56.リリの主張とおじさんのお説教
時間になると教師たちが生徒を集めて点呼が取られる。そこで誰が出席しているかの確認がされて、夕方の終了時には再び点呼が取られて全員そろっているか確認される。そうすることで森の中に生徒が取り残されるようなことが無いよう配慮されていた。
もちろん終了時の点呼では負傷の有無も確認され、負傷者は軽傷でも治癒魔法で癒やしてもらえる。
だが中等部の見学者であるリリは点呼を取られない。見学者が森に入ることは禁止されているため、そもそも取り残されることがないからだ。
ただそんな見学者の行動も誰かが監視しているわけではないので、リリは自由に動き回ることができる。
かくして班分けがされている中を、リリは自分なりに足早に歩いてベルナール・ローランの姿を探していた。しかし周囲の高等部学生たちは、緩やかに歩く小柄な砂糖菓子を愛すべき妹分か愛玩動物の類のような目で眺める。
春の陽射しにきらめく細く繊細な琥珀色の髪も、長いまつげに彩られた同色の瞳も、彼女の性格を知らない高等部の学生からしたら甘く可愛いだけの存在なのだ。
「ベルナール・ローラン」
そんなリリは周囲からそれとなく進む方向を促されて目的の人物を見つけた。
昨年に続いて普通科の学生ながら参加したベルナールは真面目な顔でリリを見下ろす。
「どうした。アニエス・ディランは一緒ではないのか?」
「アニエスはおじさまに戦闘実習の説明をしているの」
リリの口から出た「おじさま」という単語にベルナールは無自覚に眉間へシワを寄せる。その瞬間にリリは上目にベルナールを見上げたまま己の眉間を指差した。
「眉間のシワはよくないわ」
「ああ…すまない。それで、君の言うおじさまとは何なんだ。一般人が戦闘実習を見物することは認められないはずだが。まさか去年現れた君の保護者ではないだろうな」
「ロシュさまが来られるはずがないわ。これそのものがなくなってしまうもの。そしてできることならでいいのだけど。ベルナール・ローランは、その班を抜けてこちらに来ていただけないかしら?」
上目でベルナールだけでなく彼の班員たちをも見つめながら、リリは祈るように手を合わせる。そんな愛らしい姿を目にして無理だと言える騎士科の学生はいない。
どうせ今回の戦闘実習は騎士科Sクラスもいて楽勝だからと、リリの願いを叶えるようにベルナールへ声をかける。
かくして班から抜けることを許されたベルナールはため息を吐き出しながらリリと共に歩いた。
「君のそれは恐ろしいな。確信犯じゃないか」
「あら、わたくしはお願いしただけなのに」
「外見を武器に人を従わせたように見えたが」
「それこそが淑女のたしなみだと思うのだけど、ベルナール・ローランは女性への免疫がないから知らないのね」
「そうだな。そんなもの知りたいとも思わない」
「あなたはアニエスをなんだと思っているの?」
不意に出された問いかけにベルナールは眉を寄せる。そうして理解できない質問を向けてきたリリを怪訝な顔で見下ろした。
「優秀な近衛騎士だが」
「そう。では別れの瞬間までアニエスを正しく近衛騎士として見ていられると良いわね?」
「何が言いたい」
既に周囲の学生たちは班分けを終えてそれぞれ森に入ろうとしている。その流れを逆行して集団から離れたリリはマティアスとアニエスが待つ場所に戻ってきた。
その上で改めてベルナールへリリのおじさまに手を向ける。
黒のケープコートを羽織った黒髪黒瞳の長身男性。彼リリの優しいおじさまである彼は、魔術師のそれではなく歩行補助に扱うステッキを伸ばしていた。
「こちらはわたくしのおじさまで、ローティス・フィレントさまよ」
「帝国宰相の名前じゃないか」
リリが説明した途端にベルナールはため息とともにその肩書を吐き出す。するとアニエスがさすがですと笑顔で褒めた。
「しかしベルナール卿、ここおられるのは我々の優しいおじさんと認識してください」
