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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部2年
52/52

50.高等部にいる侯爵家の者たち

 高等部は1学年の生徒数が600人と中等部の倍の人数が在籍している。これは地方領主の子供など、14歳まで家庭学習を選択する貴族が多いためだ。

 その上さらに留学生の数も中等部の5倍に数を増やし、中等部にはいない平民も入ってくる。


 そうして実に1800人近い学生が利用する食堂は高等部で最も広い施設でもある。

 料理を受け取るカウンターから数段の階段を上がった奥へ進めば上位貴族や生徒会などが利用する個室があった。そこは主に生徒たちが茶会や会議などで使われ、申請すれば家族が来校した際の応接室としても利用できる。


 そんな個室の中で最も豪華で広い個室は昔から特別な時に使われてきた。

 例えば学園の生徒が人命救助などをして、それにより竜王国騎士団に表彰された時。竜王国騎士団の騎士団長が直々に学園へやってきた時にはその個室が使われた。

 あるいは留学生として学園に来ていた近隣国の王子が令嬢に求婚する時もこの個室が利用されている。ただの求婚だけなら個室を使う理由はないが、その王子は通称を使い身分を隠していたため、個室で事情説明をする必要があったという。


 そんなおめでたい意味でいわく付きな個室に呼び出されたアドリエンヌ・オーブリーは扉の前でゆっくりと息を吐き出す。

 ただ食堂の中で特に奥まった場所にあるその個室に至るまでの通路と扉の前に騎士が立っているのは気になった。

 けれどアドリエンヌのそばに親友ふたりがいてくれることは心強い。侯爵家の子息令嬢は集まるようにとの声掛けにアナベルとブリジットも一緒に来てくれたのだ。


 個室の扉を軽く叩いて返事を待って扉を開ける。すると広い室内には既に数名の男子学生たちが集まっていた。

 だがそれよりも笑顔で扉を開け迎えてくれる中等部2年のアニエスの存在が気になる。


「あなたがなぜここに?」

「厚切りステーキが食べたくて」


 思わずと問いかけたアドリエンヌに手を差し伸べエスコートを申し出ながらアニエスが言う。その爽やか笑顔のアニエスの背後でシオンが笑っていた。


「それ、全員に言うんだね」

「食いたいなら頼んでやると言っているのに」


 シオンのそばに立つのは高等部3年騎士科のダニエル・ヴァセランだ。9つの侯爵家の中では唯一となる騎士の家に生まれた長男は竜騎士クラスに在籍している。

 そんな大柄でたくましい彼のそばにいるためか、シオンはさらに華奢に見えてしまう。


「アニエス、あなたステーキをたかる相手は選びなさい。間違っても令息たちに言っては駄目よ」

「既にここにおられる方々には言わせていただきましたが、問題でしたか」

「あなたが近衛騎士として各国の礼儀作法を熟知しているのは知っているわ。その上で言うけど、女性から食事に誘うのは卑猥なのよ」


 アドリエンヌの忠告に珍しくアニエスが固まった。その背後でダニエルが「あれは女騎士だったのか」とシオンに確認している。

 そんな2人の様子を目にしつつ嘆息つくアドリエンヌのそばでアナベルとブリジットも動いた。アニエスの両脇を挟むように立ち中等部制服の袖をつかんで個室の隅に進む。

 そうしてアドリエンヌは個室の片隅で改めてひとつ年下のアニエスを見つめる。


「そんなことは……習っておりません」

「帝国騎士団のその教科書に酒場の会話やいかがわしい夜会のルールが書いてあるの? あなたのような子供が目にする教科書にそんなものが書いてあるわけないじゃないの」

「それはそうです。そもそもそんないかがわしい夜会には行きません」


 真っ赤な顔のアニエスは混乱した様子で言葉を並べる。するとそんなアニエスの肩を叩いたブリジットが落ち着いてと優しい言葉をかけた。


「世俗的な情報は大人になり人生経験を積みながら学んでいくものでしょう? 男性に食事を誘うというこの国では卑猥な意味を持つ隠語も、その中で学ぶものだと思うわ。わたしたちだってそれはお茶会の中で年配の方々からそれとなく教えられてきたのだもの」


