45.トリベール侯爵家
竜王国には9つの侯爵家があり、そこには家の歴史に沿った序列がある。トリベール侯爵家はその中で序列8位の新興侯爵家だが、それでも家の歴史は優に100年を超えていた。
だとしても序列3位で900年の歴史を持つローラン侯爵家には遠く及ばない。そういう意味ではローラン侯爵子息へ礼儀を向けるのは当然の話ではある。
だが家の序列を抜きにしても、ローラン侯爵家の長男であるベルナールは礼儀を向けるに値する人間だった。
幼い頃から魔力が強く、本を読ませればすぐに知識として蓄える。さらに剣術をやらせれば才能を開花させ、その隙間時間で宮廷音楽に触れれば見事な演奏を披露する。それはどれほど愚鈍な人間でも認めざるを得ないほどの才能だろう。
だからベルナール・ローランに対しては序列と関係なく誰もが敬意を向けてきた。
そしてオレリア・トリベール侯爵令嬢も、ベルナールへ敬意を向けるひとりだった。しかしその日のベルナールは今までオレリアが見てきた彼とは少し違っていた。
侯爵家の子息や令嬢が集まる場で、ひとり遊びに加わらず読書をしていたベルナール。そんな彼はいつも独りでいるイメージがあったし、彼はそれを望んでやっていると誰もが思っていた。
だがいまオレリアの目の前にいるベルナールは帝国騎士を相手に広場で発生した事案について話している。そして帝国騎士も、厳しい顔のベルナールに臆することもなく平然と質問を飛ばして情報の共有をしようとしていた。
「そういえばあんたって帝国騎士に守られてるのね。その偉そうな態度は帝国の姫か何かだからってこと?」
男の会話を邪魔するような令嬢がいないように、オレリアもふたりの会話に加わることなくリリに話しかける。
するとクッキーに手を伸ばしていたリリは琥珀色の瞳をしばたかせた。
「わたくしはただのリリ。そしてアニエスはどんな令嬢も守ろうとする軽率でたらしな近衛騎士よ」
「それ、絶対褒めてないわよね。まぁいいけど、もしかしてあれかしら。あの若さで騎士になれるほどのエリートだから、ベルナール・ローランと会話ができるのかしら」
「ベルナール・ローランは普通に話せる人よ」
オレリアの言葉が理解できなかったらしいリリは不思議そうな顔で告げた。
「つい先程もわたくしを狂わせたパンを捨てて助けてくれたもの」
「待って待って。狂わせたパンってなに。あんたは何か拾い食いでもしたの?」
「いいえ、売っていたパンの試食をさせられたの。わたくしが食べることで周りの者どもも興味を持つだろうと。けれどそれを食べ始めてからの記憶はないわ」
「パンを食べたら記憶が欠落したってこと?」
「わたくしにはわからないことだけど、ベルナールはそのように言うの。そしてトリベール侯爵家の者は医学に詳しいから、わたくしを診てもらいたいとも。でもマティアスがわたくしを探すために魔法武具を使ってしまったから、まずはそちらを取らなければとなったのよ。わたくしは害虫のままでも良かったのに」
どんな状態でもマティアスはマティアスだから構わないのに。そうつぶやき嘆息ついたリリは可憐で優雅な美少女でしかない。そしてそんな彼女はやはり洗練された所作でカップを手にしていた。
その様子からオレリアは何が『ただのリリ』なのかと悪態付きたくなる。
「トリベール侯爵家というか、わたしたち兄弟は医学や薬学に詳しいの。幼い頃から寝込みがちな兄を治すために学んできているから」
「ご病気なの?」
紅茶を一口飲んだ後にリリが真顔のまま問いかける。そしてそんなリリの顔に憐れみの色が乗らないのは珍しいとオレリアは思う。
「病ではない、ということはわかったわ」
「では何が悪いのかしら」
「この国ではね。上位貴族に限定してだけど、原因不明で寝込む子供がたまに現れるの。その子供は大人になる前にみんな死んでしまうのだけど、それも原因不明なのよ」
