35.高等部のお姉様と近衛騎士
新年度が開始して1ヶ月が過ぎたの水の月。秋が深まり木々が鮮やかな色合いに染まりながらも葉を落とす高等部の広い庭園を誰よりも小柄な少女が緩やかな足取りで歩く。
秋の色合いにも似た琥珀の細い髪は流れる風にふわりと揺れ、その大きく甘い瞳は周囲から向けられる挨拶へ返すように微笑み細められる。
そんな中等部で有名な砂糖菓子のエスコートをしているのは、高等部の誰も知らない美形だった。昨年度ラピスラズリとして騒がせたローラン侯爵子息と並んでもなんら劣るところが見当たらない。むしろ前髪で目元を隠したラピスラズリよりもずっと爽やかで優しげな紳士然としている。
「失礼、ご令嬢。1年Aクラスへ行くにはどのような道を進めば良いのでしょうか」
そんな爽やかな美形に問われた高等部の令嬢たちは黄色い声を上げながら喜んで道案内を申し出た。
そうして周囲で黄色い声をあげさせながら進む砂糖菓子は緩やかな笑顔のまま口を開く。
「アニエスのそれは国境がないのね」
「それは当然な話だよ。鳥が気候に合わせて住む土地を変えるように、可愛い小鳥はどんな国にもいるよ」
「そしてあなたはどんな土地の娘も一瞬で虜にしてしまうの」
「私は近衛騎士だからね」
砂糖菓子の可愛い文句に笑顔で返した美形のアニエスは語尾と共に、砂糖菓子の向こうを歩くマティアスを見た。
「とはいえ世にどれほどの小鳥がいても、私の最愛はラピスラズリただひとりだよ」
美形が笑顔でマティアス・ローラン侯爵子息に愛を向ける。その出来事は絶叫にも似た悲鳴をともなって高等部校舎を駆け巡った。
竜王国において月夜の物語という作品は年齢制限がされていて、読めるのは15歳以上とされている。そのため高等部では普通に月夜の物語が読まれていて、当然のように中等部で昨年繰り広げられた疑似月夜の物語騒動も把握している。
帝国から来た短期留学生がローラン侯爵家の次男をラピスラズリのように扱い深い仲になっていたと。
だが高等部の生徒たちは月夜の物語を読んでいるからこそ知っていた。ラピスラズリは複数の男性から夜ごと愛を囁かれる恋物語である。昨年度の留学生ひとりで終わるようではラピスラズリにはならないと。
そんな学生たちにとって2人目の登場人物であるらしい紳士然とした美形は最高の目の保養になっていた。
かくして学内を騒がせながら高等部Aクラスにやってきたリリは5人のお姉様がたと無事の再会を果たした。
だが5人の令嬢たちの視線はリリよりも、彼女をエスコートする美形に向けられている。
そしてアドリエンヌ・オーブリーが厳しい目でマティアスに問いかけた。
「私たちの砂糖菓子を平然とエスコートしてきた彼はどこのどなたなの? 廊下が騒がしかった彼のせい?」
「えっと⋯」
性別からどう説明したら良いのかわからないマティアスに代わり、アニエス自身が前に進み出た。そうして慣れた様子でアドリエンヌの手をすくい上げて口付けるフリをする。
そうして長いまつげに彩られた黒い瞳がまっすぐに見ればさすがのアドリエンヌも頬を赤らめた。
「お初にお目にかかります、自分はグレイロード帝国より参りましたアニエス・ディランと申します。アドリエンヌ・オーブリー嬢とお会いできて光栄です」
「グレイロードから来た留学生が、なぜ私のことを知っているの?」
「オーブリー嬢にお願いすれば高等部食堂の厚切りステーキも食べられる、と手紙に書いた幼馴染みがいるので」
アドリエンヌ以外と親友たち以外の誰も知らない高等部食堂の話を出されては警戒心も消える。そうして情報源を察したアドリエンヌのそばで親友たちも笑った。
「あなたはディートハルト・ソフィードから頼まれてこちらに来たのね」
「ええまぁ、頼まれたと言えば頼まれました。ブリジット・ローラン嬢の前で言うのもなんですが、私のラピスラズリを父君が傷つける場合は潰す前提で」
「ディートハルトにも言ったけど、相手は侯爵なのだから子供である私たちにできることはないわよ。権力も何もかも、持っているものが違うもの」
「それは、権威主義者がビタン王国時代から続くディラン公爵家に太刀打ちできるかどうかという話にもなりそうですね」
「あなた」
アニエスが家名を出したとたんにアドリエンヌはすべてを理解したように目を見張った。その背後で金髪の美少女が黒髪の少女にディラン公爵家について問いかけている。