 そもそもこの手のことは教科書に載せられたりしない。そんなブリジットの優しい言葉もアニエスの顔色を元に戻すことはできなかった。


 そんなタイミングで高等部3年Sクラスでアナベルの兄であるフランク・デュフールと同じくSクラスの才女エメーリエ・ルヴランシュが連れ立って現れた。

 この2人はフランクが8歳で求婚したため、中等部入学前に婚約している。なのでエメーリエはどれだけ優秀であっても王妃候補になることもなかった。

 ただそれでも彼女は王妃候補という肩書に引っかかるものがあったのだろう。何かにつけアドリエンヌを下に見る事が多い。


「ごきげんよう、アドリエンヌさん。そこの真っ赤な顔の中等部生徒はなぁに? あなたがた、男の子を3人で囲い込んで何をしてらっしゃるの」


 何か揶揄するように笑うエメーリエにアドリエンヌは背筋を伸ばしたままスカートの裾を軽くつまみ頭を垂れる。


「お久しぶりにございます。エメーリエ様。こちらにおられるのはグレイロード帝国からの留学生アニエス・ディランです」


 頭を下げたまま説明しようとしたアドリエンヌの視界の中で、ひときわ大柄な3年生が進み出る。


「その中等部、この国の悪い言葉を知らないまま男相手に飯の誘いをしちゃったんだよ。秋からこっちに来てる留学生だから何にも知らねぇって」


 ダニエル・ヴァセランのフォローの言葉にフランクがなるほどと笑った。


「それなら仕方ない。だがその前に男子の制服を着てあの長身でご令嬢というのは興味深いね」


 フランクが優しい笑顔で褒めた瞬間にエメーリエの眉間にシワが寄る。エメーリエの背後にいるフランクはその顔が見えないが、アドリエンヌはその反応を見て口を引き結んだ。

 8歳の幼さで簡単にエメーリエへ求婚したフランクは、その軽率さのまま今も簡単に令嬢へ誘いを向ける人でもある。

 もちろんデュフール侯爵家の次男という立場だから許される奔放さなのだろうが、エメーリエは面白くない。


「あのような性別もお家柄もわからぬ者にまで慈悲を向けるとは、フランク様はお優しいわね」

「ははは、エメーリエは手厳しいね。だけど気になるじゃないか。あんな綺麗な顔の子がなぜわざわざ男子の真似事をしているのか。あんなつまらない服をやめさせて、自分の選んだドレスで華やかに飾らせたいと男なら誰でも思うだろうけどね」

「男なら誰でもは違うぞ。フランク、おまえも噂くらいは聞いてるだろ。留学生早々に中等部騎士クラスをなぎ倒し、その後もオリヴェタン侯爵に虐待されていた姉妹を救うために決闘した緋色のマントの近衛騎士。そんな騎士の本命は昨年の留学生同様にラピスラズリだからな」

「ああ、マティアス・ローランか」


 そういう繋がりかとつぶやいたフランクは興味が失せたように部屋の奥へ歩いていく。そしてエメーリエも後をついていき、フランクの隣の席に座った。

 アドリエンヌがその様子を眺めていると、そばでアニエスが自分の両頬を思い切り叩いた。


 その音に驚き振り向いたアドリエンヌの目の前で、昨年見たものとよく似た凛々しい顔がある。


「……今のは侮辱される私が悪い」


 ポツリとつぶやいたアニエスは今まで見せたことのない凛然とした雰囲気で3人の元を離れる。そんなアニエスにはいつも見せていた緩やかな雰囲気も優しげな微笑みもなかった。


 広い部屋の奥へ進んだアニエスは窓を背にして立つ。


「お集まりいただきありがとうございます。私の名はアニエス・ディラン。先程紹介いただきました通りグレイロード帝国より参りました。留学生としてこちらに来て1ヶ月で中等部騎士クラスを掌握、その後も剣術試験1位であるアラン・マイヤール殿と決闘もしました。グレイロード帝国騎士団より緋色のマントを賜り近衛騎士団に所属する騎士でもあります」


 窓から差し込む冬の弱い陽射しを受けた髪は男のように短い上に手入れもされていない。だがその黒い髪は、北の大陸から来た留学生の白い肌を際立たせる。

 竜王国にはない艷やかな白い肌色が先程のフランクのような男を惹き付けてしまうのは仕方がないのだろう。

 そう心配するアドリエンヌではあるが、アニエスの雰囲気はそれらを破壊するほどに張り詰め刃物のような鋭利さを思わせる。


「後でオレリア・トリベール嬢が資料を持参して皆さんに配る予定ですが、先に私が説明します。先月、王都の祝祭の中で騒ぎが発生しました。あるものを食べた人間が強すぎる魅了によって理性を失い獣のようになる。その被害者は今も理性を失ったまま施設にて拘束されていますが」

