53.アニエスの元へ届いた手紙
白の月と王の月をまたぐことで、2年生と3年生にとっては初めての月末試験と、それに伴うクラス替えが行われる。
20人と他のクラスの半数しかいないSクラスも試験の順位に合わせて在籍する生徒が変わる。
そしてAクラスからSクラスへの移動を果たした黒髪ツインテールのオレリア・トリベールは腰に手を当ててリリの前に立った。
「これで凡人とは言わせないわよ!」
「Sクラス最下位おめでとう」
「ちょっと泣き虫マティアス! これなんとかして!!」
リリの返事にさらに立腹したオレリアは奮然とマティアスを呼ぶ。だが授業の前であるためマティアスはそんなふたりをなだめすかして席に座らせることしかできなかった。
なにせこのふたりの口論に限ってアニエスは微笑ましく眺めるだけで、マティアスを助けてくれないのだ。アニエスはあくまでリリを危険から守り、素行不良の枠からも避けさせるためにここにいる。そんな近衛騎士の中ではリリとオレリアの口論は問題なく見えるのだろう。
そうして仲間をひとり増やして1ヶ月が経ち大地の月に入ると戦闘実習の予定が組み込まれる。
そんなおり、リリはアニエスから意外な知らせを受け取った。
色鮮やかな花が咲き乱れる中庭で、ベンチに座るリリは緋色の封蝋がされていた白い封筒を開かせる。中の便箋を取り出して読めば、少し癖のある懐かしい文面と再会できた。
ただそれだけで笑みをこぼしたリリは文頭から始まる楽しいお説教を読む。
「アニエスはわたくしに内緒でおじさまと文通をしていたのね?」
「近衛騎士団長と宰相閣下へ定期的に報告書を送るのは役目のひとつだからね」
ベンチに座るリリの両脇にはマティアスとオレリアがいた。そして彼らはリリやアニエスの正体を正しく知っている。そのためアニエスが報告書を送ることもおかしなことではないと思えた。
「その宰相閣下はどんな方なの? リリやアニエスの親戚とか?」
「帝国にて宰相を務めるローティス・フィレント侯爵は幼少期に神童と呼ばれ、その頭脳は今も帝国を支える柱のひとつとなっているよ。とても懐の深い方だから、リリや私の留学も宰相の後押しで可能になってるんだよ」
「アニエスは良いけど、このリリを留学させようなんてよく許せたわよね? その宰相はリリに甘いの?」
「いやいや、とんでもない。本国での彼女は誰もが認める完璧なご令嬢だよ。我がままのひとつもこぼすことなく弟君を守るため尽力される聡明なお方だ。逆にそのような方がひと時の自由をと求めた時は大人として安堵した、と宰相閣下も言っておられた」
「ふぅん、外面と言うか令嬢としての仮面はつけられるんだ?」
「グレイロード帝国はこの国ほど平和ではないからね。宮廷貴族の数も違えばその意見もバラバラだ。侯爵家だけで30を軽く超える国で貴族の頂点に立つのはかなりの苦労を必要とするよ」
そもそも国の規模が違えば貴族の数も違う。そして貴族の数が違えば、考え方も相応に違ってきて、敵や味方も増えてくる。
その中で公爵令嬢として育ったのだから仮面をつけることは余裕でできる。だがそんな優秀な令嬢だからこそ大人たちは心配したのだろう。
そしてそんな令嬢が一時期でもと自由を求めたからこそ留学という話になった。
「わたし、リリはこの国に骨を埋めるつもりで来たのかと思ったりしてたのよ。将来的に」
「私の立場ではリリに何も言えないけれど、帝国側はそうさせたくないんじゃないかな。その手紙にある通り砂竜が目撃された件の森の再調査という理由をつけて宰相閣下が来るのはリリの顔を見る目的もあるだろうし」
「その宰相って、リリに対して個人的に思うところがあったりする?」
「うーん…宰相閣下は頭が良すぎて誰にもその中を理解できない方ではあるけど、今のリリならそうかもしれないね。ご令嬢の鎧であるコルセットを奪ってまで抱きつきたいなどという意味不明な生き物になったリリに対して強い知的好奇心を持ちそうだ」
