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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部2年
40/52

38.覚悟の示しかた

 グレイロード帝国騎士団には毎年1000を超える入団希望者が集まる。それは帝国騎士団が異国人にも広く門戸を開いているためだ。

 たとえ魔物に住む街を破壊され仕事がなくなっても。たとえ戦火に村を焼かれ食い扶持を失っても。グレイロード王都へたどり着き騎士団の採用試験にさえ受かれば仕事が得られる。

 グレイロード帝国は広くガイアイリス大陸の8割に及ぶ国土がある。そのため騎士団に加入した後、己の望んだ土地で治安を守る騎士や衛兵になることも可能だった。


 だが簡単になれるのは帝国騎士団の中でも最下層の話だ。王都内の治安維持を担当する第四部団に入るだけでも中等教育機関を抜ける必要がある。

 そしてその中等教育機関を卒業できるのは年に100人ほどしかいない。そんな選ばれた若者たちの中でも、さらに近衛騎士団へ配属できるのは年に1人と決まっていた。

 それはビタン王国時代から変わらず続く伝統で、その年の卒業生の中で最も優秀な唯一人に配属申請の許可が出る。


 そして父を近衛騎士団長に持つアニエスは、通常なら16歳で卒業する中等教育機関を14歳ながら首席卒業して近衛騎士団の扉を叩く権利を得た。

 もちろんアニエスの成績に親の影響は及ばない。親の七光りなどが通用するのは中等教育機関へ入るまでというのが世の常識である。なぜならビタン王国時代に、そのような厳しい伝統を作ったのはアニエスの父親自身なのだ。

 ビタン王国時代に次期国王と呼ばれた男が作ったルールを、帝国に変わったからと破れる者はいない。


 そしてそんな誰よりも厳しく強い、帝国最高騎士の背を誰よりも見て育ったのがアニエス・ディランという人物だった。






 その日の学園内は決闘騒ぎに沸いていた。昼に中等部の修練場で正式な決闘が行われるという噂は塀を超えた高等部にも届いている。

 しかもその噂は「女性を賭けて決闘が行われる」という物語に出るようなもので淑女たちの胸を躍らせる。


 だが中等部1年Sクラスにいたエミリー・オリヴェタンはその軽率そうな噂に興味はなかった。そんなことより姉がどうなったのかが心配でたまらない。

 あの砂糖菓子はエミリーの話を冷静に聞いてくれたし、なんなら同意もしてくれた。そして女子寮のイケメン騎士お姉様も優しく慰めてくれた。

 それらはとても嬉しかったしエミリー自身の救いにもなった。だが結局のところ姉が救われなければ意味はないし、あの臆病なアラン・マイヤールが動いてくれなければ何もならない。

 本心ではエミリー自身が姉を幸せにできたら良い。だがどれほど優秀だとしても貴族の娘にできることはあまりにも少ない。

 なにせ完璧な令嬢と知られるアドリエンヌ・オーブリーですら大人から押し付けられた王妃候補という立場を打ち砕けないでいる。そして絶世の美少女と讃えられるミリュエル・バルニエ伯爵令嬢ですら、最高の男を見つけて自由に青春を謳歌することはできない。

