支援の実習お疲れ様です。ミリュエル嬢はおひとりですか? 他の方々の姿が見えませんが」
「アドリエンヌたちは騎竜の手当て方法を教えていただいているの。でもわたしは退屈だから逃げて来ちゃった。アニエス君は……ローティス様とどちらに行ってたの?」
「私たちは森の中を散策を。おじさんはベルナール卿から昨年の騒ぎのことなど聞いていました」
「そうなのね」
わざわざ魔女の妙薬などの話をするまでもないと適当な言い訳でお茶を濁す。そんなアニエスを大きな瞳で見つめていたミリュエルは、ふとその目を細めてにこりと微笑んだ。
「そういう事はベルナールさんが適役よね。わたしは楽しいお話は好きだけれど、祝祭の時に起きた事もよく知らないもの」
「ミリュエル・バルニエ。今ここでは愚かでいる必要はない」
素直にアニエスの言葉を聞き入れようとしたミリュエルへ、真面目な顔のベルナールが言い放った。とたんにミリュエルは笑顔のままベルナールを見やる。
「でもこの方は帝国の宰相さまでしょう?」
「だからこそだ。この国の人間とは違う」
アニエスはベルナールとミリュエルが交わす言葉の意味がわからない。アニエスにとってミリュエルは、美しいものと楽しいことと美味しいものが好きな明るく綺麗な令嬢でしかなかった。そしてそんな彼女の外見や所作が竜王国最高と讃えられているとも。
そうして軽く戸惑うアニエスの目の前で、ミリュエルは胸に手を当てながら緩やかに腰を下げた。
「では改めまして、ローティス・フィレント侯爵。わたし個人の見解ですが、この森のどこかに大昔に魔女が使っていたとされる家などあったのではありませんか?」
簡易的な挨拶とともに笑顔で事実に触れてくる。そんなミリュエルの今まで見せたことのない挑発的な瞳に、アニエスは驚きベルナールを見やった。
するとベルナールは平然とうなずいて返す。
「ミリュエル・バルニエは爪を隠した鷹だからな。狙った獲物は逃さない」
「その表現は令嬢に対するものではないけれど、獲物に関してはそうだったわね。ブリジットが欲しいと吐露した物語の初版本も、アナベルが欲しいと望んだ学術書も親切な方々にお願いして手に入れたのだもの。それを傍で見ていたベルナールさんがそう言いたくなるのは自然の摂理だわ。そしてローティス様も」
半日前とはまったく異質の雰囲気を見せるミリュエルから名を呼ばれたローティス・フィレントは黒曜の瞳を楽しげに細めた。
「この国において正しき淑女の姿とは常に殿方を立てて、その下で腰を低くしているもの。しかも生まれた家が貴族として上位でないのなら、なおのこと低くおらねばなりません。ですのでミリュエル・バルニエは見た目は良いけれど少し愚かな最高の淑女でいるのです」
「竜王国貴族のしきたりに関しては僕も理解しているよ。そして聡明な君が、本当は退屈を理由にするのではなく自分らしく幸せでいたいから海を渡りたいのだろうことも見て取れた」
「ご理解ありがとうございます。ですがそれは過去の話ですわ。だってわたしはあなた様に出会ってしまったのですもの!」
最高の淑女という仮面を己の手で投げ捨てたミリュエルは舞台俳優のように空へ両手を掲げて言い放った。その上で竜王国一の美少女と呼ばれるミリュエルは最高の笑顔でローティスを見つめる。
「あなた様がこの世で最も多忙な方であることは、親友のアナベルから聞き及んでおります。そして恋だの愛だのよりも大切なものがそこにあるから、数多の告白も求婚も拒絶してらした。そのように想像したのですが、間違いありませんか?」
「間違ってはないよ。僕は自分が結婚したとしても仕事を理由に屋敷には帰らない。もし僕を愛しているご令嬢なら、そんな孤独は耐えられないだろう。逆に耐えられる場合は、僕ではなく僕の肩書と経済力を愛しているのだろうと思っているだけだよ」
「あら、それはわたしには当てはまらない話ではないかしら。だってわたしはいま、海を超えた向こうに暮らすローティス様へ愛を向けようとしているんですよ。あなた様が屋敷に帰らない程度の何が問題なのでしょうか? だって結婚できたなら、わたしはあなた様と同じ街にいて、同じ風を肌に触れられるのですよ?」
「そうだね」
ミリュエルから向けられる熱烈な思いをローティスは優しげな微笑みとともに受け止める。
その微笑みを見たアニエスが緊張した様子で半歩踏み出し口を開こうとしたが、ローティスが人差し指ひとつ立てて口元に当てる。
それを黙れという指示だと認識したアニエスは口を引き結ぶと半歩下がり視線を落とした。
