49.月夜に現れる蒼銀の甲冑騎士
祝祭で間近に竜の力を浴びた者はその場で昏倒してしまう。特に酷いのは間近にいたオレリア・トリベールと、そして己の魔力を盾に弟をかばったベルナール・ローランだった。
オレリアは魔力量が少なかったためか数日で起き上がれるまでになったが、ベルナール・ローランはその比ではなかった。
8日が過ぎても目覚めない彼はトリベール侯爵家の2階客間で手厚い看護を受けている。
家主であるレジス・トリベールも、死にかけていた三男がいかにして救われたのか執事やシオン自身の説明により把握している。それになによりトリベール侯爵自身がこの国の至宝たる存在と直接会っているのだ。
王城謁見の間ではそのご尊顔を目にすることはできなかった。だがシオンの命を救った少女の深く広い海を思わせる瞳も、日が沈む間際に見える広大な空を思わせる藍に近い青色の髪も、なによりその厳しくも思いやりにあふれた言葉こそが至宝のそれと同じだ。
ならばそんな相手が頼むと言う相手を丁重に扱わないわけがない。だが神童で知られるあのローラン家の長子が一瞬で魔力を失い昏倒するほどの力とは何なのか。
トリベール侯爵は息子を救われはしたが、同時に青い鱗の竜の恐ろしさも垣間見た気がした。
だが念頭にあるのは「倒れた長子を返せ」と毎日のように怒鳴り込んで来るローラン侯爵の対応方法だ。
セレンティーヌの願い通り、功績をベルナールを渡すため嘘をついた。
「シオンを癒やすために魔力を使いすぎたためベルナールは寝込んでいる。動かさないほうが良いと医師が言うのでしばらく預かりたい」
そうローラン侯爵家へ書簡で報告したところ、その日の夜に侯爵本人が飛び込んてきた。
ローラン侯爵は扱いの難しい人物で、さらに息子に関して何を考えているのかわからない。そのため他人からの称賛を笑顔で受け取るが、その称賛を子供に向けない。
そんな侯爵であっても長男のベルナールは大切な存在だろう。なにせ嫡男のベルナールは侯爵家の後継者として誰よりも優秀な姿を見せ続けているのだ。
あらゆる場所で称賛を受ける神童は9つの侯爵家の頂点に立つべき人物とすらささやかれている。
もちろん下位の貴族がどう思い何をささやこうが竜王国貴族の序列は変わらない。
そして「かつての神童の再来」と喜ぶ下々の声も9つの侯爵家は無視している。
ただローラン侯爵に関しては、ジルベールを支配するのは辞めるべきだと思っていた。何を目的としてジルベールに努力を続けさせるのかはわからないが、幼い頃から押し付けるそれはあきらかに虐待の域に入っている。
そして少なくともあの謁見の間でオリヴェタン侯爵が断罪された時点でローラン侯爵も目を覚ますべきだったとも。
「ローラン侯爵のことは知ってるか?」
月明かりだけが照らす客間で、開かれたままのガラス戸の外へトリベール侯爵は質問を向ける。それは他愛ない疑問だった。ただ相手がベルナールの置かれている環境を知っているかどうか聞きたかっただけだ。
そんなトリベール侯爵の視線の先で、今夜も屋敷の2階バルコニーへ不法侵入した騎士が鎧を消して姿を現す。
蒼銀の甲冑を消した帝国騎士は、黒く大きな瞳を寝台に向けたまま感情を捨てたような顔で答えた。
「ローラン侯爵家については、次男の扱いについてセレンティーヌ様が義憤を抱いています。しかし彼らはなまじ優秀であるため虐待とは言えない」
「確かにブリジットもマティアスもうまいこと守られてるからな。オリヴェタン侯爵家のように直接何かされてるってのはないだろう。けど」
「法的に問題がない以上、騎士の立場で口を出すことはできません。そしてセレンティーヌ様がセレンティーヌ様として断罪も難しいですね」
「それはそうだな」
相手はその外見のまま騎士として話している。だからローラン侯爵をなんとかしようとは思わないのか。小さな落胆とともに仕方ないかとつぶやいたトリベール侯爵は腕を組み視線を移した。
見やる先には寝台があり、今も目を覚まさないベルナールがいる。
そして帝国騎士は毎夜ここに現れてはベルナールに神聖魔法をかけ続けていた。
なぜなら今のベルナールには、己の命を維持するための魔力もないためだ。
