41.祝祭への誘い
本物の帝国騎士が現れたことで学生たちを騒然とさせた決闘以降、学園内は噂話に花を咲かせていた。もちろん噂の主役は学生たちが普段は見ることのできない異国の上級騎士の凛々しい姿である。
だが同時にそんな帝国騎士に挑んでまで片思いの相手への想いを貫いた中等部3年Sクラスのアラン・マイヤール侯爵令息の存在もまた女子生徒たちの憧れとなっていた。
なにより大多数の貴族にとって侯爵家は雲の上の存在である。
竜王国に9つしかない侯爵家の嫡男が幼い頃から密かに想い続けたという恋のロマンスが女子生徒たちの心を奪い、毎夜のように女子生徒たちの間で素晴らしい恋物語のようにささやかれた。
そうしてゆっくりと季節は進み祝祭月である竜の月へ突入していく。
だがそんな噂の中心人物であるアラン・マイヤールは、この数日ずっと中等部の食堂で苦々しい顔を見せていた。
そんな彼の目の前では決闘を乗り越え恋を実らせた相手であるクレールがいて、頬を赤らめうっとりとした顔でフォークを手にしている。
そうして優雅な所作で差し出されたフォークにはケーキの欠片が乗せられ、可憐な砂糖菓子の口に運ばれていく。
「……本当に、これは愛らしいわ。アナベルお姉様がおっしゃった通りクセになる愛らしさね」
「可愛いっていうか鳥の餌付けみたいね」
楽しげにリリへケーキを食べさせるクレールの隣にはエミリーがいて、自分で自分のケーキを食べている。
そうしてクレールの両脇がリリとエミリーに埋められるせいで、アランはクレールに近づくこともできなかった。
「アニエス・ディラン。この状態はいつまで続くと思う。おれはいつまで耐えれば良いんだ?」
苛立ちのまま問いかけたアランのそばで決闘相手だったアニエスが苦笑をこぼす。この広い円形のテーブルにいるのは侯爵家の人間と留学生しかいない。
だから邪魔者が入る余地がないという意味では安心ではあるが、アランは自分とクレールの距離が不満らしい。
「アラン卿は長く片思いをこじらせておられた恋愛初心者なので目の前にいれば近付きたいと思うのでしょう。しかし淑女の楽しみをこのように見守るのも紳士の務めですよ」
「アニエス・ディランはいつから紳士になったんだ?」
「近衛騎士団に配属された瞬間ですね」
「なるほど…じゃあそれが正解か…」
決闘だけでなく男としての在り方すら負けた気がするアランはため息を吐き出した。
だがふと思い出したように同じテーブルの全員をぐるりと一瞥する。
「そう言えば父上から手紙をもらったんだが、クレールの王妃候補という立場が正式に除外となった。これにはオーブリー侯爵が率先して動いてくださり、デュフール侯爵もそれに続けられた」
アランのその報告にクレールの手にあったフォークの動きが止まった。青褐色のきらめく瞳を大きく開かせたクレールは頬を赤らめてアランを見る。
「わたし、王妃候補ではなくなったのね。でもどうして突然そんなことになったのかしら? もちろんこれは嬉しいことだけれど」
あの決闘騒ぎを前後して9つの侯爵家で様々なことが起きた。9人の侯爵が集まり話し合いの後に、まず「王妃候補」というものがなくなった。
そして同時に現オリヴェタン侯爵は爵位剥奪となり、その爵位は今も壮健であられる先代へ一時的に戻された。
それほどの改革も、侯爵が全員集まり話し合うということも長らくなかったことだ。
「父上の話によれば、王城の謁見の間に竜の至宝もかくやと言われる方が現れ侯爵たちの前で怒りを見せたらしい。おれの父はその方から直々にクレールのことを世話するよう命ぜられたと言っていた」
「竜の至宝って、つまり竜の雛よね? 謁見の間に立てる竜の雛ってなにかしら。そんな存在がいるなんて、わたしは聞いたことないけど」
アランの説明にエミリーが首を傾げた。だがすぐに目の前の皿にあるクッキーを手にして隣にいるマティアスへ差し出す。
「はい。泣き虫マティアスにも1個あげるわ。あんたチョコ大好きだったでしょ」
「ありがとう。でもそんなことよく覚えてたね」
