32.ラピスラズリの新章
2年生になると新たに芸術クラスが増え、騎士クラスや魔術クラスの定員人数も増やされる。
それに伴い普通クラスの編成も変わり、昨年は2つあったAクラスとBクラスがそれぞれひとつずつになった。
1年生は上位であるSクラスとAクラスの人数を多くすることで競争を緩める配慮がされていた。竜王国の多くの貴族は順位よりクラスを重視する。なので1年生でAクラスならひとまず安堵となるらしい。
だが2年生から本格的に学力での選別が始まる。Aクラスも1つにされて人数も減らされるので、学年順位50位以降は上位クラスにいられなくなるのだ。
さらに上位であるSクラスとAクラス、中位であるBクラスとCクラスまでは良いが、新たに出てくるDクラスは落ちこぼれ扱いをされる。
このDクラスは成績だけでなく学業への態度が悪くても落とされ、ここでも無理なら芸術クラスを勧められる。
つまり学業は無理だから黙って刺繍でもしていろと学園側から通告されてしまうのだ。そしてそのように学園から見捨てられた貴族の子供は、どれほど見た目が良くても良い縁談はやってこない。
良くても愛人か、あるいは後継者が決まった家の後妻程度だろう。なんにしてもその者の血が残されることはない。
「おはよう、リリ。同じクラスで良かった」
朝から安堵した顔のマティアスだが、前髪のせいでその目元は見えない。だが彼にとってSクラス残留は喜ばしいことだろうが、リリにとっては当然の結果だと思っている。
魔力量を抜きにしても彼の学力順位は5位前後を保っているのだ。
「久しぶりに見たからかしら。マティアスが可愛らしく見えるわ」
にぎやかな幼馴染みはもういない。これからは己ひとりでマティアスの自己肯定感とやらを上げてやらねばならないのか。そんなことを考えながら言葉を返したリリだが、担任教師がやってきたので面倒なことを考えることはやめた。
リリはマティアスとともに最後尾の席に座る。
昨年のSクラスも受け持っていた担任教師は、慣れた様子でおはようと教室にやってきた。ただその光景は、Sクラスの生徒たちにとって既視感のあるものだろう。
「おはよう。おまえたちに嬉しいお知らせだ。昨年に引き続き帝国から留学生がやってきた。入学試験は全科目満点と、去年も見たようなおまえたちのラスボスだな」
平然とした顔で、存分に戦ってくれと生徒たちを煽る。そんな教師に促され教室にやってきたのはクラス内ではもっとも長身だろう学生だった。
「グレイロード帝国より参りました。アニエス・ディランです。この中にはディートハルト・ソフィードを知る方も多いでしょうから言いますが、彼は私の幼馴染みです。そして私と彼は気の合う親友でもありましたので、これからも何かとお騒がせするかもしれません。その際は広い心で見守ってくださると嬉しいです」
スラリとした長身に爽やかな美形の優等生。そんな学生のことをSクラスの誰もが昨年度の短期留学生と重ねて見た。
しかも留学生は、自己紹介を終えるとリリたちがいる最後尾の席までやってくる。
あげく爽やかな笑顔のままマティアスのそばに立った。
「よろしくね、私の可愛いラピスラズリ」
「は…ええっ?」
マティアスの脳内にある彼の説明は、帝国騎士団の近衛騎士でリリも懐いている女性という部分だけだ。だがこの生徒は女であることをいまだ教室内で出さず、しかもラピスラズリごっこの続きをしようとしている。
あげく隣に座られたため、マティアスは赤らんだ顔で反対隣のリリを見た。
「どうしよう。きれいな方が」
「そうね。なぜアニエスがと思ったけれど、これはディーによる伏兵なのね。今年も楽しくなりそうだわ」
「楽しいの? え? これはいいの?」
「あらアニエスは近衛騎士として礼儀作法は各国向けで習得しているから安全で、なによりカッコいいのだもの。ヤンチャで強引な留学生の次は紳士的でカッコいい留学生に口説かれるなんて楽しいわ」
「ああ…確かに安全」
