46.かつて世界を滅ぼしかけたのは魔族と有翼種
「は?」
強い力でシオンの上から押し離されたマティアスはそのまま甲冑騎士に馬乗りにされる。そのためマティアスは自然と抵抗すべく騎士の肩当てをつかんだ。
「害虫! そこから離れなさい!」
騎士を殴ろうとしたマティアスの耳に何より愛しい声が飛んでくる。とたんに振り上げようとした拳を止めたマティアスは拘束が解けた途端にベッドを降りた。
「リリ! でも魔力循環をしないと助けられない!」
「無知蒙昧な素人が判断をするものではないわ」
「でも」
「この男は毒を食べただけよ」
リリはシオンのベッドに近づくことなく平然と言い放つ。そしてその言葉にマティアスを含む全員が驚愕した。
もちろん例外なくベルナールも驚きリリの隣に進み出る。
「シオンは幼児期から今のように寝込むことが多い。君の言葉が事実ならその頃から毒を与えられていたということになる。だがそんなことをする理由がない」
「そうよ! 我が家に対する侮辱だわ! 家族を含めて屋敷にいる誰もがシオン兄様を心配しているというのに!」
ベルナールが疑念を向けると続くようにオレリアも叫んだ。あげく咳き込むシオンに駆け寄り背をさすりながらリリをにらみつける。
「あんたが今までしてきた無礼は流してあげるけど、その暴言だけは許さないわよ」
「わたくしはおまえに許しを得るようなことなどしていないのだけど、その前にアニエスは魔法剣の使用を辞めて。害虫、あなたもよ。その魔法武具をはずしなさい」
「でも俺はシオンを助けたいんだ! 毒があるならそれは解毒したらいいけど、それとは別で腹部の魔力が異常過ぎるから」
「黙りなさい。時間がないわ。ベルナール・ローラン、力づくでもいいからはずしなさい」
オレリアの言葉もマティアスの言葉も否定したリリの元へ甲冑を消したアニエスが近づく。そのためリリははずしたイヤリングをアニエスの手のひらに乗せる。
「オレリア・トリベール。おまえも魔力を持っているのだからそこから離れなさい」
「あんたがアクセサリーをはずしてシオン兄様に何をしようとしてるのか教えてくれたらどいてあげるわよ」
「魔力を浄化するの」
どうせ答えないだろうと挑発的に告げたオレリアにリリは緋色の石がついたペンダントをはずしながら返した。
「おまえたちには持ちうる魔力の強さに応じた激痛がいくわよ。わたくしは手加減できないから」
「どういうことよ。魔力を浄化するってシオン兄様の魔力を? でも魔力は貴族の価値に関わってくるのよ。シオン兄様は元々それほど強い魔力を持っておられないけど、それでも」
「時間がないと、言ったわよ」
オレリアの言葉など聞くことなく言い放ったリリは指輪をはずす。とたんに爽やかな風が室内に流れ込み深い海のような青色となったリリの髪を揺らす。
青色の髪と藍色に近い瞳を持つリリは平然とベッドに近づきシオンの額に触れた。するとシオンを中心として強い風が渦巻いて窓の外へ流れていく。
そのそばに立っていたオレリアは全身を走る激痛と貧血にも似た症状に襲われベッドの上に倒れ込む。
激痛のあまり身体に力が入らない。そんなオレリアだが、それでも目を離さないとばかりにリリを見あげる。
するとこの中でもっとも小柄で可憐な少女はラピスラズリのような鮮やかな瞳でオレリアを見下ろしていた。その上でそっとオレリアの頬に触れる。
「わたくしはまだ12年しか生きていない未熟者。だからおまえの身体に耐え難い苦痛がいくとわかっていても手加減できなかった。手加減しようとすれば、おまえの兄を蝕む魔力を消せなかったから」
「それ…って、わたしたちより兄様の命を選んだってこと? それなら…許してあげるわ」
痛すぎて苦しすぎて呼吸もままならない。そんなオレリアは真っ青な顔で意識を失いその場に倒れた。
