27.ベルナールお兄様と面談
光の月も末に近づけば昼間はそれなりに気温が上がる。だが夕刻になると王都北にある海で冷やされた風が流れて少しだけ過ごしやすくなる。
そのため高等部の多くの学生が、この時間帯を有効活用しようとした。勉学に励むものは図書室や寮内の実習室を使い、剣術の鍛錬や馬術に励むものは鍛錬場へ行く。
そして将来の相手をと考えるものは庭園や食堂など、好きな場所で時を過ごすのだろう。
だが親が持ち込む縁談以外の選択肢を持たないベルナール・ローランは寮の自室で勉強することが多かった。
そんなベルナールは、職員から来客の知らせを受けてやや慌てた。
やってきたのが家族であれば急ぐ必要はないが、相手が筆頭侯爵家であるオーブリー家の令嬢なら話も変わる。
アドリエンヌ・オーブリー侯爵令嬢はベルナールにとって大切な妹の親友である。妹のブリジットは昔から文学作品に心をとらわれたような変わり者の妹だが創作の才能はあった。そしてそんな妹にとって幸運なのは筆頭侯爵家の令嬢が親友という立場でそれを庇護してくれたことだ。
そのため理解力の乏しい父もブリジットの才能を認めるようになった。そうして書くことを許されたブリジットの詩や物語は宮廷で認められ表彰されるほどになる。
つまり今のブリジットが才女として名が知られているのはアドリエンヌ・オーブリーのおかげなのだ。
応接室へ駆け込むと室内にいたのはアドリエンヌだけではなかった。
ベルナールの知らない黒髪の少年は騎士科の学生のような雰囲気を持つ。だが幼さの残るその顔立ちが高等部の学生であることを否定する。むしろ騎士科だとしても、同じ高等部1年の学生をベルナールが知らないなどありえない。
だとするなら…と一瞬でここまで考えたベルナールは、自然な流れでまずはアドリエンヌに挨拶を向けた。
「こんにちは、アドリエンヌ・オーブリー嬢。戦闘実習以来ですね」
「ええ、お久しぶりです。ベルナール様もご壮健のようでなによりですわ。そしてベルナール様。こちらはグレイロード帝国から短期留学生としていらしているディートハルト・ソフィード様です」
礼儀正しいアドリエンヌが噂の短期留学生を連れてくるとは思わなかったベルナールは自然と笑みをこぼした。
「はじめまして。ベルナール・ローランだ。所属は普通科Sクラスだが、君が中等部の騎士クラス全員を倒したという話は高等部にも届いているよ」
「はじめまして。ディートハルトです。お兄さんのことはマティから何度も聞いていたので、お会いできて嬉しいです」
「ああ…そうだった。弟と親密な仲であるらしいという噂も聞いてる。なぜ他でもないうちの弟なのかはわからないが…」
弟の名前が出たところで嫌な噂も思い出したベルナールだが怒ることはしなかった。大変不快な噂ではあるが、弟が嫌がっているとも聞かない。そのためベルナールとしては静観するつもりでいたのだ。
しかし噂を生み出した張本人が現れたのなら確認したいことがいくつもある。
挨拶を終えたベルナールはふたりに座るよう勧めて、自身もソファに腰を下ろした。そこでアドリエンヌは横へ移動して一人掛けソファに腰を下ろす。
応接室へ入った時にベルナールも気づいていたが、先程まで彼女らは同じソファに隣り合って座っていた。それは竜王国ではあり得ないことで、当然筆頭侯爵家の令嬢であるアドリエンヌもわかっているはずだ。
だというのに異性にその距離を許すのはアドリエンヌ側にその気があるからだろうか。あるいは相手は体格に優れていてもまだ12歳だからと気を許しているのだろうか。
その点も気になったが顔に出すことなくベルナールは正面に座るディートハルトを見た。
「君と弟のことは後で改めて確認したい。だがまずはここへ来た理由を知りたい。よほどの事があるから、わざわざオーブリー嬢の手を借り高等部に来たんだろう?」
「そうですね。まずオレが言うのもなんですが、彼女は優れた侯爵令嬢です。なにより己の立場を理解しわきまえることができる。だからこの場にいても問題はないと判断しました」
「我が国の筆頭侯爵家であるオーブリー家の令嬢が優れていないわけがないのだが。人を選ぶような話を君がすることは理解した。ちなみにこの応接室の扉を閉めることはできないが、そこは構わないか?」
扉を閉めることができないのはディートハルトが令嬢であるアドリエンヌを連れてきたためだ。若い男とふたりきりも問題だが、若い男ふたりと密室でいることも竜王国では許されない。
その点を遠回しに指摘するとディートハルトが微苦笑と共にうなずいた。
「話の内容としては、オレの可愛いマティの家族についてなので扉が開いていても問題ありません」
「俺の弟をそのような扱いにしないでくれ」
「申し訳ないですが、ここではこういう扱いしかできない。そしてこれはマティも了承しています。それよりローラン侯爵のお人柄についてお兄様から教えて欲しい」
「父の性格を君が知ってどうする」