「それは王都で起きたことなんだろう? 庶民が何を食べて獣になろうと我々には関係ないよ」

「ですがこの国の童話で多く書かれているのでしょう? 『魔女の妙薬を飲むことで主人公は王子様と結ばれる』と。もしその騒ぎがその魔女の妙薬の実験によるものだったなら…この国で王子様に該当するのはあなたがたではないかと考えました」


 他人事のように言うフランクにアニエスは穏やかさの欠片もない顔で言い放つ。


「この国の王都は船に乗りさえすれば出国できる。犯罪者が逃れやすい地理になっています。それに祝祭では多くの露店が出され相応に商人も集まっていました。私も母国では露店巡りをしたことがありますが、彼らは世界各国どこにでも足を運びます。戦火がない限り大陸のどこまでも、身体を巡る血液のように赴いていく。今回の犯人もそれに紛れて既にどこかへ行ったはずです」

「どうして異国へ逃げたと思うの?」


 アニエスの言葉にエメーリエが問いかけた。その対面にはアドリエンヌが親友ふたりと共に椅子へ座っている。だが騎士であるダニエルは座ることなくシオンの後ろに立ち、椅子の背に手を乗せていた。


「どの国でも、おおよそ事件捜査は半年で一旦終わる。だからそれまで逃げてるだろうって考えてんだろ?」


 高等部騎士科にいるダニエルは理解できるとうなずきつつもフランクやエメーリエを指差す。


「けどおれもフランクもエメーリエも3年だ。来年の夏に卒業する。魔女の妙薬とやらが完成したとしても、おれたちには間に合わない。卒業したら誰かと結婚するからな。ブリジットの大好きな物語みたいなのをやるなら、もっと下の世代だな」

「もしかしたらそうかもしれません。ですがこの学園内であっても得体の知れないものは食べないよう気をつけてください。実際に実験段階だったのだろうそれは効果が強過ぎて理性を壊す者が続出しています」

「そんなもの食べないわよ」


 アニエスの緊張感が感じ取れないエメーリエは退屈という顔を素直に出した。


「そもそもおまえも、異国の騎士と言うだけの下賤の者でしょ。このわたしがそんなおまえに従う理由も義務もないわ」

「エメーリエ様!」


 エメーリエの暴言を放置できずアドリエンヌが慌てて立ち上がる。


「アニエス・ディランは」

「大丈夫ですよ、アドリエンヌ嬢。私の地位なんてどうでも良い話なので」


 アニエスの身分を出そうとしたアドリエンヌは本人から制されてしまい目を見張る。だが反論もできずアドリエンヌが椅子に座ったところでエメーリエが立ち上がった。


「くだらないことだわ。下賤の者が何を食べようがわたしたちには関係ないのだし。しかも魔女の妙薬だなんておとぎ話を真に受けたようなことまで言い出すなんて、グレイロード帝国騎士団の程度が知れるわね」


 嘲笑いアニエスの忠告を否定したエメーリエは席を離れると部屋の扉へ近づく。そこで扉が強めに叩かれ勢いよく開かれた。

 そうして現れたのは淡い金髪を短く刈った侯爵令息ベルナール・ローランだった。


「遅くなってすまない。複写機を借りるのに時間がかかってしまった」


 書類を手に室内を歩くベルナールは扉のそばにいたエメーリエをまったく見ない。最初からエメーリエなど視界にも入らない様子でまっすぐにアニエスの元へ向かっていた。


「ベルナール・ローラン!!!」


 そんなベルナールへ憤然とした声が突き刺さる。だがベルナールはすぐには振り向かなかった。

 アニエスへ資料の一部を渡した後に残りをテーブルに置き、その上でやっと感情のない視線をエメーリエへ向ける。


「何か用か。無駄な話をするためにここにいるわけではないんだが」

「このわたしと言葉を交わす事が無駄ですって? 意味がわからないわ。天才だなんだと持ち上げられたベルナール・ローランほどの男がそんな騎士まがいの」

「アニエス・ディランは騎士紛いではない。近衛騎士団に所属する上級騎士だ。もちろんアニエスの優秀さを語るのにそんな肩書を出す必要はないが」

「だとしてもよ! 童話だのおとぎ話だのを真に受けて魔女の妙薬を作る者がいるからと無駄な話を持ちかけて。でもそれこそ意味がないじゃない。わたしたち高貴な者が下賤の輩が作ったようなものを口にする機会なんてないもの」