その様子を真顔で見下ろしていたリリは、ややあってベルナールたちにも目を向ける。
するとこの中でもっとも強い魔力をもっているベルナールは既に意識を失いアニエスに支えられていた。
ただそんな彼の背後にいたマティアスは顔色こそ悪いが意識を保っていられている。そこは前に立っていたベルナールが浄化からの盾となり守ったのだろう。
「マティアス。ベルナールを休ませたいから、動けるのならアニエスを案内してあげて。そこにいる執事は屋敷の者を呼んでオレリアの介抱を」
「……承知いたしました」
魔力を多く持っていなかっただろう執事は、リリの髪の色が変わった瞬間から腰の高さがかなり変わった。恭しく頭を垂れた執事は速やかに動き出す。
同時にアニエスが再び甲冑騎士となってベルナールを抱え運ぶのを尻目に、リリは寝台の主であるシオンを見た。
今の彼は顔色こそ今も悪いままだが咳き込むことなく起き上がり、意識のない妹の頭を撫でている。
「まずはおまえの加減を確認したら良いかしら。既におまえを蝕む魔力は消えているだろうけど」
「今まで生きていた中で最高に良い状態です。でもまさか、あなた様の言う毒が魔力だったなんて」
「おまえのような人間にとって、この世の魔力や瘴気は毒になる。もしこの国で生まれていなかったなら、おまえは五柱神の神殿にいたかもしれないわね。そこで健やかに育てられ神聖魔法の使い手として生きたかもしれない。けれどこの国の貴族は愚かにも魔力絶対主義のような思想に囚われている。それがおまえを苦しめた理由ね」
「つまり、強い魔力を持つ家族たちと一緒に生きられないということですか?」
「いいえ」
意識のないオレリアの頭を優しい手で撫でる兄の姿を見せるシオン・トリベール。その様子を深い海色の瞳で眺めながらリリはわずかに眉をひそめた。
「ただそばにいるだけで毒とはならないわ。でも……」
深く考え込むように愁眉を潜めたまま、リリは長いまつげを伏せるように視線を落として目を細める。
「例えば……寝込んだ者に滋養をつけるため、特別に良い肉を食わせたいと思うのは必然よね?」
「そうですね。我が家も兄たちが狩猟を嗜むので、そこで良い獲物が捕れたから新鮮なうちにとスープにしてくれることはよくあります。ぼくにもたくさん食べて元気になれと」
「ではその狩猟した場所を確認しなければならないわね。そもそもの話、害虫の状態であってもマティアスの言葉は正しかったのよ。先程のおまえは普通なら死にいるほどの魔力を蓄積していた。だから外へ流そうというのは正しい。ただ、そのために強大な魔力を持つマティアスが触れるのは悪手だわ。下手をすればおまえを殺していた」
「だから力づくで彼を止めたんですね」
「おまえが死ねばマティアスは泣くでしょう。あれはわたくしの可愛い子犬だもの。そうとわかっていたなら止めるわ。たとえわたくしのこの姿を部外者に見せることとなっても」
仕方ないことよと嘆息をこぼす。そんなリリの姿はシオンの目には女神のそれにしか見えなかった。
この国で唯一無二である藍に近い青色を持つ可憐な乙女。その姿に見惚れていたシオンは複数の足音が聞こえて視線を転じた。
同時に振り返るリリの目の前で、先程の執事を含む使用人を連れたトリベール侯爵が現れ膝を屈した。
「話を聞いてまさかと思いましたが、セレンティーヌ様がいらしているとは知らずご挨拶が遅れましたことお詫びいたします」
「挨拶など求めていないのだから、謝罪もいらないわ。それよりもおまえは夏まで遡りこの屋敷で使われた食材の出処を探りなさい」
トリベール侯爵は豊かな黒髪と屈強とも言える体躯の持ち主だった。狩猟を嗜みとするというシオンの説明どおり、腕の筋肉はシャツ越しでも見て取れる。
だとするなら自身も馬で駆るなどして森に行くこともあるかもしれないとリリは考える。