そんなアニエスの気配を感じ取りながらも、ミリュエルは笑顔を消さず視線も動かさない。一瞬でもローティスの挙動を見逃さないようじっと見つめている。
「例えば君は、これから1年間を僕と連絡と取り合わず過ごしたとしてもその勢いしかなさそうな恋心を守っていられるのかな」
「それは余裕なのではないですか?」
「高等部1年生のここから2年生の後半まで。周囲が本格的に婚約者を決めて、祝祭や花祭りではその相手と恋に花咲かせるかもしれない。君のような令嬢がそんな時を独りで過ごすのは難しいと思うんだよ。竜王国貴族なら尚更ね」
「ええ、ローティス様のおっしゃりたいこと理解できます。けれどわたしは元々そういうことを疎ましく思っていた側のオンナですよ。好きになれない相手と祝祭だの花祭りだの拷問ではないですか。それなら独りであなた様を思っていたほうが幸せです」
「政略の相手を好きになる可能性は無い、ということかな。ああ、でもそれを強いるのは良くないね。僕は1年後の戦闘実習にまた来るよ。その時にもし君が他の誰かを好きになっていたら…」
「なりません」
「今の君はそう思うだろう。君はまだ若く、さらに今は恋に落ちたと錯覚している。だけど高等部には君と同世代の素晴らしい男の子たちがいるからね」
「ローティス様はひとつ勘違いをしておられますよ」
楽しげにミリュエルの恋心を否定し引き離そうとするローティスに対して、ミリュエルもまた笑顔のまま強い否定で返していた。
そしてさらに強く美しい笑顔で、その白く艷やかな手をベルナールへ向ける。
「竜王国にはこの方以下しかおりません。顔面、頭脳、性格、技能すべてにおいてベルナール・ローランを超える殿方はいないのです。ですがこのベルナール・ローラン。わたしのことを鷹呼ばわりするこの方はわたしの愛する親友の兄上。もはや見慣れた顔面、聞き慣れた声色、慣れ親しんだわたしへの侮辱なのです。わかります?」
「親しいことはわかったよ」
「ええ、わたしが7歳の頃からお世話になっているお方ですもの。ですがコレ以上がないのに、素晴らしいも何もありません。わたしはわたしの心を震わせときめかせる方が好きなのですもの。退屈な方々と過ごすなんて時間の無駄ですわ」
ミリュエルの言葉は、まるでベルナール以外のすべての男子学生を退屈な存在だと言っているように聞こえる。
そう感じたアニエスは一歩ずつベルナールに近づき、肩を並べるように隣に立った。そして小声で問いかける。
「もしや私も退屈な男子学生の中に含まれてますか」
「君は十分に愉快だが、そもそも男扱いされていないだろう」
まさかベルナールから愉快と言われるとは思わなかったアニエスは全力で笑いをこらえる。すると不意にミリュエルが振り向き、笑いをこらえていたアニエスを指差した。
「アニエス君が退屈なんてことはないから大丈夫よ! 君は最高の近衛騎士だから!」
「ははは! ありがとうございます!」
大きな声でフォローされたアニエスは吹き出したように笑いながら勢いよく礼を返した。
そんなふたりの会話にローティスが下を向きながら小さく笑う。そうしてひとつ息を吐いた。
「では1年後にまたここで会った時に答えを聞けば良いかな」
「答えは聞くまでもないでしょうが、ローティス様が1年の猶予を求める気持ちはわかります。わたしのような若すぎる年頃の人間は一時の感情に流されやすいものですものね。ですが、1年後の戦闘実習での再会だけでは困ります」
「その他にも約束をしたい、と?」
「だって戦闘実習からたった3ヶ月で3年生たちの卒業式になるんですよ。その時はまだ在校生として卒業レセプションに参加することになりますがドレスは必須です。そしてせっかくドレスをまとうならローティス様の色をまといたい。ローティス様とダンスを踊りたい。そういった願望は誰しも持つものです。ですが三ヶ月前にその約束をしていては遅いのです! 特にドレスが」
「そうか。つまり君は卒業レセプションでまとう衣装は自分で用意するつもりなんだね?」
「それは当然の話ではないですか? 流石に恋人未満の方へそんなものをねだれませんもの」
「アニエス君、彼女に教えてあげなさい。帝国紳士がそんなことを許した場合にどうなるかを」
ミリュエルは当然のように卒業レセプションのドレスは自分で用意すると言う。ローティスはそんな彼女へ返すことなくアニエスへ指示を出した。
とたんに先程から笑ってしまっているアニエスが一歩前へ出る。
「グレイロード帝国において淑女は紳士の装飾品。紳士は妻や婚約者である女性を美しく飾り立てることで、その財力やセンスを周囲へ見せつけ宮廷内での評価を高めます。逆に妻ひとり輝かせられない男性は、どのような爵位を持とうと紳士として扱われません」
