52.《欄外》侯爵たちの集まり
ローラン侯爵家の当主の名はシメオン・ローラン。濃い茶色の髪と同色の瞳を持つ平凡な男だ。娘のブリジットと次男のマティアスの外見はこのシメオンではなく奥方譲りの色彩である。もちろんその奥方も魔力を筆頭に能力の高さを評価されて結婚に至ったと聞いた。
だが、とトリベール侯レジスは考える。今のように9つの侯爵家が集まる場でローラン侯爵は圧倒的に見劣りするのだ。
ローラン侯爵家そのものは竜王国では序列3位の名家だが、シメオン本人にその才覚はない。
知性も魔力も剣術も何もない男でも血統を持っていれば侯爵になれる。それはどの国の貴族も変わることなく守り続ける血統主義そのものだ。
「うちの息子がローラン侯爵家のジルベール君と遭遇したらしい。無事の復学なによりです」
この場にいる8人の侯爵の中で最も体躯に優れたヴァセラン侯爵がローラン侯爵へ言葉を向ける。騎士の家系であるヴァセランの人間は男なら全員が騎士になる。
そのためかヴァセラン侯モーリス本人も騎士を務め明瞭快活とした性格をしていた。彼とはレジスも昔から親しくしていて子供の頃は遠乗りなどよくしている。だが成長すると共に遠乗りが遠征に変わり、今は筋肉トレーニングがふたりの間の流行になっていた。
「しかし魔力を限界まで使ったとは言え、シオン君の状態を治してしまうなんてさすがはジルベール君ですな」
「まったくだ。さすがは神童と言うべきか」
モーリスに続くように言葉を発したのはオーブリー侯ロドルフだった。彼は筆頭侯爵家の当主に相応しい優秀な人物ではあるが、慢心することも人を見下すこともしない。常に客観的に周りを見て物事の善悪をとらえられる人だった。
そのため王城での信頼も厚く文官長の役目も担っている。そんな人物でも結婚の時期が遅かったため長子はまだ15歳だ。
9つの侯爵家は代々生まれの時期も結婚の時期も似通っている。そうすることで子供の婚姻時期に相手が見つからないことを防ごうとしたのだ。
だがたまにそれが仇になることがある。
それがまさに当時オーブリー侯爵家の優秀な長男とされたロドルフが王立学園の高等部に進んだ頃だった。
竜王国における筆頭侯爵家の跡取りは、他国なら王子のような扱いを受ける存在である。実際にその理由で隣国サイトラの姫がオーブリー侯爵家へ嫁いだ例もある。
しかしその時代の王立学園高等部に通う者たちは全員がとある『神童』の存在を知っていた。中等部入学前に留学してくると置き手紙を残して失踪した彼は幼い頃から天才だった。
3歳で古代語を読み解き屋敷内の書物をすべて読み終えたからと竜神殿に通って図書館の書物を読み漁る。そんな神童は知識もさることながら魔力量も膨大だった。しかも1を教えれば100を知るように魔術に対する理解も早い。
さらに朝の陽射しのようなきらめく金色の髪と爽やかな空色の瞳が鮮やかな美少年。そんなマルク・ローランは竜の神から寵愛を受けていると言われるほど欠点がなかった。
だが光が強すぎれば影が置くなるように、彼と同世代の者は全員が不必要な努力を強いられた。マルク・ローランはもうここまでできるのだと親に叱責され机に向かわされた経験など誰もが持っているはずだ。レジス自身も似たような事を言われたことはある。
だがその最たる被害者は実弟であるシメオンだったのだろうとレジスは思っている。現在39歳のレジスにとって、シメオン・ローラン侯爵はひとつ年上の先輩ということになる。
そのため学生時代のレジスは何度となく、シメオンが教師から問われている現場を目にしてきた。
中等部の教師も高等部の教師も、なんなら王立学園の関係者全員がシメオンに対して向けていただろう。
ここにいるのがシメオンではなくマルクだったならどれほど良いかと。
天才の呼び名をほしいままにしてきたマルクなら輝かしい成績も取れて、さらに画期的で革新的で素晴らしい論文だって生み出しただろう。その存在は竜王国の輝かしい未来の象徴そのものだった。
そして同じように女子生徒たちも、そんな輝かしい存在が帰国することを待ち続けたのだ。だが成人して数年すると待つことをやめる者も現れる。
そうしてやっと、脇役扱いだった男たちが婚約者を見つけられ結婚に進むことができた。
もちろんシメオン・ローランもその頃に今の妻を見つけている。だが帰らない長男に絶望した両親は、シメオンに家督を譲るとシメオンの挙式に参列することなく領地に行き隠居してしまった。
竜王国の輝かしい未来の象徴は、同時にローラン侯爵家にとっても輝かしい未来そのものだったのだ。だがその象徴は失踪したまま帰らない。