「おまえ自身が狩りに行くことは?」
「はっ、ございます。むしろ祝祭月の前には多くの竜王国貴族が狩りを行い、そこで手にした最も大きな獲物を祝祭初日にそれぞれ竜王陛下へ捧げます。ならばこそ我ら9つの侯爵家は他の貴族家よりも大きな獲物をとなりましょう」
「そして最も大きなもの以外は、この屋敷で消費されるのね」
貴族から大量の死んだ野生動物など贈られたなら王城も穢れて竜王たちも疲弊するだろうに。そう思ったリリだが口にすることなく目の前の問題を片付けるべく話を進めた。
そしてそんなリリの質問に膝をついたままのトリベール侯爵は当然という顔を見せている。
「大地の恵みは少しの無駄なくいただくのが礼儀です」
「そしてその肉をシオンも?」
「当然です。シオンは三男ですが、我が家にとって大事な息子のひとり。それに幼い頃から身体が弱く寝込むことが多いため、良い肉を食わせて栄養をつけ、学園へ戻れるようにと考えておりました」
「そうね。おまえのその家族愛も、その考え方も正しい。けれどシオンはおまえたちと違い、生まれつき神聖力を宿した清らかな子。そのような子に高濃度の瘴気を宿した食べ物を与えれば死ぬわね」
「神聖力、でございますか。それは五柱神信仰の?」
「ええ、もちろんその方向に進まなくとも魔力を保たない清らかなその身は竜神殿で務めることもできるのだけど」
「それは素晴らしい。しかしシオンがそのような素養の持ち主だと気づいてやれなかった我々の落ち度によって、シオンを長らく苦しめていたのですね」
「そうね。幼い頃にでもシオンを竜神殿の主へ見せていたならわかったかもしれないわ。でも人の身でそれを見抜くことはできない。この国には五柱神の神殿もないのだもの。竜を頼る以外に手立てがないわ」
人間である限り他人の身に宿る力が魔力なのか神聖力なのか区別することはできない。そしてこの国の魔力測定器はあくまで魔力量を調べるものだ。
だから何も持たないリリはゼロになるし、アニエスの持つ力を検出することもない。
「おまえたち無力な人ごときが、神の奇跡を顕現させるという清らかな力の有無を調べようなど傲慢でしかない。だからトリベール侯爵が気に病むことではないし、おまえの息子を蝕んでいたものは浄化された。この点はわたくしをここへ連れてきたベルナール・ローランに感謝すると良いわ。ただ、その身に膨大な魔力を持つ彼はわたくしの力に当てられて倒れてしまったから、この屋敷で介抱をと思っているけれど、それは頼めるかしら」
「喜んでお世話させていただきます。しかしセレンティーヌ様があのベルナール君と面識があったとは思いもよりませんでした。先日の謁見の間では令嬢の名が多く出ておりましたからな」
「お姉様がたはわたくしの最愛。そんなお姉様がたの幸せをおまえたちの私欲が阻むなら壊そうとしただけの話よ。それにベルナール・ローランとは面識があるだけでなく恩があるの。浄化し過ぎて力尽きたわたくしを守ってくれた恩。欲深い大人たちからわたくしの存在を隠してくれた恩。今回のことは、それら返しきれない恩の一部を返した程度の話ね」
そう告げながら、リリはゆっくりと膝をついたままのトリベール侯爵の前へ歩み寄った。
「だからおまえも心しておきなさい。今日こうしてわたくしがここにいたことを誰かひとりにでも漏らしたなら、おまえたち全員括り殺すしかなくなるわ」
「承知いたしました。使用人には固く口止めを。そして自分も今ここでセレンティーヌ様へ返しきれぬ恩ができました。息子の命を救われた親として、それをお返しする機会はお与えください」
リリの身分を隠すことはするが、恩返しの機会は失いたくない。子を思う親であれば当然のその申し出にリリは小さく嘆息づいた。