楽しげなリリのその言葉に納得しながらも、マティアスは隣にいるアニエスを見やった。するとアニエスの整った顔が微笑を乗せる。
「確かに安全だね。私は君の寮の部屋に現れることがないから」
「ああ、そっか。アニエスさんは女性だから女子寮なんだね」
「そうなんだ。女子寮という場所は初めてなんだけど、とてもにぎやかで楽しいよ。朝から晩まで可愛い鳥がさえずっているようで」
「それって」
女子寮がうるさいということでは。
そう言いかけたマティアスは口を閉ざした。男子寮も1階など共有区画は風呂や食事をする生徒たちで騒がしくなる。だがそれでも朝から晩までというわけではない。
しかも女子寮は男子寮と違って淑女であることを求められるだろうし、騒がしくすれば寮の管理側から叱責されるとは姉から聞いている。
だというのにと考えるマティアスの目の前で、美形騎士は笑顔のまま小さくうなずいてみせた。
「淑女としてはよろしくないだろうけど、可憐で無邪気な小鳥を黙らせる無粋を許す騎士はいない。私は近衛騎士だから楽しげな淑女を守ることはしても、憂えの顔をさせるようなことはできないよ」
「うるさいけど止めない、ということだね。近衛騎士って大変だ…」
「それ以前に騎士は寛容でなければならないものだけどね。だから自由を求めるリリの護衛にちょうどいい。だけどね? マティ」
語尾で唐突に愛称呼びをしてきた近衛騎士にマティアスは目を丸めて相手を見る。すると女性ながら鍛えられたその手が伸びて前髪を横に流された。
とたんに前髪というベールが消えてアニエスの整った顔が間近に見られる。
「騎士としての立場はある私だけど、この心をあなたに捧げることは許してほしい」
「えああああ…いやでもこれはそんな。きれいな女の人が」
「可愛い私のラピスラズリ。 君は男でなければ受け入れられないかな?」
「違います違います。男だからとかではなくきれいすぎていけない。僕は男なので」
「ディーのように乱暴に押し倒されたい?」
「いやいや違いますよそんなことはないです」
「それはよかった。私は可愛い君を乱暴には扱えない。ほんの少しの傷もつかぬよう、君の可憐な瞳から一雫の涙もこぼさぬよう尽くしたい」
「アニエスさん、ある意味で攻撃力が強いです」
「ふふ、わかるよ。私はディーに負けたことがないからね」
緩やかに笑ったアニエスはマティアスの前髪から手を離すと顔を近づけてきた。そうして誰にも聞こえぬよう耳元でささやく。
「私がディーから頼まれたのは、君とふたりでリリを周囲の視線から守ることだ。だけど大丈夫。君は今まで通り戸惑ってくれるだけでいい」
その真面目なささやきに反して、マティアスの鼻腔を甘い香りがくすぐる。その刺激に顔を真っ赤にさせているとアニエスの顔が離れた。
そのためマティアスは赤い顔のままうなずくことしかできなくなる。
そこで教壇にいる担任教師からラピスラズリごっこはそろそろ終われと茶化されたため、アニエスの視線がマティアスから離れた。
ただそうして少し落ち着いたマティアスは疑念を抱く。自分は今まで通り戸惑っているだけでいいとアニエスは言った。つまりマティアスはディートハルトから戦力として扱われてはいなかったようだ。それが少し悔しいマティアスは、自分も何か変わりたいと思い始めていた。
そしてそれら光景を隣で眺めていたリリはひとり笑みをこぼす。
ディートハルトはマティアスを甘やかすことしかできない人だ。だが1つ年上のアニエスは、良い意味で人を誘導して育てることができる。それは彼女が幼馴染みたちの中で最年長として生まれ育ったからこそ手にした特技だろう。そしてリリもディートハルトも、そんなアニエスに弱い。優しい姉のようなこの人を困らせたいと思わないし、励まされれば元気なれる。
そしてそんなアニエスならマティアスを育てられると、あの賢い幼馴染みは考えたのだろう。そしてそんな心遣いがリリは嬉しくてたまらなかった。