「ビタンの次期国王。ビタンの双璧。ビタン最強騎士。グレイロード帝国最高の騎士。現近衛騎士団長である父を語る異名は様々です。そして母はロイトヒュウズ陛下の姉であるシェーナ・カルコス・グレイロード。その長子である私が高等部でも知らしめる形でラピスラズリに寵愛を向けている。この状況で私に立ち向かってまで私のラピスラズリを傷つけようと思う猛者なら良いですよね。私は両親に似て立ちはだかる相手は弱者でも叩き潰したいタイプなので」
「ディートハルト・ソフィードは恐ろしい人を助っ人に頼んだのね」
「恐ろしいのか、はたまた私が一番安全だからかはわからないところですよ。私ならラピスラズリへ寵愛を向けたとしても表向きは問題になりませんし」
「婿入り先を探している侯爵家の次男である彼の将来が心配になるところだけれど」
「その場合は私のところに婿入りしたら良いだけですが、そんな事を言うと背後にいる姫が怒りそうですね」
不意に両手をひらひらと上げたアニエスは苦笑いとともに背後を振り向く。そうして身体の向きを変えたアニエスの背後に立っていたリリは私憤に頬を膨らませていた。
「わたくしの子犬を奪うというのならアニエスとも戦わなければならなくなるわ」
「ごめんね、そうだよね。麗しい君を守るためとはいえ、そこまで私が肩代わりしてはいけない。だけどね? 君の事を思うなら、ラピスラズリの父君にそのような誤解を与えることも必要になるよ」
「その時はわたくしが物理的に潰すから良いのよ。それよりもアニエスは、わたくしがお姉様に抱きつくことを許してちょうだい。コルセットははずさせないから」
「そうだね。最後の部分は口にすることも憚られることだと君も学んでくれると嬉しいよ。そして人前で淑女に抱き着くのも無作法だよ」
「アニエス! わたくしはお姉様が足りないのよ!」
可憐な砂糖菓子が大きな声でおかしなことを言い放つ。だが高等部1年Aクラスの生徒たちにとって、この砂糖菓子のヘンテコな言動は昨年何度も見てきたものだった。そのため慣れた様子で微笑ましく眺めたり、中にはそろそろ抱擁させてあげなよと声を上げるものもいる。
そしてその声につられるようにリリはアドリエンヌへ勢いよく飛びつくようにして抱きしめた。そして硬いコルセットに包まれたその身に顔をぶつけた砂糖菓子は涙目で鼻に手を当てて叫んだ。
「コルセットを滅ぼしたい!」
可憐で可愛らしい砂糖菓子がいつものようにコルセットへの怨嗟を口にしたところで、マティアスはここに来た理由を姉たちに説明した。
いまだリリはアドリエンヌに抱きついたまま、ミリュエルから鼻が赤くなっているわと楽しげに触れられている。しかしそんな令嬢たちの戯れに近づこうとする不届きな男子生徒はいない。
彼女らの安全を確認した後にアニエスはアラン・マイヤール侯爵令息から相談された内容を語るマティアスを眺めた。
そしてマティアスから話を受けたブリジット・ローランとアナベル・デュフールは困惑した顔を見せている。
「クレールがBクラスに落ちるなんてあり得ないわ。けれど学園側に問題がないのなら、あとは本人が学年末試験でわざと落とした以外の理由がなくなるわね」
「そうね。素直な彼女なら、親から命じられてクラスを下げることもするかもしれないわ」
本当に素直で良い子だから、と令嬢ふたりが語る。だとするならおおよそクラス編成を前にして本人がわざと成績を落としたのは確かなのだろう。
「でも姉上、それではエミリー・オリヴェタンが優秀だという噂が片付かないですよね? 僕もアランさんも、彼女が知識も足りず礼儀作法も未熟な令嬢だと知っています」
「でも年の近い姉妹なら過去に出た問題を渡して対策をするくらいは可能なのよ。私と兄は寮が違うからできないけれど、姉と妹が同時期に寮にいたら過去の答案を見せられてしまうの」
「え? それって不正ですよね?」
「知られなければ不正ではないと考える者もいるのよ。だってそれも人脈のひとつだもの。貴族には必要な素養だわ」
「うーん…僕ならそんな不正は嫌だけどなぁ」
どれほどつらくても実力で手にする順位や評価だから価値があるのではないだろうか。そう考えるマティアスは腕を組みながら首をかしげる。
その様子を眺めながらアニエスはやはり本人に聞かなければわからないものだと考えた。
事件捜査において最も重要となるのは当事者の証言だ。被害者も加害者もそれぞれの言い分があり正義がある。
それらを聞くこともなく先入観でどちらかを悪と決めつけるのは騎士としてやってはいけないことだと、アニエスは父たちから教えられていた。
「ところでアニエス君はディートハルト君からどんな話を聞いているの? わたしたちの愛する砂糖菓子を守って、可愛いマティアス君も守ってっていうのはわかるのよ。でもそれはディートハルト君が戻るまでの代理なのかしら?」