「そうだな。エメーリエ・ルヴランシュ。今はまだ侯爵家の令嬢なのだから高貴な者でいられるだろう。だが卒業して結婚した後は侯爵家を離れることになる。その後の心配をしていないようだが、新たに雇う使用人には気をつけたほうが良い」


 感情のない瞳で淡々とベルナールが語るのはエメーリエの将来だ。エメーリエは侯爵家の娘だが後継者は弟に決まっている。そしてフランクはデュフール侯爵家の次男なので結婚後は実家を出ることになっている。

 ただフランクは成績優秀なので王城の文官になれば、そこそこの大きさの屋敷を手に入れて使用人も雇えるはずだ。


「犯人がいつどこで仕掛けてくるかわからない以上は、常に飲食物へ気をつけなければならない。その忠告を、アニエス・ディランは守る義理も義務もない我々に忠告として教えてくれている。そんな他国の騎士へ感謝も向けられない人間はここを出ていってもらって構わない。おれは愚かな人間に煩わされるのが嫌いなんだ」

「ほんと! あんたなんて嫌いよ! ベルナール・ローラン!」


 理路整然と説明するベルナールと違いエメーリエは感情のまま嫌いと叫んで部屋を出た。

 するとため息を吐きながらフランク・デュフールも立ち上がる。


「勇ましい騎士に扮していても可憐なご令嬢。その言葉を無視することはしないけど、今その犯人はこの国にいないのだろう? ではわたしもエメーリエも…少なくとも君が言う標的とはならないだろうね」

「卒業したら侯爵家を出るためですか」

「そうだよ」


 アニエスが令嬢であるという一点で親切さを捨てないフランクは自分の胸に手を当てる。


「ベルナールが言った通り、卒業後のわたしは侯爵家を出る。でも幸運なことに王城で魔導鉄道開発の企画段階から参加することが決まっていてね。卒業後は各国を巡り線路を通す土地の確保などもすることになっている。侯爵家の次男という自由が効く立場だからできる役目だね」

「国家事業に参加されるのであれば、優秀さが認められているということでしょう」

「だが君の言う王子だのというものには該当しなくなる。おおよそ物語の主人公というのは自己顕示欲が強い生き物だろうからね。誰もが欲しがる星を独占して周囲の嫉妬を集めてこそと思うんじゃないかな」


 だから自分もエメーリエも標的となることはない。そう笑顔で告げたフランクだが、ふと腕を組み部屋の入り口を見やる。

 今も扉は開け放たれたまま、その外で待機する騎士たちの姿も見えた。だが廊下を歩く学生の姿などはない。


「侯爵家の人間で高等部の学生だけど、まだここに来ていない者が3人いる。そのひとりはエメーリエの弟だから、どちらにしてもこの話を聞き入れることはないだろう。だがもうひとりはダニエルの弟だから後で説明も受けられるね。しかしオリヴィエはどうかな? あの子はベルナールに対して思うことがあるようだから」