血液が流れなくなると身体が朽ちるように、魔力が枯渇して魔力循環が止まると身体は急速に衰えていく。しかも不運なことにベルナールは魔力の許容量が飛び抜けて多い。なのでますその巨大な器が満たされるまでは魔力循環も始まらない。
そんなベルナールの生命維持のために神聖魔法で身体を癒やして魔力循環のための回路を保つ。言葉にすれば簡単そうだが、それができるのは神聖力を持つ者だけだ。
だから昼は留学生として近衛としてセレンティーヌのそばにいる騎士は、夜になり皆が寝静まった頃に動く。そうして誰も知らないところでここ数日ベルナールの命を保ち続けてくれていた。
そんな帝国騎士は腰に吊るしていた蒼銀の魔法剣をそばに置いて、今夜もベルナールの手を握る。するとまもなく握られたふたりの手が淡く白い光を帯びた。
「ローラン侯爵は魔力が尽きた息子を心配するでもなく、ただ屋敷に返せと言う。トリベール家として返すつもりはないが、子供を物のように扱うローラン侯爵には思うこともある」
「世の中には己の子を娼館に売るような人間もいます。あるいは街で見かけた子供を拉致して屋敷に連れ帰り己の奴隷にしてしまう者も。世の中は聖人だけで成り立っているわけではありませんから、そのような親がいるのも仕方ないのでしょう」
「ベルナール君が粗末に扱われても騎士様として何も思わないし守ろうとも思わないってことか?」
「トリベール侯爵は私をなんだと思ってるんですか」
トリベール侯爵家は9つの侯爵家の中では下から2番目という序列でしかない。そのためローラン侯爵家に表立って歯向かうことはできないが、目の前の帝国騎士は違う。
そう考えていたトリベール侯爵の目の前で騎士はベルナールの手元を見つめたまま言う。そのためトリベール侯爵は大きなため息を吐き出しながら寝台に腰を下ろした。
「グレイロード帝国騎士団は正義を重んじてるって聞いたけど」
「確かにそうです。でも、だから困るんですよ」
いまだ手元には白い光が儚げにきらめいている。そこから視線を移したトリベール侯爵とともに騎士の黒く大きな瞳が向けられた。
「もし私がローラン侯爵に対して何かを向けた時、そこにあるのは正義ではありません。私はベルナール卿の強さも聡明さも尊敬していますが、押しに弱いところも弟妹を大切にされるところも敬意を抱いています。そしてなにより……セレンティーヌ様が力を使われたあの瞬間に、私をかばおうとしたベルナール卿の背中が忘れられない」
「それは……でっかい私情だな」
「しかもその私情を、ただの帝国騎士ではなくディラン公爵家の私が向けるんですよ。グレイロードの姫だった母の名を使い、ビタンの次期国王だった父の名を使い。そうして木っ端微塵にしてなおさらに踏み潰します。でも……それだけのことができる私だからこそやりません」
竜王国の侯爵家など軽く凌駕する権力を持つ家の娘だからこそ何もしない。そう語る騎士は小さく微苦笑をこぼした。
「ベルナール・ローラン卿がやらないからです」
「……それは、確かに。でもまだ学生だからできないんだと思っていたよ」
どれほど優秀でもベルナール・ローランはまだ16歳の子供である。だから実の親を何とかするような力がない。それはオリヴェタン侯爵家の優秀な妹の例でわかるはずだ。
そう言いたいトリベール侯爵の目の前で、騎士はゆっくりと握っていた手を離した。
「ベルナール卿にとって父君は他愛ない存在で、元々眼中にもないでしょう。そして今は弟妹が学園にいて安全が担保されている。その状況ならまだ数年は父親を放置しても良いと考えるでしょう。少なくともマティアス君が高等部を出るまでは」
「その気になればいつでも潰せるから泳がせておくってことを、真面目なベルナール君が考えるかな」
「泳がせるとも違うかと。例えば目の前をうるさく飛び回る虫は目障りだと思いますが、地面を這うだけの虫はそうでもないですよね?」
「その例えはなかなかだな。でもわかりやすい。ベルナール君にとって昔も今も父親は地面の虫なんだな。まぁそれは父親だけに限った話じゃないかもしれないけど」
「私は口が悪いので虫に例えましたが、ベルナール卿はそこまで酷いことは考えないでしょう。ただ上を向いて進むベルナール卿の視界に入らないだけで」
