57.魔女の棲家
森の中を歩いていると、遠く木々の向こうに歓声があがり、倒しただなんだと騒ぐ声が響いた。その若い声を聞きながらベルナールは改めて自分たちがどこへ向かっているのか気になった。
「宰相殿はどちらへ向かっておられるのですか」
「昨年行った帝国騎士団による広域調査で古い住居を見つけたと報告書にあった。もちろんその情報は竜王国騎士団にも共有されてるよ。だけど誰もその建物を問題視しなかった」
「その住居の内部も確認した上で、そのように判断されたということですか」
「そうだね。一般的な住居だったようだよ。長年放置されて朽ちかけた空き家とも言うかな」
帝国騎士団が魔物の駆除と森の調査をする中で見つけた住居。おそらくそこは後日改めて竜王国騎士団も調べただろう。
その上で砂竜出現の原因も何もなかったから問題がないとされた。だから今年の戦闘実習においてもそれら住居のことは説明もされていない。
知っても知らなくても問題ないと竜王国も王立学園も判断したのだ。
だが王都から馬車で1時間という遠く離れた距離で、しかも森の中では住むのに不便が過ぎる。猟師が休憩などで使う小屋はあるが、それは簡易的な小屋で住居の体をなしていないらしい。
「ベルナール君ならここまでで理解できるだろう」
「かつて魔女と呼ばれた人間が、森に現れる魔物から王都を守るために住み着いていた場所と考えられます」
普通の人間ならその住居がなぜそこにあるのか疑問も抱かない。少なくとも昨年のベルナールなら森の中に住居を見つけても気にもかけなかっただろう。
だが『魔女の妙薬』に関する問題を抱えて様々な話を経た今は違う。
そして遠い海の向こうで報告書を読んだだけのローティス・フィレント侯爵も、おおよそそれを己の目で確認するためにここへ来たのだろう。少なくともリリの説教が目的なら戦闘実習の日に現れる必要はない。
「宰相殿は『魔女の妙薬』というものをご存知ですか」
「君の伯父上がかつてそれを作ったとは聞いてるよ」
「……それはどういうことですか?」
大昔に死んだとされている自分の伯父が祝祭の時の騒ぎの黒幕かもしれない。そう思ってしまったベルナールは顔をしかめて自分たちよりはるかに長身で大人な相手を凝視した。
「君は言語魔法を刻んだ魔芒石を砕く方法を考えたんだってね。僕は魔法学には詳しくないんだけど、君の伯父上は別の方法を考えたようだ。そもそもこの大陸には言語魔法は無いわけだからね。大昔の魔女がそんなものを扱う確率は低い」
「確かに……死んだ伯父の考えは正しいです。しかしそうなると魔女の妙薬と呼ばれるほど強力な魅了媒体は作れません」
「君の伯父上が考えたのは単純な麻薬だよ。魅了なんてものは最初の1滴で良いんだ。最初の1滴に少しの魅了と強力な依存性を潜ませる。そうすれば相手はそれを与える人に依存して、いずれその麻薬無しではいられなくなる。逆にその麻薬は摂取するたびに脳を溶かすほどの多幸感を与える」
「そうなるとそれはただの薬物になります。しかし祝祭の時に摂取した被害者にそれらの痕跡はありませんでした」
「それはそうだろうね。どんな国だろうが時代だろうが、薬物を飲ませた痕跡が残れば毒物混入事案になって処罰対象だ。それでは魔女の妙薬なんて呼ばれない」
話をしながらも男性の足取りは迷いなく進んでいる。ステッキを使っているのだから歩行に難があるのだろうが、森の中をしっかり歩いていた。
ただベルナールは同時に自分の伯父という男の存在に眉をひそめる。
「伯父は魔女の妙薬を作ってどうしようとしたんでしょうか」
「本人は好奇心だと言っていたよ。子供の頃に読んだ絵本に出てきた妙薬がどんなものなのか気になったらしい。だけどそうやって文献を元に作ったとしても、本物を知らないから正解がわからないままだとも言っていたかな」
「そうでしょうね。魔女の妙薬なんて見たことがないし、この世に存在するとも思わなかった。俺が読んだどんな文献にもそんな物は書いていなかったから」
「そこで僕の出番というわけだ。ほどよく長期休暇を押し付けられて時間がある上に、ちょうど良い報告書もある。それに何より、森の中を散歩しながら謎解きをするにはちょうど良い気候だ」