「竜王国の上位貴族に限定したものだとしたら、原因は怠惰か怠慢か愚かだからかしら」
「あのねー」
どこまでも失礼なリリにオレリアは呆れとともににらみつける。しかしそんなオレリアの目の前でリリは音もなく立ち上がった。
そうして今も広場での状況を話し合っているふたりを呼びつける。
「ベルナール・ローラン。この屋敷に死にかけたモノがいるのね」
「シオン・トリベールは死にかけていない。寝込んでいるだけだ」
「そうね。聡明なあなたが、見知らぬ貴族の屋敷へわたくしを連れていくのはおかしなことだわ。でもわたくしがここへ来ればアニエスは必ずやって来る。周辺諸国に詳しいアニエスなら何かしらわかるかもしれないと考えたのね」
一度はリリの言葉を否定したベルナールだが、二度目の問いかけに口を閉ざした。とたんにそばに立つ帝国騎士のアニエスが半歩ベルナールに近づき肩を並べる。
「ベルナール卿のその不器用なところは可愛らしいと思いますよ」
「それは慰めだろうか」
アニエスから向けられた優しい言葉に、ベルナールは疲れた顔でため息を漏らす。だがアニエスはそこで引くどころかベルナールへ手を差し出した。
「というわけで、よろしければその方の元へご案内いただけますか」
「この手は?」
「エスコートです」
「それはおれにやることでは…」
「ははは、まあ良いじゃないですか。卿の可愛らしさは今に始まったことではありませんし。たまには誰かにもたれることも必要ですよ」
ベルナールの冷淡な態度を気にもせず笑顔でエスコートをと求める。そんな騎士の笑顔に負けたらしいベルナールはため息を漏らしはしたが手を取り歩きだした。
そのためオレリアはリリと共に騎士たちの後ろを歩き出しつつ考える。
この国の侯爵家にはベルナール・ローランに近づこうとする者がいなかった。むしろオレリアたちのような年下ならまだ敬意も抱けるが、年上となるとそうもいかない。
オレリアの兄たちもそうだが、ベルナールより年上の子息ほど嫉妬したくないという理由で、その存在を無視していた。
だが不躾な客人とその騎士は異国の人間だからこそ、平然とベルナール・ローランと友人関係になれるのだろう。そしてそれは彼より年下で彼を尊敬するひとりとして嬉しいことでもあった。
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トリベール侯爵家の応接間で魔法武具をはずされたマティアスは、しばらく呆然とソファに座っていた。応接間の扉は開かれたままで、その入り口にはトリベール家の執事が立っている。
この白髪混じりの執事とは9つの侯爵家が集まる茶会などで何度も会っている。むしろこの屋敷の令嬢であるオレリアがマティアスと同い年ということもあって他の令息よりもこの執事の世話になった数は多いかもしれない。
ゆっくりと知性を取り戻していったマティアスは、その目を応接間の入り口へ向ける。すると流れるような動きで執事が入り口の外へ手を向けた。
「皆様の元へご案内いたしましょうか」
「はい。あ、でも…」
執事の申し出に返し立ち上がったマティアスは逡巡の後に東の方角を見た。
「シオンさんのお見舞いをしても良いですか? せっかくこちらへお邪魔させていただいたので…」
挨拶化したいと我がままを向けたマティアスに執事は嬉しそうな顔を見せた。
「マティアス様はいつもお顔を見せてくださると、シオン様もいつも喜んでおられますよ」
「そうだと嬉しいですけど…シオンさんが優しいから会いたくなるだけなんですよ」
シオン・トリベールはマティアスにとって2つ上の兄のような人である。実兄や実姉が周囲に称賛され父に褒められている時期、孤独だったマティアスのそばにいてくれたのがシオンだった。
むしろ茶会の場で他の子息たちと馴染めないマティアスが、一階の部屋から外を見ているシオンの元へ逃げ込んでいたとも言う。だが毎度のように逃げてくるマティアスを、シオンはいつも笑顔で迎えてくれた。
