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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部2年
56/72

54.2度目の戦闘実習当日とリリのおじさん

 大地の月に入るとすぐに戦闘実習の日を迎える。例年であれば竜王国側もただの学園行事として戦闘実習に関与することはない。

 しかし昨年の砂竜出現とその原因が帝国騎士団による調査でもはっきりしなかったことから、今年は学園騎士科に所属する竜騎士の参加を許可した。


 そうして王都東の森付近には早朝から高等部3年と2年が世話する40騎の騎竜と竜騎士見習いが集まる。さらにその騎竜を世話する生徒たちもやってくると、高等部の学生たちもそれぞれ馬車で集まってきた。


 昨年と同じ乗馬服で、森のふもとに広がる草原に立ったリリは、久しぶりの広い視界に目を巡らせながら深呼吸をする。学園は竜王国王都の中でも高台に位置していて広く自然もある。だがやはり海風が流れ込み潮の香りが強い学園よりも、森の木々が香る内陸部の空気のほうが好ましいとリリは思う。


「リリ。今年は無茶しないでね」


 馬車から降りる時も手を貸してくれたマティアスが心配そうに言う。そのため空を見上げていたリリは琥珀色の瞳をそばにいてくれるマティアスへ向けた。


「そう何度も助けてあげないわ」

「うん、それなら良いよ。去年の僕だってリリがあんなことになるとわかってたら何も望まなかった」

「あらあら、あなたがわたくしに何かを望んだことなんてないでしょう? わたくしはわたくしの考えるままに行動しているだけだもの」


 昨年の戦闘実習でリリは己の命を捨ててでも学生たちを救おうとした。だがそれは誰に頼まれたものでもなく、リリ自身がそうすることを決めている。

 そう告げたリリの目の前でマティアスの顔が嬉しそうに緩んでいく。


「僕はリリのそういう強いところが好きだよ」

「わたくしはあなたの子犬のように可愛らしいところは気に入っているわ。だけど最近は害虫のあなたも嫌いじゃないの」

「そうなの? あんな性格のおかしい赤いだけの役立たずみたいなものなのに」

「あれこそがあなたがなりたい姿なんでしょう? 戦神ロールグレンのような色と勇敢な性格で」

「そうだけど…」


 思わぬところで魔法武具を使った愚かな自分も認められたマティアスは真っ赤な顔で言葉を濁した。

 認められたことを喜びたいが、それ以上に照れくさい。そんなマティアスができたのは赤い顔で笑うことだけだった。


 そんなふたりを見つけたものの声をかけられないアドリエンヌは真面目な顔で隣に立つアニエスを見やる。


「帝国はあれを許していると考えても良いのかしら」

「アドリエンヌ嬢が心配する部分はわかります。後にリリが悲しみに頬を濡らすことがあってはいけません」

「ええ、そうよ。現在もマティアス・ローランは学園内でラピスラズリとしてリリを隠す役目を担っているけれど、それは今の話だわ。学園卒業後にリリがマティアスと共にいたいと願った時に、帝国がその障壁となることは避けたいの。だってあの子はわたしたちにとっても可愛い砂糖菓子なのだもの」


 そう告げるアドリエンヌの腰に手を回してミリュエルが抱きしめてくる。そうしてミリュエルは甘えるようにアドリエンヌの肩に頭を載せて上目にアニエスを見つめた。


「わたしたちの可愛い砂糖菓子にはいつもいつでも笑顔でいてほしい。そのためならどんなことでもしてあげたいわ。たとえ将来、わたしたちと砂糖菓子の間を大海原が入り込んだとしても」


 卒業後にリリが国へ帰れば、5人の令嬢とは国境と海を挟んだ壮大な距離ができてしまう。そうだとしてもリリを守りたいと訴えるミリュエルにアニエスは笑顔のままうなずくことしかできなかった。

 だがミリュエルの魅力的な瞳はまばたきを忘れたようにじっとアニエスを見つめ続けている。そのためアニエスは笑顔を保ち続けながらもどうすべきかと頭を巡らせる。


「こんな魅力的な女性から熱烈な視線を受けるなんて、アニエス君もなかなかじゃないか」


 さすがの血筋だねと落ち着いた大人の声にからかわれたアニエスは勢いよく振り向く。するとアニエスや令嬢たちの後ろに黒いケープコートに見を包んだ長身の男性が立っていた。