「まあね。母親が怖いから、お茶会ではバカで無作法なフリをしてたけど、だいたいの会話は覚えてるわよ。泣き虫マティアスはお兄様にメロメロで、お兄様にいつもアーンって食べさせてもらってたでしょ。たしかそれを見たテオドール・ヴァセランが、可愛い妹君だなって間違えて言っちゃったのよね。テオドールも後で謝罪してたけど、まあそれは仕方ないなってわたしは思ってたわよ。ヴァセラン家の男連中は騎士の家系なのを言い訳にしてガサツだから。そんな連中からしたらお行儀良く座ってるのはみんな女の子認識なのよ。脳みそ筋肉だから」
マティアスの質問ひとつにエミリーはさらさらと情報を引き出してくる。
この中でもっとも年下のエミリーではあるが、幼い頃から恐ろしく記憶力の良い令嬢だったらしい。
「そんなに賢かったのに、無作法で愚かなフリをさせられてたんだね。僕もみんなもエミリーのことは令嬢として失格な子だと思ってたよ」
「そう思わせようとしてやっていたんだからそれで良いわよ。うちの両親のご注文は、無作法で手のかかるバカな娘なんだもの。姉にそれをさせたくないなら私がやるしかないじゃない? でもどうせ無作法な認識が今もあるなら、姉が高等部へ進むまでに寮の
部屋へ忍び込んで姉のいろいろな」
「エミリー嬢、駄目だよ」
それ以上は言ってはいけない。アニエスに注意されたエミリーはペロッと舌を出してごまかした。
そこでそれまで無言でケーキを食べていたリリが口を開く。
「そういえばエミリーは、自分が男であれば姉に様々なことをしていると言っていたわね。その様々なことって、つまりどういうことなのかしら? 姉と弟だからできることなの?」
「うーん、まぁ姉と妹でもできなくはないけどね。ただ女は子種を持ってないから、姉を」
「ちょっと待て!」
「待って待って!」
子種という具体的な言葉を出したエミリーをアランとマティアスが慌てて止めた。とたんにエミリーは邪魔者が多くてごめんねとリリに謝罪する。
「でも砂糖菓子様もそこが気になるってことは、興味があるってこと?」
「わたくしも1つ下の弟がいるの。繊細な性格の子だから周囲の人と馴染むのが苦手で、いつもわたしについて回るような子だったわ。でもそのままではいけないから、わたくしは弟と距離を取るという建前で冒険のためにこうして留学しているのだけど…姉として弟にもっとできることもあったかしら、とあなたたちを見ていて思うことはあるわ」
「砂糖菓子様みたいな可愛い姉がいたら、弟は大変な気がするね。外見で比べられたりしない?」
「あら? これでもわたくしよりも弟のほうがよっぽど可憐で愛らしい見た目をしているのよ? しかも弟は内気でおとなしいから、深窓の令嬢のように扱われているの」
「それは遊びがいのある弟ね。竜王国に来たらいろいろ悪い遊びを教えてあげたいわ。夜中に寝室で揚げ菓子を食べるとか」
「エミリー! それはあなたのために頑張ったわたくしのために提案すべき悪い遊びだわ!」
エミリーの提案に目を輝かせたリリはふわりと立ち上がると揚げ菓子を探すべく視線を走らせる。だが貴族の子女が使うこの食堂のスイーツは基本的に見た目のきれいなケーキ類が多かった。
「砂糖菓子様、次の週末は王都に行こうよ。今月はずっと祝祭をやってるからいろいろなところでお菓子が見つけられるわ」
「そんな宝探しのようなことが許されるの?」
「許されるよ。だってわたしたちはまだ子供なんだもの。高等部だと礼儀作法だの言われるけど、中等部なら食べ歩きとか余裕余裕。みんなやってるよ」
「食べ歩き…って、食事をしながら歩くのね?」
「そうだよ、砂糖菓子様。カップケーキを頬張りながら次の獲物というかスイーツを探し歩くんだよ」
「それは最高だわ! アニエス! 次の週末は王都へ行きましょう。わたくし食べ歩きという名の宝探しがしたいの」
「わかりました。お姫様がたが安全に楽しめるルートを調べておきますね」
リリの我がままも笑顔で聞きいれるアニエスはどう見ても美形騎士のそれだった。だがどうしてもその姿を真似できる気がしない上に心配が募るアランは椅子を引いてマティアスに近づく。
「エミリーと砂糖菓子と世間知らずなクレールが行くなんて心配しかない。護衛をするにも戦力が必要だな」