楽しいピクニックだねと笑う男性の隣を歩きながらアニエスが苦笑した。あげくリリも、なぜか愁眉を歪めて上目に男性を見上げる。
「わたくしは知ってますよ。おじさまが笑いながらその発言をする時は血の雨が降ると」
リリのその一言にマティアスが驚愕に目を見開き男性を見やった。とたんに男性が慌ててマティアスにそんなことはないよと否定する。
「そもそもただの宰相にそんな武力はないよ。ほら、僕は杖をついて歩くような弱者だから」
「たしかに…人を殺せる雰囲気はないです」
「おじさん、純粋無垢なラピスラズリをだますのはよしましょう。北東の某国が一夜にして地図から消えたという逸話の裏でおじさんが楽しげにピクニックだと笑ったという事実は私も父から聞いています」
「アニエスそれだわ! わたくしも騎士団長から、おじさまの策略は国を消すのだと脅されたことがあるもの。きっとその国のことだったのね」
アニエスの言葉へ乗っかるようにリリも少しわざとらしい所作で言い放つ。とたんに男性は苦笑しながらまた遊んでるなとつぶやいた。
「ふたりともおじさんを悪者にするのは辞めようか。マティアス君もそんな泣きそうな顔をしないでおくれ。そもそも少し前までこちらの大陸は戦が続いていたんだから、地図から国が消えることくらい日常茶飯事だったんだよ」
またしてもリリとアニエスから極悪人のように言われた男性はマティアスへ丁寧に説明する。だがそれを脇で聞いていたベルナールは、それでは結局のところ消したのか消していないのかわからないのではと疑念を持つが問いかけることをしなかった。
なぜならベルナールが見つめるはるか前方に木造の廃屋が建っていたからだ。
「あれが魔女がいた可能性のある住居ですか」
「そうだね。いやはやこの周辺に魔物がいなくてよかった。おかげでのんびり歩いてこられたね」
男性のその言葉にベルナールははたと気づいたように目を見開く。
少し前に遠くで魔物を倒したという歓声は聞こえた。だがそれ以降は人の声も遠ざかっている。そうなるとこの辺りは駆除の範囲外だろうが、自分たちは魔物一匹とも遭遇していない。
「昨年は凶暴な魔物と何匹も遭遇したが、これが普通なんですか?」
「さて僕も初めて来る場所だから詳しくないけど、魔物は本来なら野生動物と同じで己より強い存在を恐れて逃げるものだよ」
「しかしこの中で唯一魔物より強い存在だろう人物は魔法武具で力を隠していますが、それも感じ取るということ…いや、その場合は逆に狙われるか」
この中で魔物より強い存在と聞いてすぐさまリリを引き合いに出したベルナールだが、すぐにそれを変えた。
竜の雛は魔物から餌として狙われる側の存在なのだ。だから竜の雛は守らなければならないと、昨年の戦闘実習に参加した者はみな学んでいる。
そうして考え込むベルナールに男性はたどり着いた廃屋を見上げながら笑った。
はるか昔に建てられただろうその建物は朽ち果てて屋根も一部壊れている。だがそれでも静かな森の中で異質なほど存在感を出していた。
「この建物には今も何者かの魔力が残っているんだよ。魔物避けの類いも玄関のそばにいくつもかけられている。当時のここは王都防衛の最前線で、戦う者たちが休息できる唯一の家だったんだね」
童話の中では『魔女の家』としか書かれないが、現実としてそれは都市防衛の要だ。魔術師に兵器は必要ないので、砦のように武装することはない。だがそこは魔力の強い者たちが寝起きする大切な施設である。そしてその痕跡を見るだけではるか昔の人々の生き様が見て取れた。
その様子を眺めていたベルナールの目の前でリリが男性を見やった。
「わたくしは外にいたほうがいいかしら」
「大丈夫だよ。君のそれは問題なく稼働してる」
リリの魔法武具は今も静かに彼女の力を閉じ込めてくれている。なので廃屋にある何かが浄化されることはない。
優しくそう告げた男性が見やった先でアニエスが立て付けの悪い扉を開かせた。きしんだ音をたてて開かれた扉だが埃が外に舞い上がる様子はない。
そのまま入り口から中を覗き込んだアニエスは振り返り4人に安全そうだと告げる。
「中は比較的きれいです。生活していたという様子はないですが、休憩小屋代わりに使われていたかもしれません」
「弓矢や刃物が置いてあるなら、そうかもしれないね」
