30.帝国軍艦船
竜王国王都の北側には大陸の玄関口として利用される巨大な港がある。そこは貿易港としてだけでなく漁港としても使われ、さらにその片隅に竜王国騎士団の有する軍艦船が鎮座している。
その軍艦船は夏季休暇中などは子供たちが喜ぶ観光スポットとなっていた。
だがその日は青い帆が閉ざされた竜王国騎士団の軍艦船から少し離れた場所に、さらに巨大な軍艦船が入港していた。帆を下ろし入港した軍艦船はゆっくりと進み縄で繋がれ錨を下ろし停泊される。
竜王国騎士団の軍艦船は小型の竜が乗っても揺らがない大きさがあるが、その軍艦船も同様に竜が乗れそうな大きさを持つ。
それは長く竜王国で砂竜調査をしていた帝国騎士の迎えとしてやってきた船で、同時にディートハルトの帰国に使われる船でもあった。
見物客でにぎやかな港の一角で呆然と巨大な船を見上げていたマティアスは肩を叩かれて我に返る。
そうして振り向くとなぜか兄がいた。
「どうしてここに?」
「早朝にディートハルト君が寮へ来たからだよ。高等部の終了式が終わったら、おまえの魔法武具を持ってここへ来るようにと」
「ええっ、わざわざ兄上を使わなくても僕が持ってくるのに」
「父上のところから持ち出すのは難しいと考えたんだろう」
マティアスが父親を恐れ苦手としていることは兄も知っていただろう。だが改めて口にされたことがなかったためマティアスは驚いてしまった。
「兄上は、僕のことは興味がないと思ってた」
興味がないから知っていても放置していたのだろう。そう思うまま告げたマティアスのそばでディートハルトが笑った。
「弟に興味を持たないお兄様じゃないだろ。しかもその弟がこんな可愛さに満ちてたら」
「あのね、僕をそういう風に言うのはディーだけなんだよ。ラピスラズリごっこの延長なんだろうけど…」
「そうだな。マティアスが可愛いのはいま始まったことじゃないが、当たり前すぎてあえて言うことではないと思っていた」
男云々を抜きにして前髪で目を隠すような男を可愛いと思う人間はいない。そう思うまま告げたマティアスのそばで兄までおかしなことを言い出した。
それにも驚くマティアスが見上げた先で兄のベルナールがふわりと微笑んだ。
「おれはマティアスが生まれた時のことを今でも覚えてる。そしておまえはあの時も今もずっと可愛い弟だ」
「これは大変ね」
兄から向けられた思わぬ優しさと深い愛情にマティアスが涙ぐんだところでリリが平然と声を上げた。
「ディーのライバルは、まさかのお兄様なのね」
「ははは、バカだな。オレはお兄様のことも口説いてるんだからライバルじゃない。良い感じの三角関係。一夫多妻の入り口だ」
「それは不埒だわ。穢らわしさの極みね」
「英雄は色を好むとか言うじゃん。アレだよ。それにお兄様もめちゃくちゃ可愛い顔してるから問題ないよ」
「それは問題しかない」
ふざけるリリとディートハルトにベルナールが笑いながら告げた。
「おれは浮気者に弟をやるつもりはないぞ」
「えー、オレは真面目に真剣にお兄様も欲しいんだけどなぁ。まあ続きは船の中でしようよ」
言葉途中で騎士の接近に気付いたディートハルトはそちらに目を向け言い放った。そのためマティアスは驚きのまま目の前に悠然とたたずむ巨大な軍艦船を見上げる。
グレイロード帝国の軍艦船は、本国ではなく大陸南東のアルマート公国で建造されたらしい。アルマート公国には世界有数の貿易港を有していて巨大な造船所もあるので、それは理解できる。
そう語るベルナールの後ろをマティアスは沸き立つ気持ちを噛み締めながら歩く。
兄の後ろをついていくように階段を上がり、建物の2階部分だろう高さにある入り口から中へ入ったマティアスは床を見る。
船の外は金属製だったが、中は木製だった。あるいは金属の上に木材を敷き詰めているのだろうか。足元を気にするマティアスは、帝国騎士がやってきたことで視線をあげた。
「セレン、久しぶり」
黒い騎士団服と背にあるのは赤いマント。どの国でもマントを着けられるのは上級騎士だけなので、若そうに見える彼もそうなのだろう。
黒髪黒瞳と、色合いはよくある地味なものでマティアスと同じだ。なのに白くきめ細かい肌に整った顔立ちが映える。
だがそれより、そんな爽やかな顔立ちの美形騎士にリリが迷わず抱きつきにいくのが気になった。学園ではマティアスのエスコートは許しても、手以外は触れることも許さなかったのに。
「ディー…、彼は…?」