 世の中は甘くないし、貴族の女にできることはない。

 そしてなにより多くの物語にあるように、不幸な令嬢を救えるのは勇敢な男性から向けられる真実の愛だけだ。


「えっと、こんにちは。エミリー・オリヴェタン」


 不意に気弱そうな声に呼ばれたエミリーは教科書から視線を移した。そうして見上げた先にいたのは黒髪に目元を隠したローラン侯爵家の弱虫だ。


「ごきげんよう、泣き虫マティアスさま。わたしになにかご用?」

「うん、今すぐ修練場へ行ってほしくて。クレールさんがそこにいるから」

「は? なんで姉が??」

「説明は歩きながらでもいい? 始まってしまうといけないから」


 時間を気にしている様子のマティアスにエミリーは立ち上がり後を続くように歩き出す。


「泣き虫マティアスは砂糖菓子様と親しいの?」

「リリとは…うん、友達だよ」

「ふぅん、じゃあラピスラズリのことも知ってるんだ? なんか2年生にいるんだよね? 月夜の物語を生でやってるっていうイケメンふたり」

「うん、うーん…そのカッコいい人は夏に帰国してしまったけど、新しい人が来たね。君が今回の事案の解決を頼んだ相手なんだけど」


 教室を出たエミリーは足早に廊下を進んでいく。修練場は主に騎士クラスが使う場所で、校舎から外通路を抜けた西側にある。


「わたし、砂糖菓子様とイケメン騎士お姉様に質問されたから説明しただけよ。そしたら後は任せてって。というか、マティアスのお兄様が教えてくれたのよ。あの砂糖菓子様ならなんとかしてくれるって。だからわたしもほんの少しだけ希望あるかなって思ってる」

「兄上がそんなことを? というか、君は兄上にクレールさんのことを相談してたんだね」

「だってね。そりゃあね。9つの侯爵家の中で誰が一番頼れる男かっていうとローラン侯爵家の長男でしょ? マティアスのお兄様だったら姉を幸せにできるって思ったのよ」

「でも兄上はリリを頼るように言ったんだね?」

「姉の幸せは初恋の相手と結ばれることじゃないかって。姉がまだ知らない恋とか愛とか、アランが誰にも出さなかった恋心をベルナール・ローランは知ってたのよ。エグくない? 本気で頭が良い人って怖いわ。姉のことだって、わたしがいたから不幸だったことなんて無いって断言するのよ。あと5分くらい会話してたら惚れてたわ」

「わかるよ。わかる。僕の兄上はすごいよね。不意打ちカッコよくて本当に危険だよね」


 兄を褒められたからか嬉々として語り出すマティアスにエミリーは笑ってしまう。


「あんたのそのお兄様溺愛病は最悪レベルって思ってたけど、今は理解できるわよ。あんなのが兄として存在したら普通じゃいられないわよね。わたしの姉も同じくらいエグいんだけど。むしろわたしが男として生まれてたら月夜の物語ばりに姉のナカヘ愛を注ぎ込んでたわ」

「エミリーのその発言は淑女として駄目だよ。人前でやらないようにね。それと月夜の物語はそういうことしてないよ。会話してるだけだよ」

「あれって会話してるってテイでやってる本でしょ? わたしはそう読み取ったけど? そうじゃなければなんで昼に会話しないの?って」

「そもそもあれは12歳の君が読んで良い本でもないけど…そんなに読み込んでるんだね」

「流行ってるからって母親が買ったんだけど、文字が多すぎるって放置してたのよ。おかしくない? 物語なんだから文字が多くて当たり前なのにね」


 むしろ子女向けの物語すら読めない母親の頭脳がどうかしている。そんな母親批判をさらりと出しながら外通路を抜けたエミリーは修練場に飛び込んだ。




 中等部の西側に建っている修練場は、同時に2カ所で模擬戦ができるほどの広さがある。建物そのものは学園所有の魔法武具により結界が張られているため魔法を使っての模擬戦も可能だ。

 水の月も終わろうとするその日の昼休憩に、広い修練場は見物したい生徒たちで埋め尽くされていた。

 2階観客席まで埋まった見物客の中には高等部の生徒もいる。

 そんな観客席たちが見守る先で、修練場の中央にマイヤール侯爵家の嫡男であるアランが立っている。

 侯爵家の跡取りは黄金の髪を持つ美形で学力もSクラスと優秀な上に剣術試験でも首位を取っている。

 そんなアランは第二のベルナール・ローランと呼ばれていた。

 竜王国において爵位と、それに守られた血脈は重要だ。長い歴史の中で強く優秀な血を取り込んできたその血脈だからこそ持ち得る優秀さはある。

 だからこそ竜王国に生まれ育った生徒たちはアラン・マイヤールの素質と成績を疑わない。本格的に訓練を行う騎士クラスをも上回るその実力も侯爵家の人間だからこそと信じている。