アニエスの報告に悠然と返した男性は廃屋の入り口に近づく。そのためベルナールは念の為にマティアスはリリと少し外にいるよう告げて後に続いた。
そうして3人が中へ入るのを見送ったリリはマティアスを見やる。
「ベルナールはおじさまと仲良くなれそうね」
「仲良くなるのは良いことだけど、リリの中で仲良くなる必要があったんだね?」
「帝国に連れ去られた後のベルナールはおじさまの実質部下になるのよ。今から関係構築しておいたほうが良いわね」
「うーん…まぁ、そうなのかな。でも兄上がローラン侯爵家の跡取りだというところは変わらないからね」
「そうね。その時までローラン侯爵家が存在したのならの話だけれど」
平然と物騒なことを言い出すリリにマティアスが笑っていると廃屋の玄関口からアニエスが出てきた。
安全が確認できたからと入る許可を得られたリリはいつも通りのゆったりとした速度で建物に入る。
廃屋の中は屋根の一部が朽ちているためか奥の部屋で不自然に日が入り込んでいた。ただ玄関から入ってすぐの広い部屋には様々な植物が干すように壁へ吊るされている。
「この家にいた人間は薬草なども扱っていたのかしら。アニエスはこれらの草がなんなのかわかる?」
「うん。この大陸独自の薬草が多いけど、母が扱っていた部類もいくつかある。でも総じて痛み止めなどの部類が多いかな。そして弓矢などの武器類もないから、狩猟小屋代わりにはしてなかったのかな」
痛み止めや麻痺の薬など、治療に使われる薬草が多い。魔物から王都を守るために使われていたというのもわかる。
だが、と周囲を見たリリは首を傾げた。
壁には薬草が乾され、棚には瓶などが陳列されている。その棚も所々で空いているが気にするほどのものもない。
さらに奥の部屋は台所や食卓もあり、そこの棚には食器もしまわれている。
それは本当に一般的な庶民の家に近い造りをしていた。
「魔女と呼ばれる者たちは、古来竜王国では王都や街を守るために配置されていたのでしょう? でもこれは防衛拠点というより、少数が暮らす住居のようね」
「きれい過ぎる」
疑念を口に出したリリのそばで周囲を見ていたベルナールが怪訝な顔でつぶやいた。
「宰相殿、これは本当に廃屋なのでしょうか。朽ち果てた外観と違い、中は近年使用されたような清潔感があります」
何百年も放置されていたなら塵も溜まり空気も淀んでいるはずだ。たとえ屋根が朽ちて壁の隙間から風が入り込んでいてもその汚れを外に流すことはできない。
だが彼らが今いるそこにそのような空気の淀みもなかった。棚も食卓も少し前まで掃除がされていたように、埃が薄っすらと溜まっているだけなのだ。
「帝国騎士団が広域調査内でここを発見して、その後で竜王国騎士団もここを調べた。その後で何者かがここを使用したんだろうね」
ベルナールの疑念へ返すように、男性は笑顔のまま手にしているステッキで足元をコンコンとつついた。
「中を調べただろう騎士たちの足跡がない。騎士たちが立ち入った後で何者かが床を掃除したということだね。それに干されている薬草の種類もおかしい。アニエス君が言うとおり治療に使われる薬草が多いが、大半はガイアイリス大陸北部のものだよ。数百年前に大陸間交易が可能なほどの船なんてなかったろうに」
「つまり祝祭で薬物混入事案を引き起こした犯人がここを使用していたと」
「確たる証拠はないけど疑う理由もない。ところでベルナール君は治癒魔法を物にかけたことはあるかい?」
ローティス・フィレントから向けられた不意の問いかけにベルナールは眉を浮かせ相手を見つめた。
「腰痛緩和のため魔芒石へ治癒魔法を入れたものを患部に当てる治療がある、とは本で読んだことがあります」
「そうだね。他にも寝台の中に治癒魔法を入れた魔芒石を敷き詰め睡眠中の回復促進をはかったりと、古来から権力者が様々な使い方をしてきた。そしてマティアス君に聞きたいのだけど、ディートハルト君から魔力循環を促された時は他にないほど心地良くなかったかい?」
狭い小屋のような廃屋の中で問われたベルナールは自然と弟を見る。部屋の隅でアニエスが窓を開けているのを尻目に見つめる先で弟はわかりやすく顔を赤らめていた。
「すごく、気持ち良かったです」