爽やからな笑顔でリリを変態扱いするアニエスは、中庭のような公共の場では必ず座らない。その姿は騎士としては正解だろうが、留学生としてはどうなのかとオレリアは考える。
「リリがどんな道を選んだとしても、アニエスは高等部を卒業したら国に帰るのよね?」
「私は帝国騎士だから、帰国して他の王位継承者を守る役目につくよ」
「でも他に近衛騎士がいるだろうし、その王位継承者たちもそっちが守ったりしない? アニエスがそこまで連続して重要任務に着くことある?」
「近衛騎士団には女騎士が何人かいるけれど、私だけが王位継承権を持っているからね。今こうして平然とリリの悪行を口にする非礼も私だから許される。それに世の中には王族しか立ち入れない場もあるし、同様に女性しか入れない場所もある。そんな場所へ立ち入れる近衛騎士は私だけだよ」
「あー…なるほど。帝国は複数の国を従えてるから、属国の王族が集まる場なんかでは特別な警護が必要になってことね」
「実際に今こうしてリリと同じ寮で寝起きしているのは、私が私であるからだからね。そして私の能力を宰相閣下が認めてくださった結果でもある」
「そうね。わたしとアニエスの初対面は魔法剣使って突っ込んできて我が家のガラス戸を破壊した時だけど」
祝祭の時のことを告げたオレリアにアニエスは確かにと笑った。
オレリアはその後も毎晩のようにアニエスが魔法剣を使いトリベール侯爵家へ不法侵入していることを知らない。そしてアニエスも、己の行動を誰かに告げる気はない。
そのため何も知らないオレリアからあの魔法剣は何なのかと問われ話が逸れたことに安堵しても、アニエスはそれを顔に出すことなく魔法剣の説明を始めた。
近年は魔法学の研究や開発が進み、富裕層であれば量産型の魔法武具手に入れることができる。学園内で流行している髪や瞳の色彩を変える魔法武具も貴族にとっては安価な代物なので子供が遊びで扱える。
他にも水の温度を変える魔芒石など、生活を便利にさせる魔法武具は人間の手で多く生み出されている。
さらに騎士や傭兵職などが持つ武器に関しても、武器としてはかなり高額だが魔法を帯びた剣などが多く作られている。そして竜王国貴族は、それら魔法武具を使って領地を守るために強い魔力を求めて婚姻を結ぶことを繰り返してきた。
だがそれら人間が生み出す魔法武具はあくまで人の力が及ぶものでしかない。
人間が魔法武具を研究開発する以前から存在する本物の魔法武具は、どれも古代異物として今も存在する。
例えば古代異物の最高峰と言われ、この世界に7色しかない魔力剣。その剣を手にすれば国すらも手に入れられるため『覇王の剣』と呼ばれている。
この竜王国にもその1色で知を司る魔力剣アイリーンが『竜の賢女』という異名と共に存在し続けていた。魔力剣が古代異物の中で最高峰と言われるのは、魔力剣がただの武器で終わらない部分だ。
魔力剣にはそれぞれ自我があり、さらに実体映像という機能が搭載されているため実体を持った映像が人と同じように活動できる。
『竜の賢女』と呼ばれる魔力剣アイリーンはその能力を使い、1000年もの長い年月を竜王国の守りと情報保護に務めてくれていた。そのため彼女の守る竜神殿の図書館は、世界でも類を見ない蔵書量と貴重な資料を保持することができている。
そしてそんな魔力剣の劣化版として魔法剣が世界に多く存在する。しかし魔力剣と違い、この魔法剣は優劣の差が非常に大きい。
そこはひとえに製作者の技量の差に寄るものだろう。7色の魔力剣はすべて同一の人物によって生み出されたが、魔法剣は他にも多くの者が生み出している。
むしろ多くの者が魔力剣を生み出そうとした結果、失敗作として生まれたのが魔力剣だとすら言われている。
しかし失敗作だとしてもそれが古代異物であることに変わりない。
人が作るような「刀身に魔法を帯びる」だけのものとはまったく違い、上位の魔法剣なら甲冑装備機能で持ち主の体格に合わせた甲冑をまとうこともできる。そしてそれら甲冑は普通の鎧と近い、魔物による攻撃に耐えうる耐久性を持つ。さらに甲冑をまとって空を飛べば空中戦も可能とする。