シメオンは最後まで両親から目を向けられることなく、両親が諦め放棄した侯爵家を継いだ。だがその頃のシメオンはまだ静かでおとなしい男だった。
そんなシメオンが変わったのはやはり長子であるジルベールが生まれ、成長するごとに見せたその優秀さを前にしたためか。
幼いジルベールが同じ侯爵家で年上の子供であるユルリーシュに甘えて本を読んでもらい、抱いた疑問を口にする。
その本が子供向けの物語であるなら微笑ましい光景に見えたかもしれない。だが当時10歳だったユルリーシュが読んでいたのは地政学の本だった。
ユルリーシュはそれを父親の書斎からこっそり持ち出して読んでいたらしい。そこへ4歳のジルベールがやってきて読んでもらい、国際情勢について理解したように問いかける。
庭園で起きたその出来事は、見かけた夫人たちを通じて侯爵たちの耳にも届けられた。
そしてシメオンはジルベールに様々な家庭教師をつけて学ばせる。そのためジルベールは4歳から2年ほど一切の社交場に出てきていない。
そうして6歳になり茶会に現れたジルベールは子供らしさを失ったように笑わない子になっていた。茶会に並ぶ菓子にも興味を持たず片隅で本を読んでいる。
そんなジルベールだがユルリーシュがやってきて読んでいる本について話すと嬉しそうな顔で返していた。
さらにジルベールの弟で当時3歳のマティアスが相手だと笑顔を見せる。そのため知的好奇心を満たすことと弟以外は興味を持たなくなったのだとわかった。
そんなジルベールは中等部に入ると『神童』と呼ばれるに相応しい成績と評価を出した。だがそれが子供らしさと引き換えにしたものだとするなら、見ている側は素直に喜べない。
シメオンが実兄のことをどう思っていたのかは知らない。
子供の頃のシメオンは内向的でおとなしく口数の少ない子だったのだ。そのため当時の彼と親しい人間もいなかった。だからシメオンがジルベールを『神童』に仕立ててどうしたいのかわからない。
ただシメオンはジルベールが評価されるたびに満足げに笑う。だがその口から出るのはジルベールに対する伸びしろだけだった。
シメオンは3人の子供たちを厳しく躾けるが、一切の称賛を与えない。そのため次男のマティアスなどは自己評価の低い子になってしまっている。
それでもシメオンはまだ彼らに対する躾を終わらせることはないだろう。なにせ彼らは3人そろってもまだかつての『神童』には及ばないのだから。
だから今も、レジスの目の前でグラスを手にしたシメオンは笑っているように見えるが、その目は笑っていない。
オーブリー侯爵家から娘の嫁ぎ先にと望まれて、それを断った時もきっと同じ顔をしていただろう。
「ジルベールはまだまだ、神童などと呼ぶには足りませんよ」
我が子がどれほど称賛されても心の底から喜ばない。それどころかその称賛を世辞として扱い、まだ足りないと我が子を追い込むかのようなことを口にする。
そんなシメオンの歪みを作ったのはかつての『神童』マルク・ローランなのか。それともそんな長男だけを愛した両親なのか。
あるいはもっと別の何かなのか。その辺りの答えをレジスは持っていない。
だが同時にレジスの脳裏に浮かぶのは秋に起きた王城からの呼び出しと、その時に言及されたオリヴェタン侯爵による虐待問題だ。
オリヴェタン侯爵夫妻を断罪した小柄な少女が親が子を虐待してきた事実を怒っていた。
この世で最も貴重な人の腹から生まれた竜の雛で、竜王国においてはおそらく第一王位継承者だろう少女。セレンティーヌは、レジスにとって息子の命を救ってくれた大切な人だ。
竜らしい苛烈さを持ちながら、同時に帝国の公爵家で育ったゆえの知性と冷静さも持ち合わせている。そんな彼女は既にローラン侯爵家が直面する問題を把握していて、義憤に思っているらしい。
となると誰よりも聡明で苛烈な我が国の至宝はローラン侯爵や子息たちの問題にどのような答えを出すのか。
そんなことを考えるレジスは、昨年生まれた三男のことを語るローラン侯シメオンを笑顔で眺めていた。
竜王国にいる9人の侯爵は以下の通りです
オーブリー侯爵家 ロドルフ・オーブリー43歳
デュフール侯爵家 トリスタン・デュフール44歳
ローラン侯爵家 シメオン・ローラン40歳
アンベール侯爵家 マルセル・アンベール40歳
ヴァセラン侯爵家 モーリス・ヴァセラン39歳
ルヴランシュ侯爵家 マクシム・ルヴランシュ41歳
マイヤール侯爵家 パトリス・マイヤール36歳
トリベール侯爵家 レジス・トリベール39歳
オリヴェタン侯爵家 ギヨーム・オリヴェタン60歳
※オリヴェタン侯爵は既に処分され先代のギヨームが復帰しています。