「そうだね。魔力循環を整えるというのは身体の中を巡るものを整えるということだから、マッサージと同じように気持ち良いものなんだ。として治癒魔法を魔芒石に入れた物もそれとまったく同じ効果をもたらすから、同じように気持ち良い。ではその魔芒石を粉末化させて、薬草と混ぜた物を食べたらどうなる?」
「食べただけで健康になりそうな物になりますね?」
「君たちの伯父が出した結論はそれなんだよ。魔女の妙薬と呼ばれる物は魔物討伐に戦士たちを癒やすためのものだった。粉末と麻痺薬をまぜることで今で言う麻酔効果を生み出して痛みを伴わない切開手術のような事を可能とする。粉末と痛み止めも同様に痛みを強く書き消せるから、すぐに治療できない者に使えるだろう。さらに治癒の魔芒石があれば、ほんの少しの量で強い効果を生み出すから薬草の使用量も減らせる。治癒をかける魔芒石だって、元は魔鉱石を加工したものだからね。魔物が発生する場に行けば簡単に見つけられる」
現地調達できる上にとても合理的な劇物だね。そう楽しげに言う男性にマティアスはただ驚いた顔で目を瞬かせていた。
「伯父のことは知らないですけど、本当に凄い人なんですね。今はグレイロード帝国に住んでるんですよね? 機会があったらお会いしてみたいです」
「そうだね。君たちが帝国へ移住する時は後見人になると言っていたから、その時に会えるんじゃないかな」
そう告げたローティスはそのままの笑顔を真剣に考え込んでいるベルナールへ向けた。
「それよりベルナール君、魔女の妙薬の謎は解けそうかな?」
「祝祭での混入事案で問題となったパンから毒物の類は検出されませんでした。しかし検出されない程度の麻薬でも治癒の魔芒石をまぜることでその効果を強められるなら話が変わる。そしてその方法なら、たった1滴の媚薬でも相手の心を捕らえることができる。童話に描かれるままに」
「そうだね」
ベルナールの言葉を肯定したローティスはことさら嬉しそうに微笑む。
「君がこの場所でたどり着いたものが、今後の君の力になれば何よりだ。君の伯父上はそんなことを言っていたよ」
「伯父は宰相殿ほどの方を動かせる立場にいる。だと言うのに父から死んだと言われているのはなぜですか?」
「さあ? そこは本人と君の父君の間のことだから、僕は知らないよ。ただ彼の語る君の父君は、とても思いやりのある優しい人だよ」
魔女の妙薬の正体に近づけたことで穏やかになった空気が、ローティスの発言で固まった。
ベルナールは眉を寄せ今までにないほど怪訝な顔をして、マティアスも眉を歪ませて首を傾げている。
そんな兄弟の反応にアニエスは苦笑いを浮かべ、リリは嘆息を漏らした。
「おじさまは知らないのでしょうけど、ローラン侯爵はマティアスの心を虐待する大罪を犯した死すべき存在なのよ」
「そういう話もディートハルト君から聞いたよ。試験結果が良くないと親が来る、その知らせだけで真っ青になって震えてしまう。それくらいマティアス君が親に恐怖しているということは」
「だと言うのに、おじさまはそんな害悪を思いやりある優しい人間だと言うのはおかしいです」
「リリは少し落ち着きなさい。これは僕の意見ではないよ。僕は彼らの伯父上からそのように聞いているよ、と言ったんだ」
「ではその輩もおかしいのでは」
「甥っ子たちに死んだと思われるほど昔に国を離れた人間が、身内の現状を正しく把握するのは難しいことだよ。だけど、ローラン侯爵という男は本来、あるいは昔はそういう人間だったんじゃないかな? だから彼はあえてそれを僕に言ったのだと思うけどね。マティアス君はともかくとして、ベルナール君はこの情報もきちんと取り込んで活かせる子だろうから」
リリは今も納得がいかない様子で頬を膨らませてはマティアスに大丈夫だよと声をかけられている。その様子を見たアニエスは改めてベルナールを見やった。
先程から様々なことを思案しているだろう彼は、今も真剣に情報を精査しようとしている。そしてそうやって何事にも真面目に向き合う彼を眺めることが、最近のアニエスの楽しみにもなっていた。
なにせ彼の思考とその視線は、アニエスよりもはるか高みを見ているのだ。
そしてそれこそ、昨年の幼馴染みが彼を帝国に引き込み共に上を目指したいと思うに至る姿そのものだった。




