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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
中等部2年
39/74

37.愛を知らない令嬢が見せる恋の色

 グレイロード帝国では水の月は雨の多い時期で、そこから嵐の多い竜の月へ向かう。

 そこから海を隔てた南に位置する竜王国も同じように水の月は雨の多い季節ではあるが、その先に続く竜の月は荒れ狂う竜のような嵐を揶揄した月ではない。


 竜王国にとって竜の月は、この地を守るため天から青い鱗の竜が飛来した祝の月である。そのため竜王国王都では1ヶ月にわたって祭りが開かれ、竜王国民だけでなく周辺国から観光客も集まる。

 そして竜王国の王立学園に在籍する若者にとって、竜の月は恋人との仲を深める時でもあるという。


 そんな竜の月を10日後に控えた水の月半ば、王立学園中等部3年Bクラスに噂の美形留学生が現れた。

 教室内は当然のように騒然として、教室の入り口でも彼を追ってきた女子生徒が騒ぐ。

 そんなにぎやかな教室の片隅で読書をしていたクレール・オリヴェタンは優しい声に名を呼ばれて視線を上げた。


「はい」

「はじめまして、自分は2年Sクラスのアニエス・ディランと言います」

「はい。えっと…何かご用でしょうか」


 3年生になってからクレールは知り合いのいない世界に飛び込んでしまった。元々勉強しか興味のなかったクレールは社交性が低く友人が少ない。

 2年間を共にしたSクラスの人たちとは会話も合うし国際情勢や歴史について会話することもあったが、今はその相手もいない。かといって今さらSクラスの人たちの元へ行く勇気もない。

 そうして誰とも会話をしなくなったクレールは、アニエス・ディランという留学生の存在を知らなかった。

 そして今もクレールは目の前の下級生を見上げたまま、物語に出てきそうな人だなと思う程度だった。


「クレール嬢、私に恋を教えてくれませんか」


 深い闇のような落ち着く色の瞳は優しげで、さらりと揺れる髪も繊細そうだ。そんな美形の告白を、クレールはすぐに理解することができなかった。

 なにせ今のクレールの外見は両親が言うところの醜い女なのだ。


「えっ…と?  わたし、と? 」

「はい。知の淑女と言われるあなたから恋を教えていただきたいのです」

「恋、を、教える」


 今まで勉強を教えて欲しいとは言われてきたが、恋を教えて欲しいと言われたことがない。むしろ恋や愛というものを口にしたこともないし、それ以前にクレールは今まで生きてきて愛というものを感じたことがなかった。

 両親が娘へ向けるものは評価だけだ。クレールの外見が他人からどう評価されるか。それだけを重視していて、それ以外に価値を見いだすことをしない。

 そして夏季休暇中に醜い色となったクレールは、そんな両親から今までが恵まれ過ぎていたのだとしか言わない。

 持つべきは外見だけで良かったのに、中途半端に賢いから王城に目をつけられて余計な評価もされるようになったのだと。

 だが愚かで手のかかるエミリーは、いまや両親と同じ色を手にした何より愛すべき娘だと。

 夏季休暇での出来事はクレールの中にあった信頼というものを跡形もなく粉砕するには十分な仕打ちだった。

 だから今もクラスの誰のことも信じられず友人すら作れない。


 そう考えたクレールは断ろうと思ったところで、己だけが座っている無作法に気づいて慌てて立ち上がる。

 そこで流れるような仕草で手をすくい上げられ思考が停止した。

 あげく整った顔立ちのアニエスから指先を口付けられ、請われるような目を向けられる。


「ほんのひとときで構いません。この学園に来て間もない私にとって、あなたは私が知る最高の知性。そんなあなたの瞳が映し出す恋の色を見せていただけませんか」

「は…い」


 こんな物語のような告白がこの世に存在するのか。その一点で感動してしまったクレールは赤らんだ顔で承諾した。


 それ以降のクレールは早朝に寮から校舎までを共に歩き、昼休憩も共に過ごした。そうして授業後の夕方は空が暗くなるまで留学生だというアニエスに竜王国の歴史などを教えながら語り合う。

 だがこの異国の留学生は、クレールの説明などいらないほどに博識だった。竜王国だけでなく周辺国に詳しく、世界地図を開かせば遠く離れた大陸の話までできる。

 そのためいつの間にかクレールは、そんなアニエスと会話することが何よりも楽しくなっていた。


 だがそうして楽しい時を過ごす中で、クレールはたまに子供の頃のことを思い出すようになる。幼い頃にもクレールはこうやって誰かへ自分の知る知識をひけらかしていたように思う。

 幼い自分は今ほど多くを知っているわけではなかった。そして相手もそれなりに聡明だったはずだ。だというのに彼は今のアニエスのように、嬉しそうに話を聞いてくれていた。

 その相手は今この庭園に舞い落ちる木の葉のような温かな金色の髪をしていたはずだ。


「クレール嬢はたまに憂えの瞳を見せますね」


 思い出せないもどかしさのあまり記憶を探っていたクレールは不意の問いかけに視線を上げた。すると見上げた先に優しい漆黒の瞳がある。

 長いまつげに縁取られた瞳は大きな二重で目力がありそうなのに、その瞳を細めて微笑むだけで甘い雰囲気を見せる。そんなアニエスの瞳に魅入られると、それだけでクレールは物語の主人公になれた気がして幸福に包まれる。