いまだ騎士に抱きついたまま離れないリリには問えない。だからとそばにいてくれるディートハルトに問いかける。
するとディートハルトはマティアスの頭を撫でてくれた。
「言いたいことはわかる。めちゃくちゃイケメンだろ。あれはオレが頼んで来てもらった護衛騎士だ」
「護衛…? 学園にいるリリにそんなものはいらないよ? それはディーだってわかるよね?」
「ああ、言いかたがアレだったか。中身が凶暴なリリから周りを守るための護衛騎士だよ。アニエスはオレの100倍はリリの扱いがうまいし、なにより見た目通り騎士だからな。むしろ14で近衛騎士ってエグい。オレもそうなれる気がしない」
「そんなことないよ。ディーは誰よりすごい」
なにせ魔力測定器を破壊するほどの魔力を持っているのだ。そんな強大な力を持つ騎士なんて他にいない。
そう褒めるマティアスに感極待ったらしいディートハルトが抱きしめてきた。
途端に件の近衛騎士アニエスが咳払いをする。
「ディー、君はいつから淑女の前でわいせつ行為をするような男になったのかな」
「待ってくれアニエス。竜王国だとこれくらいは問題ないんだよ。わいせつ行為じゃないよ。友情を深める的な」
「つまり親に報告して構わないと」
「うちの親は許してくれるけど、アニエスの父上は危険だな。3時間立ちっぱなし説教は怖い」
「では淑女の前で不躾な行為は辞めるべきだよ。でも個室でなら好きなだけ仲を深めてもらっていいよ。魔力循環がどうとか手紙に書いてただろう? 眺めのいい部屋を用意してもらってるよ」
「さすがアニエス。オレを甘やかすプロだな」
「そうだよ。私は君たちを甘やかすのが得意なんだ。だからそろそろ私が女だからセレンも甘えてくるのだと教えてあげるべきだよ」
この中でリリを除けば最も端正な顔をしていて、さらに美形騎士であるアニエスの言葉にマティアスは驚き固まった。
グレイロード帝国はかつて戦を繰り返し領土拡大を繰り返したビタンの後に建った国である。そのためある年齢層から上の世代がゴッソリといない。
そしてそのため建国当時、十将軍を含めた騎士団幹部は二十代より上がいなかった。むしろその二十代ですら戦死や怪我で引退したなどで少なかったほどだ。
そうして人員が少ないままスタートした国であるため国家は今も人を求めている。なので帝国貴族は幼い頃から教育を始め、実力が認められれば何歳でも騎士昇格が認められた。
そんなグレイロード帝国だからこそアニエス・ディランのように14歳ながら近衛騎士になることも可能だった。
もちろんそれはアニエスの血の滲むような努力の結果でもあるのだが。
軍艦船の上層にあり海を一望できる豪華な寝室で、マティアスはそんな真面目な説明を受けた後に服を脱ぐよう言われていた。
そんなマティアスの前方には兄がいて、ディートハルトから魔法武具の使い方を教わりながら髪の色を赤くしている。
金色だった兄ベルナールの短髪が赤く染まり、青みがかっていた瞳も同様に変わる。ただそれだけでマティアスが使用した時よりも戦神らしく見えてしまうことが少し悔しい。
「ディー、服を脱いだけど…ここからどうしたら」
「うん、まずベッドに座って」
脱いだ服で胸元を隠していたマティアスはそれを奪われ柔らかいベッドに座らされる。
いつものように強引なディートハルトは真面目な顔でマティアスの胸に手を当て兄を見た。
「その状態だと魔力の流れが見えるらしいけど、お兄様も見える?」
「マティアスを包む白い靄がそうだというなら」
「そっか。良かった。見えると理解が早いから、その魔法武具はかなり助かる。で、魔力って基本的に人間の体内を血液みたいに循環してるものなんだ」
白い靄も何も見えないマティアスをベッドへ押し倒したディートハルトは、やはり平然と胸を撫でながらその手を腹部へ移動させる。
「頭からつま先までぐるぐる流れてる魔力だけど、マティアスがケガをした時はここらへんで止まってた。竜王国騎士団の治癒師は気づいてなかったらしいけど、魔力が循環してないと治癒魔法の効果が弱まるんだ。でもこれは魔法の効果っていうより、人間の回復力が弱まる感じかな」
そう語りながらディートハルトの手はさらに下へ落とされて、衣類を脱いでいない下半身に移動した。
「お兄様は嫌だったと思うけど、ラピスラズリごっこって、マティアスの治療にも都合が良かったんだよ。夜になるとマティアスの部屋で柔軟しつつ魔力循環を促すこともできたから。でもこの魔力循環を促すって布越しだと難しくて、オレは素肌に触って、オレの魔力を流し込んで道を作りつつ、マティアスの魔力を引っ張って流してくことをしたよ」