「現状だと、オレは学園卒業後にマティをうちに嫁がせたいと考えます」
「は?」
どこまでもふざけたことを言う年下の少年に理性的な性格のベルナールも眉をひそめて声を上げた。
「君は…」
「これはあくまで現状の話です。ただ最終的にオレの面倒な幼馴染みがどちらを選択するのか読めない。戦闘実習の中でベルナール卿があいつの望む最善を引き当てたせいで、竜王国民を見直してしまってるからです」
ディートハルトのその言葉にベルナールは中等部にいる砂糖菓子の事を思い出した。
最近は目の前の留学生と弟の噂ばかりが扇情的に流れていてすっかり騒がれなくなった砂糖菓子。だがあの日、あの森の中で出会った彼女はこの国の至宝たる姿をしていた。
「必ずしもグレイロード帝国に戻られるわけではないと」
「でも帝国はそれを望んでいないので、まずはこちらを」
そう言いながらディートハルトは制服の内ポケットから白い封書を取り出して机に置いた。朱色の蝋印がされているが、盾の上に二本の剣が交差して上に獅子が刻まれている。それはベルナールも書物で目にしたグレイロード帝国の紋章だ。
「この手紙は…」
「ベルナール卿が卒業後の進路として竜王国以外の道を考えた時は、これを手に帝国騎士団へ来てください。我らが陛下は優秀な人材なら出自を問わず厚遇される方です」
「いや、それはおかしい話だ。おれはそれほどの評価を受けるほどのことをしていない。砂竜を倒したわけでもないし、秀でた部分もない」
「でも彼女は貴殿のことを気に入っている。マティのお兄様であることを除いても、貴殿は彼女の恩人だ。そして帝国は、彼女がここに残ることを選んだとしても、気に入った全員を引き込めば帰国するのではと考えている。貴殿もアドリエンヌ嬢も他のお姉様がたもなにもかも。全員を受け入れるくらい、グレイロード帝国なら余裕でできるので」
「……それは、そうだろうな」
ディートハルトの言い分にベルナールはため息しか出なかった。なにせあの帝国は世界最強の騎士団を有する超大国なのだ。自分ごときが頭角を現すことなどできないだろうが、埋没することはできる。
竜王国の爵位を捨てて帝国に行ったとしても、帝国騎士団の上級騎士にさえなれれば屋敷を構えて下級貴族並の生活はできると聞く。
そこまで考えたベルナールはふと答えを出にして目を見開く。
「君が言う弟を嫁がせるというのも……?」
「そこはまだ認められないし、認められてはいけない。マティにはまだしばらくオレの可愛いマティでいてもらわないと困る」
「それは弟が至らないからなのか? 魔力量に関しては入学時に学年トップになったらしいが、成績面ではAクラスだった。それに魔法武具ひとつ使いこなせず不具合を起こさせた。その部分を父はかなりお怒りだと、おれは聞いたのだが」
「お兄様はお父様からそのように?」
「ああ、弟が怪我で寝込んでいる間に執事を通して言われた。外見を変える魔法武具は流行りもので、貴族の子供なら誰でも持っているような量産品だ。だが不具合など聞いたことがない。だというのにマティアスはその程度の物も扱えない。あげくこんな怪我までして、売り物としての価値を下げるなと。もちろんその場には妹も弟もいたが、何も言い返せなかった。怪我のことを深く問われては困るからな」
「なるほど。 スペアとしても不適格なら、あとは政略の駒としてより良い家に売りたいってことか。ぶん殴ってやりたい話だ」
深刻な顔で語るベルナールとは対照的にディートハルトは楽しげに笑った。だがその目は笑っていない。深い黒瞳は怒りを抑えるように細められ、最後にまたうつむきながら小さく笑った。
「入学祝いにひとつだけ買っていい。そう言われた可愛いマティは、髪の色や瞳の色を変える魔法武具を選択した。でもあいつは技師に強くなりたいと語ったんですよね。魔法武具をつけることで強くなりたい。それこそ戦神ロールグレンのようにと。本当に可愛い話ですよ」
「だが性格を変える魔法はない」
「ガイアイリス大陸東端から船で3日進んだ先の大陸では言語魔法というものが使われてるんです。そこの思属性魔法に洗脳魔法というのがあるんですけど」
「つまり君はそんな者が弟の魔法武具にかけられていたと?」
「通常の魔法と違って、言語魔法は紋様を物に直接刻むとあとは魔力を通すだけで半永久的に魔法の発動ができます。リリから話を聞いたオレは毎晩マティの部屋に転がり込んで件の魔法武具をいじってたんですけど、魔芒石の裏に小さい紋様がありました。それは本当に小さくて、たぶんそこも親にバレたくないだろうマティの希望を叶えたんだと思います。そういうかなり丁寧な仕事がされてたので、技師はマティの幼い希望をしっかり応えようとしてくれたんですよ。ただその紋様を発動させるには相応の魔力が必要だから、技師もまさかそんな小さいうちに使えてしまうとは思わなかったかもしれない。マティはあんなに可愛いくせに魔力の素養は可愛くないから」