マティアスは戦力にならないだろうからもうひとり欲しい。素直に真剣に誰か頼める相手はいないかと問いかけるアランにマティアスは首を傾げて苦笑をこぼした。
「戦力と言われると、先程のエミリーじゃないけどヴァセラン家の方々しか思い浮かばないです。三男のクロード君がパレドリア留学からこっちに戻ったらしいので声をかけてみましょうか?」
「クロードか…。あの脳筋ならクレールに近づこうなんてしないから安心かな。でもなんでもう留学から戻ってきたんだ? 3年くらい向こうで鍛えるって話だったはずだろう?」
「それは……あれです。昨年度、中等部1年生なのに、騎士クラスの3年まで倒した短期留学生が現れたとかで」
姉から聞いた話ですけどと語るマティアスはどこか照れたように頬を染めている。その様子を眺めたアランは理解したようにうなずき、反対隣にいるアニエスへ視線を移した。
「ラピスラズリの発案者のために戻った男がいる。ヴァセラン家の三男でクロードという」
「その方でしたら面識を得ていますよ」
「おれより先にクロードと会っていたのか」
「ええまぁ、こちらにきてすぐ模擬戦の申し込みを受けましたので。時間の無駄と判断した私は即日全員に現実を教えて差し上げました。相手の力量も測れない未熟な方でも学びの機会は必要ですからね」
「おまえは優しそうな顔して攻撃的だよな」
アランの素直な感想にアニエスは自然と笑ってしまった。
「穏やかな人間が14で騎士なんてなれるわけがないじゃないですか。しかもこんな平和そうな学園で3年ものんびり基礎をやろうなんてふざけた方々に手加減してやる必要もないですから」
「うーん、まあそう言いたい気持ちはわかる。同世代同学年なのにアニエスとおれたちでは実力が違いすぎるからな。そしてその差というのはおまえとおれたちの努力の差でもある。女ながらそこまで強くなったおまえをおれは尊敬してるよ」
「ありがとうございます。ではそこまでの理解力を用いていただいて、足手まといを増やすような流れを止めていただけると助かります」
爽やか笑顔のアニエスから出た足手まといと言う言葉にアランは声を上げて笑ってしまった。
アニエスは、帝国騎士団に所属する近衛騎士としてリリを守ることを第一に考えている。だからそんなリリを大衆の目から隠すためにあえてラピスラズリごっこを引き継いだだけでなく、女性に優しい態度で話題をさらった。その上さらにアランとクレールの恋を守るためあえ決闘を言い出し、帝国騎士としての姿を晒してまた話題の中心にいる。
そんな守ることに徹した近衛騎士にとって騎士クラスの人間は足手まとい以外にないらしい。
「ではクロードを誘うのは無しだな。だがアニエスひとりで砂糖菓子とラピスラズリふたりを守るのは難しいんじゃないか?」
「私とアラン卿がいれば問題ないかと」
不意に信頼されているかのような事を言われたアランは虚を突かれる。だが理解した瞬間に喜びのまま笑ってしまった。
「決闘ではまったく相手にならなかったおれなのに頼ってくれるわけだな」
「大切なのは強さではなく気持ちですからね。自分のかなう相手ではないとわかっていてなお戦える人間は少ないものです」
「まぁあの時はクレールを奪われると思ってたからな。おまえが覚悟云々と言い出すまでは。でもそれを言われてなお引けなくなったのも事実だ。おまえ相手に屈してたら、クレールの両親に勝てるわけがないからな」
実際にはその時にはオリヴェタン侯爵夫妻は謁見の間に現れた砂糖菓子によって潰されていたのだが。
父親から謁見の間での出来事を伝えられているアランは感謝を胸に隠しながらアニエスの言葉に承諾で返した。
そうしてふとアランは決闘の後でベルナールに言われた言葉を思い出す。ベルナールもまた砂糖菓子に返しきれない恩があるらしい。だがそれがリリのそばで楽しげにしている気弱なマティアスのことなのか何なのかはわからない。
だがあのベルナール・ローランが恩をと言うのなら、こちらも侯爵家の者として恩返しの肩代わりくらいはしても良いと思っている。
となるとやはり祝祭で砂糖菓子に菓子を食わせるのが第一かと考えながら、アランはアニエスに祝祭で話題になるだろうスイーツの店など教え始めた。