「噂になるような行為をしなくても、服を脱ぐ必要があるということか」
「下着は脱がなくて良いよ。下半身の循環の入り口が太ももだから、そこまで出してくれたらいい。あと包帯くらいの布ならなんとかなる。服を脱げって言うのは布地の厚みを細かく指定できないからだと思ってくれると助かるよ。冬服とか分厚くなるとわからなくなるし、さらに装飾なんてついてたら最悪」
「なるほど。確かに、布の種類や装飾まで言い出したらキリがない。緊急を有するなら脱がせるべきだな。その魔力循環をしてから治癒魔法を使ったほうが救える可能性が高まるなら」
「お兄様の理解力が高性能で助かるよ。でもオレだとそれが限界って話で、もっと凄い人なら何を着てても大丈夫かもしれない」
太ももを撫でながら会話をするディートハルトのその手の動きは、確かにマティアスも覚えのあるものだった。
学園の寮で毎夜のように部屋へやってきて身体の柔軟をしてくれていた時の手だ。まめが潰れて固まったような、竜王国の12歳ではありえない無骨な手のひら。その手に触れられるたびに身体が熱くなったのは魔力のせいなのかもしれない。
「ディートハルト君」
「うん? ここまでで質問が?」
「靄の色が変わる理由はわかるか?」
「あー、気分だと思う。その魔法武具の効果に、色で相手の識別をするってのがあるから。こっちを敵視してるか好感を持ってるか的な」
「それはすごい魔法武具だな。今のマティアスの靄は桃色なんだが」
「えー???」
ベルナールの言葉を受けたディートハルトは笑いながら撫でる手を離した。内ももを撫でていた手が離れたことでマティアスはため息を漏らす。
「この場合は、ディートハルト君の手がいかがわしかったということかな?」
「魔力循環を治すためにオレの魔力を入れてたからかも。オレの魔力をマティアスの足に通して魔力が通る道を作るんだけど、魔力がきちんと循環するって身体にとっては心地良いものらしい。だからオレの手で気持ちよくなったことを身体が覚えてる的な?」
「おれは君の言葉の選択が良くない気がしてきた」
「ええー、オレはただの子供で専門家じゃないから、教えるのは難しいんだよ。ぶっちゃけこのままマティとお兄様を帝国に連れ帰って専門家に見せたい程度にオレも自信ない」
マティアスの怪我を知った時は他に手段が思いつかなかった。そう語るディートハルトにベルナールは嘆息を漏らしつつベッドに近づいた。
「とりあえずその魔力循環をおれが習得して、定期的にマティアスの下半身に流せば良いというわけだな。君の代わりに」
「お兄様のその理解力。本気で助かるよ」
「君がいない間にマティアスの心がおれに向いてしまっても謝罪はしないが」
「それは…まぁ、兄弟仲を認めないことはないから良いよ。でも魔力循環ができるようになると、同時に魔力操作もできるようになるからそこは習得してほしい。そしたらオレが魔力測定器ぶっ壊したみたいなこともできるようになるよ」
一番大切なのはここだからと告げたディートハルトは楽しげに笑ってみせる。だが魔力測定器を破壊するなど自分には無理だとマティアスは素直に思う。
あれは竜王国民ではないディートハルトだからできた所業だ。彼は帝国民らしく、その価値観から違う。
だが魔力量に人生が左右される竜王国貴族であるマティアスにとって魔力測定器は絶対の存在なのだ。
「ちなみに神聖魔法はこの魔力循環とか無視して治癒できるんだよ。でも竜王国は竜信仰の国で、五柱神の神殿がないから使い手もいない。でもこっちの大陸だと神殿で寄付して神聖魔法で治すのが主流だからこういう…魔力循環を治すってなかなかないんだよ。オレがこれを知ってたのは自分の魔力をうまいこと操れるようにならないと駄目だったっていうか」
「ディーも昔は魔力がうまく扱えないとかあったんだね」
何でも余裕でできる印象だったと起き上がりながらマティアスが言う。とたんにディートハルトは当たり前だと笑った。
「オレなんて親父をぶっ飛ばしたことあるからな。焚き火やる時に、それならオレが火をつけるぜ! って火を出したつもりが大爆発させてさ。うちの親父が普通の親父だったら死んでたと思う」
「それは……うん」
ディートハルトの父親は帝国騎士団の騎士団長で大陸最強と謳われるほどの人物である。そんな人を普通の父親と同列に語るなど失礼な話だと思う。そう考えたマティアスの頭をポンと叩いたディートハルトはベッドから立ち上がる。