「なるほど…。だが君がそうやって魔法武具を調べるために泊まり込んでいたために、例の噂が良くない形で広まってしまったわけだな。そしておれも誤解してしまった」
「いや、オレはわざと人の目がある場所で、わかりやすくマティを口説いてきたので誤解ではないです。それこそ毎日朝から晩までマティを大事にして尽くして理性を壊して、それでやっと少しだけ自己評価を上げてもお父様の一言で急降下される。オレの可愛いマティは、小国の侯爵ごときに蔑まれて良い存在じゃないってのに、けしからん話ですよ」
今度はベルナールのほうが笑ってしまった。確かにグレイロード帝国と比べれば竜王国など歴史が古いだけの小国だ。国土の広さも騎士団の規模も宮廷貴族の数も何もかもが違いすぎる。
「つまり君は帰国前にうちの父親を黙らせるか釘を差したいということだな。だが父を学園へ呼ぶのは勧められない。先程も言ったが、マティアスが重症で寝込んだ時でも父親は執事を代わりに寄越していた。だがおれはそれで良かったと思ってる。あそこに父親が現れていたらマティアスの身体だけじゃなく心まで傷ついていただろうからな」
「確かに……少し前、次の試験結果によってはお父様が学園に来るってマティが真っ青な顔で教えてくれたんですよ。けどそれだとお兄様の意見を聞いて学園に来させることなく黙らせたほうが良いかもですね」
「父はマティアスに関して魔力量をもって価値としていた。他が劣っていても魔力が多ければ高く売れると。そんな父だから、試験までに連絡を取ってマティアスに魔力量トップの座を死守しろと言いたかったんだろう。そんな父を黙らせられるのか? マティアスを上回る魔力量を出すのも難しいと思うが」
マティアスが唯一秀でているのは魔力量だけだ。だがその唯一の部分が、ベルナールをはるかに凌駕している。
ローラン侯爵であるベルナールの父はその価値を魔力量が多いだけだと思っているが、マティアスはただ多いという量ではないのだ。なにせ弟は入学時の測定で魔術クラスを超えてトップに立っている。普通の親ならその時点でおかしいと思うべきだった。
むしろ普通の親ならSクラスに在籍しているだけで褒めるものだが父はそうしない。どこまでも高い目標を子供たちに押し付けて、それができないと嬉々として叱るような親だった。
「お兄様は帝国の宮廷魔術師のこと、ご存知ですか」
「ハーティ・ロゼルディア殿だろう。元孤児で傭兵時代に捕虜だったロイトヒュウズ陛下を救い、その後も建国の助力となった女傑だ。彼女が使う古代魔法は世界でも稀で、呪文詠唱速度が現代魔法の比ではないと」
「そうです。お兄様が博識で助かります。そしてそれがオレの母親なので、オレもそこそこ魔力を持ってるんです。ただ可愛くない幼馴染みの身体に悪いから魔力を封じてますけど」
「君は出自が恐ろしすぎるな」
ディートハルト・ソフィードという名で真っ先に思いつくのは大陸最強騎士である父親の名だろう。だが彼の場合は母親もとんでもなかった。
それこそただ貴族というだけの両親を持つベルナールでは太刀打ちできないほどに。
「ただ、これをやることでマティは自分の支えにしていた魔力量でも上があると知ってしまうじゃないですか。もしかしたらマティは泣いてしまうかもしれない。でもオレはもう隣にいてやれないので、そこはお兄様に頼むしかないと思っています」
「だが君はマティアスを傷つけると承知で父上を潰したい。マティアスの心の平穏と未来のために」
「そうです。可愛いマティを娯楽感覚で傷つけるゴミはいらないので」
「では仕方ない。だがおれは兄としてマティアスを支えるぐらいしかできない。マティアスの将来まで面倒を見られないから、潰しただけで終わらせないでくれ」
ベルナールなりの妥協案を出したところ、ディートハルトは今度こそ嬉しそうに笑った。
「可愛いマティはオレのところに嫁いで幸せになる未来が決まってるので大丈夫です」
再びのその言葉を聞いたベルナールは1度目と同じ反応を見せなかった。ただ目を見張ったままディートハルト・ソフィードという少年を見つめる。
彼はリリの気持ちを理解と立場をこの学園の誰よりも理解している。そしてきっと竜王国貴族の現状も、アドリエンヌ・オーブリーという存在から知ったのだろう。竜王国貴族の中には己の欲のために娘の将来を潰すこともいとわない者が普通にいることを。
だから今のリリの相手としてマティアスを立たせるわけにはいかないと考えた。
もしそんなことをしたら、戦闘実習のような事が再び起きてリリの正体を知られた時にマティアスが竜王国貴族たちによって潰されてしまうからだ。
自己肯定感の低いマティアスは少しの圧力で潰れてしまう。
だからディートハルトはわざと物語のマネをしてまでマティアスを己の相手だと思わせた。そして今なおマティアスは自分のところに嫁ぐのだと言い張る。
すべてを理解したベルナールはこぼれる笑いもそのままにディートハルトへかなうことはないだろう希望を吐露した。
「君の下につけるなら、帝国騎士という道も良いかもしれないな」