「さすがアニエス君。模範解答だね。つまりそういうことなんだ。ミリュエル・バルニエ君。君が自分でドレスを用意した時点で、僕は紳士失格になる。わかるかな?」
アニエスのわかりやすい説明を受けたミリュエルは、さらにローティスからも諭すように告げられ口元を引き結んだ。そうしなければ口元が緩んでしまい淑女としてありえないほどだらしない顔になってしまうと判断したのだ。
だがローティスはそんなミリュエルへ追い打ちをかけるように、優しく少し楽しげな顔で言う。
「僕は君のまとうドレスを用意する。だけど他に恋する相手を見つけた場合、そのドレスは破棄するよ。ドレスの1枚程度粗末にしても痛くない財力があるからね」
「ご安心ください。そのドレスが悲しい末路を迎えることはありません。わたしがこの世の誰よりも美しく着こなしてみせるからです」
「それはそれはたいした自信だ。では1年後にまたこの場所で会おう」
「はい。わたしの話を受け入れて下さり感謝致します」
最後は膝を深く曲げて最上位の礼を見せたミリュエルは緩やかに麗しい笑顔とともに去っていく。
軽やかな足取りで立ち去る華奢な背中を見送ったローティスは、苦笑とともにため息を吐き出した。その上でアニエスとベルナールとを見やる。
「若いって強いね」
「私が言うのもなんですが、ミリュエル嬢は明るく可愛らしい淑女です。さらに楽しいことが大好きで、どんな逆境も笑顔で乗り越えてしまえるような印象があります。ですがそうだとしても彼女は伯爵令嬢ですので、見えない天井に阻まれて自由に相手は選べません。ですがおじさんはその枠からはずれた方なので、ミリュエル嬢にとって最高の物件となりますね」
「なるほど。政略結婚だとしてもあの器量ならそれなりの相手を選べるだろうと思っていたけど、彼女は伯爵令嬢なんだね」
それは逃げたくもなるか、と彼女の事情を知ってしまったローティスはじりっと音をたてて足の向きを変えた。
「では1年後にまた来るとして僕は帰るよ」
「おじさんは何日ほどこちらに滞在される予定ですか?」
帰ると言われて当然のように王都の宿だと認識したアニエスは、いつまでここにいるのか問いかける。もし次の週末に会えるのならお茶の一杯でもと考えたためだ。
少なくともその約束を取り付ければリリが喜ぶ。そう思っているアニエスの目の前でローティスは平然と北の方角を指差した。
「今から帝国へ帰るんだよ。足の早い船なら10日もかからないからね」
「え…っと? 閣下はこちらに来て何日ほど滞在されていたんですか?」
「今朝到着したんだよ。滞在するつもりもないから荷物は船の客室に置いたままにしてある」
「それは酷い! 日帰りはありえません! せめて一泊くらいしてこの国の美味しい食事を堪能してください! 閣下に必要なのは休息のはずです!」
「えええ……船でここまで来る間にゆっくり休んだから良いと思うんだけどなぁ」
アニエスから厳しい指摘を受けたローティスは笑いながらステッキの先で地面をついた。そうして一歩一歩と歩き始めながらベルナールにもまたねと軽く手を振ってみせる。するとこちらは頭を下げてまで感謝の意を示してくれた。
おかげで周囲で帰ろうとしている生徒たちもローティスのことを興味深げに見ている。そうして余計な視線を集めてしまったローティス・フィレントは自分が雇っている馬車に乗り込んだ。
するとすぐさま扉が閉められて、ガタンと音を立てながら馬車がゆっくりと進みだす。
そうして独りになり一息ついたローティスは、ふと思い出したようにコートのポケットから腕輪を出した。
赤い石がはめられたそれはマティアスの所有している魔法武具だ。身体の色彩だけでなく性格を変えてしまい、さらに最近は筋力強化魔法が強まり大人の姿になるのだという。
それは魔法学に精通した人間なら恐怖するほどの欠陥だ。身体強化だけならまだしも、それで成長途中の身体を無理やり大人にしてしまってはいけない。そんなことを繰り返せば成長期のその身など簡単に壊れてしまうからだ。
「……どうせだから作り変えてしまうか」
独りごちながら腕輪の上に右手を掲げて魔力を流すとその上に機能を表す画像が出現した。これはあらゆる魔法武具に内蔵されているメンテナンス画面で、技師は基本的にここを見ながら魔法武具の調整をしていく。
その画面を眺めながらローティスは魔法武具にはめ込まれた魔芒石に魔力を注いでまずはその機能を一時的に停止させた。