「マティアスはもうオレの魔力を身体が覚えてるから、次はお兄様に覚えてもらおうと思うんだけど」
ディートハルトはそう言いながらベルナールの前に立ち手を差し出した。
差し出された手を見つめたベルナールはその目をディートハルトへ向ける。
「ディートハルト君の魔力が赤く見える理由を教えてくれるか?」
「お兄様に触ることに緊張してるからっすね」
「それは真面目な答えか?」
「オレの魔力は強すぎて、抑えてないと普通の人は気持ち悪くなったり倒れるんです。マティアスは魔力量が多いから、そういう心配もなかったんですけど」
ディートハルトが出した本音は挑発にも聞こえてベルナールも笑ってしまう。
だがそうしてディートハルトの手に自分の手を乗せた瞬間に背中を悪寒が走った。けれどそれは一瞬のことですぐに悪寒は消えて、ディートハルトに触れた手のひらから温かな何かが出に伝わってくる。
「大丈夫みたいで良かった。ゆっくり流し込むから魔力が流れる感じをなんとなーく理解してみて。大切なのは理解力と想像力だから。ほら、いまオレの魔力がお兄様の腹にある。魔力は基本的に腹と胸に溜めておいて、魔法を使う時はその箇所に流し込む。身体強化したいなら全身に。魔法を扱うなら手のひらに」
「……マティアスが、君に懐いた理由がわかった」
真剣に魔力操作について説明する。そんなディートハルトのいつもと違う真面目な顔と魔力を流し込まれる心地よさ。こんなものを毎晩のように受けていて好きにならないわけない。
しかもそれは恋だの愛だのではなく、親に抱きしめられ守られるような安心感からくるものなのだ。そしてそんなものはマティアスだけでなく、長男として厳しく育てられたベルナールも知らない。
「お兄様もオレに懐いてくれて、帝国に来てくれたら良いんだよ。魔法兵団に誘いたいのはマティアスだけじゃないんだから」
「この状況で誘うのはズルいな。今のおれは君の魔力にとらわれてるのに」
「わかるよ。オレは策士だからね。マティアスだってオレのこれに惚れちゃってるんだ」
「惚れてないよ!!」
いまだディートハルトの魔力はベルナールの体内に流れ続けている。そしてその心地よさが媚薬のようにベルナールの思考力を奪ってやまない。だがおそらく12歳のディートハルトはこの状況を正しく把握していないのだろう。
それならと、ベルナールは、ディートハルトの手が離れたタイミングで忠告とばかりに告げることにした。
「ディートハルト君。これは異性にやらないほうが良い」
そう告げた先でディートハルトは一瞬驚いたような顔を見せる。その顔は12歳の少年そのものだった。
そしてその直後にディートハルトは笑顔を見せる。
「そう簡単に女の子の手なんて触らないよ。リリもアニエスも魔力なんて持ってないし。だからマティアスもお兄様も男で良かったなって思ってるよ」
やはり何も知らないらしいディートハルトの返事にベルナールはうなずきつつ笑みをこぼした。
「だが君のその少し愚かなところも、おれとマティアス以外に見せたくないな。これを他の男にもやって欲しくないと思うのは我がままだろうか」
先程の感覚を忘れないように自分の中を流れる魔力を認識しつつ手元を見つめる。すると自分の手元を包む霞がいつの間にか桃色に変わっていた。
その桃色が魔力の流れに沿うように全身を包むのを確認した後に前方を見やると、なぜか真っ赤な顔のディートハルトがいた。
「どうした?」
「今のはお兄様がだめだ!! なあマティアス! いまのは絶対お兄様がだめだったよな!」
唐突に子供のようになったディートハルトが真っ赤な顔で弟に同意を求める。そのためベッドのほうへ目を向ければなぜか弟まで顔を赤らめていた。
「兄上、そんな戦神みたいな色でディーを口説くのは良くないよ! でも戸惑うディーは年相応で可愛いから悪くないよ!」
「いやいやオレは最後までカッコよくありたかったんだよ! なのにお兄様が不意打ちカッコいいのズルい!」
騒ぎ始める12歳ふたりを前にしながら、ひとり理解できないベルナールはひとまず魔法武具の使用をやめた。そうして髪や目の色が戻ったはずなのに、ふたりの少年は戻っても駄目だったと騒ぐ。
だがその様子はどう見ても同学年の親友同士のそれでしかなく、マティアスも楽しげにディートハルトと今も不意打ちだから駄目だのと語っている。
だからこそベルナールは、それが今夜で終わるのが残念でならなかった。