「確かに宰相ほどの人物が異国の、しかも学生の実習を見学しているなんてありえないからな」
そもそも大国の重鎮が護衛もつけずにこんなところにいることからおかしい。そうぼやいたベルナールに、素直過ぎるマティアスも確かにと同意した。
「アニエスは近衛騎士として優秀だけど、彼女ひとりでリリもおじさまも守るのは難しいよね?」
「あら、その時はあなたがわたくしを守ってくれるのでしょう? なんなら今から害虫になっていてもいいのよ?」
護衛に関してはそれで足りると言わんばかりにリリが言えばマティアスが赤い顔で照れたように笑いつつ首を横に振った。
「今からは使えないよ。というか、さっきおじさまから魔法武具を見せて欲しいって言われたから渡しちゃってるよ」
「おじさま! わたくしから害虫を取り上げるのはよしてくださいな」
「うーん、でもね? 僕の知的好奇心が」
「おじさまのその知的好奇心のためなら殿方の身体の隅々まで調べ上げたい性癖をマティアスに向けないでくださいませ」
「しないしない。そんなことしないよ」
リリの言い分があまりにも悪すぎたためか、男性は慌ててマティアスに否定しなければならなくなった。
「人体なんて調べてもたかがしれてるからね。でもマティアス君の魔法武具の不具合やらなんやらに関してはディートハルト君の報告書にもあって気になっていたんだよ」
「つまり、ディーが、僕の魔法武具のことを心配して、おじさまを」
不意に昨年夏に別れた友人の名が出たことでマティアスはほんのり頬を赤らめながらローティスを見つめる。
とたんにそのそばでリリが風船のように頬を膨らませたためアニエスも笑ってしまう。
「ディーのことは気になるけれど、ここにいても何も始まらないよ。おじさんも、私の愛しいラピスラズリを虜にするような言動は控えてくださいね」
「そんなことはしてないんだけどなぁ。リリもアニエス君も悪い印象を与えようとしてないかい」
「いいえ、おじさんは私が知る限り最高の頭脳で、敬意を向けるに値する方です」
「おじさまは昔から悪知恵と策略と奸智に長けていて、言葉だけで敵国を潰したという噂もあるわね。そして今度はその悪しき企てをこの国で繰り広げようとしているのよ」
「しないしない。マティアス君もベルナール君も誤解してはいけないよ。僕は普通のおじさんだからね」
アニエスだけなら良いが、それに乗るように悪評をバラまこうとするリリは良くない。
ただリリのその言動はローティス・フィレントという帝国の重鎮に対して、ローラン兄弟がいらぬ緊張を抱かないようにという配慮である。
それをわかっている男性もアニエスも、そして意図が理解できるベルナールも否定しなかった。
ただその意図がわからないマティアスは素直に首を傾げる。
「この国は平和ではあるけど、魔女の妙薬らしいものがばら撒かれたり問題は発生してる。でもそれはアニエスが言う帝国の頭脳のような方でも対応できる問題なのかな? と思うんですけど」
学生たちがいなくなった草原を森に向けて歩き出しながらマティアスは素朴な疑問を向けた。
「この時期におじさまが来られたのは、そういう報告書を読んだからだと思ってました。おじさまからの手紙をリリが読んだ時にそういう話をしていたから」
「確かに。私がおじさんへ定期的に報告書を送っている、という話をしました」
マティアスの言葉も理解できるとアニエスは笑顔のまま同意する。そしてステッキを地面に当てる独特な軽い音をたてて進む男性は緩やかな笑いをこぼした。
「一応これでも僕はリリやアニエスの留学に関する後見役のような立場があるよね。だからリリが執着しているらしい男子学生のことは知っておかなければならない。しかもその学生が、身体の色彩を変える魔法武具の不具合で困っていると知れば余計にね」
「子犬が害虫になることに関して、おじさまが動く必要はないのではないかしら。わたくしはどんなマティアスも気に入っているのだもの」