 フランクのその濁らせた言葉の意図する部分が読み取れないアニエスは自然とベルナールを見た。


「オリヴィエさんと何か因縁が?」

「いや、まともに会話もしていない。子供の頃に茶会でいろいろと話しかけてきていたが、適当に流したら来なくなった。十年近くも前のことだ」


 ベルナールは何事もないような態度で昔のことだと切り捨て禍根はないと言う。だがアニエスはそんなベルナールの態度にこそ愁眉を歪ませていた。

 侯爵家の子供たちが集まって茶会をするのなら、それは見合いの前段階の顔合わせだろう。大人たちは茶会での子供たちの様子を見て将来の組み合わせを決めていく。

 そんな場所で果敢にもベルナールへ話しかけていたというのなら、その子にはまだ淡いものだろうと何らかの想いがあったということに違いない。


「私はベルナール卿を誤解していたのかもしれません」

「……どういう意味だ?」

「もう少し紳士的な方なのだと」

「おれが紳士だったことはないが」


 アニエスの誤解は正しいとベルナール自身が言う。ならば彼はそういう人間だったと飲み込み話題に戻るべきだ。そう考えたアニエスはひとつうなずきフランクへ顔を向けた。


「話がそれてしまって申し訳ありません。ではそのお三方のことはこちらでも気に留めておきます」

「ありがとう。守る義理も義務もないのに、そうやって気遣ってくれる。優しい騎士殿のその気持ちを無下にはしないよ」


 高等部3年で17歳ともなればもうその所作は紳士として完成されている。そんなフランクは感謝の思いを口にしつつアニエスの頬に手を伸ばした。

 だがその手はアニエスへ届く前にベルナールの手で叩き落とされる。


 その出来事はフランクだけでなく室内全員を驚愕させた。ただ誰もが口を閉ざす中でフランクが痛む手を反対の手で押さえつつ笑う。


「なるほど。可憐なご令嬢であっても相手は騎士なのだからそのように扱え、ということだね」

「それが我々のために動いてくれる帝国騎士への最低限の礼儀だ」

「だが君も来年には3年になり、その年に卒業する。魔女の妙薬を扱う者もそうなる前に捕らえられると良いね。もしわたしが童話の主人公なら、麗しい姫君にも凛々しい王子にもなれるこの子を狙うだろうから」

「意見として心しておく」


 高等部3年の彼らは誰もリリの存在を知らない。学園中等部の砂糖菓子の存在は知っているだろうが、その正体を知る理由はない。だから異国の騎士であるアニエスを女というだけで姫扱いしようとする。


 それを真顔で受け止めるアニエスのそばでベルナールがいつもより抑揚のない声色で聞き入れた。

 かくしてフランク・デュフールも立ち去ると、その背を眺めたダニエルが嘆息を漏らす。


 そうして屈強の三年生は腕を組みベルナールに視線を移した。


「昨年の戦闘実習は竜騎士クラスの参加を認められなかった。けどマティアス・ローランの負傷や砂竜出現があったから、今年は後方に相棒を控えさせて参加することが許された」

「竜騎士の助力が得られるのは心強いです」

「学園側は今年だけの例外って感じだけどな。まあけど、そんなわけで帝国騎士の強さをそこで見せてもらえるとおれが嬉しい。アルマート公国での砂竜討伐戦の話はおれら世代の竜騎士でも伝え聞いてるからな」


 アルマート公国での砂竜討伐戦とはグレイロード帝国騎士団と竜王国騎士団が数年に一度行っている魔物の駆除である。

 広大な砂漠を有するアルマート公国は砂竜にとって巣そのものと言っていい。なにせ砂竜は基本的に砂に潜り移動する魔物である。

 そのため対する人間たちは、頭上と足元の両方から来る襲撃に対応しなければならない。そんなアルマート公国の救援要請に応じたグレイロード帝国と竜王国は共に騎士団を出した。

 特に竜王国騎士団が有する『蒼の部隊』は竜騎士たちの部隊だ。彼らは小型の飛竜を駆って戦うため上空の魔物にも対応できる。その力は砂竜討伐戦にも大きく貢献したとアニエスも聞いていた。


「私も蒼の部隊については祖母から聞いています」

「なるほど。祖母さんは竜王国出身なのか」

「グレイロード出身ですが、元竜騎士なんですよ。アリシア・ブレストンといいます」

「あーーーー!!!きたーーー!こぇえええ!!」


 笑顔で告げるアニエスの目の前でダニエルは両手で顔を抑えながら天井に向かって叫んだ。


「アリシア・ブレストンの伝説聞きてぇえええええ!!!!!」


 その声は当然だが開かれたままの入り口から廊下へと響き渡っている。そのため入り口で見張る竜王国騎士たちも興味津々と室内を覗き込んでいた。


 そんな中でアニエスはダニエルに手をつかまれ強引に握手をさせられる。


「この瞬間からおれらは友達ってことで、週末かどっかで会おう。肉でも何でも食わせるからアリシア・ブレストンの話を聞かせてくれ」


 約束な、と強めの握手をしたダニエルは最後にベルナールから書類を三部受け取り立ち去った。そのたくましい後ろ姿を眺めていたアニエスのそばで、ベルナールが書類をアドリエンヌたちへ配る。


「魔女の妙薬事案の詳細については資料に目を通せばわかる。フランク・デュフールが言うとおり、犯人が童話の主人公になることを望むなら狙うのは派手な人物か」


 童話に登場する魔女の妙薬はたった一滴で摂取した者を虜にする強力な媚薬である。だが祝祭の中でパンを食べた者たちは強過ぎる魅了に理性を失い、大量に摂取したものは獣のようになった。つまりそれはまだ魔女の妙薬に至っていない実験段階の代物だと誰もが考える。