まさに人智を超えた魔法武具ではあるが、その数は少なく、どれほどの金を積んでも出会えなければ意味がないと多くの者を諦めさせてきた。
「私がお力をお借りしている魔法剣の名はアーリア。この剣の所有者はブレストン公カイン様なんだけど、リリの安全のためにと貸してくださってる」
「アーリアは簡単に使えるものではないのよ」
アニエスの説明へ付け加えるようにリリも言う。しかし魔法剣というものに詳しくないオレリアは首を傾げた。
「ブレストン公爵が持つほどだから、そこらへんの武器屋に売ってる魔法剣とはちがうのよね?」
「そうだね。アーリアに金銭価値をつけるという不敬を私はできないけど、そういうことがなくても価値を決められない代物だよ。なにせアーリアは天候を操る力があって、雨を降らせることができるから」
「あら、それは洗濯女たちの敵みたいな力ね」
「確かに洗濯は台無しになってしまうね。でも砂竜討伐に限って言うなら、砂竜は砂に潜って逃げるあるいは地面から人を襲う習性がある。だけどアーリアを使って雨を降らせ地面を濡らし固めてしまうと砂竜は逃げ場を失う。そうなればただの中型魔物程度の存在だから竜王国騎士でも倒せるようになるんだよ」
アニエスがここにいるのは、昨年の戦闘実習においてリリが命を失いかけるような事案が発生したためだ。砂竜が現れた広大な森で、リリは実習に参加した学園生徒たちの命を守るために己のみを捨てようとした。
そこはマティアスの献身によって最悪の結果を防ぐことができたが、同じことが2度起きることを帝国は認めない。
そんな帝国が送り込んだ最善の人選がアニエスだった。
「普段の私は留学生として学園にさえずる小鳥を愛でることをしているけれど、本来は戦闘実習に砂竜が現れた際に対応するためにいるんだよ」
「でも砂竜って強いんでしょ? お父様も言ってたわよ。竜の亜種と呼ばれてて、竜王国では蒼の部隊が対応するほどのものだって」
「それは知識として正しいし、実際にアルマート公国では蒼の部隊の方々が対応してくださってるよ。でもうちの父、16歳の時に単独で50匹の砂竜を倒してるらしいんだよね」
「ねぇ、待って。アニエス」
だから負けたくないと言おうとしたアニエスを上目に見上げたまま、オレリアは真面目な顔を見せた。
「ほんと思うんだけど、アニエスのお父様って化け物じゃないわよね?」
「父は普通の努力の人だよ」
「だって『ビタンの双璧』で『ビタンの次期国王』で『ビタン最強騎士』で、『グレイロード最高の騎士』で、今度は16歳で竜の亜種を50倒すなんておかしいわ」
「父は生まれつき身体の弱い人だったんだよ。頻繁に熱を出して寝込むような病弱な子供だったらしい。きっとそこはシオンさんと同じような幼少期だったかもしれないね」
生きた伝説のような人が自分の兄と似た子供時代を送っていた。そのとても理解しにくい話にオレリアは目を丸めて固まった。
そんなオレリアにアニエスは隣に立つマティアスを一瞥しながら説明を続ける。
「父は5歳の時に家族を事故で失い、叔父に家を乗っ取られた。父は赤ん坊だった弟を人質にされて、叔父の傀儡として公爵になったんだね。でも叔父はさらに病弱な父が自然な形で死ぬことを望んでビタン王国騎士団に入れさせた。病弱な子供が過酷な戦場に行って死なないわけがないからね。でも父が騎士団に入ったタイミングで、当時ビタンの国家反逆者として知られていた人がその叔父を始末したんだって」
「その国家反逆者は何が目的でそんなことをしたの? 悪党なのよね?」
「アーヴィングの女狐と呼ばれるその人は民の味方で弱者の味方なんだよ。そしてそのアーヴィングの女狐は次に父を戦場より過酷な砂漠の国に送り込んだ」
「それ絶対殺そうとしてるじゃない! アニエスのお父様は病弱なのに弱者に含まれなかったの? あと不幸すぎない?」
「そうだね。でも、父の人生の転機はまさにその砂漠の国だと思うよ。父は女狐さんから、砂しかないアルマート公国で2年かけて水路を作れと命じられてしまうんだけど、砂漠という過酷な自然環境の中に放り投げられた14歳の少年が寝込まないわけがないよね」