思案していたアニエスは、金髪の美しいミリュエル・バルニエから問いかけを向けられた。とたんにアニエスはその笑顔を美少女へ向ける。
「グレイロード帝国騎士になるためには中等教育機関は避けられません。そしてディートハルトの場合は、ただそこを卒業して騎士昇格しただけでは済まない。きっと2年でどうにかなる話ではないでしょうから、リリが高等部へ進むまでに戻ることもできません」
「そうなるとわたしたちとの再会も難しいのね。せめて高等部卒業レセプションまでに戻れたら、大きくなったディートハルト君と踊りたいと思ってたの」
「その卒業レセプションのダンスは記念や思い出作りとして重要ですか?」
「そうねぇ」
帝国には入学や卒業に重きを置いていない。中等教育機関とて卒業したら次は騎士としての生活へと意識が向くので通過点という認識でしかないかもしれない。むしろ卒業より昇格試験のほうが人生の節目としての役割が大きいだろう。
そんなアニエスに対してミリュエルはその美麗に楽しげな表情を乗せた。
「クレールちゃんで思い出したのだけど、今のオリヴェタン侯爵はこの学園で真実の愛を見つけた伝説の人なのよ。そして侯爵は卒業レセプションで派手に求婚したの。それ以降、この学園では卒業レセプションで求婚したり愛の告白をすると幸せになれると信じられているの」
「それはとても軽やかで情緒に満ちた物語ですね」
「アニエス君は砂糖菓子と違って遠回しに批判するタイプよね。でもわたしもその気持ちは分かるわ。わたしたち竜王国貴族は政略のため血筋のため魔力の強い相手を求めるものだし、そのための縛りもあるわ。そんな家の都合で結ばれるふたりの間に必要なのは軽率さでも皆の門出を破壊する自己中心的なイベントでもないものね」
「私は大輪の花に鋭いトゲを隠した方が好きなので、その意見には同意します。ですが、そうであるならディートハルトとのダンスは求めるはずもないので、何か理由があるんですね」
「彼ってその軽率さを破壊する魅力があるのよね。年下の男の子だし、アドリエンヌにお肉を求める程度に色より食べ物なお子様ではあるけど。でもアドリエンヌから聞いた彼は、本気を出せば誰よりも賢くて地に足がついているでしょ? だから政略で愛のない結婚をするしかないわたしも、思い出作りとして踊るならあの子が良いなって思うの」
「そうですね。では遠回しに2年後の卒業レセプションには来るよう手紙で伝えておきます。そして私がもし男だったなら今ここであなたという花に婚約を求めていたのにと、思う不躾をお許しください」
「ふふっ、やっぱりあなた女の子なのね。でもわたしへの想いは性別問わず募集しているからいつでも求めてくれて良いのよ」
そういうのはもう慣れているからと笑ったミリュエルはそばにいるリリの頭を撫ぜる。
「明るくない未来に縛られているから、今はこうして可愛い砂糖菓子を愛でていたいし、あなたのような素敵な女の子に愛をささやかれるのも悪くないし、ラピスラズリを眺めて楽しんでいたいのよね」
「ミリュエル嬢が夢を見たいとおっしゃるならいくらでも叶えましょう。でもそのうちに欲が出た私が、あなたを帝国に攫いたいと言い出したらどうしますか?」
「その時は喜んで攫われるわ。でもその時はわたしたち5人一緒にお願いね? それに優しくて強くてわたしたちを必ず幸せにしてくれる殿方も欲しいわ」
「それくらいなら帝国騎士団にいくらでもいますよ。我が国は土地柄か大柄な人間が多いので、女だとしても私のように長身になります。なので竜王国のご令嬢たちのような可愛い小鳥たちは一層大切にされます。私が見ても可愛らしいあなたがたを愛さない帝国騎士はおりません」
「それは楽しみだわ。ではわたしが無事に婚約者など定められず独りで卒業できた時は、どうか海の向こうへ攫ってちょうだいね?」
竜王国で最も美しいと称されるミリュエル・バルニエ伯爵令嬢のその誘いに、アニエスは承諾するように胸に手を当てて頭を下げた。
そうして内心では、令息たちから最高の美少女と讃えられる彼女の現状を憂えた。
きっとリリが彼女らにされるがまま甘えさせられているのは、その不自由を己と重ねたからだろう。そしてディートハルトがリリの周囲にいる全員を帝国に迎えたいと手紙に書いたのもこれを知ったからだ。
だとするなら今の自分に何ができるだろうか。そう考えたアニエスは、寮に帰り次第小鳥たちから話を聞くことを決めた。