「この書類にある魔女の妙薬は、本当に実現可能なのでしょうか」 


 そこで書類を手にしつつ問いかけを飛ばしたのはアナベルだった。彼女は向かい側に座るシオンを見つめて、さらに言葉を続ける。


「祝祭で使われたのは人から理性を奪い獣にしてしまう程度の低い薬物。この程度なら依存性の強い薬物を使えばどうにでもなると考えられるわよね?」

「アナベルのその意見は理解できる。でも一般的な薬物なら回収されたパンに残っていたはずなんだよ」

「しかしそれが無い。だから魔法が関わっていると」


 魔法が関わってくるとなると知識が足りないわね。そうつぶやくアナベルにシオンもわかるよと同意した。


「ぼくも医学や薬草関係は学んできたけど、魔法は得意じゃないんだ。魔力も無いし…」

「43年前、パレドリア帝国で発生した毒殺事件。それがこの大陸では初めての魔法薬物を使った事件だ。当時は遺体の様子から毒殺だろうことはわかっても肝心の毒物が検出されなかった。そのため一度は捜査が暗礁に乗り上げる。だがその後、聖王国アルメニアでも似たような事件が発生した。その際に神聖魔法で解毒を試みたが失敗し被害者は死亡。その状況と証拠が残らない様子から両者は同一犯あるいは同一の薬物による犯行とされた。これらの件から魔法薬物という存在が周知され、対処方法の研究も進んでいる。だが研究が始まってまだ30年も経っていない分野であるためいろいろと足りていない」


 知識が足りないと落ち込むふたりの横合いでベルナールがいつも通りの真面目さで語る。


「そしてこの大陸内に限って言うなら、文化の中心はこの竜王国だ。となると童話などの作品が異国に流れるのは自然なことだろう。つまり童話の再現がしたい人間は竜王国国民以外にも存在する。さらにその上で、おれはディートハルト・ソフィードから学びを得ている。はるか北東にある大陸には言語魔法が存在し、それは物に直接刻むことで効果が維持できる。さらに現在量産されている魔法武具の媒体となる魔芒石にもこれを仕込むことは可能だと」