「それはそうよ。普通は死ぬわ。死んでないからその後の伝説があるんだけど」
「当時、大陸南部に位置するアルマート公国の川を挟んだ西側には、小国グレイロード王国があった。そしてグレイロード王国唯一の公爵はアルマート公国の発展に助力するため巨大な貿易港を作ろうとしていたんだ。ちなみにアーヴィングの女狐はこのことを知っていたよ。知っていてわざと、弱くて小さくて儚げですぐ死んでしまいそうな子供を保護者無しで送り込んだ。きっとこれは策略家として知られるアーヴィングの女狐にとって賭けだったんだろうね」
「グレイロード王国の公爵って……」
女狐の凄さは理解できても、グレイロードの公爵が誰なのかわからない。そんなオレリアが目を向けた先でマティアスが真っ赤な顔で口に手を当てていた。
「ノワール・ブレストンだ…。僕の尊敬する人だよ。あの方はアルマート公国に大陸最大の貿易港を作ってしまわれたんだ。さらに海運会社も建てて商人たちが戦火に巻き込まれない形で移動できる手段を作ったって言われてる。その方がアニエスの父君と出会ったんだね? 砂漠の国で」
「そうだよ。そして愛らしい私のラピスラズリならわかるだろうけど、あの方は戦神ロールグレンの生まれ変わりなんだよ。その翼を少し人に分け与えただけで父は健康な身体を手に入れられた。ちなみにこの翼を少し分け与えただけで人を健康にするというのは、それ以前からわかっていたことなんだ。もちろんアーヴィングの女狐も知っていた。だって竜王国で女性ながら竜騎士となったアリシア・ブレストンも幼少期は病弱な子だったらしいからね。そしてアーヴィングの女狐は賭けに勝ったんだ」
ノワール・ブレストンがアニエスの父を救うかどうかは賭けだった。だがその賭けに勝った結果、父は健康な身体を手に入れる。
だが手に入れたのはあくまで健康な肉体。
戦神の翼は弱まっていた命の炎を強めることしかしない。なぜなら戦神は戦神でしかなく、持つのは戦いの力だけで癒やしの力は持っていない。
だから身体強化されたわけでもない父を今現在謳われるほどの存在にしたのは、父自身の努力以外にない。
ビタン王国騎士として多くの戦場に立ち、多くの部下を亡くしてもなお「国を守った」からビタンの双璧と呼ばれる。その滑稽な己を苦々しく思った日々もきっとあっただろう。
そんなことは史実を読み解き起きた事柄を並べただけでわかる。
そこまで説明したアニエスは改めてマティアスとオレリアを見やった。
「私の父は努力の人で、16歳で砂竜を50倒したのも努力の結果。それなら私もあと2年でそこに近づけるよう努力したい。そんな私の我がままを聞き届けてくださり、宰相閣下は留学の許可をくださった。そしてブレストン公が魔法剣を貸してくださった流れだね」
「わたしの中ではもうアニエスもそこそこ最高の騎士だけどね。むしろさらにアニエスの評価が飛び上がる勢いで上がったわ」
オレリアの正直な感想を受けたアニエスはいつもと変わらない優しい笑顔で礼を言う。
だが、そうしてどこまでも高い目標と高潔さを見せつけられたオレリアは自然とマティアスを見てしまう。
この完全無比な近衛騎士を相手に恋ができる人間などいないように思えてしまったためだ。
そして同じことを考えたらしいマティアスは不安げな目でアニエスを見上げる。
「アニエスの話を聞くと、すごく真面目でカッコいいな…とは思うんだけど」
「うん、愛しいラピスラズリが私を評価してくれるのは嬉しいよ」
「うん。すごく高い位置で評価してるけど、そこまでなってしまうと、もうどんな問題もひとりで片付けてしまえそうだよね。そうなると周りの人間がアニエスを助けると言うか…一緒に解決することを許してもらえるのかなと思うよ」
「いや、さすがの私もすべての問題を単独で解決はできないよ。そのように評価してくれるラピスラズリの気持ちは嬉しいけど、その考えは慢心でしかないからね。それに騎士は基本的に複数人で問題解決に当たるから単独でどうにかすることはないよ」