「うん、そうだね。可愛い青玉の姫が父君に似て執着が強過ぎることは知っているよ。だけど問題はそういうことではないんだ。その身体の色彩を変化させる魔法武具を世に生み出したのは彼らの伯父なんだよ」
森の入り口へ差し掛かりながら言うローティスに、一番驚いたのはベルナールだった。
外見に変化を起こすその魔法武具は竜王国においてかなり前から流行し、その売上だけで小国の国家予算に匹敵するとも言われている。
もちろん基本的に魔法武具を売った利益の大半は技師のものだ。だがあらゆる商品に対して、開発者の権利は保証されていて利益の一部は商業組合を通じて開発者へ流れる。
さらに根源である魔芒石は誰にでも作れるものではなく、今も竜王国はガイアイリス大陸からの輸入に頼っていると聞く。
つまり量産され販売される色彩変化の魔法武具のために竜王国そのものが動いているのだ。
そんな規模のものを会った事もない伯父が生み出したと知って驚かないわけがない。
「伯父が存在していたことは系譜にあるので知っています。しかし父から子供の頃に死んだと聞かされていました」
「どんな人物だったのかも聞いてない?」
「父は余計なことを言わない人なので。それに俺も興味がなかったので聞くこともしていません。しかしその伯父が魔法武具の開発者であることの何が問題なのでしょうか」
「うーん、僕はこの手のことは詳しくないんだけどね。ディートハルト君の報告を受けた宮廷魔術師殿が、魔力の親和性があるかもしれないと教えてくれたんだ。本当にこれは稀なことではあるんだけどね。この魔法武具は魔芒石も特殊なもので、開発者の魔力が含まれているらしい。だから近親者ならではの魔力の親和性によって、マティアス君が使った場合に限定して想定より高い効果が出てしまったと」
「それは……」
わかりやすいその説明はすんなりとベルナールの中に染み込んで納得させてくれる。そして同時にマティアス自身に問題がなかったという事実にも安堵した。
「弟が悪いわけではないならそれで良いです」
「理解してくれてありがとう。ただマティアス君は悪くないけど、リリが言う害虫の状態はどうかな。リリがそれを許したとしても、マティアス君は嫌なんじゃないかな」
「おかしいわ、わたくしが許してるのだからそれでいいのに」
「リリ、君のそれはマティアス君の意志を尊重したものなのかな? 僕がこうしてここに来たのは、まさに君をお説教できるのが僕だけだからだよ」
「でもわたくしは害虫のことが気に入っているの」
「君のそれは帝国では許されることだけど、ここでは違うじゃないか。それとも君はマティアス君に、自分は公女であるから何でも聞き入れろと強要したいのかい?」
強要という強い言葉にリリは琥珀色の瞳を見開かせたまま黙った。だがその代わりのように大きな琥珀の瞳からボロリと涙がこぼれる。
そしてそんなリリの反応もローティスは慣れた様子でうなずく。
「うん、つらいことだろうね。でも君はその竜の衝動を抑えなければならない。人と共に生きるとはそういうことなんだ。君の父君もたくさん泣きながら抑えることをしてきたよ。大切な人を大切にするためにね」
「でも、わたくしはあのマティアスも好きなの」
「戦神ロールグレンに似てるのかな?」
「似てないわ。祖父のことも知らない。マティアスだから良いの。強くてガサツで愚かでも、わたくしをこの世で唯一だと言ってくれる。いつも言わない言葉をくれるマティアスが良いの」
「人は本音をさらけ出しては生きていけないよ。この短時間でも、彼が思慮深い性格の子で出すべき言葉を選んでいることは読み取れる。そんな子に、自分が心地良いからとすべてを吐き出させてはいけないんだ」
「そうしたら、わたくしはマティアスの本音が見えなくなるわ」
「そうかい?」
いまだ涙をこぼしていたリリは隣からハンカチを差し出されて男性から視点を移す。するとそこに真っ赤な顔のマティアスがいた。