 9つの侯爵家の誰もが優秀と認めるその人物は今も平然と推測を口にしていた。


「言語魔法を刻んだ魔芒石を粉砕し食物に混入させる。この方法で摂取した場合にどうなるか、いずれ調べたいと思っている」

「ご自分で摂取するなんてしないですよね?」


 あまりにも平然と実験したいと言い出すベルナールに、アニエスは小さな驚きと共に問いかけた。するとベルナールは真顔のまま首を傾げる。


「おれは昔からひとりで実験を行ってきた。シオンに飲ませる薬も、あらかじめ自分で試している」

「では次に実験をする時は私に声をかけてください。何かあったとしても私なら神聖魔法で対処できます」

「だが魔法薬物に神聖魔法は効果がないと、聖王国アルメニアの一件でわかっている」

「だとしてもです。ベルナール卿は騎士ではないので知らないでしょうが、騎士は常にふたり一組となって行動します」

「ひとりに何かあったとしても、もうひとりが対処するようにだろう。それは竜王国騎士団でも行われている。だが…」

「まだ何か?」

「祝祭の時に助けられた恩もまだ返していない。借りたものが多すぎて処理できなくなる前に返したい」

「あー……なるほど?」


 義理堅い性格でもあるらしいベルナールの言い分にアニエスはなんとなく理解しつつ腕を組んだ。

 そんな会話をしていたところに書類と紙袋を抱えたオレリアが部屋へやってくる。


「ベルナールさん、いくら急いでるからって注文したものを置き去りにするのは良くないわ!」


 頭の両脇で結われた黒髪を揺らして走るオレリアはテーブルに追加の書類を置いた。その上で紙袋をベルナールに差し出す。


「君が後から通りかかるから受け取らせるようにと頼んでおいた」

「中等部のわたしが本当に通るかどうか不安だったって厨房の人たち言ってましたよ。まあいいですけど、冷める前にどうぞって伝言付きです」


 オレリアから紙袋を受け取ったベルナールは表情を変えることなく礼を述べる。そしてそのまま紙袋をアニエスへ差し出した。

「先月から食堂に頼んで開発してもらっていた。昼に君が来ると聞いて焼いてもらった代物だ」

「なんですか?」

「見た目は小さなパンだ。一口で食べられる。試しに食べてみてくれ」


 ベルナールの説明を聞きながら、アニエスは手元の書類をテーブルに置いて紙袋を開かせた。すると説明どおりに小さく丸いパンらしいものが大量に入っている。

 そのひとつを手にしたアニエスはベルナールから勧められるまま口に放り込んだ。

 そうして噛んだとたんに、中に入っているらしい柔らかな肉と肉汁とソースがパン生地と混ざって甘く美味しい何かになる。

 そうして咀嚼して飲み込んだ後にアニエスは心からの感想を出した。


「美味しい!!! このサイズなら歩きながら食べられますし、いついかなる時もナイフとフォークを使わず肉が味わえて良いですね! むしろ最高じゃないですか! ベルナール卿がこちら方面の才能もあるとは思いませんでした」

「喜んでもらえて何よりだが、実はこれは開発したばかりで名前がない。だから食堂もまだ売り出すことはできない」


 つまりのところ紙袋の中身を食べ尽くしてしまうと、次がないということだ。ベルナールの説明を聞いたアニエスは眉を垂らすと紙袋の中に目を落とした。


「ではこれは…リリに内緒にして、こっそりと……いや、リリを相手に隠せる気がしない…ベルナール卿、きっとこれは今夜にも消えてしまいます。私が寮へ帰った瞬間に気づかれてしまい、あの琥珀色の瞳で見つめられながら、隠し立てるならば服を脱がし徹底的に調べるその前に出すほうが私のためだと言われるでしょう。脅迫と恐喝、そして強奪です。ですがそれを防ぐより分け与えるほうを選択してしまいます。それが年配者としての宿命なので…リリに笑顔で分け与えて…」

「名前はないが、おれに言えばいくらでも作ることができる。だから君もおれに肉を寄越せと脅迫すれば良い」

「それは……」


 真顔で言うベルナールの目の前でアニエスは目を瞬かせながらそばにいるアドリエンヌを見た。するとこちらは疲れた顔でため息を吐き出しているので、何も言わず視線をオレリアに移す。

肉を食べたいと誘うのは卑猥な誘い文句であるとアニエスは既にここで教わっているためだ。

 するとオレリアも隠語を知っているらしく肩をすくめてみせた。


「わたしに言うのは良いけど、ベルナールさんに言うのは問題あると思うわよ。でもアニエスは見た目だけなら男だから良いのかしらね?」

「何か問題があるのか?」


 説明をくれたオレリアも、まさかベルナールから隠語について問われると思っていなかったのだろう。目を見開き勢いよく首を横へ振って返す。


「ええええとアレよ。淑女たる者が殿方へ安易に誘いを向けるのはどうかっていう作法的な話。でもアニエスは帝国騎士だから、近衛としてこの国にいる以上は淑女の枠からはずれるのかなって」

「それはそうだろう。おれは、常にリリの警護に徹していて祝祭の時ですら何も食べ歩かなかったらしいアニエスを気にしている。近衛騎士の役目がそうなのはわかるが、今のアニエスは朝から晩まで休みなく職務をしているようなものだからな。だがこういう形なら携帯もしやすく食べやすい。それだけのことで食事に誘う誘わないという話ではない」

「そうですよね。ベルナールさんが…なんというか、公私混同とか下心とか持つなんてないですし」


 オレリアの言葉を受けたベルナールは真面目な顔をそのままアニエスへ向ける。そうして2個目を食べているアニエスを見たベルナールは、やはり真顔のままオレリアに私情はないと告げた。


高等部にいる侯爵家の関係者


3年生(17歳)

フランク・デュフール 3年Sクラス

エメーリエ・ルヴランシュ 3年Sクラス

ダニエル・ヴァセラン 3年騎士科Sクラス(竜騎士クラス)


2年生(16歳)

ベルナール・ローラン 2年Sクラス


1年(15歳)

アドリエンヌ・オーブリー 1年Aクラス

アナベル・デュフール 1年Aクラス

ブリジット・ローラン 1年Aクラス

オリヴィエ・アンベール 1年Sクラス

テオドール・ヴァセラン 1年騎士科Aクラス

シオン・トリベール 1年Bクラス


※学園は平等を謳っていますが、淑女教育の中で令嬢は紳士を立てるものと教えられるため女子生徒はSクラス入りを避けようとします。



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