「アニエス・ディラン!!!!」


 そんなクレールの溶けかけた理性へ冷水を浴びせるように中庭へ怒声が飛んだ。

 とたんにアニエスはクレールの頬を優しく撫ぜて大丈夫だよとささやきその背に隠してくれる。


「これはどういう事だ!  おれはこんなことのために君たちへ相談したわけじゃない!」

「あなたの相談は確認して欲しいということだったはずですが」

「確かにそうだ。おれはクレールがBクラスになった理由がわからなかった。クレールが色を変える理由もわからない。妹のエミリーがクレールに成り代わるように金髪になった意味も分からない。だがそれはクレールの身に何があったか知りたかったからだ!  貴様にクレールを奪われるためじゃない!」

「相談するだけで何もしなかった貴殿が、問題解決のために動いた私に、クレール嬢を奪われた。ただそれだけの話ですね」

「それは……」


 クレールを背にして告げるアニエスの声は硬い。ただまるで騎士のようなその口調が一層にクレールの心をざわつかせた。それは本当に物語に語られるような会話だったためだ。

 だがそこでふと疑念を手にしたクレールは、アニエスの制服の袖をつかみながら横に位置をずらした。

 そうして前方を見れば、そこにいたのは昨年まで同じクラスだったアラン・マイヤールだった。


「アランは何をしているの?」


 真っ青な顔のアランに問いかけると彼は痛々しそうな表情で口を引き結ぶ。

 そこでアニエスが彼に代わって教えてくれた。


「私があなたを知るきっかけとなったのはアラン卿なんですよ。学年一の才女であるあなたがなぜBクラスになっているのかと、彼はマティアス・ローラン殿の元へ相談に来られたんです」

「そうだったの…。確かに中等部でわたしを知っているのはローラン侯爵家の方々と、あとは騎士クラスにいるヴァセラン家のクロード君だけだから」

「アラン卿はずっとあなたのことを思っていたんですよ」


 説明のついでのように告げられた不意の告白にクレールは驚き目を見張った。だが誰よりも誠実なアニエスが嘘を言うわけがない。


「アランが…?」

「理由をつけてはあなたに花を贈り、誕生日にはバラの花束も贈っていたと。けれど彼の失態は直接あなたに渡さなかったことでしょうね。おかげでそれ贈り物はすべて棄損されてしまった」

「ええっ」

「待て待てそんなバカなアニエス・ディラン!  おまえどういうことだ!」


 驚くクレールとともにアランも慌ててアニエスの元へ駆け寄ってくる。


「おれの花がクレールに届いていなかったなんてそんなこと」

「花だけ贈りつけて想いも告げない臆病者など認めない。そんな理由で、クレール嬢を愛している方が捨ててました」

「クレールには他に男がいたと?」

「この世で誰よりもクレール嬢を愛していて、だからこそクレール嬢を幸せにしたいと思っている方です。だけどそんな大切なクレール嬢を、何があっただのと問いかけるだけで何もしない臆病者殿にみすみす渡すわけがないですよね」

「おれが君たちに頼るだけで何もしなかったことは認める。謝罪もする。だがおれは」

「アラン・マイヤール殿。明日の昼、私と正式な決闘をしましょう」

「は?」


 アランの告白を遮るようにアニエスは決闘をと言い出した。その当然の提案にクレールも驚いてしまう。


「決闘なんて駄目よ!  アランは昨年の学年末試験の剣術試験で1位だったのよ。学力も剣術も優秀なマイヤール侯爵家の子息なの」

「だとしても私が勝ちますよ。そして私は愛する方を弱者に譲るほど愚かではない。アラン卿は、私に勝つ自身がありますか?」


 3年生になってから友人がいない生活を送っていたクレールは何も知らない。だがアランはアニエスがこの学園に現れて何をしたのか知っていた。

 この留学生は学園に来て早々に騎士クラスから模擬戦を申し込まれ返り討ちにしているのだ。


「わかった…」


 勝てる可能性はない。だがアランはもうアニエスの言葉の意味を理解できるようになっていた。アニエスは初対面の時からずっとアランに真実を教えようとしてくれていたのだ。

 そして今は臆病者にクレールは渡せないとの言葉で教えてくれている。今まで同様に遠回しに何かをしてもクレールには伝わらない。だからクレールは何があってもこちらに相談も何も向けてくれなかった。

 そんな彼女を手に入れるためには、勝てないと承知でも戦わなければいけないのだ。





 決闘の約束をしてアランが立ち去ると、クレールは抱いた不安のままアニエスを見上げた。


「アランは剣術試験で一番なの。つまり3年生で一番強いということよ。年下のあなたが向かってもケガをしてしまうだけなのに、どうして決闘なんて言ってしまうの?」

「申し訳ありません。クレール嬢にこんな物騒な話を聞かせてしまったことはお詫びします」

「そんなことは良いのよ。ただそんなことをしなくてもと…」

「決闘などしなくても、私を選んでくれますか?」


 アニエスの問いかけに同意しようとしたクレールのその言葉が喉で詰まって出てこなかった。

 子供の頃に自分の話を笑顔で聞いてくれた金色の髪。庭園を染める落ち葉のような温かな黄金の持ち主は今までここにいたアランそのものだ。


 そうして答えられないでいるクレールの目の前で、不意にアニエスが目を細めて微笑む。


「私はあなたに恋を教えて欲しいとお願いしました。だから教えてください。あなたが共に未来を歩みたいと思う相手のことを」

「でも、わたしは王妃候補なの……。未来は」

「その点も大丈夫ですよ。あなたを誰よりも大切に想う方が流した涙を、私の姫が受け止めました。今頃は王城であなたを縛るものを引き千切ってくださってますよ」


 大丈夫と告げる優しい声に涙が滲む。そんなクレールの頬をアニエスの指が滑るように撫でた。


「クレール・オリヴェタン嬢。あなたの瞳に宿る恋の色は何色ですか?」




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