そんなシオンの寝室は屋敷の東側にあり、部屋から見る朝日が綺麗なのだとよく語ってくれている。
だがホールで階段をあがり執事が向かったのは屋敷の南側だったためにマティアスは戸惑う。
「シオンさんは部屋の場所を変えられたんですか?」
「最近寝込むことも多くなられましたので、できるだけ暖かい部屋をと」
「そんなに悪いんですかっ」
シオンはマティアスの実姉と同学年なので今は高等部1年である。だから最近は見かける機会もないと寂しく思っていたが、それ以前の話だったのかもしれない。
顔を青ざめたマティアスは案内された扉の前に立って周囲を見る。その合間にマティアスを案内してくれた執事は扉を叩いて要件を告げる。
だが返事がなく、代わりのように咳き込む音が聞こえた。そのため執事は慌てて扉を開けると室内に駆け込んでいく。
室内で心配そうにベッドの主へ声をかける執事の声を聞きながら、マティアスは驚きの目で窓の外を見た。そこはこの屋敷へ来た時に異様なほど赤い靄が溢れていた場所に近い。
「執事さん、今から魔法武具を使って良いですか!!」
問いかけるマティアスの視界の中でシオンがベッドの上で身体を折って苦しげに咳き込んでいる。
もしかしたら今のシオンが苦しんでいるのはあの魔力と関係あるかもしれない。だとするならその魔力をどこかへ流せば少しは楽になるのではないだろうか。魔力循環は身体の回復力にも関係すると教えてもらっている。
その思いのまま問いかけたマティアスは服のポケットから魔法武具を取り出した。それはペンダントの形なので着けるだけなら簡単にできる。
「しかしベルナール様が…」
「僕がおかしなことをしたらすぐ兄を読んでください。でもこれを使うと魔力が見えるようになるんです。そしてきっとシオンさんはその魔力が悪さしてると思うので…僕なら今のシオンさんを楽にできるかもしれないんです! そうじゃなかったら謝罪しますから! シオンさんを助けたいから!」
懇願しながら頭を下げたマティアスの前で咳の合間に小さな笑い声がこぼれる。そのため前を見れば青白い顔のシオンが嬉しそうに目を細めていた。
「マティが、ぼくのためにやりたいと言っているなら、イヤだなんて言わないよ」
繊細な白金色の髪と淡い水色の瞳の優しい人はマティアスのどんなことも笑顔で聞いてくれる。そんな人だから助けたい。そんな人が向けてくれる信頼に応えたい。
そんな思いで魔法武具を着けたマティアスの髪と瞳の色が赤く染まっていく。同時に昨年よりさらに強くなった身体強化の効果で身体の大きさも縦と横に変わっていった。
「ああ、やっぱりそうだ…」
体格だけなら成人男性に近い。そんな赤毛のマティアスは赤い瞳でシオンを見つめたままベッドに近づいた。
そうして戸惑っている執事に離れるよう告げながらシオンの上におおいかぶさる。
「シオンの腹に大量の魔力が溜まってる。この異常な魔力を取れば楽になる」
「…魔力の異常が原因なら、普通は見つけられないね」
マティアスの眼下で仰向けになっているシオンは小さく微笑む。その笑顔にもマティアスは切なくなった。
きっと今までも希望を向けられては裏切られてきたのだろう。なにせシオンのこの症状は原因も対処方法も不明のものなのだ。
そこで不意にシオンがマティアスから顔をそむけて咳き込み始めた。苦しげなその顔を見つめたマティアスは慌ててシオンの服をはいで痩せた白い肌をあらわにさせる。
ディートハルトはマティアスたちに教えてくれた。専門家ではない自分たちが魔力循環を整えるには肌に触れなければならない。
その上で自分の魔力を流し込み、シオンの魔力を引っ張るように動かすことをイメージする。
脳内でシュミレーションしながらもマティアスは緊張しながらシオンの腹部に触れようとする。
だが指が触れる寸前、マティアスは強い力に突き飛ばされベッドの上に倒れ込んだ。