隠し事の苦手な彼はすぐ顔色に出る。そして少し泣き虫な彼は、長い前髪の奥できっと困ったように眉を垂らしているだろう。
マティアスを見つめて再び涙をこぼし始めたリリを、彼は慌ててハンカチで拭き始める。
その様子を眺めていたベルナールは真顔のまま男性に質問を向けることにした。
「あなたがマティアスの魔法武具を借りたとして、問題解決が可能なのか?」
「宮廷魔術師殿の話では親和性が問題なら、他人の魔力を入れてしまえば良いとのことだったよ。それだけで『強くなりたい』と刻まれた魔芒石が正常に作用して、自我が強くなり過ぎることもなくなる」
「その魔力は他人なら誰でも良いわけですね」
「しかしこんな事で十将軍を使うなんて、それこそありえない話だろう? それにディートハルト君が騎士になって戻るのはまだ何年も先の話だからね」
「十将軍を動かすのはありえない話だが、帝国宰相も同じでは?」
「いや、うーん。そうなんだけど……実は僕もね、もうずっと休暇を取れと怒られていたんだ。でも王都にいたら仕事がしたくなるし、近隣にいても仕事が気になって休めない。だから休みなんて無理だよねと話していたらアニエス君の父君に叱られてしまってね。結果としてここで可愛い青玉姫にお説教をしているわけだよ」
「過重労働もそうだが、彼女を叱りつけられるほどの人物が他にいなかったことも要因だったと」
「こんなに愛らしいのに王位継承権4位だからね。しかも竜の衝動や人への執着に関しては、父君のブレストン公もやらかした側だから言えないんだよ」
「その時もあなたが今のように?」
「彼に説教は必要なかったよ。彼はどちらかと言えばマティアス君に似た性格で自分を出さない人だから。でも理性がどれだけ己を押し潰せても、竜の衝動はそうはいかない。それ以前に彼は自分がカイン・ブレストンであることから隠していたからね。それを誰よりも先に見つけた僕が、彼を守る体制を作るためにいろいろと企てたのは事実だよ。リリが言ったとおり奸智に長けた宰相だからね」
「俺の目には優しい御仁にしか見えないが」
どこが奸智なのかと疑念を出したベルナールは、なぜかアニエスに手を握られ握手された。
「さすがベルナール卿ですね! 宰相閣下…じゃなく、おじさんのことを正しい理解くださって嬉しいです。本当にこの方はご自身の魅力と言いますか良さを隠そうとするのが良くなくて」
「そうか。いや、宰相殿の魅力は知らないが」
「え? あ、なるほど。ベルナール卿はまだ見つけておられないのですね。魅力の塊であるおじさんの良いところを」
そんなものに欠片も興味がないと言いたいベルナールだが、目の前にいるアニエスは嬉しそうな笑顔で男性を見やって「こんなに面白いのに」と妙な本音を見せる。
そして男性側も苦笑しつつそんなものはないだの、探す必要もないだのと否定してはアニエスから言い返されていた。
「アニエス」
その親しげな様子が放置できないベルナールは無自覚に眉を寄せる。
「近衛騎士たる者が宰相殿を相手に面白いなどと口にするのはどうだろうか」
むしろ馴れ馴れし過ぎると言いたいベルナールの目の前で、アニエスは一瞬だけ驚いたような顔を見せた後で嬉しそうに微笑む。
「確かに、ベルナール卿の言うとおりでした。母国からなじみの方が来てくださったことに浮かれてしまいましたね」
「そうだな。それに男に対して軽々しく魅力云々と言うものでもないと思う」
「そうなんです? それは敬意が薄いように見えてしまう、ということでしょうか?」
「ああ……」
安易に異性を褒めるなと言えないベルナールの目の前で、アニエスは納得しつつも首を傾げる。そんなアニエスの様子を見ていたベルナールは、そばで男性が笑ったことで視線を移した。
すると男性のすぐ前を歩くリリがベルナールを見つめたまま、無言で自分の眉間を指差している。そのためベルナールは己の眉間を指で押さえてシワを伸ばした。




