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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部2年
46/52

44.怒れる砂糖菓子と怒れる侯爵令嬢

 パチンと眼前で音が鳴って我に返る。

 そうして目をしばたかせたリリの眼前に重ねられた手があった。

 なるほど、今の音は手を叩いた音だ。そう考えたリリの目の前で重ねられていた手が動いてリリの前髪を少し横へ流す。そうして心配そうな空気を宿した空色の瞳にのぞき込まれた。


「大丈夫か?」

「わたくしの…クリームパンは?」

「捨てた」


 先程までパンを食べていたのに、なぜ目の前にベルナール・ローランがいるのか。疑惑はたくさんあるが問いかけたリリに恐ろしい答えが返された。


「あんな美味しい食べ物を捨ててしまったなんて万死に値するわ!」

「君がむさぼっていた物には魅了に似た魔法がかかっていた。いや、魔法なのか薬物なのかわからないが…君や周囲の様子からしてその手のものだろう」

「それはおかしいわ。わたくしに魔法は効かないもの」

「だが君は狂ったようにアレを食べ続けていた。そして他の者たちも店へ群がりアレを買い貪るように食べている」

「ではもうお店には何もないのかしら」

「君はまたアレが食べたいのか?」


 淡い金髪を秋の温かな日差しにきらめかせたベルナールの瞳は冷たい。だがその視線をリリは気にしなかった。


「お店の人、わたくしのクレープを取ってしまったの。マティアスがわたくしのために選んでくれた大切なものよ。だから、パンを食べれば返してくれるのだと思って食べていたら…気づけばここにいるの」

「記憶の欠落がある。やはり君は何かの術にかかっていたんだ」

「わたくしに魔法は効かないのに?」

「君の魔法武具はずっと正常に起動している。だが今の今まで君の瞳は青かった。つまり魔法武具が起動している状態の君でも、飲食などで結界を抜けて体内に入った術を消すことができない。しかし君のその身体は、そんな魔法武具を無視して術を打ち消そうとした」


 だから瞳が青くなっていたんだろう。そう語るベルナールを見つめていたリリの視界が涙にゆがんだ。

 とたんにベルナールが驚いた様子でハンカチを取り出す。


「大丈夫か? 君にとって驚くべきことだろうが…」

「あれはマティアスの選んでくれたクレープなの。あのパン屋の女を殺して奪い返したい。どのような術なのか知らないけど、人間の術ごときどうでもいいわ。でもマティアスのクレープなの」

「ああ……そうか。君は弟のことが好きなんだな」

「そういうことではないの」


 好きな相手からもらったものを奪われたから泣いている。そう思われたと認識したリリは否定する。


「これはわたくしの中の竜の衝動と戦っているの。ねぇ、ベルナール・ローラン? そのクレープはわたくしのものなの。わかる? ここがグレイロード帝国であれば、わたくしの物を奪う愚か者などいなかった。いなかったのよ。だってそんな愚物など存在も許さなかったから。わたくしはわたくしの思いのままにできたのよ。可愛い弟を穢らわしい意図で拉致しようとしたモノを何十殺しても許された。だってわたくしは竜だもの。でもこの国ではそれができないのよ。だってわたくしはリリだもの」

「そうだな。君はただのリリだ。そしてそんな君のことを弟は何より大切に思っている。足の骨が砕け肉が壊れようと君を守り運んだように」

「そのマティアスは愚かだと思うわ。だってあの子は弱くて可愛い子犬なのに」


 涙は今でもこぼれるが、ベルナールと言葉を交わすたびに衝動は少しずつ弱まっている。そしてそんなリリの頬にベルナールの白いハンカチが優しく触れた。


「おれは、君が弟のことを好いてくれたら嬉しいと思っているよ」

「もちろん好きよ。でもベルナール・ローラン? あなたのことも好きだと思うわ。あなたは大切な」


 マティアスの兄だから。そう告げようとしたリリの視界に赤い髪が飛び込んだ。

 勢いよく駆け込んだその大きな体躯は、今はもう成人男性ほどの大きさと俊敏性をそのままにリリの小柄な身体を抱きしめベルナールから引き離す。

 それはリリを守るため以外は何も考えていない愚かな行動だ。だが最近はなぜか魔法武具を使うと大きくなってしまう彼の腕の心地よさが嬉しくて、その愚かさも許せた。


「マティアス。そう軽率に令嬢へ触れるものじゃない」

「……あ、あ? あれ? 兄上???」


 魔法武具の影響で髪も瞳も赤くなったマティアスの口から戸惑いと安堵のまざった声が飛んだ。


「俺は…いや、えっと、俺のリリがいなくなったから、探していました。安易に魔法武具を使わないと約束したのは事実ですが、これは仕方ない。だってリリは俺のリリなので」

「ああ…そうだな。おまえから魔法武具を奪うのは本当に骨が折れることだから、できれば使って欲しくない。だが今回は仕方ないと認識している。きっと今頃はアニエス・ディランもリリのことを心配して探していることだろう」