「ああ、そのほうがベルナールっぽい」
騎士の言葉にすんなり納得できたトリベール侯爵は寝台から立ち上がる。
すると騎士も立ち上がり蒼銀の魔法剣を手にした。
「ではまた明日の夜にお邪魔します」
「そろそろ10日近くになるし、明日はお茶を飲んでってくれよ」
ここまで通ってくれる客をもてなさないなんて無礼に耐えられない。そんなことを言う屈強の侯爵に騎士が笑った。
「ではその紅茶はベルナール卿が目覚めた時に出して差し上げてくたさい」
「それはそれ、これはこれ…とはならないんだろうな。おまえさんは」
「そもそもの話ですが、主不在の場で近衛が異国の人間からもてなしを受けるなどあってはならないことです」
「おれは騎士をやったことがないから、そこは詳しくない。でもパレドリア帝国もサイトラ王国もそこまで厳しくないよ」
「ではグレイロード帝国騎士団はそうなのだと承知ください」
最後まで距離を保ったまたバルコニーに出た騎士は月明かりの下で蒼銀の鎧をまとう。その光沢と独特の色合いは竜王国の宝剣アーリア独自のものだ。
だがその、神秘的なきらめきを放つ鎧を目にできたのは一瞬のことだった。騎士は用が終わると人の目には追えない速度で行ってしまう。
そしてひとり残されたトリベール侯爵は、何事もないようにバルコニーに通ずるガラス戸を閉めて客間へ戻る。
そうして寝台へ視線を戻すと意識がなく眠っていたはずのベルナールが起き上がっていた。
「驚かせるなよ。ベルナール君はいつから目を覚ましてたんだ?」
「いま……ですが、おれはなぜここに寝ていたんですか」
「セレンティーヌ様の力を受けて魔力が一時的に枯渇したからだって聞いた」
本当に寝起きらしいベルナールはトリベール侯爵も見たことがないほど戸惑った様子を見せている。そのためまずはそんな16歳の少年を落ち着かせるべく9日前にあったことを説明することにした。
たった13年しか生きていない竜の雛だとしても、その浄化の力は人の枠をはるかに超えている。そのためそばにいたベルナールは体内にあった魔力をすべて失い完全に枯渇してしまった。
そうなるとベルナールの身体は完全に魔力循環ができなくなり、意識すら保っていられなくなる。しかもベルナールは並外れた魔力量を持つ神童だった。
そのため魔力循環を取り戻す前に、まずはその器に魔力を満たさなければならない。つまり人より魔力が多いからこそ、魔力循環の回復が人より困難になってしまう。
「その話の流れだと、普通は死ぬのでは」
説明を聞いたベルナールの脳裏に浮かぶのは昨年の戦闘実習で弟が負った怪我だった。あれも筋組織が破壊されすぎて魔力循環が滞っていたという。そして魔力循環が滞ると自然治癒能力が落ちてしまうため、普通の治癒魔法の効果すら落ちてしまう。
「確かにそのままだとベルナール君は生命維持すらできずに死んでいた。だから帝国の近衛騎士君が神聖魔法を使ってベルナールの治癒をしてくれていたんだよ。毎夜ここに通って」
「アニエス・ディランが、夜に、ここへ通ったんですか」
「彼は近衛騎士で魔法剣を使うから、ここに忍び込むのは余裕らしい。実際にここ9日間難なくここに来てたからな。何も問題はないよ」
「いや…問題しかないです」
たとえ近衛騎士だとしても治療のためだとしても、年頃の令嬢が男しかいない部屋に忍び込むなどあってはならない。
むしろその前に毎夜そのように神聖魔法などを使っていて彼女の身体は大丈夫なのか。わからないことだらけで混乱の最中に立たされた気分のベルナールは動かない頭を叱咤して思考力の回復を試みた。
だが寝すぎて衰えたらしい頭を、祝祭のあの日に見た蒼銀のあの甲冑騎士の姿が支配して消えてくれない。
「あの騎士、毎晩ベルナール君の手を握って神聖魔法かけてくれてたんだよ。そうやって身体を治癒してやらないと命が危ういからって。まぁ終わりの見えない看護みたいなものだよな」
だと言うのにベルナールのそばに座ったトリベール侯爵は追い打ちをかけるように近衛騎士の献身性を語って聞かせようとする。
そのためベルナールは侯爵に正しく理解してもらうため、まずその帝国騎士が女性であることから説明を始めた。
その上であの親切な騎士に、何か礼をしなければとも思う。