 男性であっても繊細な黒い髪と、まつげの長いハッキリとした黒瞳。さらにきめ細かい白い肌は、帝国人らしい外見だ。

 ただやはり帝国人だからかスラリと高い身長は際立っている。帝国人というとリリ含め留学生たちしか知らない。だが彼らは総じて竜王国の大半の貴族と違い無駄な肉がついていないのだ。


「さい…」

「ははは、久しぶりだね。アニエス。おじさんに対して他人行儀はよしておくれよ」

「了解しました。おじさん」


 その呼び方を求めるなら対応しなければならない。アニエスは笑顔のまま彼をおじ扱いすることにした。


「おじさんに紹介致します。こちらのご令嬢はアドリエンヌ・オーブリー嬢。そしてそばにおられるのはミリュエル・バルニエ嬢」


 まずはそばにいるふたりを紹介するアニエスの目の前で、ミリュエルがアドリエンヌから離れた。

 淡くきらめく金髪を背中に流したミリュエルはまっすぐに男性を見つめながら、スカートの裾を掴み腰を下ろす。


「ミリュエル・バルニエと申します」


 頭を下げない非礼は竜王国の淑女として減点だ。そんな所作を目にしたアドリエンヌだが、眉をひそめた理由は他にあった。

 どんな異性も軽んじて、仲間と楽しい遊びにしか興味を持たない竜王国一の美少女が、長いまつげに縁取られた瞳を見開かせまっすぐに男性を見つめているのだ。

 まるで何かを請うように。


「しがない小娘でしかないわたしに、貴方様のお名前を聞く権利はございますでしょうか?」


 アドリエンヌは生まれて初めて人が恋に落ちる瞬間を目にした。魔力の高い子を生むため政略による婚姻が基本である貴族の令嬢でありながら。しかも相手は自分たちよりはるかに年上だろう大人の男性だ。


「……困ったな」


 穏やかな微笑みと、紳士的な雰囲気のその男性の言葉にミリュエルは目を見開いたまま固まる。


「この国で名乗るつもりはなかったんだ」

「おじさん、ミリュエル嬢はリリの最愛のおひとりです。帝国のご婦人がたのような対応はよろしくないかと」


 やんわりと拒絶しようとした男性にアニエスが口添えする。

 その瞬間にミリュエルが目を瞬かせ笑顔を輝かせながらアニエスを一瞥した。だがそれは一瞬のことですぐさま期待の眼差しは見上げるように男性へ戻される。

 そして再び注がれたミリュエルの熱い視線に男性は微苦笑とともにひとつ息を吐き出す。


「おじさんの名前はローティス・フィレントと言うんだよ」


 その名を耳にした瞬間にミリュエルは素敵な名前とことさら嬉しそうに微笑む。

 だがそんな親友と男性のやり取りを後方で見ていたアナベルが目を見開いた。


「アニエスさん、この方はまさか…」

「そちらのご令嬢はもしやアナベル・デュフール侯爵令嬢かな? 知性あふれるご令嬢だと聞いていたけど正しかったようだね」


 名前だけで正体を知られてしまうとは。楽しげに微笑む男性にあるのは大人の余裕だった。


「おじさんはグレイロード帝国でなんでも屋のような仕事をしているんだ。その関係で多少は周辺国に名前を知られてしまうこともあったりするね。きっとデュフール侯爵令嬢もそのような流れでおじさんの名前を見聞きしたのかもしれない」

「つまり…国際社会で評価を得るようなお仕事をしておられるのですね?」

「良い評価なら嬉しいんだけどね」


 きらめく瞳で問いかけるミリュエルにローティス・フィレントと名乗った男性も胸に手を当て背を屈めるようにして返す。


「良い評価に決まってます!!」


 まるで舞台俳優が最後に礼をするかのようなその仕草にミリュエルが真っ赤な顔で絶叫した。アドリエンヌはもちろんこのミリュエルが普段は落ち着いた完璧な令嬢であることを知っている。