「俺が一番心配してました!」

「それはわかっている。だが近衛騎士の立場も考えてくれ」

「でも俺がリリを守ってるから良いと思う。それにここには兄上がいるんだからどんな危険があっても大丈夫」


 マティアスは魔法武具を使うと性格が変わる。彼が魔法武具の技師へ頼んだ通りに強くなってしまうのだ。

 そしてそんなマティアスのことを昨年のリリは害虫と呼んだ。


「害虫は少し黙っていてくれるかしら」

「わかった。黙る」


 昨年も今も、リリが口を開けば聞こうとする。理性が狂ってもそうしてしまうのは彼がリリを大事に思っているからだ。そこは魔法武具で我が強くなろうと変わらない部分なのだろう。

 そんなふたりのそばでベルナールが吹き出したように笑ったが、ふたりが目を向けた頃には笑いを消していた。


「リリが落ち着いたところでこれからの事を考えたい」

「パン屋を殺すのね」

「竜王国はこれでも法治国家だ。薬物が混入していたならその罪で裁かれる。それよりもその薬物が今回初めて世に出た物とも思えない。扱いに慣れすぎているからな」

「そうなの? あのオンナは何も知らずにパンを売っていたとも考えられるけど」

「多くの客が群がる異様な状態の中で、きっちり会計をしてパンを売りさばいていた女がか? あれは確信犯だろう。パンという形にしたのは初めてかもしれないが、その薬物の効果を疑っていたらパンとして売ろうとはしない。下手な効果が出て食中毒で訴えられたら店が潰れるからな」


 ベルナールは冷静にその状況を眺めつつリリを連れ出してくれていたらしい。しかし記憶が欠落しているリリはその時のことを覚えていない。


「つまり食中毒などの症状が出ない。あるいは出たとしてもその薬物は検出されない、と?」

「そんな物があるかどうかすらわからないけどな。おれはその手の知識が乏しい。アナベル・デュフールなら…いや、いくら彼女でも薬物に詳しいとも限らないか」

「そして証拠がなければ刑に処せないのね」

「処さないでくれ。だがそれより先に竜神殿へ行くべきかどうか悩んでいる。君の身体を診てもらうのなら竜神殿が良いだろうかと」

「それはダメだわ」


 いまだマティアスの腕に拘束されたままリリはきっぱりと言い放った。


「ベルナール・ローラン? あなただったら、こんな状態を親に見られて羞恥心という死因で死なないでいられる?」

「おれならマティアスを縛りあげる。そんな状態を妹に見せたいとも思わない」

「あら? ブリジットお姉様に見せたら兄弟愛を題材にした物語を書いてもらえそうなのに」

「既に20冊はあるものをまた増やしたいと思わないから言っているんだ。だが、竜神殿以外で医学に詳しい場所となるとトリベール家しか知らないな」

「トリベール?」

「侯爵家のひとつだが医学に通じている。通じなくてはならなかった、とも言うか…」


 事情はあるが医学に詳しいからとベルナールは移動を提案するように手を差し伸べる。その手を見たリリは手を伸ばそうとしたがいまだ腕が拘束されていて動けなかった。


「害虫はいつまでわたくしを拘束しているの? あなたが放してくれないと動けないわ」

「俺がリリを抱えて行けばいい?」

「それはあなたの身体が、その魔法武具なしでも大きくたくましくなった時にお願いするわ。それよりわたくしの右手はベルナールの手を取るけれど、左手は空いているの」

「わかった。繋ごう」


 リリの拘束をやめたマティアスはそのまま左手をすくい上げるように繋いだ。その様子を眺めた後にベルナールはリリの右手を取って歩き出す。


「すぐにアニエス・ディランと合流できたら良いが…無理ならこのまま馬車に乗ってしまおう」


 リリがいるのは喧騒から離れた住宅街の片隅だった。竜王国の王都は高波を防ぐためか高低差を持って作られている。

 そして侯爵家の邸宅を含む高級住宅街はさらに高い位置にあり、テラスなどに出ればはるか海の向こうまで見渡せると聞く。

 リリがその話を最愛のお姉様がたから聞いた時はいつか見てみたいと思ったものだ。むしろ海の見える部屋でコルセットを脱いだお姉様を抱きしめられならどんなに楽しいかと思った。


 だが馬車で移動してたどり着いた邸宅で、実際に眺めのいい部屋へ通されたリリは何の感慨も抱かなかった。

 白いバルコニーの向こうに広がる藍色の海が太陽にきらきらときらめいていても、そばにいるのが見知らぬ人間では退屈な背景にしか見えない。

 そうして紅茶を飲みため息を吐き出すリリの目の前で、黒髪ツインテールの少女が顔をしかめた。


「ホントそれやめてほしい。ベルナールさん、泣き虫マティアスの魔法武具をはずすために席はずすって言ってたじゃないの。すぐ戻って来るんだから黙って待つのが礼儀でしょ」