「おまえは目立つから駄目ね。そしてここにいる人間以外に恩だのと話すことも許さない。そうなるとわたくしに恩を返せるのはシオン・トリベールだけになってしまうのだけど……」
語尾とともにリリはベッドに座る細身の少年を見やった。白金色の髪と水色の瞳の彼は寝込みがちだったこともあり体格も華奢で繊細な雰囲気を持つ。
「シオンの身体が回復し、学園へ復帰できるほどになった頃にはわたくしへ尽くすこともできるのではないかしら。その場合にシオンはわたくしの近衛騎士であるアニエス・ディランから神聖魔法について学ぶとよいわ。浄化の魔法が使えるようになれば、そうやって寝込むこともなくなるもの」
「ぼくの様な者でも魔法が使えるようになるんですね?」
「帝国の聖騎士団長はあなたの年齢くらいの時に大神官と聖騎士団長を兼任で担っていたと聞くわ。そしてあなたも努力次第ではそうなる素質があるのよ。人でありながら神聖力を持つ者はそれだけ稀有だという表れでもあるのだけど」
だから問題はないと告げたリリだが、今はシオンも休むように告げてトリベール侯爵に手を差し伸べた。とたんに立ち上がったトリベール侯爵はリリをエスコートして部屋を出る。
「セレンティーヌ様には本当に感謝しております。しかしながら先程の話ですと息子を帝国へやるおつもりと聞けますが」
「わたくしは聖王国アルメニアがどのような国なのか知らないもの。それならグレイロード帝国の大神殿で修行をとなるわ。そうして神聖魔法が使えるようになれば、その後で帰国して竜神殿に入っても役に立つでしょう。ただわたくしは、シオンが死なないためには神聖魔法の習得が必須だと思っているだけで、その後の道筋はシオン自身が決めることよ」
「承知いたしました。セレンティーヌ様の慈悲深さには感謝の言葉もございません」
「だから、そんなものはベルナール・ローランに向けなさいと言っているのよ」
そもそもリリは、自分が口にした謎の薬物に関して調べるためにトリベール侯爵家へ来ている。そしてそう勧めたのはベルナールだ。
ただきっと彼はその問題について調べるついででいいから、リリやアニエスがシオンのことを見てくれたらと思っただけなのだろう。禁欲主義かというほど無欲な彼は他人に強く何かを望むことをしない。
そんな彼でも年下の幼馴染みだろうシオンのことは心配だったのかもしれない。
だがそんなベルナールでも、まさかこんな形でシオンへ癒やしを向けられるとは思っていなかっただろう。むしろシオンがそこまで酷い状態だと知らなかった可能性もある。
それでもこうなった責任とトリベール侯爵家からの恩はベルナールに抱えてもらいたい。
そう考えたリリはすべてはベルナールへ向けろと重ねるように侯爵へ告げた。
けれどそんなリリは頭の片隅で考える。
この国では上位貴族に限定してシオンのように寝込む者が現れるという。そして彼らは大人になる前に死んでいく。
だとするならこの国の上位貴族たちは、大昔に魔族と、今は天空の民と呼ばれる有翼種が交わって生まれた子孫なのかもしれない。
古戦場大陸と呼ばれるここの東に聖王国アルメニアが大部分を占めるゾアス大陸があるのは、大戦時に有翼種の拠点として使われていたためだとされていた。むしろその大戦時に活躍した五色の有翼種が五柱神として今も祀られている。
ならばアルメニアに人と交わった有翼種の子孫がいるのは自然なことで、その土地と比較的近いこの大陸にその血が混ざるのも自然な流れだ。
そしてそんな血の混ざりも、それによって原因不明で子供が死んでいる現状もすべて歴代の竜王たちは放置してきたのだろう。
だがリリがそれを放置できないのは、人の腹から生まれ人の世に育った竜だからか。だとするなら自分はこの国の主になる資格はないのではとリリはうっすらと思い始めていた。