 だがこの男性が現れた瞬間からミリュエルは淑女教育という盾を捨ててしまったらしい。

 だがたとえ恋に落ちていたとしても、いや恋に落ちた相手だからこそ今のミリュエルの態度は悪手だ。そう考えたアドリエンヌはアナベルやブリジットと視線を交えた。

 その瞬間に理解した2人はミリュエルの両脇を挟んで急ぎ連れ去ってくれる。最後にはまだ話が足りなさ過ぎると叫ぶミリュエルの声を背にしながらアドリエンヌは男性に向けて頭を下げた。


「友人が粗相をしてしまい申し訳ありません」

「いや、大丈夫だよ。ああいうのは慣れているんだ」


 問題ないと笑顔で終わらせようとした男性は、ふとその目を遠くで飛び跳ね手を振るミリュエルへ向ける。


「この国では恋愛結婚も可能になったのかな」

「そんなことはありません。我々竜王国貴族はより強い魔力を持った子を成すため、家が相手を決めます。そして彼女は今の世代では最も優れた魔力と美貌と作法を持ち合わせた令嬢です」


 男性の問いかけにアドリエンヌは正しくミリュエルを理解してもらうべく説明した。するとその説明の何がおかしかったのか男性は笑いをこぼす。

 そんな反応に眉をわずかに潜めると、男性は楽しげな顔で申し訳ないと謝罪した。


「そんなご令嬢がディートハルト君に攫ってくれと頼みたくなるほど、現状に不満を感じているということだね」

「そうですね。しかし彼にその話をした時のミリュエルは恋をしておりませんでした。恋というものを知らないまま退屈で絶望的な人生を歩むのがつらいが為にそのような話をしたのです」

「政略結婚だとしても、その相手に恋をすることはできると思うけどね」

「そうはそうでしょうけれど、彼女はあなた様を一目見た瞬間に恋に落ちてしまったのです。そんな彼女にあなた様の口から他の男との恋などと彼女も言われたくはないかと思います」

「確かに君の言い分は正しい。だが私は君たちの親より年上のおじさんなんだよ。恋だの愛だのに夢を見るとしても相手を選んたほうが良い。賢明なご令嬢ならなおのことね」


 男性は笑顔のまま言い放つとリリが走ってくるのに気づいて歩きだしてしまった。いつものように足の遅いリリは、今も走っているというより軽やかに跳ねるように歩いているように見える。

 そしてそんな砂糖菓子を迎えるように歩き進んだ男性はそのままリリと親しげに抱きしめ合う。


 未成年の令嬢を抱きしめるなど家族か婚約者でしかやらない。それを簡単にしてしまうふたりを唖然と眺めていたアドリエンヌはゆっくりとその目を今もそばにいるアニエスへ向けた。


「アニエス、教えてくれないかしら」

「はい、おじさんについてですね」

「あの方はリリの親族か何かなの?」


 アドリエンヌが問いかけるとアニエスは無言のまま3歩ほど進み寄る。そうして肩が触れるほどの距離まで近づくと背を少しかがめて顔を近づけた。


「あの方は我が国の宰相閣下です。いわばグレイロード帝国の頭脳。ビタン王国時代から神童として知られ、ロイトヒュウズ陛下みずから宰相職にと望まれ就いた後はお若い陛下に代わり国政を担ってまいりました。つまりは帝国が大陸全土に勢力を広げた影の立役者です」