「……だから、わたくしは、黙っているのだけど……」

「顔がすごい。ホントすごい。ものすごく語ってる。ベルナールさんに早く戻ってこいって言ってる。というかわたし、イケメンがいないと態度悪くなるタイプのオンナは嫌いなんだけど」

「わたくしは、あの害虫のままでも良いと言ったのよ」


 黒髪ツインテール女の言い分などどうでもいい。むしろこんな女と会話する気にもならない。

 ただリリにとって、この景色をみた感想を共有すべき相手がいないことだけが許せなかった。


「害虫って、もしかしてあの魔法武具でウザくなったマティアス・ローラン?」

「あなたは口を開かないと死ぬ生き物なのかしら? だとしたら死んでしまってよろしいのに。なんなら今すぐこのテラスから飛んでいただいても結構よ。わたくしの可愛い子犬を侮辱するオンナが生きる権利などわたくしは認めないから」

「あんたのほうがおかしいでしょ! ここはわたしの家なんですけど!!!」


 なぜ死ねと言われなければならないのかと黒髪ツインテール女が感情的な声を上げる。すると焦った顔のベルナール・ローランが部屋に飛び込んできた。


「オレリア・トリベール!! 結界を張ってくれ! 魔法武具がそちらへ接近している!」


 ベルナールの強い声に黒髪ツインテール女が表情を一転させて立ち上がる。そうしてオレリアと呼ばれた女が両手を掲げた瞬間に薄水色の膜が周囲を包むが、それは一瞬にして砕かれた。

 薄氷の割れるような音を立てて飛び込んだ蒼銀の甲冑騎士はテラスのガラス戸に当たりながら着地する。


 けれど次の瞬間には動き出し、ベルナールから振り下ろされた剣を宝剣独自の銀にきらめく刀身で受け止め流すようにして弾く。


「申し訳ないが、ベルナール・ローラン殿と戦うなら別の機会が良いと思います。それよりマティアスの魔力が途絶えたのはなぜですか? リリ、マティアス君は無事ですか」

「害虫なら魔法武具をはずされるために連れて行かれてしまったわ」

「…は? 私は可愛いラピスラズリについて聞いているよ?」

「魔法武具を使ったマティアスは害虫のようにうるさく飛ぶ生き物になるの。それよりアニエス、あなたはまずこのオンナにガラス戸を壊したことを謝罪しなければいけないわ。そしてなにより魔法剣アーリアをそんなにも格好良く使いこなせるようになったなんて、わたくし聞いていないわ!!!」


 唐突に文句を言い出したリリに甲冑騎士は兜のままうなずくように頭を下げた。その上で手にしている剣を鞘へ納めると音もなく甲冑が消える。


 そうして現れたのがよく知る帝国騎士だったため、ベルナールは安堵の意気を漏らした。


「オレリア、騒がせてすまなかった。この騎士はおれの知り合いだ」

「ベルナール・ローランはいつからクソ失礼な知り合いを作るようになったの? わたしが知るベルナール・ローランは侯爵家のどんなバカでもわかるほど最強無比の優等生だったはずなのに」

「口を閉ざすと死ぬ生き物ごときがベルナール・ローランを語るとは愉快な話だけれど」


 奮然と腰に手を当て文句をぶつけたオレリアの横合いでリリが真顔で言い捨てた。とたんにオレリアは鬼の形相でリリを指差しベルナールに訴える。

 つまりのところ究極に不機嫌なリリの態度がオレリア・トリベールの限界を超えていたのだ。

 だがそんなオレリアの気持ちはベルナールにもわかる。唐突に屋敷へ押しかけてきただけでもありえないのに、侯爵令嬢であるオレリアに失礼を重ねるなどありえないことなのだ。

 だがそんなオレリアをなだめて釈明するための言葉がベルナールには出てこない。

 なにせリリの素性をここで説明するわけにはいかないのだ。そうなるとなぜリリがここまで無作法でいられるのかも説明しようがない。


 そうして黙ったベルナールの視界の隅で不意にアニエス・ディランが動いた。

 慣れた様子でオレリアの手をすくい上げ、挨拶とばかりに指先へ口付けるフリをする。


「挨拶もなく視界を騒がせたこと、麗しいご令嬢の前で剣を抜き驚かせてしまったことお詫びいたします。私はアニエス・ディラン。グレイロード帝国から参りました近衛騎士です」


 美形騎士から真摯な謝罪を受けたオレリアはわかりやすく顔を赤らめた。その脇でリリが無表情のまま椅子に座り紅茶を飲んだとしても、オレリアの視界には入らない。

 その様子を見たベルナールは、帝国の近衛騎士が精鋭とされる理由を理解した。


 近衛騎士はどんな女性の心も一瞬で解く技能がなければなれない。だとするなら自分のような人間は近衛騎士など絶対になれないなとベルナールは悟った。


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