「そっか。じゃあアニエスは誰かを頼ったりするってことだね? 例えば兄上とか」
この学園内でマティアスの兄ほど優秀な人間はいない。だからこの質問は不自然ではないはずだ。
そんな考えで問いかけたマティアスにオレリアも拳を固めてうなずく。
「ベルナールさんならアニエスと一緒に戦うくらいはできそうよね!」
「確かにベルナール卿は優秀な方だよ。でもあの方も侯爵家の嫡男として複雑な人間関係を抱えておられると知ったばかりだからね。あまり無理をさせたいとは思わないよ」
「そっか…社交性っていう唯一の欠点が足を引くのね」
「でもそこがベルナール卿の可愛らしさでもあるので私は否定しませんよ。むしろ最近のお菓子作りにハマってるらしいベルナール卿は可愛いですよね」
「そうね。アニエスがそう思う気持ちもわかるけど、あれを可愛いって思うのはどうかと思わなくはないわよ。あれは単純に、いつも近衛騎士やってて甘党なのに甘いものを食べないアニエスを気遣ってるだけだから。お菓子作りにハマってるんじゃなくて、アニエスにも竜王国の甘いものを楽しませたいって優しさだから!」
好意があると言う部分を隠して、善意を全面に押し出した。そんなオレリアのその言葉にアニエスは驚いたように目を見開いた。
「そうだった…のか」
「そうよ! それを餌付けだと人は言うかもしれないけど、ベルナールさんからしたらアニエスも可愛い後輩なのよ。だから優しさを向けてるわけよ!」
「なるほど? あらゆる場所で先輩が後輩を思いやり手を差し伸べるというのは発生するよね。帝国騎士団にもあったから」
「それと同じだと思えば良いわ。そしてアニエスは後輩としてベルナールさんの親切に甘えるといいのよ!」
「確かに帝国騎士団の中ならそれで恋に発展もするけど、ここにそれはないわけだから良いですよね」
「…は?」
「えっ…ちょっと待ってアニエス」
さらりと恋を否定したアニエスに、オレリアは絶句し、マティアスが慌てた。
「どういうこと?? 帝国騎士団じゃないから恋に発展しないの??」
「帝国騎士団でなら私が男と誤解されて親切心に下心が含むこともあるけど、ベルナール卿は私が女だと知ってるからね」
「いきなりそんなグレイロード帝国の偏愛を絡めてこじらせてくるのすごい…。むしろディーはその偏愛はビタン王国時代の圧政に苦しむ人の現実逃避だって言ってたけど…今もあるの?」
「美しい者が目の前にいたら心を惹きつけられるのが生き物の本能だろう? ディーはまだ騎士ではないし、何よりヤンチャなタイプの子供じゃないか。でも騎士団に入るとディーも目にすると思うよ。見た目が良くて洗練された騎士は憧れの対象にもなるし、その思慕が恋慕に変わるのに時間はかからない。私がラピスラズリを口説くこれだって帝国騎士内では当たり前というか、帝国騎士のたしなみだよ」
「そんなたしなみを真似しちゃだめだよ!」
「ええっ、ご令嬢たちのウケは良いのに」
周りのご令嬢たちには喜ばれているのにと、アニエスは微苦笑を浮かべて返す。そのまったく通じていない様子を目の当たりにしたマティアスはベンチにいるリリを見た。
「このままだとアニエスは恋人ができないよ!」
「あらあら、マティアスったら。帝国の王位継承権8位を持つアニエスが簡単に恋だの何だのするわけがないわよ。それにもしそんなことをしたとしても、帝国を認めさせるほどの相手でなくては駄目よね」
「ああ…そうか。アニエスもリリも同じだから」
ともにグレイロード帝国では最上位である公爵家の娘で王位継承権も持つ。そんなふたりが簡単に恋などするわけもないのだ。
その事実に気づいたマティアスはふと目の前で微笑む可愛らしい砂糖菓子を見つめた。昨年より少し背が伸びた砂糖菓子だが、小柄で可憐な容姿は衰えるどころか今日も春の陽射しにきらめいている。
そんな砂糖菓子のことをマティアスは何より大切に思っているが、その逆はないのだと気づいてしまったのだ。