「それほどの方がどうしてこんなところにおられるの」

「私は留学中、常に宰相閣下へ報告書を送っております。おそらくその中の何かに引っかかりを覚えて、その確認のために来られたのかと」

「そのためにわざわざ海を超えてこんなところまで? どこまで報告しているの?」

「私が知るすべてです」

「でも流石にグレイロードの方が『魔女の妙薬』のことをご存知なわけがないわよね? リリとマティアスの関係を心配されていらしたのよね?」

「宰相閣下に知らないことはないですよ。それよりもミリュエル嬢のことはどういたしましょうか。今日は後方支援を辞退して帰宅したほうが…」

「待って、待ちなさい。それはつまり、ミリュエルが宰相閣下に関わらないほうが良いということ?」

「宰相となって16年が経つでしょうか、その間に泣いた令嬢は数しれず。恋愛に関しては十将軍の誰よりも手強く冷徹であることで有名な方です」

「意味がわからないわ。それは女性が嫌いだと言うことなの? まさかビタン特有の同性愛が…」

「私にはわかりかねますので、父の意見を出しても?」

「近衛騎士団長様ね。ええ、教えてちょうだい。ミリュエルの力になりたいの」


 まだ14歳の子供でしかないアニエスでは宰相の過去について詳しく語れない。そのため父から聞いた話と前ふりして簡単に説明した。


 ローティス・フィレント侯爵は宰相として帝国で最も多忙な人物である。15歳で王となった少年を支え成長を促しながら、国内政治の中心に立つ。そして属国を含めた外交に関しても宰相が中心となって動いていた。

 そのため宰相はこの16年間1日も休まず働き続けていた。建国王が歴史的にも有名な闇王討伐などをのために十将軍を伴い遠く大陸東端まで遠征している間もひとり国を支えてきたのだ。むしろ当時は今と違いガイアイリス大陸は戦の多い時代だった。そんな中であえて主力を王都から遠い地へ行かせることを普通は悪手としか考えない。

 大陸東端へ主力が行っている間に王都が陥落すれば帝国は終わっていたからだ。

 だが玉座のそばにローティス・フィレント侯爵が立つ限りそれは不可能であることを周辺国は知っていた。なにせ彼の頭脳にはあらゆる国の弱点も要所も入っており、さらにその頭脳は誰よりも強い指揮官にもなれるのだ。将軍不在の騎士団でも戦力が残っていれば王都防衛程度ならこなしてしまう。

 戦で成り上がったビタン王国が所持していたかつての神童は、グレイロード帝国において鉄壁の砦にもなっていた。

 そしてそんな有能な見目麗しい宰相に恋をした令嬢は帝国宮廷に数多くいた。だがどんな令嬢が愛をささやいても宰相の氷のような心を溶かすことはできない。

 陛下に心を捧げ職務に命を捧げた宰相は、それ以外に時間を使うことを無駄だと思う人でもあったのだ。

 そうして傷ついた令嬢に宰相は言うらしい。


「もし結婚したとしても自分は職務が忙しく屋敷に帰ることがありません。もし私を愛しているのなら、余計にそんな生活は耐えられないでしょう。逆に耐えられる方は私ではなく肩書と経済力を愛しているのでしょうけど。そんな言葉でとどめを刺すそうです」

「それではどうにもならないじゃないの。寂しさを我慢して屋敷を守りながら愛する人を待つ妻も世の中にいるというのに。あの方はそれを全否定してまで令嬢の恋心を叩き潰すなんて…酷すぎる」

「しかしそうして失恋した方は他の方と結婚して幸せな家庭を築いているそうです。少なくとも誰もいない屋敷で一生を過ごすよりもずっと幸せでしょう。なので父は閣下のあれは優しさなのだと言います。相手の幸せのために孤独を貫いているのだと」

「それは……難題ね」

「しかも閣下はディートハルトの報告書も私の報告書も見ております。ミリュエル嬢が退屈を理由に母国を離れたがっておられることも知っているので…」

「確かに先程もしっかりと言ってらしたわね。でもそれはあの方への恋によって変化したとは思えないかしら」

「竜王国貴族の義務から逃げるために恋を言い訳にしている、と思われないと良いですが。ひとまずその部分は私から補足説明などしておきますので、アドリエンヌ嬢はミリュエル嬢をお願いします」

「わかったわ。あなたも、くれぐれもお願いね」


 これは大切な親友の初恋なのだ。結果的にどうなるとしても、答えが出るまでは最善を尽くしてあげたい。

 そう考えたアドリエンヌはアニエスから離れると親友たちの元へ向かった。



 そうして令嬢たちと別れたアニエスは、後方支援のために集まる女子生徒たちの視線がローティス・フィレントへ向けられていることに気づいた。



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