 だがその信頼は現れた対戦相手の姿を見た瞬間に揺れ動いた。女子生徒たちが思わずと黄色い歓声をあげた先にいたのは詰め襟で首まで隠した黒の騎士団服。

 黒の騎士団服は世界広しと言えどグレイロード帝国騎士団にしかない。どれほどの返り血を浴びようと身にまとう黒を染める変えることはできない。そんな言葉を体現した黒の騎士団服を竜王国の若者たちが目にする機会などほとんどない。

 しかもその背に鮮やかな緋色のマントをまとうことが許されるほどの騎士となればなおのことだ。


 今年の夏に現れた留学生は誰にでも紳士的で優しい騎士のような美形だった。だがそんな人が本物の騎士だったとなれば話も変わる。

 カッコいいとつぶやく声に誘われるように黄色い声やざわめきが広がる。


 そんな中でアラン・マイヤールの前に立った帝国騎士は胸に手を当てて口を開いた。


「まず、今回発覚したオリヴェタン侯爵による息女2名への虐待事案へ関与する自分の行動ことが内政干渉の意図のないものだと承知いただきたい。そしてアラン・マイヤール殿。あなたには今ここで覚悟を見せてもらわなければならない」


 よく通るハスキーボイスで宣言される騎士のその言葉に観客だけでなくアラン自身も怪訝な顔を見せる。

 この決闘はただクレールを取り合う2人の男による戦いであったはずだ。


「覚悟とはなんだ?」

「クレール嬢を幸せにする覚悟です。親に虐げられ愛を知らないクレール嬢は幼い頃に灯った恋の色を自覚できないまま生きてこられました。だからあなたはその親に代わり、深い愛をもっていまだ蕾のまま咲くことを知らないクレール嬢を目覚めさせなければならない。どれほどの労力と時間を必要としたとしても、です」

「そんなものは問題ならない! おれは7歳の時からずっとクレールのことが好きだったんだ! 貴様に覚悟など試される必要もなければ、こんな茶番だって必要ない」

「ははは、おかしなことをおっしゃる。私が動かなければ舞台にあがることもしない臆病者だからこうなったのでしょう。愚かな親に命じられBクラスに身を落とし、髪の色まで変えられた。その理由すらあなたは知らなかった。それはあなたが臆病だったからです。そして私がこうして騎士として事案解決に動いたのはあなたに頼まれたからではありません」


 凛然と立つ帝国騎士はそう言い放つと周囲を囲む観客たちの一角を見た。


 騎士の優しい黒い瞳が、マティアスに連れられ観客たちをかき分け最前列に立ったエミリーを見つける。その瞬間にエミリーはすべてを理解した。

 アランが言うこの茶番はすべてエミリーのために行われているのだと。


「端整な顔立ちの可憐な少女は小鳥のように軽やかに言葉を紡いでくれる。そんな愛らしい令嬢なのに、髪の色が己と違うというだけで醜いと捨て置かれる。両親から醜いと蔑まれた幼い少女は、普通であればその儚い心を壊していたでしょう。ですが彼女は今こうして姉を救うためにわざと悪役として立っている。なぜなら、幼い頃から彼女の心を守ってくれた唯一の存在が姉だったからです。その愛はアラン卿の比ではない。だからあなたは彼女に知らしめ認めてもらわなければならない。そのすべてを投げ出してまでこの国のルールを破り、姉を王妃候補という縛りから解き放とうとした彼女に。そして臆病な姉の初恋相手を奮い立たせたいとこぼした彼女の涙に」


 騎士の言葉を受けて、既に観客の中に泣き始める生徒もいる。姉の幸せのために悪役となった妹の深い愛。そして姉の幸せのため初恋の相手を動かしたいという一途な思い。それは年頃の女子生徒たちの涙を誘うには十分な物語だろう。


「さて、皆様にご理解いただけたところで決闘に移りましょうか。この姿の通り、私は帝国騎士団所属の近衛騎士。そして近衛騎士は相手が弱者でも手を抜かないのが掟ですので、アラン卿が相手でも手加減はしませんが」

「上等だ。覚悟を見せろという口で手加減されたらおれが困る」

「わかりました。では死なないでくださいね」


 決闘が始まる直前でも笑顔の近衛騎士は緩やかな表情のまま腰の剣を抜く。





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